同日 13:30〝マクガフィン〟検討
ぐらぁ……と世界が揺れた気がした。
人形作家の別荘で行われた〝ドール〟同窓会で、ドールハウスのあちこちにはメイド服の人形が配置されていて、そこで起きた殺人事件が〝操り〟だなんて、どこまでふざけた符合なのだろう。
カイラはわざとらしく口角を上げ、小首を傾げて右手を前に差し出し、指をパタパタと動かして見せる。傀儡師の真似事だろう。
「でも、そんなにうまくいくかな? 相手はあのフッキーだよ? 簡単に言うこと聞いてくれないと思うけど」
「別に一から十まで思い通りに操縦する必要なんてないのよ。蕗屋君にとってもらう行動はただ一つ、梯子を昇る――ただこれだけ。後は前もって梯子の最上部なり屋上なりに罠を仕掛けておけば、勝手に引っかかって勝手に落ちてくれるって算段よ」
「それこそ、そんなにうまくいきますかね?」私も横から口を出す。「そもそも、梯子を昇ってもらうってどうやるんです? 私はあの人のことよく知りませんけど、皆さん口を揃えて仰いますよね、馬鹿ではなかったって。ただ梯子を昇れって言ったって、訝しがられるだけだと思うんですけど」
「もちろん、そのままストレートに頼んだりしないって。頭の使いどころだね。さりげなく仕向けるのよ。梯子の上に何かがあって、蕗屋君はどうしてもそれを手にしなければならなかった、とかね」
「その『何か』が何かを知りたいんですけど」
意図せず、意地の悪い聞き方になる。しかしカイラは再び口角を上げ、顔の前で大きく手を振るだけ。
「何でもいいのよ。そうね、例えば――蕗屋君の知られたくない過去を写した写真だとか、誰かの秘密が記された手帳だとか、ね」
例えがそっち方面に偏るのは、自分の黒歴史写真のことが頭にあるからだろう。彼女の芸能生活を脅かす飲酒写真は、結局まだ見つかっていない。
「犯人はありもしないアイテムで蕗屋君の行動を誘導したのね。マクガフィンってやつよ」
マクガフィン――映画や演劇、小説や漫画などの作劇で使われる専門用語をカイラはさらりと口にする。登場人物が行動を起こすきっかけとなる〝何か〟で、他の何かと代替可能、その正体は判然とせず、実際には存在しないかもしれない〝何か〟のことを指す。
「みんなが暗証番号を探すのに躍起になっている一方で、主催者の蕗屋君もまた、別の思惑で動いていた、って訳」
「カイちゃん、当たり前のように『犯人』って言葉使うんだね……あたしらの中に人殺しがいるって、本気で思ってるの?」
視線を俯ける鈴。顔色も悪い。自殺説を推していた彼女にしてみれば、仲間内に殺人犯がいるとは考えたくないのだろう。
「可能性の話よ。アタシの意見を聞かせろって、鈴が言ったんだよ? だから、一番辻褄の合う考えを述べたまで。アタシだって、これが真実だなんて思ってないってば。まだ分かんないことだらけだしね……蕗屋君が梯子を昇るように誘導したところで、今度はどうやってそこから落とすんだ、って話だし」
「そこが一番重要なんじゃないですか」
さっきカイラは梯子か屋上に罠を仕掛けた、みたいなことを口にしたが、事は言うほど簡単ではない。該当箇所は、当然警察が捜査済み。梯子に油が塗ってあっただとか、切れ目が入っていて体重をかけると折れるようになっていた、などの分かりやすい細工跡は皆無。屋上に到達した人物を突き落とすような装置も、もちろんない。あった形跡もない。
私がそのことを指摘すると、カイラは鼻から大きく息を吐き出して背もたれに身を預ける。
「そりゃあねえ……こんなトコでお茶しながら真相に到達できたのなら、捜査本部も名探偵もいらないって話ですよ……。あーあ、面白くなーい」
上半身の力を抜き、両腕を放り出して真上を向く。ダリの時計のように、椅子の背もたれで半分溶けてしまっている。自由すぎないか、この人。
「あ、でもフッキーが実は違う思惑で動いていた、ってトコはウチも同意だよ。そう考えると、あの唐突な脱出ゲームも納得いくもの」
カイラのご機嫌とりをしている訳ではないのだろうが、鈴は慌ててフォローを入れる。
「そうそう、そこね」
椅子に座り直すカイラ。回復が早い。
「みんな、おかしいと思ってた筈なのよね。あの蕗屋君が同窓会を開くってだけで違和感アリアリなのに、その上、あんな無駄に手の込んだゲームまで用意するなんてさあ」
「え、どういうことです?」
また私だけが分かってないパターンだ。そして今回のこれは、私が愚鈍さではなく、蕗屋透に対する情報の少なさに起因している。
そんな私の想いを汲み取ったのか、カイラは素早く鈴とアイコンタクトを済ませる。
