同日 18:40〝サーバント〟身上話
玄関から外に出て左手に三メートルほど進むと件の梯子はすぐに見えてきた。地上から七〇センチ程の高さから上に向かって一定間隔で鉄製のコの字が続いている。
蕗屋はここを昇り、落ちて、死んだのだ。
そう思うと気味悪さを感じないでもなかったが、今更そんなことも言っていられない。自分の目の高さにある段に手をかけ、腕に力をこめて自分の体を引き上げ、一番下の段に足をかける。思いの外スイスイと昇っていける。屋上まではあっという間だった。
「おや、待鳥様ではないですか」
聞き覚えのある声に顔を上げると、痩せぎす長身の男性がぽかんとした顔で立っていた。仁行所家の使用人、日野だ。ただ平らなコンクリが広がるだけの屋上の中央に立ち、右手にはデジタルカメラ、左手にはコンベックスを持っている。服は黒のポロシャツで、これまたカジュアルな印象である。
「何をなさってるんですか、こんな所で」
「日野さんこそ、こんな所で何してるんですか」
「梯子の寸法、間隔を計測し、屋上の様子とそこから見える光景などを撮影するように申し付けられまして」
「誰にですか」
「久宮様に」
「愚問でした――あの人、いくら何でも人遣いが荒すぎですよね。私はまだしも、日野さんまで調査の手伝いをさせるなんて……」
「いえいえ、久宮様が作業されているのを後ろでじっと見ているのも見張っているようで気詰まりでしたし、何かお手伝いできませんかと、私の方から申し出たのですよ」
骨ばった顔をくしゃりと崩して歯を見せる。人が良すぎだ。
「……あれ、そう言えば瑠璃さんはどうしたんですか?」
彼が今この屋敷に来ているのは、カイラの調査に立ち会うためだろう。彼女がこの屋敷を歩き回るためには、警察とは別に屋敷所有者の立ち合いが必要となる。瑠璃と日野は常にセットだ。しかし、食堂に彼女の姿はなかった。まさか、あのお嬢様も調査の手伝いをしているということはないだろうが……。
「それが、お嬢様は昨日から体調を崩しておりまして、今は自宅で静養中なのです」
「え……」
そうなのか。一昨日見た時は元気そうに見えたが。
「人前では気丈に振舞っておられましたが、事件以降は塞ぎこむことも多く……無理もない話ですが……」
「すみません、瑠璃さんに負担かけてしまっているみたいで」
私が謝ることではないのだが、自然とそう言ってしまっていた。
「いえいえ、事件解決の為ですから」
軽く受け、屋上から見える光景を全方位三六〇度撮影を始める。不意に会話が途切れた。日野と二人きり――北浦和の雑居ビル前で立ち話をして以来だろうか。あの時は約束の時間が迫っていたし日野も作業の途中だったので、落ち着いて話ができなかった。これはチャンスかもしれない。ずっと気になっていたことを切り出す。
「……日野さんって、この家に来てから長いんですよね」
「十二年になります」
「その前は、その……」
「施設におりました。建物の前に置き去りにされていたらしいです。棄児という奴ですね」
軽い口調で重い過去を話す。聞いた私が動揺してしまう。
「すいません、立ち入ったことを……」
「構いません。皆さん、私の素性来歴はすでに調査済みのようですし、隠し立てすることでもないですから」
そこまで語ると、日野はカメラを下ろしてこちらに向く。本腰を入れて私と話してくれるようだ。
「かつての私は相当に荒れておりましてね……今思えばただ甘えていただけなのでしょうが、当時は世界の全てを恨んでいた――野良犬みたいなものですよ。そんな私を、仁行所の家は拾ってくれた。働き場所を提供するだけでなく、人としての道を教えてくれた。私は仁行所に〝人間〟にしてもらったのですよ」
その恩に報いるため、彼は仁行所に忠義を尽くしているのだろう。それは分かった。しかし、聞きたいのはそこではない。
「あの、古部李杏さんとの関係は……」
「……妹のように思っていました。似た境遇で育ち、同じ家に拾われた物同士ですからね――アイツには、幸せになってほしかったのですけど」
ここに至って、ようやく日野の感情に触れられたような気がする。
「その、李杏さんが誰と付き合ってるか、と言うのは……」
「……分かりません。お嬢様の仰っていた通り、やたらと垢ぬけた、お洒落になった、とは思っていたのですが……情けないです」
改めて聞くまでもない。分かっていたら瑠璃に報告する筈だ。故意に隠しているのなら、それは日野本人がⅩであることを意味しているのだが――日野犯人説はすでに却下されている。片道五十分かかる山道を飛ばして戻ってきて塔の屋上に先回りし、昇ってくる蕗屋を突き落とした、というヤツだ。また、〝ドール〟を使った遠隔殺人も、それに使う〝ドール〟を調達するのが困難だと理由で却下された。一昨日の集まりで疑われたのはカイラだったが、日野も同様だ。それより何より、この男が嘘を吐いているとは考えづらい。
考えたくないだけなのかもしれないが。
ぐるぐると考える私に対し、日野は声をかける。




