同日 22:40〝スケープゴート〟経路
『分かンねェのはよォ』
一分か二分か、永遠にも思える沈黙を利根が破る。
『蕗屋のヤロウ、結局事件をどう締めるつもりだったんだ? 密室殺人にしたのはテメェを容疑者圏外に置くためってのは分かる。でもヨ、心臓をナイフで刺されて殺されてたンなら、警察は殺人だと思うよな?』
「自分で自分の胸に刃物を突き立てる自殺はあるし、不慮の事故で倒れた拍子に包丁が突き刺さってしまう事故はあるけど――現実的に殺人だと判断されるでしょうね」
尖った顎に手をあて、カイラにしては珍しく慎重な台詞を吐く。
『でもヨ、殺人となったら犯人が――つーか、犯人役が必要になる訳だ。テメェの罪をおっかぶってくれる人間がな』
「スケープ・ゴートってヤツね。それはアタシも思ってた」
カイラが同調してくれたことに利根は気をよくする。
『な、おかしいんだよ。密室殺人、つまりは不可能犯罪だ。蕗屋のヤロウがテメェの罪逃れるのは分かるヨ。でもその後はどうすンだ。自殺でも事故でもねェ。でも物理的に実行できる人間もいねェじゃ終われねェだろ』
確かにそうだ。推理小説などに出て来る密室殺人は、その多くが被害者の自殺に見せかけたり、あるいは唯一の鍵を持っていたとか唯一の開口部に繋がる場所にいたなど、特定の人物に容疑を向けられるように作られている。
捜査陣の落としどころを用意してやる必要があるのだ。
意図的ではなく偶然作られた密室だとか、咄嗟の機転で作ったためにそこまで考えが至らなかった、というパターンもあるが、今回は当て嵌まらない。綿密に計算し、絶対の自信をもって実行した計画なのだ。
必ず、スケープゴートはいる。それは誰か。
『……カイラちゃんは、それも分かってるの?』
顔を俯けたまま瑠璃が問う。
「一応、考えてはある。確証はないけど」
『聞きたい。聞いた後でわたしも話す』
「……二度手間な気もするけど、まあいいわ。じゃあアタシの考えを話すわね。蕗屋君の用意したスケープゴートは、貴方」
何の溜めもなく、至極あっさりと瑠璃の横の男を指差す。
「――私? 私、ですか」
困惑する日野。戸惑ったのは私たちも同様だ。
『ええーっ! 日野さん!?』
頓狂な声を上げるのは、もちろん鈴だ。
『いやいや、あの時日野さんは駅前のコンビニまで買い出しに行ってたんだぞ。密室どうこう以前の問題だろ』
「行ってなかったとしたら、どう? 足りない飲み物を買いに行ったってことだけど、実際に行くことはない。行ったふりをして、実際は前もって買ってあった飲み物を持ってくればいい」
「私は当日、お嬢様に命じられて動いたんです」
口を真一文字に結び、真面目な使用人は必死で反論する。
「そういう風に仕向けた、というのは?」
真顔で言うカイラに、日野は言葉を失う。あまりに予想外の展開に頭がついていかないのだろう。
『コンビニの防犯カメラに映ってたンだろ? 買い出しに行った確かな証拠じゃねェか。それとも、あれは誰か別人が成りすましてた、とでも言うつもりかヨ?』
「その前にまず、前提を話しておくわね」利根の問いを流して、カイラは口調を改める。「今回の事件、現実に起きた真相とは別に、蕗屋君が描いた二つの〝物語〟が存在するの。一つは、さっき言及した蕗屋君が動くための物語。もう一つは、警察やマスコミ、世間に対する物語。言わずもがな、この二つは現実と大きく違っているってことを覚えておいてほしいのね」
『オメェもたいがい回りくどいな。防犯カメラについてのオレの疑問に答えてくれヨ』
「それは一旦、横に置いておいて。後で必ず説明するから。ひとまず、日野さんは買い出しに行かず、ずっとこの屋敷の敷地内にいた――そうすると、いとも簡単に密室は解かれるのよ」
『そっか! 日野さんは裏口の鍵を持ってるんだから、そっちから簡単に入れるんだ』
察しのいいところを見せる鈴にカイラは頷く。
「逆に言えば日野さんだけなのよ、誰にも見られず、記録も残さずに物置前まで移動できたのは」
