10月14日(火) 13:00〝パティシェ〟来訪
〝ドール〟同窓会から二日が経ち、私は日常を取り戻していた。
今日も今日とて、いつものショッピングモールでアニメキャラの〝ドール〟を踊らせている。
ステップ、ターン、最前列へ出て、決めポーズ。
完璧だ。どこか夢の中を思わせた秩父での出来事とは違う。
これが体に馴染んだ、私の現実。
同じ〝ドール〟を操るのでも大違いだ。
だけど、人気キャラを演じながらも、頭をよぎるのは蕗屋透の死のことばかり。
元同級生たちを半ば強制的に脱出ゲームに参加させ、そのゲームが佳境に入ったところで〝ドール〟に繋がったまま塔の梯子を上るという奇行に走り、その末に転落死している。その死が純然たる事故死なのかも気になるところだが、そもそも梯子に上る目的が謎だ。波部の証言では、蕗屋なりの理由があってそうした、ということらしいのだが……。
事件の後、私も何度か刑事たちの来訪を受けたが、同じ質問を繰り返すばかりで嫌気が差した。私にこれだけ聞くと言うことは、利根や鈴、波部、瑠璃など関係の深い人間はよりしつこく付き纏われているのだろう。皆も何がどうなっているのか気になっているに決まっているのだけれど、生憎と全員分の〝ドール〟、及びドールハウスは警察に押収されてしまった。ドールハウス内部にあった写真、人形、暗証番号入力装置や見取り図なども同様だ。そのため、何か知りたくても調べようがないというのが現状だ。一応、警察の到着を待つ間に〝ドール〟内に残された起動履歴はデータとして手元に残しておいたと波部は語っていたが、勿論それだけの情報でどうにかなる訳もない。今は警察に任せるしかないのだ。
頭の中で様々な考えを巡らせながらも、体はそつなくステージの〝ドール〟を操り、午前最後の演技を終了させる。
顔を上げた私の目に映るのは、舞台の上空から見下ろす観客の巨大な顔。その中に、知っている人間が二人いる。
一人は須藤鈴。
もう一人は、久宮カイラ。
私の日常が、指の間からサラサラと零れ落ちていく。
「待鳥さんって、凄い人だったんだね……」
自販機で買った紙コップの紅茶を両手で抱え、鈴は嘆息する。
「こういうステージみたいなの見るの初めてだけど、圧倒されちゃった……〝ドール〟ってあんなに激しい動きもできるんだね……」
「大したことありませんよ」素直に感動されたのが気恥ずかしくて、私は大袈裟に手を振る。「凄いのは〝ドール〟を作ったメーカーです。あのくらいの舞台、練習さえ積めば誰でも」
「誰でもは無理でしょ」
黙って聞いていたカイラが横で苦笑している。
「それに鈴、アタシの後輩なんだから、敬語じゃなくていいわよ」
「えー、いくら年下でも、ほぼ初対面みたいなものだし……」
「結構親しげにしてたって聞いたけど?」
「それはほら、その時はカイちゃんだと思ってた訳だし……」
モゴモゴと言葉尻を濁しながら、コップのお茶と一緒に飲み込む鈴。私は何と答えたものか分からず、鈴が持参したフルーツタルトを無言で口に運ぶことしかできなかった。
ステージから三〇分後、私達はバックヤードの休憩所で落ち合っていた。今回はパティシエである鈴が特製スイーツを手土産として持ってきたので、持ち込み不可のカフェなどには行けず、従業員専用の休憩所でお茶をすることになった。もちろん、正規の手続きを経て、ゲスト二人には来館者用のパスを首から提げてもらっている。
スイーツをつまみながらお茶するのならフードコートでもよさそうなものだけど、そうすると今度は人の目が気になる。一応、カイラは有名人だ。世間での『久宮カイラ』の知名度がどれほどのものかは分からないが、派手な美人であることは確かだ。現に今も行き交う従業員はほぼ必ずカイラに一瞥をくれている。彼女は視線を引き寄せる吸引力があるのだ。もっとも、それは目元を覆うサングラスと鍔の広い帽子が奇異に見えたからかもしれないけれど。昭和の大女優か。
かくして今は、スタッフオンリーと書かれた扉の向こうの、接客スペースと比べれば多少薄暗い、事務的に長机とパイプ椅子が並べられた空間でお茶をしているという訳だ。
