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ニンギョウ・エチュード  作者: たもつ
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同日 19:35〝カイラ〟始動

 最初に、白があった。


 床、壁、天井、長机に扉――目の前の光景は数瞬前と大差ない。ただ、白い。色彩がない。地続きの現実はどこか人工物めいていて、夢の中にいるようだ。

 体を見る。硬質な肌、球体の関節、人工的な髪――馴染みの深い、作り物の、人モドキの体。これが、今のアタシだ。

 部屋を見渡してみる。長机の上にはある筈のドールハウスがなく、後ろのサイドボードからは仁行所瑠璃の〝ドール〟がいなくなっている。どうやら、この空間からは色彩だけでなく、ある程度のオブジェクトも省略されているらしい。とは言え、窓や扉はしっかり再現されている。サイドボードの置かれた壁面には腰高窓。嵌められているのはガラスではなくアクリル板だろうか。通常とは逆に外側に鍵とカーテンが付けられているが、今はその両方とも開いているおかげで、その向こうが見通せる。


 窓の向こうに、待鳥吉香が立っている。


 つまりは、私だ。


 無数の白いセンサーの付いた黒い全身タイツを身に纏い、顔の上半分を覆うゴーグルと特殊グローブを両手に嵌めた私は、何だか奇妙で不気味で不格好に見える。だけど、そんな〝私〟が、今の〝アタシ〟と連動しているのだ。おかしな感覚だ。〝ドール〟の扱いには慣れているつもりだったけど、こんな風に自分を見ながら動かすのは初めての経験だった。

 そのせいで、気を抜いていたのかもしれない。

 ぬっ――と、横から飛び出した巨大な顔に、アタシは思わず声を出して驚いてしまったのだ。少し、後ずさる。だけどゼロコンマ何秒とかからずに、その正体に気が付く。

「驚かせちゃった?」

 瑠璃が、その巨大な顔を傾ける。

『いえ、大丈夫です。スミマセン、気を抜いてて……』

 そこで初めて、アタシはドールの発する声を聞く。それは自分の知る久宮カイラの声音そっくりで、とても機械が再現した合成音声とは思えない。これなら例え同窓生でも欺くのは容易い――と思ったのだけど、目の前に聳える巨顔の人形作家は不満そうだった。

「あらあら、ダメじゃないの。その言葉遣い。常にカイラに成り切ってなくちゃあ」

 ――迂闊だった。確かに瑠璃の言う通りだ。ハッとして彼女の周りを見渡すが、幸い日野の姿は見当たらない。

「大丈夫。彼は厨房でお茶いれてるから」

 スミマセン――と言いそうになるところを、グッと堪えて大きく息を吸い、腰に手を当て胸をそらせる。

『そっちこそ気を付けてよ。アタシだからよかったけど、気の弱い子なら腰抜かしてるわよ』

「いいわね。その調子」

 薄く笑って指で輪を作る。合っているのか、これで。自分でやっておいて困惑してしまうが、とにかく今は迷っている暇などない。

『それで、みんなはどこなの。待たせてるんだから、急がないと』

「そうね。玄関からこの部屋に来る途中、階段の横を通ったでしょう。その階段を上がって二階、廊下に出て最初の部屋。つまり、ここの真上ね。そこで、みんな待ってるはずだから」

 丁寧に教えてくれる瑠璃。表情も口調も柔らかいが、腰高窓全体を覆い尽くす大きさの顔には、どうしても慣れることはできない。

「じゃあ、頑張って」

 どう返答しようか逡巡している間に、瑠璃は窓を閉め、続いてカーテンと鍵も外から閉めてしまう。何故こんな構造になっているのかと、不思議に思いながら、アタシは踵を返す。

 不思議と言うのなら今の状況だ。実際に屋敷を歩いているのは生身の〝待鳥吉香〟だ。だけどそれと連動して、ドールハウスの中では女子高生の格好をした久宮カイラが、一挙手一投足違わずに歩いている。彼女が見たいモノ聞いたモノ触れたモノは、アタシが体験したモノとして認識される。相似形の二つの世界に跨る、二人の自分。これでは〝双児館〟ではなく〝相似館〟だ。ドールを動かすのには慣れているけど、こんな感覚に陥るのは初めての経験だった。