「うーん、簡単に言うとねえ、蕗屋君って人前に出て何かするようなタイプじゃないのよ。社交性はあるし、頭もいいし口も達者、顔も悪くないから女の子にもそこそこモテるんだけど、根本的に陰にこもってる、って言うのかな。皆から一定の距離をとって、じぃっと人のことを観察するのが好きだったみたい」
「何考えてるか分からなくて、あたしは正直苦手だったかなあ。漫画家なんてピッタリな職業だと思ってたけど、久しぶりに会ったら気味の悪さに拍車がかかってた。何か、目付きもギラギラしてて、怖かったもん」
改まって聞く蕗屋評は、お世辞にも肯定的ではなかった。
「え、でも、演劇部だったんですよね? バリバリ人前に出るじゃないですか」
「蕗屋君は脚本担当。ま、部員が少なかったから演者も兼任してたけど、基本的には裏方よ。今言った通り、典型的な作家タイプの人間だしね」
そう言えば、そんな話だったか。
カイラは空になった紙コップを握り潰し、座ったまま二メートルほど先にあるゴミ箱に投げ入れる。
「――脱線したわね。話を戻すわよ」
「えと、何の話だったっけ?」
鈴は未だにコップを両手で抱えている。中身はとうに冷えてしまっているだろうに。
「蕗屋君が別の思惑で動いてたんじゃないかって話。手の込んだゲームを用意して、アタシたちを楽しませるような人格じゃなかったもの、蕗屋透って男は」
少し、引っ掛かった。
「……楽しませる目的だったんでしょうか。むしろ、半分嫌がらせみたいなものだった気がしますけど」
複数人の男女が密閉空間に閉じ込められ、命を懸けたゲームを強制させられる――所謂デスゲームものと呼ばれる作品は巷に数多く存在し、そのほとんどには場の進行を司る存在がいる。その目的は様々で、エンターテイメントとして第三者に見せるためだったり、参加者に苦痛を与えるためだったりする。少なくとも、ゲーム参加者を楽しませるためではないだろう。
では、今回の場合はどうか。
「……さっき、衝撃的な事実を突きつけられたら、蕗屋さんはショックを受けるどころか漫画のネタになると喜ぶだろうって言ってましたよね? 昔から人のことを観察するのが趣味みたいな人だった、とも。要するにそういうことじゃないんですか? 全ては漫画のためですよ。現実にこの類のゲームをやってみて、生の人間がどういう行動をとるか、どういう台詞を吐くか、それを知るための取材だったんですよ」
我ながら、かなり的を射たことを言えたのではないだろうか。
しかし、そんなことはカイラも当然想定済みらしかった。
「アタシも最初はそう思ってたんだけど……どうも、それだけじゃ足りない気がするのよねー」
「足りない、とは」
「無駄な要素が多すぎる」
彼女の視線が真っ直ぐに私を捉える。
吸い寄せるような蒼い瞳に、何故か私の鼓動は速くなる。
そんな私の反応を余所に、彼女は続ける。
「ドールハウスのあちこちに置かれた瑠璃のメイド人形――『エル』って連作なんだっけ? 暗証番号のヒントにしては、あまりにも手が込み過ぎてるし、意味ありげじゃない? 自分の目で見てないから何とも言えないけど、その人形たち、もっと別の意味があったんじゃないのかな」
「考えすぎでは……」
「まだある。暗証番号自体はどう? 何で『0814』なんだろ。語呂合わせにもなってないし、メンバー誰かの誕生日って訳でもない。誰とも何の接点もない数字なの」
「じゃあ、意味なんてないんじゃないですか」
「ううん、意味はある。必ずある。蕗屋君ってね、そういうとこ偏執的に拘るから」
大した信頼だ。
「蕗屋君の脚本って、必ずそのページで台詞を言い切るように印刷されてたんだよね。いつだったか、全員分の台詞、語数をキレイに揃えてきたこともあったっけ。台本開くと、ぴしーって行が揃ってるの。そんなの、演者のアタシらにしか分からないことなのに」
なるほど、それは確かに偏執的だ。
「だとしても、今となっては知る由がないじゃないですか」
「だから」
ズイ、と突き出される人差し指を、反射的に払いのける。
「ちょっと探偵的な人間に頼んで、調べてもらってるとこ」
「調べるって、何をですか?」
「蕗屋君の過去とか背景とか、よ。吉香、今晩空いてるわよね? 知り合いの店で調査報告を聞くことになってるから、アンタも同席して頂戴」
怒涛の勢いで、有無をも言わせない。
探偵『的』な人間は何かとか、調べるのが早すぎないかとか、その場に私が行く意味はとは、突っ込みどころが渋滞を起こして混沌とし、結局下らない質問しか口にすることができない。
「えっと……蕗屋さんの死の真相を、調べるつもりなんですか?」
「今さら!?」
と、これは横で聞いていた鈴の反応。
こんなおっとりとした人を驚かせてしまうのだから私も大概だ。こんなだから、今も増え続ける無数の糸に雁字搦めになっているのだろう。