「いい加減、来るなら来るで先に知らせておいてくれませんかね……いつも突然なんですもん」
タルト生地のサクサク感とフルーツの瑞々しさに軽く陶酔しながら、私は表面的に苦々しい表情を作る。口調や仕草に出さずとも、表情筋一つで意思を伝えられることが出来る。こんな当たり前のことに、新鮮さと感動を覚える。
「急遽、鈴と都合ついたんですもの。この子、ちゃんと貴女と会って話したかったんですって」
カイラの視線を受け、鈴はやや俯き加減にはにかむ。
「……ほら、あの時は状況整理だの事情聴取だのでバタバタしてたじゃない? カイラちゃんのことあそこまで完全コピーできるなんて、どういう人なんだろって、ずっと興味があったのよね」
柔らかく、温かな印象を与える女性だ。高校の頃は小麦色だった肌もすっかり白くなり、職業柄か、ややふっくらとした気がする。常に一定の高度を保っていたテンションも、今ではだいぶ落ち着いたように見える。小柄で愛嬌のあるところ以外は、がらりと雰囲気が変わったようだ。まあ、十年も経てば多かれ少なかれ、人は変わっていくのが普通なのだろうけど。
「……私はそんな大した人間では……ただ、〝ドール〟の扱いに慣れていて、人の物真似が得意というだけで……」
「うん、正直意外。カイちゃんのふりしてる時はよく喋ってたのに、待鳥さん自身は大人しくてビックリ。憑依型なのね」
「よく言われます……」
実際、それは痛いほど自覚している。
役を演じている間は存在感を放つことができるものの、私自身はどうしようもなく没個性だ。
色がない。
影が薄い。
記憶に残らない。
だからこそ、私には〝ガワ〟が必要だ。
何者かを装い、纏うことで、私はようやく個性を得る。
核となる私本人に、さしたる価値はない。
人知れず自虐的になる私の気を知ってか知らずか、派手で個性的な先輩は陽気な声で、話題を転じる。
「実はね、鈴とは違う理由で、アタシも吉香に会いたいと思っていたの――聞きたいことがあってね」
そら来た。彼女が現れた時点である程度の察しはついていた。あんなことがあって、大人しくしている久宮カイラではない。
「ね、事件の話、聞かせてくれない?」
「カイちゃん、刑事さんたちから聞いてないの?」
「聞くも何も、あの人たちは必要最低限の情報しかくれないわよ。そのくせ、人からは根掘り葉掘り同じ話をしつこく何度も……全く、現場にいなかった人間が、事件のことなんて分かる訳ねぇっつーの。警察の話なんてあてにできないわ」
やはりカイラの所にも刑事たちは行っていたらしい。私が同窓会に参加した動機の裏付けをとるためだろう。もっとも、カイラはそんな彼らに対して不信感を抱いたようだが。
「あの、一応報道もされてたみたいでしたけど……」
「報道って、三面記事に小さく載ってただけじゃない。それも〝漫画家、転落死〟ってことしか分からないような内容の薄い記事。あんなの百回読んだって何も分からないって」
漫画家とは言え、蕗屋くらいのレベルでは大したニュースバリューはないと判断されたのだろう。悲しいが、事件の認知度は恐ろしく低いようだった。死んだ状況の不可解さを知ればもう少し興味を持つ人間もでてくるに違いないのだけど……。
「――ね、聞かせてよ」
カイラはこうなるとしつこい。別段こちらも頑なに拒絶する理由もないので、記憶を探りながら訥々と語り始める。
突然現れた先輩に半ば強制的に行かされた〝ドール〟同窓会。
秩父の草深い山奥に立つ、人形作家である仁行所瑠璃の別荘。
出迎える日野、食堂では瑠璃に即行で正体を看破される失態。
〝ドール〟と接続、夥しい写真群と、続々と現れる同窓生たち。
主催者である蕗屋の登場と共に、唐突に始まった脱出ゲーム。
ヒントを求めて右往左往――写真、チェス、見取り図、人形。
やがて答えは導き出され、四桁の暗証番号で脱出に成功する。
しかし、そこには蕗屋の〝ドール〟が床に転がっているだけ。
そして――実際に屋敷の外で死体となって発見された蕗屋透。