 何だか、夢の世界にいるようだ。

 脳内が白い靄で満たされ、足元もフワフワと頼りない。いけない。これはいけない。分かってる。早く慣れないと。アタシは食堂の扉に到達し、その白い扉を開ける。

 つい数分前、日野に案内されて歩いてきた廊下は殺風景な通路だったが、扉を開けて飛び込んできた光景はまるで違った。

 絵が飾られている。それも、一枚や二枚ではない。五十号ほどのサイズの絵画が上下四段ずつ――窓がある箇所は窓の上下に一枚ずつ――廊下の端から端まで壁を覆い尽くさんばかりに、びっしりと飾られているのだ。いや、壁ではない。天井まで侵食している。なんだこれは。現実の屋敷との意匠の差に眩暈すら覚える。

 ――いや、違う。眩暈がしたのは、違和感を覚えたからだ。その違和感の正体は、すぐに判明した。絵などではない。写真だ。紙焼きされた写真なのだ。自分が十分の一に縮小されているために、L判サイズの写真が五十号ほどの絵に見えてしまったらしい。

 ドールハウスの壁と天井を覆い尽くす無数の写真群。恐らくこれが、ずっとこの屋敷に段ボールごと保管されていたという写真の数々なのだろう。アタシもカイラもそのまま箱に入れっぱなしにしてあるものだと思い込んでいたが、まさかこんな形で飾られているなんて。ここに来てから想定外の出来事ばかり起きる。本来なら今すぐ問題の写真を探し出してしまいたいところだが、今は待たせているメンバーの所に急ぐのが先だ。視界を覆う巨大な写真から、アタシは顔を背けた。

 右に曲がって進むと、すぐに階段が見えてくる。勿論、この空間も写真で覆われている。それとなく問題の――カイラが飲酒している写真がないか目を配りながら、アタシは上へ上へと進んでいく。中程、踊り場で折り返した先――階段の一番上に、腰掛けている人物がいるのに気が付く。


『……だれ?』


 二階フロアに腰掛け、階段に脚を投げ出している。黒いワンピースにフリルのついた白いエプロンドレスを合わせた、いわゆるメイド服というヤツに身を包んだ十代の少女である。

 服装以上に困惑したのが、その人物がとっていたポーズだ。両方の脇を開き、折り曲げた肘を水平に伸ばして、親指以外の四本指を伸ばして両目を覆っている。目隠しだ。おかげで、顔の造作がよく分からない。

 これは、誰だ?

 恐る恐る階段を上がっていって、アタシはようやく一つの事実に気が付く。〝ドール〟ではない。人形だ。つまり、精密機械を内蔵したロボットなどではなく、世間一般で言うところの、いわゆる普通の人形なのだ。サイズが同じくらいなのと、造形が緻密なので勘違いしてしまった。道理でさっきから微動だにせず、呼びかけにも反応しない筈だ。脱力してしまった。


『よく出来てるよね』


 不意に声をかけられて僅かに飛び上がる。

 顔を上げると、そこには小麦色に日焼けした女子高生の姿。金色に染めた髪をポニーテールにして結い上げ、目元は付け睫毛とアイライン、唇にはグロス。着ているのはアタシと同じ高校のブレザーだが、適当に着崩して、ギンガムチェックのスカートはギリギリまで短くされている。所謂、ギャルというヤツだ。アタシは事前に貰って丸暗記しておいたデータ資料を瞬時に思い返し、目の前の〝ドール〟を操る人物の情報を照合する。

『――(すず)じゃない! わあ、久しぶりーっ!』

 胸の前で手をヒラヒラと振り、満面に笑みを見せる。勿論、表情の変化など〝ドール〟には反映されないが、これが案外口調や仕草となって相手に伝わるものなのだ。同様に手を振りながら近づいてくるギャルを観察しながら、アタシは冷静に記憶を整理する。

