同日 19:10〝コミックアーティスト〟正体
「……俺がお前たちの話を聞いていてまず引っかかったのが、蕗屋が塔を昇ってくる理由だ。何故、あの時間に梯子を昇るなんていう体力的に負担のかかる方法で塔の屋上を目指したのか――俺はそこが気になって仕方がない。久宮も仁行所もほとんどそこには触れなかったが、最も掘り下げる部分はここだと思う」
『え? だからそれは犯人と密談するために――』
「それは利根がそう言いだしたってだけだよな。いつのまにかそれが定着してしまっているが、本当にそれでいいのか? もっと別の可能性も考えてみるべきじゃないのか?」
『そう言われたって、その材料がないわよ』
「そうか? 発想の飛躍はお前の得意分野の筈だけどな」
片方の口角を上げる。いつも無表情な彼にしては珍しい表情だ。波部はテーブルに右手をついて、続きを始める。
「今まで少ない情報から想像に想像を重ねて各々の仮説を築いたんだろう。だから、ここは一旦積み上げる作業をやめて、少し遡ってみようじゃないかと言っているんだ」
「回りくどいな。要するに何なんだよ?」
短気な利根が先を促す。
「分かった。じゃあ結論を急ごう。要するに、この事件の発端は何かということだ。利根の調査や仁行所の証言により、どうやら古部梨杏というメイドの自殺、及び仁行所自身も被害を被った双児館火災が全ての始まりだと分かった。古部梨杏はかつて恋人がいたが妊娠、堕胎の後に捨てられる形となり精神を病んだ――そしてその相手がどうやら仁行学園演劇部のメンバーにいるのではないか、というところまでは分かっている。問題はこの次だ。ここまでは、古部梨杏と仁行所瑠璃、そして犯人と思しき誰かの三人のみで物語は構成されている。蕗屋透は登場しない。真相の一端を思い出してどうすればいいか分からず途方に暮れた仁行所が藁にもすがる思いで相談した相手、という形で奴はようやく物語に姿を現わす。相談と言っても、唐突に蘇った記憶の一端を吐き出して少しでも混乱を収めたかっただけで、元凶となった元恋人が誰か追求して断罪したい、なんて気持ちは一ミリもなかったと、後に本人が語っている。そうだったな?」
淀みなくスラスラと前提条件を読み上げながら、申し訳程度、瑠璃に確認を求める。
「ええ……そう、だけど……」
「渋ってた割にはよく喋るなオイ」
「必要なプロセスだ」
呆れる利根を軽くいなして彼は更に続ける。
「さて、ここでバトンは仁行所から蕗屋へと渡る。ただ聞いてほしかっただけ、と仁行所は言うが、実際に話を聞いた蕗屋は違った。古部梨杏というメイド少女の心身を弄び、死に追いやり、仁行所の半身を奪う遠因を作ったその人物のことが蕗屋はどうしても許せなかった。そこで、奴は自身の卓越した頭脳と行動力を駆使して〝ドール〟を使ったゲームを計画する。そこに古部梨杏の存在を散りばめることで件の人物の動揺を誘い、それが誰かを見抜き、秘密裏に脅迫しようとした――と、これがかつてお前たちが描いた事件の真相だったな」
『アタシたちが描いたも何も、瑠璃がそう証言してくれたんだから、それが事実に決まってるじゃないの』
語調荒くカイラが噛み付くが、波部は意に介さない。
「事実に決まってるのは仁行所が証言してくれた部分までだ。つまり、バトンを渡すまでだな。それを受け取った蕗屋の心情は実際の言動から類推するしかない。そこでお前たちが出した結論が脅迫、となるんだが――俺はここに違和感を覚える。どうして脅迫なんだ? 義憤と正義感に駆られてやることが脅迫なのか? 脅迫してどうするんだ? 皆の前で懺悔させるのか? 世間に公開して社会罰を与えるのか? それで満足か? それとも、脅迫によって金品を要求するのか、或いは弱みを握って手駒にするのか――そのいずれにせよ、蕗屋の人物像にはそぐわない気がする」
