同日 22:20〝ヴィクティム〟探し
『だけど、フッキーは失敗した……』
鈴が呟く。
そう。カイラが語った完全犯罪は現実に起こらなかった並行世界のお話だ。実際に死んだのは蕗屋の方。
奴は、しくじったのだ。
「ゴーグルをした状態で急いで昇って、手を滑らせたんでしょうね――そこで驚いたのは瑠璃よ。意気揚々と排気口に向かうはずが、ボトンと落下したんですもの。すぐにアクシデントを察知した瑠璃は蕗屋〝ドール〟ごとドール通路を慌てて足元に隠し、そのまま玄関に直行してその目で蕗屋君の死を確認したってとこね」
頭の中でその情景を思い描き、私は一つおかしなことに気が付く。
「あの、ちょっといいですか」
「断らなくていいってば」
「蕗屋さんの〝ドール〟って、結局食堂を出た後はずっと瑠璃さんの手元――と言うか足元にあって、食堂には戻ってないってことですよね?」
「そうなるわね」
「でも、私たち蕗屋さんの〝ドール〟を見てるんです。利根さんや鈴さんと一緒にドールハウスの外に出た時に、床に転がる〝ドール〟を、確かに見てるんですよ。でも蕗屋さんの〝ドール〟は瑠璃さんの足元にあった――これだと、蕗屋さんの〝ドール〟が二体あったってことになっちゃいません?」
「……そうですよ」また日野が蘇る。ゾンビか。「矛盾ではないですか。つまり、お嬢様が〝ドール〟を食堂から移動させたというスタートがすでに間違っていたということですよ」
「残念ながら、そうはならないのよねぇ」
しかしカイラに慈悲はない。
「むしろ、これこそが瑠璃が共犯者であることの根拠となっている」
「何故ですか!?」
「吉香たちが見たのが偽物だからよ」
「ニセモノ……」
日野の顎があんぐりと開く。
「さっき、吉香は蕗屋君の〝ドール〟が二つあったんじゃないかって言ってたのは、実は半分正解。あの時、屋敷には蕗屋透の姿を似せた人形が二つあった。内部がロボットになっている〝ドール〟と、外側だけを模した一般的な意味での人形――吉香たちが見たのは、後者。瑠璃が食堂を出る時、前もって用意していた人形を床に転がしておいたのね。あたかも、蕗屋君の〝ドール〟がドール塔から落下したのだと誤認させるために。後ろ姿だけとは言え、専門業者が用意した〝ドール〟そっくりの似姿をした人形を独自に調達できるのは、自身が人形作家である瑠璃だけよ」
「そんな……」
とうとう反論の弾を使い果たし、日野は言葉を失う。どうにかして主人の無実を証明したいが、継ぐべき言葉が見当たらない。
「しかし、お嬢様は――」
「日野、もういい」
黙って俯いていた瑠璃が、とうとう沈黙を破る。
「そう、わたし――わたしがやったの」
落ちた。
ついに認めた。
いや、カイラが屋敷で調査を始めたタイミングで体調を崩し、この場に来ても終始何かに怯えているように見えた。彼女は最初から告発されることを予想していたのだろう。
『でも、動機は? やっぱり、古部李杏ってメイドの、復讐?』
『その前にヨ』ストップをかける利根。『一つ片付けとく問題が残ってンだろ』
被害者は、誰なんだよ。
利根の発言に、ただでさえ張り詰めていた空気に更なる緊張が加わる。
「忘れていた訳じゃないわよ。説明には順序があるの。だいたい、みんな薄々気付いてるんじゃないの? 誰が狙われていたのか」
その通りだった。
誰だって――私でさえ、気が付いた。ただ、その事実を直視したくなくて目を逸らしていただけだ。
「瑠璃が物置に向かった時、誰が暗証番号を入力していたのか――蕗屋君がしくじらなければ、本来死んでいたのは誰だったのか。火を見るより明らか」
――そうよね、波部君。
純然と横たわる事実が鎌首をもたげて私たちを吞み込もうとしている。極限まで張り詰めた弦糸がキリキリと音を立てるのが聞こえる。ぎこちない動きで名指しされた人物を見れば、ポケットに手を入れた格好で面白くもなさそうに皆の視線を受け止めている。そこに動揺は見られない。怯えて震えている瑠璃とは対照的だ。
『それじゃあ、やっぱり波部っちが――』
『違う』
最後まで言わせない。
『俺ではない』
『でも蕗屋はそう思ってたってことだろうがヨ』
『あ、波部っちが不機嫌なのって、それが原因!? カイちゃんが事件に首突っ込むのずっと嫌そうにしてたけど、それって自分が標的Xだったからってオチ!?』
いつもの二人が色めき立つ。
『……お前たち、もう少し賢い人間だと思ってたんだがな……』
ゆるゆるとかぶりを振りながら心底呆れたような溜息を吐く。
『何だァ? 人を馬鹿にしたみてェによオ?』
『みたいじゃなくて露骨にそうだと言っているんだ。事件捜査は久宮の仕事じゃない、だから警察に任せろと言って刑事さんたちにも小細工してもらったのに、それを無視して素人探偵が強硬捜査を敢行してるんだ。機嫌も悪くなるだろう。それ以上の意味などない。存在しない行間を読むのはやめるんだな』
『それは不機嫌の理由を説明しただけだ。オメェが標的Xでないことの反証にはならねェ』
『……面倒臭いな』頭をカリカリと掻く。苛つきが頂点に達しようとしている。『お前たちの話だと、蕗屋は仁行所に作らせた古部李杏の人形をドールハウスに点在させることで動揺を誘い、その動揺を見抜いて標的Xが誰かを特定するって話だったな。どうだ。俺が動揺してたか』
『波部っち、ずっと人形のこと気にしてたじゃんか!』