『正面の玄関から屋敷の中を通っていけば、監視カメラに映るからな』
コンビニの時は〝防犯カメラ〟と言っていたのに、屋敷のは〝監視カメラ〟と表現している。敢えて言い分けているのだろう。
「後は簡単。事件が起きる前から日野さんは物置で待ち伏せをしていて、ゴーグルをつけて目の前が見えていない参加者を刺したってだけの話。で、次に物置に人が来るわよね。言うまでもなく、その人間もゴーグルをつけている。目の前のことが見えていない。だから、その人の傍らをすり抜けて、素早く入ってきた扉から出ていく。裏口から出て鍵をかけ、車に前もって用意してあった飲み物を持って何食わぬ顔をして屋敷に戻る。これで密室殺人は完成よ」
本当に簡単な話だった。ゴーグルをつけてない人間は屋敷内で誰にも認識されずに動き回ることができる。言わば透明人間と同じだ。ゲームの最中、自由に動き回ること出来て、かつ裏口を出入りできたのは日野しかいない。
『それが、蕗屋の描いた〝物語〟か――なんつーか、言っちゃ悪ィけどつまんねェトリックだな。前もって商品を用意して買い出しに行くと見せかけて行ってなくて、それで持ってた鍵で裏口から入ったなんてよォ、そんなんじゃ読者から石投げられンぜ』
「あら、利根君はいつから推理作家になったのかしら。勘違いしないでほしいんだけど、この部分は外連味とか意外性とかいらないから。むしろ、現実的で普通である方がいい。分かる? 警察に、司法に解かれないといけないの。単純で簡単な方がいいの。変に凝ったトリックじゃ、警察の手に負えないでしょ」
言った瞬間、すぐ後ろに埼玉県警の二人がいることに気が付いたらしいカイラは慌てて言葉を足す。
「――って、蕗屋くんは思った筈なのね。あいつ、昔から警察を軽視してるところがあったから。アタシの考えじゃないですよ? アタシはもう、警察の、埼玉県警の私設応援団ですから」
露骨に媚びを売っている。こんな久宮カイラは見たくなかった。だけど、芸能界で生き残るためにはこういうスキルも必要なんだろう。
少し前にカイラの警察嫌いエピソードを話した長身の使用人は、だけど今はそれどころではないようだった。
「何故、私が……」
俯いたまま、声を絞り出す。
『……あの子と同じ施設で育ったんでしょ。妹みたいに感じていた。その復讐――って筋書きだったの』
下を向いたまま、瑠璃が告白する。自分の口で言うことに決めたらしい。
「本当に、私を犯人役に仕立てようとしたんですか」
語尾が震える。絶望と失望、哀しみが滲み、溢れ出ている。
『わたしだって嫌だった。だけど、従うしかなかった……。逆らうことの許されない、傀儡だもの……』
瑠璃の自虐に、日野はたたらを踏んで後ずさる。逆らえなかったとは言え、信頼して忠義の限りを尽くしてきた主人に裏切られたようなものだ。数瞬の間のあとで、カイラがゆっくりと言う。
「逆らえなかった? 本当にそう? 違うでしょう?」
カイラの声が部屋に響く。その言葉が、皆の頭に伝わる。
「本当は抵抗したんじゃない? アタシはそう思ってる」
『……何を言っているの』
「瑠璃――貴女は、あの狂人の手で罪もない誰かが架空の物語で死ぬのを見過ごせなかった。嘘の理由で忠義の人をはめるのが嫌だった。そうよね?」
顔を上げた日野の顔に、少し色が差す。カイラは続ける。
「だから、蕗屋透の筋書きを壊した」
そして、彼を殺した。
「事故じゃなく、そうなるように仕向けたのよね」
彼女の言葉が徐々に脳の奥深いところに届く。刹那、慄く。
『……オメェ、何言ってンだよ』
あまりにあっさりと語られた事実に、皆追いつけないでいる。事故ではなく、殺人――それが真実だとすると、話はまるで変ってくる、それなのに話す本人は淡々としたものだ。
