同日 19:44〝ゲーム〟開始
『オメェ、いつからそこにいた?』
『利根に雑魚呼ばわりされた辺りかな』
『割と序盤だ! 全然気が付かなかったよ!?』
鈴が頓狂な声をあげるが、気が付かなかったのはアタシも同じなので何も言えない。
『昔から気配を消すのが得意でね。祖先は忍かな』
『……漫画のネタができたな』
面白くもなさそうに呟く波部。
事前にカイラから貰った資料で色々知ってはいたが、確かにこの蕗屋という漫画家は変人らしい。痩身でひょろりとした体躯。前髪は長く、その間から覗く双眸は糸のように細く、無表情な筈の〝ドール〟においても常態で笑っているように見える。或いは、狐か。連載誌のデフォルメ自画像に狐面を用いているあたり、自覚はあるのだろう。そして経験則により、この類の人間は腹に一物もっていることが多いのをアタシは知っている。現に今も何を考えているのか、さっぱり分からない。顔立ち自体は整っているし、世間一般の美的感覚で言えば美少年の部類に入るのだろうけど、どうにも近寄りがたい雰囲気を感じさせる。そして当の蕗屋はLの形にした両手を組み合わせて作った窓で構図を取り、アタシたち一同を眺めている。
『しかし、なかなか面白い絵柄になったねェ』
『なに指フレームで画角とってんだよ』
カメラマンらしい語彙で突っ込む利根。
『当時の格好したドールがこれだけ揃うとね、シュールというか、異空間に迷い込んだみたいな気分になるよね。まるで十年前に時空転移したみたいな心持ちだ』
『そういう趣旨の企画だからな』
『だけど――面白くなるのは、これからなんだよね』
波部の冷静な指摘を受け流し、蕗屋は尻ポケットから見えない何かを取り出し、アタシたちに向ける。
瞬間、頭の後ろと顎の下で金属質な音が響く。
『え!? なに今の音!?』
『……頭の後ろ、それに顎からも聞こえたな』
音が聞こえたのはアタシだけではなかったらしい。
『オメェ、何やった!?』
『言ったでしょ、企画の準備だよ。時空を歪める四次元ドールハウスだけど、君たち相手には次元を下げる必要があるようだ! さあ今後僕の言うことは一言一句聞き漏らさないでもらいたい。全てがヒント、全てが道標となるんだからね!』
両手を広げ、ゆったりとした足取りで部屋の中央に歩み出る。大仰と言うか、何だかひどく芝居がかった動きだ。
『さて、まずは企画の説明からだが――』
『待てやボケ。質問に答えろ。今、オレらに何かしただろうが』
『相変わらず気が短いな。順を追って説明するから、少し待ってよ』
『利根くん、ここは一旦聞こう』
殺気立つ利根にストップをかける。気になるのはアタシも同じだったが、今は蕗屋が準備したという〝企画〟の方が気掛かりだ。間違いなくろくでもないモノだろうが。
『手助けは有り難いね。では、簡潔に今回用意した企画の説明に移ろう――一言でいえば〝脱出ゲーム〟だね。君たちには屋敷に散らばるヒントを探し出して謎を解き、無事に脱出してもらいたい』
……思ったよりもまともな企画内容で拍子抜けした。
『廊下に貼られている無数の写真や、階段に置いてあった仁行所の人形も、ヒントの一部ってことか』
『さすがに波部は理解が早いね。そうさ! ヒントはすでに眼前に提示されている! あとはそれを取捨選択して解析し、重ね合わせて脱出への鍵を見つけ出すんだ!』
両手を挙げて煽ってくるが、それに対する皆の反応は冷ややかだ。
『一生懸命盛り上げてるとこ悪いけど、オレはパスな。そういうのやりに来たンじゃねェから』予想通りの難色を示したのは利根だ。『この人形ごっこ自体がレクリエーションみてェなもんだしな』
『アタシはせっかくだから参加しよっかな。面白そうだし』
ここは主催者の誘いに乗っておく。本当は写真探しに専念したいところだが、利根に同調して場の空気を悪くするのも馬鹿らしい。
『……俺もやってみるか。蕗屋にどれだけのモノが作れたのか興味がある』
『カイちゃんと波部っちが参加するなら、ウチも……』
『あっそ。じゃオレは先に戻ってるから』
踵を返し、スタスタと扉に向かう利根。しかし、それを黙って見過ごす蕗屋ではない。
『待ちなよ。不参加の意思表示は結構だけど、どこに向かう気?』
『一階の食堂だよ。瑠璃と一緒に酒でも飲んでる』
『ふうん? 食堂はいいけど、そこに瑠璃はいないよ? アイツは〝ドール〟に繋がっていない。会うことはできないんだよ』
確かに、瑠璃の〝ドール〟はこのドールハウスにはいない。
『はあ? 何言ってんだよ。瑠璃と話す時は〝ドール〟切るに決まってんじゃねえか』
〝ドール〟との同期はオペレーターの任意で行われる。腰のスイッチを切り、ゴーグルを外せばすぐにでもアタシたちは元の世界に戻ることが出来る――のだけど。
『それが今の君にできるかな?』
『あ?』
利根が気色ばむ。恐らく蕗屋が何を言っているのか分からなかったのだろう。アタシもそうだ。
『察しが悪いな。じゃあ、こう言い換えよう――今の君に、そのゴーグルを外すことができるかな?』
瞬間、その場にいた全員が自分の頭に手をやった。後頭部と顎の下、ついさっきカチリと嵌めたワンタッチバックルが動かなくなっている。完全に固定されているのだ。
――やられた。
『さっきの質問の答えがこれさ。知り合いの業者に頼んで、ゴーグルの二箇所の留め具がリモコンの電気信号でロックされるように細工をしておいた。もう自力でゴーグルを外すのは不可能だよ』
部屋に入ってまず、蕗屋はこちらに手を差し出し、何か動かす動作を見せた。あの時にリモコンとやらのスイッチを押したのだろう。
『おい! どういうつもりだよ!』
『信じられない。サイアク……』
怒鳴る利根。呟く鈴。波部は無言でゴーグルと格闘している。
『言ったろ。君たちはすでに囚われの身だと。しかし、囚われているのはこの部屋でも、屋敷でもない。〝ドール〟さ。君たちは自分の〝ドール〟に閉じ込められたんだ』
『つまり、この〝ドール〟から抜け出すこと――ゴーグルを外すことが、ゲームの目的ってことね?』
『カイラは理解が早くて助かるな』
『具体的には、どうすればいいの?』
意図的に会話の主導権を取る。皆、アタシに任せた方がいいと判断したのか、静かに蕗屋との遣り取りを見守っている。
『よろしい。説明を続けようじゃないか』
ようやく説明ができることに満足したのか、蕗屋は常態でも笑っているように見えるその顔を、更に破顔させた――ように感じた。
妙なゲームに参加することになった。
アタシを操る糸は、その数を増やしつつあるようだった。