『ゲームのヒントだと思って注目してただけだ』
『フン、後からなら何とでも言えらァなァ』
『……おい、なんで利根と須藤なんだ。久宮が探偵役なんだろ』
「いいじゃない。波部君、反論は十八番でしょ?」
肘を抱えた姿勢でニヤニヤしている。利根、鈴とは別の意見らしいが、大人しく主導権を渡して静観の姿勢。この人、楽しんでるな。
『……なら言わせてもらおうか。いいか? 久宮が推理した蕗屋の計画には、一つの大きな制約の元に成り立っている。それは、標的Xが必ずゲームを一位抜けしなくてはならない、という点だ。仮に標的Xより先に正答を導き出してドールハウスからの脱出に成功した人間がいたら、どうなる? 蕗屋は屋敷の外で正答者を出迎え、ゴーグルを外すのだと自分で宣言している。当然、その場にいなくてはいけないし、一人でもゴーグルを外した人間が出てしまった時点で蕗屋は自由に動けなくなる。遠隔操作で〝ドール〟殺人を行うなど論外だ』
『波部っち、一位抜けだったじゃんか』
『それは結果論だ。どうして俺が確実に一位抜けできたと確信できる? 現に利根は俺より早く物置に到達していたし、どう転ぶかは分からない。俺のオッズが低いのは事実としても、絶対ではない。分かるか? 俺が標的Xならば、絶対に俺が一位抜けできるように誘導する必要があるんだ。その方法については、どう考えるんだ』
『こっそり答え教えたんじゃないのー?』
『……俺がその類の不正が一番嫌いなの知っているだろう』
『オメェが嫌がっても、蕗屋の野郎が脅して従わせた可能性もあるだろ』
『だったら利根に先を越されてるのはおかしいよな。結果として利根は不正解だった訳だが、あそこで一位抜けされてたら俺を殺せなくなってた。理屈が通らないじゃないか』
『……カイちゃん、何か言ってよ』
『そうだ、オメェが探偵役だろ』
「アタシは別に、波部君が標的Xだなんて一言も言ってないんだけどな……二人とも、勇み足だよ」
こめかみを掻きながら苦笑している。いやいや、アンタ途中で明らかに楽しんでいたでしょうが。
『はァ? 被害者は波部だってオメェが言ったんだぞ』
「そうね。だけど標的Xではない」
『何ソレ全然分かんない! 分かるように説明してよー』
詰め寄る〝ドール〟たちを諫めながら、カイラは声を張る。
「つまり、これも逆だったってこと。殺す対象を一位抜けするように誘導したんじゃなくて、一位抜けした人間を殺したのよ」
『つまり、こういうことか』頭を押さえながら利根が呻く。『暗証番号は古部李杏の命日だった。彼女と生前親しかった人間はドールハウスの人形たちを見て誰よりも早く閃き、正答に辿り着くことが出来た――一位抜けをしたことこそが古部李杏の元恋人だった証明になるってことか』
「うーん、そういうことではなくてね……」
やんわりと利根の答えを退ける。それはそうだ。古部李杏を模した人形があったからと言って、暗証番号が彼女の命日になるというロジックは無理矢理すぎる。
かと言って、カイラが言いたいことも分からないのだけど。
――誰でもないし、誰でもよかった――
「そうでしょ、瑠璃」
聞いても分からない。しかし、瑠璃には響いたようだった。両手で顔を覆いながら、何度もコクコクと頷いている。
『ちょっと待って!』いつもの口癖が部屋に木霊する。『何ソレ、全然理解できないんですケド! 誰でもないし、誰でもよかった? はぁ? そんな訳ないじゃんか! 古部李杏の復讐は!? 妊娠させて堕ろさせた標的Xは!? 波部っちじゃないの!?』
『だから俺ではないと言ってるだろ』
「だから、そもそも存在しなかったの。全て、瑠璃の嘘だったのよ」
『えええーっ!』
鈴の間抜けな叫びが食堂に響く。それはそうだろう。ここまで動機に関する推察は全て瑠璃の話を元に築き上げてきたのだ。それが、全て虚偽だったなんて。
「全部、蕗屋君が書き上げた架空のシナリオだったのね。標的とすべき人間なんてこの世のどこにも存在しない。誰でもないから、誰でもいい。Xを殺すのではなく、殺した人間をXにする気だったのね。死んだ人間は口を利けないから、今の波部君みたいに申し開きをすることもできない」
『脱出ゲームで一番になったから、それだけの理由で波部は殺されかけたってのか!? ンだそりゃ!? 目的が分かンねェよ!』
「何度も言ってるでしょう」悠揚迫らぬ口調で、カイラは応える。「殺人者の心理を知るための、創作の取材よ。殺すのは誰でもよかった。何でもよかった。ただ、本当に無差別に殺したのでは面白くないとでも思ったんでしょうね。使えそうな過去を掘り起こして、それらしい物語を、いもしない標的Xを作り上げたって訳」
波部はそっぽを向く。今までで一番機嫌が悪そうだ。当たり前だ。こんなふざけた話はない。
『……まだ分かんないんですけど』再び鈴が口を挟む。『フッキーはそれでいいとして、ルリルリは何なの? 何でそんなウソついたの? ってか、何でそんなバカみたいな計画に協力しちゃったのよ。あと、古部梨杏が屋敷に火をつけた理由って? 付き合ってた恋人はいなかったんでしょ?』
次から次へと質問が溢れてくる。今まで私たちが土台としていた部分が崩れ落ちたのだから当然だ。瑠璃には答える義務がある。皆の視線が折り畳んだチェス盤に座る〝ドール〟へと注がれる。




