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ニンギョウ・エチュード  作者: たもつ
21/60

同日 19:00〝ウェイト〟消失

 疲れた……。

 帰宅した私はスーパーで買った惣菜を袋ごと放り出し、服も化粧もそのままでベッドに倒れこむ。今日一日で異様に消耗した。何故だろう。座って話を聞いていただけなのに、何故こんなにも気持ちが重く沈むのだろう。

 最初こそカイラに引き摺られる形だったが、色々と事実が判明する過程では高揚したし、カイラや鈴、利根たちの想像を聞くのも楽しかった。

 それなのに。

 今は、こんなにも陰鬱に打ち沈んでいる。

 枕元のスマホが着信を告げる。取り上げると、液晶画面にはカイラの名が表示されている。

「――もしもし」

『もしもし吉香? 今日はお疲れ様。瑠璃の家ではバタバタしちゃって、利根君に送ってもらった帰りでもろくに話できなかったから、明日以降の予定を話し合いたいんだけど、今いいかな?』

 ほぼ一息でペラペラとよく喋る人だ。今の心理状態では口を開くのも億劫だったのだけど、幸か不幸かカイラ相手だと最低限の相槌だけで会話が成り立つ。

「……ええ」

『昨日今日と蕗屋君の人となりを探って、事件の背景というか動機みたいなものが見えてきた訳じゃない。蕗屋君が何をしようとしていたのか、瑠璃がどこまで何を協力していたのか、そういう部分は見えてきた。ただ、肝心の誰がどうやって蕗屋君を塔から転落死させたのか、その方法が分からないのよね。一番知りたいのはそこなのに』

「そうですね」

『で、ここからはそこを重点的に考えていきたいと思ってるの。つまり、ホワイからフー、ハウへの方向転換ね。ここで重要になるのが、蕗屋君転落前後の各自の行動。タイムラインに書き出して、誰にそのチャンスがあったか、ドールハウスの構造も参考にして考えていきたいの。みんなの証言と監視カメラの映像から、タイムラインはかなり厳密にできてるんだけど、いかんせん紙と睨めっこしてててもいいアイデアが浮かんでこないのよねえ。それでね、アタシにいい考えがあるんだけど――』


「カイラさん、楽しそうですね……」


 思わず、口に出ていた。言った瞬間にしまったと思ったが、一旦吐き出した言葉は飲み込めない。

『うん? 急にどうしたの』

「……すみません」

『アタシが楽しそうなのはいつもでしょ。トラブルを笑え、アクシデントを楽しめ、が座右の銘。眉間に皺寄せて鹿爪らしい顔をしてたら解決するんならそうするけど、そうじゃないもの。念のため言っておくけど、ふざけてる訳じゃないのよ? 真面目な話の途中で軽口叩いたりもするけど、それでも真剣なの』

 瑠璃の家で軽口を叩き合うカイラと利根を見て顔色を曇らせたのを、ばっちりと見られていたらしい。そりゃそうだ。この人はいつでも私のことなどお見通しなのだ。

 物はついでとばかりに、私は質問を続ける。

「あの、ずっと気になってたんですけど……」

『なにかな?』

「最初は事故や自殺の可能性もあったのに、カイラさんはそれを早々に却下して、殺人事件だと断定して話を進めてますよね。蕗屋さんを操って死に導いたんだって。普通に犯人探しを始めちゃってますけど、あの、それって同窓会のメンバーなんですよね? 演劇部の、仲間だった人たちなんですよね? 抵抗とかないんですか?」

『抵抗がないって言ったら嘘になる。そりゃアタシだって、かつての仲間に疑いの目なんて向けたくないよ。その気持ちは吉香と同じ。

アンタと違うのは――怒りの感情、かな。アタシは、アタシに対して怒りを感じてる。あの頃のアタシは今と同じで面白おかしく呑気に過ごしてた訳。だけどその裏では仲間の一人が卑劣な真似をして罪のない少女を死に追いやっていた――アタシは、そのことに気付こうともしなかった。アタシはアタシが許せない。だから、今回の件は自分の手で調べずにはいられない』

 落ち着いた静かな声音が、スッと私の中に入ってくる。

「やっぱり、警察は信用できないですか」

『そりゃね? 警察に任せた方が楽だし、確実だとは思うよ? アタシだって馬鹿じゃない。いくら警察を信用してないって言っても、殺人事件の捜査であの人たちの上をいけるなんて、本気で思ってる訳じゃない。だけど――』

 やらずには、いられないのよ。

 静かだけど力強いその言葉が、私の中の靄を的確に撃ち抜く。こちらが不満鬱憤を吐露したことへのレスポンスとして、彼女の本音を打ち明けてくれたことが素直に嬉しかった。後は純粋な心配だ。

「カイラさん、仕事ありますよね? そんな自由に動き回る時間あるんですか?」

『ない』即答だった。『昨日今日は色々動き回れたけど、今後はそれも難しいかな』

「……え、じゃあどうするんですか。フーだかハウだか、タイムライン見て調べるって言ってたじゃないですか。カイラさん抜きでやるってことですか」

『そこよ。その話をしたかったのよね』

 再び声が弾んでくる。

 随分脱線をしたが、ようやく本線に戻ってこられたらしい。

『しばらく調査はお休みかな。明日、明後日はテレビ撮影だから、続きは三日後になる』

「十八日の土曜日――そうですね、その日なら昼過ぎから動けますけど」

『そう。アタシは京都でグラビア撮影だけど』

「絶対ムリじゃないですか! 京都にいてどうやって調査の続きするんですか」

『アタシにいいアイデアがあるの。遠く離れた場所に居ても、アタシがアタシとして、その場にいられる方法』

「……カイラさんが参加するのなら、私もご一緒しますけど……」

「吉香、精神的に辛いんだったら、無理してアタシに付き合わなくてもいいのよ?」不意に神妙な声を出すカイラ。「アンタも当事者の一人だから今まで一緒にいてもらったけど、それが辛いのだったら、いつでも離脱して構わないんだから」

 精神的に辛い――そうなのだろうか。

 確かに、電話がかかってくる直前の私は疲弊しきっていた。

 それは何故だ?