 彼女の名前は須藤(すどう)鈴。

 見ての通り、派手で社交的な性格で、陽気で人当たりが良く、友達も多い。アタシ――久宮カイラもその一人だ。演劇部で高校生活を過ごした後は製菓の専門学校に進学し、今は大宮の洋菓子店でパティシエとして修行中らしい。微かに香る甘い香りは、香水ではなくバニラエッセンスのそれだろうか。

『遅いよー。カイちゃん、来れないのかと思ったじゃんかっ』

 甲高い嬌声も、放つ芳香と同様に甘ったるいが、嫌じゃない。

『ゴメン。撮影が長引いちゃって――で、この人形は?』

 再会の挨拶もそこそこに、気になっていたことを聞く。

『ああ、これ、ルリルリの作品。〝L〟っていうシリーズ作品らしくて、ドールハウスのあちこちに飾ってあるの。大したものよねー』

 なるほど、人形作家・仁行所瑠璃の手によるものだったか。恐らくこれも蕗屋の演出の一環なのだろう。〝L〟という名前や、意味ありげなポーズは気になったが、それを聞くより早く鈴は動き始めていた。

『さ、こっちだよ。みんな待ってたんだから』

 L人形の横を通り、彼女は先を促す。階段を上がって進んだ先の廊下にはまた別の人物が立っていた。腕を組み、壁に掛けられた写真を鑑賞している。メタルフレームの眼鏡をかけ、髪を真ん中で分けた、中肉中背のいかにも真面目そうな少年である。ステレオタイプな秀才とでも言うのだろうか。鈴とは対照的だ。

波部(はべ)君、そんなとこで何してるの』

『久宮か』

 必要最低限の首の動きでこちらを確認し、平坦な声を出す。機嫌や体調が悪いのではなく、これが彼の通常運転なのだろう。

 彼の名は確か、波部貴夜(たかや)

 見た目通りの優等生で、卒業後は国立大学で教職免許をとって、現在は地元の中学で国語を教えているのだとか。

『壁の写真を眺めていただけだ。どうということもないけどな』

 素っ気なく答え、波部は再び壁を向く。一階と同じく、端から端までびっしりと貼られた、夥しい数の写真群。その殆どは劇の稽古の様子であったり、花火やバーベキューに興じている青春の一ページであったり。この屋敷で撮ったであろう写真も相当数ある。瑠璃の在籍した代では毎年の夏合宿をこの屋敷で行なっていたらしい。今回の同窓会会場に選ばれたのも納得だ。

 アタシは壁面の写真を、そうとは気取られないよう(つぶさ)に観察したが、目的の写真はなさそうだ。

『ねえねえ、これって、元々この屋敷に保管されてたヤツよね?』

『……そういう話だな。屋敷を売却するにあたって掃除してたら、埃かぶってのを見つけたんだとか』

『だからって、こんな風にベタベタ貼りまくらなくてもいいのにね! まあ、フッキーらしいっちゃらしいけどねー』

 秀才の波部とギャルの鈴。この二人が三年間同じ部活で、そこそこ仲が良かったというのだから世の中分からない。

『なに? カイちゃん、なんか探してる写真でもあった?』

 こちらの顔を覗き込み、核心をついてくる鈴。こういう時、能面を維持できる〝ドール〟は助かる。

『ないない。写真は別にどうでもいいの。ただ、蕗屋くんの考えることは分からないなって思っただけ』

『……同感だ』

 ボソリと吐き出し、波部は振り返ってすぐ後ろの扉に手をかける。そこが集合場所らしい。

 中は、さほど広くもない空間だった。六畳ほどだろうか。洋室だか和室だか、或いは別の用途で使われている部屋なのかは全く分からない。何せ、家具や調度品の類は一切なく、四方の壁と天井に隙間なく写真が貼られているのだ。アルバムに放り込まれた気分になる。本格的な、眩暈。部屋の出入り口である扉と、腰高窓には貼られていないのが唯一の救いだろうか。