「いやァ、それを言うなら、そもそも瑠璃の話に共感して強い憤りを抱くって時点で蕗屋のキャラじゃねェべ」
再び刀根が口を挟む。
「分かってる。蕗屋はサイコパスのシリアルキラーを描く新作漫画のため、悪の心理を学ぶ目的で仁行所の代わりに復讐を果たそうとした、と言うんだろう。それも聞いてるよ」カイラは意外と事細かく波部に事情を語っていたらしい。「だけど、やはりおかしいだろ。シリアルキラーの心理を学ぶのに、やることが脅迫行為なのか? ズレてるし、中途半端だろう。それならそれで、もっとシンプルで分かりやすい復讐方法がある筈だ」
淡々と語る波部。急速に、室内の気温が下がった気がした。怖気、とはこういうのを指すのかもしれない。
『殺人を犯そうとした、って言いたいの』
カイラの指摘で、空気が極限まで張り詰める。
「その方がずっと呑み込みやすいと思わないか。〝過去に古部李杏を死に追いやり、間接的にとは言え仁行所瑠璃を半身不随にした卑劣な人間がいて、それを知った蕗屋は強い怒りを覚えた――そして、その怒りはいつか殺意に変わり、件の人物を亡き者にするための計画を練り上げた〟という〝ストーリー〟だ。あの〝ドール〟を使った奇妙な脱出ゲームは、奴が造り上げた殺人装置だったんだよ」
「だからアイツはそんなキャラじゃねェって言ってンだろ!」
先程と似たようなツッコミを入れる利根。もちろん波部にとってはそれも想定の範囲内だったらしい。
「そうだ。だから〝ストーリー〟なんだよ。作劇家でもある蕗屋が書いた一遍の復讐譚だ」
「……いや、瑠璃の身に起きたことは事実だろうヨ。そこは創作なんかじゃねェし」
「創作なのは蕗屋の心情だ。いいか? お前の言う通り、蕗屋は他人の不幸に強く同調して激昂するような人間ではない。実際のところ、あいつは他人になど一切興味がない。興味があるのは創作のことだけだ。だから周囲の全ては取材対象としてしか見ていない。描写に説得力とリアリティを持たせるために、アイツは常に観察している。作品のために、人を知りたいと思っている。そして、次作は殺人鬼をテーマにしたサスペンスだ。蕗屋の興味は、人殺しの心理へと移る。アイツはサイコパスの心を知るためだけに、人を殺したいと考えていた――」
「いやオメェ、その時点でもう立派なサイコパスだよな……」
誰しもが思ったことを利根が代表して口にする。
サイコパス――著しく良心や罪悪感が乏しく、平気で嘘を吐き人を利用とする精神病質者のことだ。最近はこの言葉ばかりが一人歩きしてちょっと風変わりだったら利己的だったりしただけでサイコパスのレッテルを貼られてしまう風潮にあるが、今回のこれは擁護のしようがないだろう。
「……全て、逆なんだよ。普通は何かしら怒りや利害関係があってそこで初めて殺意が芽生えるが、蕗屋の場合は最初に殺人願望があって、それに見合う動機をずっと探していたんだ。そこに、仁行所の話が飛び込んできた。アイツは渡りに船とばかりに自分の中でそれらしい〝ストーリー〟を作り上げた」
「自己正当化のためにか?」
「と、言うよりは仁行所に対するポーズだろうな。犯行には仁行所の協力が不可欠で、それには説得力のある〝動機〟が必要だった。だが〝サイコパスの心理を研究するために人を殺してみたかった〟なんて言う訳にはいかないからな。さっきの〝ストーリー〟は仁行所を動かすための建前、名目、大義名分と言う訳だ」
「わ、わたし、そんな……」
生気を失った顔で視線を彷徨わせ、瑠璃は声を震わせている。顔色が悪くなったことで、ますます容貌が人工物めいてくるが、超然としている通常モードよりよっぽど人間らしく見えるのだから皮肉なものだ。
「知らなかった……蕗屋クンが、そんなことしようとしてたなんて……そんなの、一言も……」
「当然、仁行所には殺人の部分は伏せただろうよ。単純に、古部梨杏の元恋人を見つけ出すとだけ告げた筈だ。殺すと言えば止められるのは目に見えていたからな」