 明るく楽しそうなカイラの態度に苛立ったからか?

 彼女が同窓生を犯人扱いするのが嫌だったからか?

 警察をあてにしない姿勢に違和感を感じたからか?

 多忙なのに自由に動き回るのが不審だったからか?

 それら全てはたった今、カイラ本人との会話で解決した。

 だけれど、重く苦しい不快な何かが胃の奥に沈んでいる。

 それは何だ?


『――問題の、波部君も呼ぶつもりでいるの』


 ポツリと、呟くようにカイラが言う。枕詞に私は引っかかる。

「問題の、って何ですか」

『だって吉香、気になってるのは波部君のことでしょう?』

 カイラの言っている台詞がすぐには解釈できない。ただ、胃の奥がグッと脈打つのは感じる。正鵠は射ているのだ。私がそれを認めたくないだけで。

『じゃあ言っちゃうけど、吉香、波部君がXだって疑ってるんでしょう? そりゃそうよね。昨日の居酒屋でもその話は出たし』

 そう。

 そうだった。

 古部李杏の自殺の原因――それが単なる失恋ならば、女性である可能性もあった。しかし、今際の際に、彼女は自分が妊娠していると告白した――それならもう、相手は男性でしかあり得ない。そして、男性参加メンバーの一人である利根が積極的に調査に協力している以上、消去法で〝犯人〟は波部でしかなくなる。――あの、波部が。

『真面目で堅物で飛び切り頭の切れる波部君が、卑劣なXかもしれないって可能性が頭をよぎった瞬間に、吉香は失望したんじゃない? 軽蔑って言った方がいいかな。あの場で初めて会った波部君に特別な感情を抱いている、だなんてアタシも言うつもりはない。ただ、それでも蕗屋君の用意した謎を最初に解いて、あまつさえ残された皆にそれとなくヒントまで残していった波部君に対して、吉香は敬意を感じていた。だからこそ、自分の至った結論に、裏切られたような気がした。これ以上、醜い真相なんて知りたくないと思った――今はそういう心境なんじゃない?』

「え? カイラさんって、占い師に転職したんですか?」

『誰だってそのくらい分かるって。と言うか、あの場にいた全員――瑠璃や日野さん含めて――同じ想像をした筈だもの。でもね、これだけは声を大にして言わせてもらうけど、結論を出すのはまだ早いからね』

 カイラの言わんとすることが分からず、返す言葉が遅れる。

「えっと……どういうことですか?」

『安易に出揃った情報だけを並べて、そこから帰納的に結論を出すのは危険って話。いい? 積極的に調査に協力してるからって犯人じゃないってことにはならないんだからね』

「利根さんが犯人だって言いたいんですか」

『だから、そういう可能性もあるってこと。全ては可能性、仮定の話だからね? 妊娠の原因が元恋人とは限らない。彼女は自分が妊娠したとは言っても、その相手が誰とは一言も言ってないからね。X女性説は依然として生きているってこと』

「それって鈴さんのことを言ってるんですか」

『だけじゃない。アタシも、瑠璃だっている』

「瑠璃さんは違うでしょう」

『分からないわよ? 全てを疑わなきゃ。そもそも、この話だって瑠璃の話を全面的に信用した上での話』

「瑠璃さんが嘘を吐いてるって――ああ、そういう〝可能性〟もあるってことですか」

 愚鈍な私も、だんだん分かってきた。

『そう。もちろん、瑠璃が意図して嘘を吐いてるというより、あの子がそう思い込んでる、あるいはは何者かに誘導されてそう思い込むように仕向けられてる、とも考えられる』

 また〝操り〟だ。

「……こんがらがってきました」

『難しく考えることはないのよ。ただ、提示された情報を鵜呑みにするのは危険ってことを言いたいの。確実なのは《九年前に古部李杏というメイドが焼身自殺した》《その火事のせいで仁行所瑠璃は右脚を失った》って客観的事実二点のみなんだから。要するに、波部貴夜がXだって勝手に思い込んで勝手に失望するのは、あまりに早すぎるってこと』

 彼女の言いたいことは分かった。だけど、だけれど。

「波部さんが犯人だって〝可能性〟は依然残ってるんですよね……」

『そりゃね。だからこそ、十八日は本人を呼ぶって言ってるの。そこで波部君に聞いてみればいいんじゃない?』

「聞ける訳ないでしょうが! 本当のこと言う訳ないし!」

『それとなく水を向けてみればいいのよ。アイツはアタシより数段頭がいいから、色んな可能性について論理的に解説してくれる筈』

「え、私がそのことについて聞くのは決定事項なんですか」

『《明日、事件当時の皆の動きを確認する場を設ける》《アタシもその場には参加する》《波部君も来る》――決まってるのは、その三点だけ。そこから先をどうするかは、吉香の自由意思よ。もちろん、参加するしないも自由意思だけどね』

 本当にこの人はズルいと思う。

 そんなの行かない訳にはいかないではないか。

 いつの間にか、胃の奥の重い(おもり)はなくなっていた。

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