 そんな異景の空間に、一人の男子高生の姿。チリチリ頭に白いヘアバンドを巻いたで目付きの悪い少年だ。誰何する必要もない。

利根(とね)くん、待たせたわね』

『遅ェよ、バーカ。相変わらず時間にルーズだな、オメェは』

 三白眼の少年、利根真理央(まりお)は壁の写真から首だけをこちらに向ける。言葉は汚いが、怒っている感じではない。むしろ機嫌は良さそうだ。不愛想な波部と同じく、恐らくこれが彼の素なのだろう。

『ゴメンねえ。 雑誌の撮影が思ってたより押しちゃってさあ。都内か、せめてさいたま市内だったら時間内に来られたんだけどね。こんな辺鄙な山の奥だってこと完全に忘れてた。タクシーの運転手さんに何度も確認されちゃったものね、本当にこの道で会ってるのかって。もしかしたらこの世のモノではないかと思われてるかもね。どうしよ、この界隈で都市伝説になったら』

 思っていた以上にスラスラと台詞が出てくる。学生の頃から即興劇は得意だったのだ。

『で、相変わらずよく喋るよな……』

『相変わらずガキっぽいってこと? やだな、これでも相応に年はとってるんだよ? ま、いい年して女子高生の格好してる人間が言っても説得力なんてないんだけどね!』

『見た目も変わってねェけどな』

『当時の姿に似せるんだから、変わってないのは当たり前だけど』

『バッカ、そうじゃねェよ』チリチリの頭を掻き、特徴的な三白眼でこちらを睨め付け、利根は続ける。『オレらは、今のオメェを知ってる。最近ではテレビにもちょくちょく出てるみてェだしよ。その今のオメェと、オレらがよく知ってる昔のオメェ、それがあまり変わってねェって、そう言ってンのよ』

『カイちゃん、もう雲の上の人って感じ』

 背後に立つ鈴も、利根の言うことに同調する。〝私〟としては同意見だが、生憎と〝アタシ〟がそれに頷く訳にはいかない。

『アタシなんて大したことないって! テレビ出てるって言ったって、情報番組のレポーターとか、ドラマのチョイ役ばかりじゃない。大したことないない。瑠璃や蕗屋くんの方がよっぽど凄いって』

 人形作家の仁行所瑠璃と、漫画家の蕗屋透。知名度はどっちもどっちだが、やはり自分の腕一つで何かを創作し、名前を売っている人間は違うと思う。

『何が凄いもんかよ。瑠璃なんざ、良家の娘で車椅子ってのが物珍しくてチヤホヤされてるだけだっつの。蕗屋に至っては無名もいいとこだろ。デビューしてしばらく経つけど、ろくに売れてねえみてェじゃねェかよ。あんなモン、雑魚だ、雑魚』

 呼吸するように吐き出される毒と棘。この男、相当に口が悪い。

『偉そうに、どの立場から言ってるんだ』見かねたのか、後ろから波部が非難の声をあげる。『お前だって、報道カメラマンって言えば聞こえはいいが、やってることはただのパパラッチだろうが』

 凶相のパパラッチと眼鏡の中学教師が小競り合いをしている。資料によるとこの二人は昔から顔を合わせれば何やかやとやりあう仲らしい。喧嘩というより単に戯れあってるだけなので、放っておいていいとのことだった。

『ところで、主催者の蕗屋くんはどうしたの?』

 写真群から気をそらそうと、アタシは誰にでもなく尋ねる。

『準備があるって席外したわよ。カイちゃんが来る十分前かな』

 こめかみに指を当てて鈴が答える。

『準備って?』

『何か企画してるみたいね』

『あの変人のことだから、ロクなことじゃねェよ』

 吐き捨てるように言ったのは、勿論利根である。

『でも一生懸命になって色々やってたみたいだよー?』

『……須藤、お前も知っているだろう。蕗屋の場合、一生懸命になっている時が一番危険だと』

『確かにそうだけど……』

 諭すような口調の波部に、同調する鈴。どうやら、この会の主催者は恐ろしく信用がないらしい。


 ――やれやれ、酷い言われようだなあ。


 突然の声に飛び上がる。ここに来てからこんなのばかりだ。振り返ると、ひょろっとした少年が扉に寄り掛かって立っていた。主催者・蕗屋透の登場だ。

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