「当たり前じゃないの……」
両手で顔を覆う瑠璃。
『でも、仮に殺人が成功したらどうなってたの。こんな事情を知らない他のみんなはともかく、瑠璃には犯人が誰がすぐに分かっちゃうじゃないの』
「そりゃァ事後共犯だろうなァ。殺すとは思ってなかったなんて、警察には――悪い」
言葉の途中で謝る利根。瑠璃が両手で顔を覆ったまま、イヤイヤするように首を振っていたからだ。無理もない。被害者だと思っていた人間が実は加害者で、味方だと思ってたのが心のない怪物で人殺しの片棒を担がされそうになっていたのだから。
もちろん、ここまでのことは波部の想像に過ぎない。利根が鈴、波部、日野を、カイラが瑠璃を、瑠璃がカイラと私を疑ったのと大差ない。ただ説得力は雲泥の差で、皆ほとんど波部の話を信じてしまっている。とは言え、まだ受け入れられない点は多い。
「あたし、まだよく分かんないんだけど……」おずおずと鈴が発言する。「人を殺した気持ちを理解したかったって、そんな理由で本当にやっちゃうものなのかな。だって、バレたら捕まるんだよ? 危なすぎるじゃん」
素朴な感想だが、的を射ている。そう、小学生でも分かる理屈だ。あまりにもリスクが高すぎる。しかし、それに対する波部の返答はあまりに呆気ないものだった。
「自分の考えたトリックに自信があったんだろう」
「それはそうだろうけど……」
「何度も繰り返して言うが、蕗屋は馬鹿ではない。実行に移したということは、勝算があるということだ。アイツは持てる力を総動員して今回の計画に当たった。確実に対象を殺し、かつ絶対に露見しない自信が、アイツにはあったんだ」
『何なのよ、そのトリックってのは?』
「人の話を聞いていたか? 蕗屋は絶対にバレない自信があったから実行に移したんだと言ったばかりだろう」
『そこを解き明かしちゃうのが波部貴夜じゃないの』
「無茶を言うな。ここで腕組んでボーっと話を聞いてただけの俺が分かる筈ないだろう」
――ただまあ、推察する材料は与えられているがな。
ポツリと付け足された言葉に、私たちは耳を疑う。
『それは、何』
極限まで落ち着いたトーンでカイラが尋ねる。恐らく固唾を呑んでいるのだろう。
「思い出せ、ここまではあくまで前提条件の話だ。本題に触れる前にまず、奴の事件との関わり方を仮定しておきたかった。アイツはかねてより興味があった人殺しをする絶好のチャンスだと仁行所の話を利用し、強制的な脱出ゲームの中で〝絶対にバレないトリック〟を用いて殺人を遂行しようとした――ここまでが仮定で、前提条件とする。では本題とは何か。俺はそもそも、何の話をしていたのか――はい、では利根」
職業柄か、こういう所は手慣れている。
「何の授業だよ――だから、アレだろ? 蕗屋が何で塔の屋上に昇ったのか、そこを掘り下げろっつー話だったよナ?」
「素晴らしい。大した記憶力だ」
「馬鹿にしてンのか」
露骨に不快そうだが、声高に喚くようなことはしない。ここで話の腰を折るべきではないと分かっているからだ。
「……蕗屋クンが塔を昇ったのは、その、殺人のためだって、言いたいの……」
真っ赤な目の瑠璃が洟を啜りながら尋ねる。
「そう。そこだ。〝蕗屋が塔を昇ったのは殺人のために必要なプロセスだった〟――これこそがこの事件における最重要ポイントで、蕗屋が用意したトリックを類推する〝鍵〟なんだ」
また鍵か。
『そのトリックとやらも気になるところではあるんだけど、一つ決定的なことを言っていい? いつ言おうか、ずっと我慢してたんだけど』
「何だ、我慢するなんて久宮らしくないな」
『じゃあ言わせてもらうね。蕗屋君が殺人を計画していて、トリックを用意していた、その〝仮定〟はいいとしましょう。でも、実際に死んだのは蕗屋君の方だよね? 自信満々のトリックを成立させるために昇った塔から落ちて。それは何故?』