「利根君、防犯カメラのこと気にしてたじゃない。その答えがこれ。蕗屋君の筋書きでは西の麓にある酒屋の自販機で買うことになってた。それを、直前になって駅前のコンビニに瑠璃が変更したの。酒屋の自販機には防犯カメラがないから、証拠が残らない。敢えて防犯カメラのある場所に行かせてアリバイを作り、蕗屋君の筋書きを壊したのよ。日野さんを、犯人にしないために」
瑠璃は日野を守ろうとしていた――真相がくるりと反転する。当の日野は絶望の淵から這い上がってこられたようだが、そこに浮かんでいたのは困惑の表情だった。
「……しかし、蕗屋様に逆らってよろしかったのですか」
「よくはないでしょうね。従わなければ過去を公にすると脅迫されていた訳だし。その時点で彼への殺意は固まっていたんでしょう」
『ちょっと待って!』
「はいはい待つ待つ。今度は何?」
いつものストップ。だけど今回ばかりは皆が同意見だった。
『何じゃないでしょ! 殺したって何!? フッキーは手を滑らせて落ちたんじゃなかったの!?』
「何度も練習したでしょうし、あの蕗屋君がそんなドジを踏むとは考えにくい。あれは意図的に落下するように細工されてたの。瑠璃の、明確な意思の元にね」
『そこまで言うからには根拠があンだろうな?』
「三人がドールハウスから出た時に、床に蕗屋君らしき〝ドール〟が転がってたって話、覚えてる?」
無言で頷く。当初、その存在のせいで蕗屋〝ドール〟は食堂から移動していないのだと思い込まされていた。しかしそれは〝ドール〟などではなかった。〝ガワ〟だけ模した瑠璃製作の人形で、結果としてそれが瑠璃が計画に深く関わっているのだと証明することになってしまったのだ。
だが、あの人形にはそれ以上の意味があるらしい。
「おかしいと思わなかった? 瑠璃があの人形を床に置いたのは食堂を出る段階なのよ? これからトリックを成立させに行こうって人間が、どうして失敗することを見越した工作を行うの? 瑠璃は蕗屋君が転落することを知っていたのよ。何故なら、貴女がそう仕向けたから」
失敗した時のための保険ではないかと考えたが、それなら失敗した時に食堂に戻って人形を置けば済む話だ。明らかにタイミングがおかしい。
「瑠璃は自分のこと傀儡だって自嘲してたけど、実際は逆」
――貴女が、蕗屋君を操ってたの。
『でも、どうやったらルリルリにフッキーが殺せたの? 外には一歩もでてないんだよ?』
「梯子代わりのドール通路に簡単な細工を施したのよ。縦格子を、一本増やしたの。そうするとどうなると思う?」
想像する。蕗屋本人は実際の塔を昇るが、彼の視覚は〝ドール〟と同期している。本来梯子と縦格子は太さと間隔、そして本数が完全に一致している筈が、瑠璃の細工によって縦格子の本数が一本多くなっている。彼は最上段の梯子に手をかける。ドールは格子を掴むが、蕗屋自身の手は宙を切る。不安定な体勢に加え、勢いつけて昇っていた彼の体はバランスを保つことができず、そのまま――。
「実際は逆って言ったのはそういうこと。脅迫されてたのも、瑠璃と〝ドール〟とドールハウスを利用して殺害計画を立てていたのも事実なんでしょう。けど、傀儡は蕗屋君の方。瑠璃はギリギリまで蕗屋君の犯行計画に沿って行動しているように見せかけて――」
肝心なところで、梯子を外したのよ。
瑠璃から視線を外さずに、そう決めるカイラ。
煽てて調子に乗せて唆しておいて、いざと言うときに応援や支援をやめて孤立させることを比喩的に『梯子を外す』と表現するが、それを物理的に行ったということか。
「だいたいさ、ちょっとおかしいと思わなかった?」
ドール通路を持ち上げ、バスケットボールのように両手で挟んで器用にクルクル回転させながら、カイラは続ける。
「蕗屋君の〝ドール〟を排気口に届かせるには何かを梯子代わりにする必要があって、私はそれがドールハウスの通路部分であると考えた――現実の通路に縦格子が新しく設置されたことからもそれは確かで、瑠璃も認めている――だけどね、ここで冷静になってほしいの」
梯子を昇る必要、あった?
カイラの言葉に、私たちはまた混乱する。
『……何言ってンだよ。排気口に行くにはそれしかないって、たった今オメェが言ったばっかじゃねェか』
困惑する利根。そうだ。長身の日野が手を伸ばしてようやく届く高さの排気口に車椅子の瑠璃が〝ドール〟を運ぶには梯子代わりの何かが必要だと、そこから始まった推理だったではないか。
「そうよね。舌の根も乾かぬうちに手の平返すなって話よね。でも、どう?」
言いながら、ドール通路を逆Lの字にして掲げ、それをひっくり返してLの字にして見せる。
「例えばスカートの下に隠して運搬する時は一番下、フットレスト近くで待機させるの。それで、いざ排気口まで来たらドール通路をひっくり返す訳でしょ。この時、蕗屋〝ドール〟は一番下の格子を掴んでいる。で、ひっくり返ると――上下は逆さになって、一番下の格子は一番上の格子になる。もちろん、オペレーターである蕗屋君自身は前もって現実の梯子を昇っておいて、一番上の格子を掴む格好で同期する。それで、ちょっと身を乗り出せば、すぐそこは排気口」
梯子を昇る必要なんてなかったの。
「もっと身も蓋もないことを言えば、わざわざ義足を外してドール通路を持ち出さなくても、何か適当な長い棒でもあれば事足りたのよね。その場合同じ姿勢にするのが少し大変だけど、そんなの工夫次第でどうとでもなる。少なくとも、〝ドール〟と同期して梯子を昇るなんて行為よりはずっと安全で確実。そうだと思わない?」
『でもでも、現実にフッキ―は梯子を昇った訳だし……』
「そう。蕗屋君と瑠璃は、敢えてドール通路を代用梯子にする方法を選んだ。それは何故か。ここが大事なの。つまり――『排気口に〝ドール〟を届かせる』ことではなく『〝ドール〟と同期した蕗屋君が現実の梯子をゴーグルをした状態で昇らせるように仕向ける』ことが重要だったの」
目的と手段が、逆だったのよ。
「さっきも言った通り、梯子と縦格子は幅も太さも完璧に一致していたけど、梯子よりもドール通路の縦格子の方が一本多く設置してあった。瑠璃の仕掛けた罠ね。その結果、蕗屋君はバランスを崩して落下――そのためには、蕗屋君に実際梯子を昇ってもらう必要があったって訳」
『あのバカが頭捻って練った計画が、結果的にテメェの命奪ったってことか。皮肉なモンだな』
利根が吐き捨てる。
『……でもでも、それってルリルリの思惑だよね? フッキーは? 今カイちゃんが説明してくれた安全策、多分フッキーも思いついたと思うんだけど、なんでわざわざ危険な橋渡っちゃったんだろ』
「橋じゃなくて梯子だけどね」
言葉尻を取ってしょうもないことを言うカイラ。これは無視される。
『そりゃオメェ、あのバカのことだから堅実で無難な方法より、外連味溢れるギミックを試してみたかったんだろうよ。ドール通路の縦格子を梯子代わりにして〝ドール〟を昇らせるなんて、あのバカが好みそうなトリックじゃねェか』
『そんなぁ……』
ここぞとばかりに毒づく利根に、鈴は鼻白む。
「その通りよ。利根君、冴えてるじゃない」
『そうなの!?』
『当たりかよ!?』
鈴はともかく、言った当人が驚いている。
「さすがは元同級生、さすがはパパラッチといったところかしら。人間洞察はバッチリね。そう。奇矯で新しいモノを好む蕗屋君は、〝ドール〟を駆使したこのトリックを敢えて行ったの。堅実な安全策なんて当然思い浮かんだでしょうけど、そんなのには見向きもしない。それが蕗屋透という人間。瑠璃はそれも利用したって訳」
『……カイラには敵わないね』
長い間沈黙を守っていた瑠璃が寂しげに言う。
『じゃあ最初からフッキーを殺すつもりだったってこと?』
鈴はまだ信じられないらしい。私だって信じられない。
『最初から……そうね。ドール通路を梯子にするのも、それをスカートの下に隠して運ぶ方法も、全部蕗屋くんが考えたこと。カイラが言った通り、梯子を昇らなくても出来るって提案したけど、こっちの方が面白いよって却下されて――本気で打ちひしがれた。この人、人殺しの計画を心から楽しんでる。何がサイコの研究よ。もう充分にサイコじゃない。だから、何度も何度も考えた』
どうすれば止められるか。
どうすれば、このサイコを消せるか。
静かに淡々と話す。その口調が、逆に恐ろしい。
『それで、縦格子を増やすって、たったそれだけのことで蕗屋くんを殺せるって気付いて――後はカイラが説明してくれた通りよ。ダミーのドール通路とダミーの蕗屋〝ドール〟を用意して、鍵付きの戸棚に隠しておいた。でも蕗屋クンを出し抜けるかは、はっきり言って賭けだった。でもやるしかなかった。昔のことで脅されるのは完全に自業自得だから仕方ないにしても、何の罪もない人を殺して、それをよりによって日野に擦りつけるなんて、とてもじゃないけど出来なかった。だから、わたしは……』
「お嬢様、もういいです」震える声で続ける主人の告白を、使用人が遮る。「もう、いいですから」
項垂れる瑠璃。
もう、誰も何も言わない。
長かった解決編も、これにて終了。
古部梨杏、蕗屋透、過去の罪と罰と、今現在の罪と――がんじがらめになっていた哀しき人形遣いに絡む糸が、霧散していくのが見えた気がした。