ひどく長い時間を過ごしていたような気になっていたが、言葉にすると思いの外に少ない。いや、伝える私の言葉自体が少ないだけなのかもしれない。基本的に見たこと聞いたことはそのまま語ったつもりだが、意図的に言わなかった部分もある。例えば、私が久宮カイラの身を騙って同窓会に参加した本当の理由は伏せてある。もっともそれは鈴がこの場にいたから黙っていただけで、カイラ自身重々承知していることだ。意味はない。
「ふうん……」話を聞き終わったカイラは、何やら思案気な様子で虚空を眺めている。「何だか、聞けば聞くほど意味わかんない事件よねえ……」
「まさか、あのフッキーが飛び降りるなんてね――」
視線を伏せる鈴。対するカイラは目を剥いて驚いている。
「えぇ? ちょっとちょっと、鈴はこれが自殺だと思ってる訳? さすがにそれはないでしょー。そもそも自殺説は全員一致で却下されたって話じゃない。その中には鈴もいた筈だけど?」
最後の疑問符は私の方を向いて投げかけられたものだ。仕方がないので、カイラの補足をすべく私は発言する。
「……そうですね。同窓会の、それも余興ゲームのクライマックスに〝ドール〟のまま自殺するなんて不自然だって言うのが鈴さんの主張でした。利根さんは、自殺直前の人間にしては悲壮感がないみたいなことを言ってましたね。多少狂ってはいたけど、論理的でない突飛な行動をとる人間ではないって、これは波部さんの意見で――あの場面で自死するのはあまりに不自然ではないか、というのが三人の総意だったように記憶してますケド」
「んー、さすがはアタシの吉香。記憶力抜群ね」
まるで褒められた気がしないのは何故だろう。そもそも、私は貴女のモノなんかじゃない。
「ううん、確かにそうなんだけど――後になって考え直してたの」
柔らかそうな頬を両手で挟み、考え考え台詞を吐く鈴。年を経て落ち着いた分、会話のテンポは落ちたように感じる。
……いや、それもおかしな話か。
同窓会の時の鈴も、見た目こそ女子高生時代の〝ドール〟だったが、中身は今と変わらない、大人の須藤鈴だった筈なのだ。人格もスキルも変わりはない筈。ただ、周囲からの視線だけが違う。彼女もまた、十代の頃の自分を演じていたということなのだろう。
「へえ、どんな心境の変化があったの? 聞かせて」
テーブルに頬杖をつき、聞く体勢をとるカイラ。鈴は唇を湿らせ、恐る恐る言葉を紡ぐ。
「えっと、あのね。簡単に言うと、人の心の奥底なんて他人には絶対に分かんないと思うの。幸不幸なんて周りからは分かる訳がない。どれだけ楽しそうに能天気に順風満帆に見えても、死にたい程の闇をその内側に隠し持っていたのかもしれない。それがなかったなんて誰にも言い切れないって、あたしは思うのね」
「同窓会を死に場所に選んだ理由は?」
「……あたしたちに対する当てつけ、とか? フッキーの抱える闇はあたしたちに関係していて、あの時あの場で敢えて死んで見せることでそれを見せつけようとして、ってのはどうかな」
「推測に推測を重ねてるだけだけど――まあ、分からない話ではないかな」紙コップのコーヒーを飲み干し、一息つくカイラ。「ただ、百歩譲って蕗屋君の自殺がアタシらへの当てつけなのだとしたら、遺書は? あれだけ自己顕示欲の強い人間が、何の意思も残さずこの世を去るなんて、ちょっと考えづらいんじゃない?」
「……それも謎解きになってるとか!」
人差し指を立てて声を張る鈴。その表情から推し量るに、随分といいアイデアだと思っているようだが、対するカイラの答えはにべもない。
「駄目ね。ヒントがない。脱出ゲームの時は明確に、緻密に計算したヒントを配置していたのよ? 遺書が謎解きになっているのなら、今の時点で明確なヒントが提示されてないとおかしい」
言いながら立ち上がり、すぐ横にある自販機で新たにコーヒーを購入する。ブラックでよくそんなにガブガブ飲めるものだ。
「……だったらさ、急に死にたくなっちゃった、っていうはどう?」
「言い方が軽いなあ」
目を細めながら湯気を立てる紙コップに口をつける。
「でも、案外鈴さんの言う通りかもしれませんよ」微力ながら、横から援護射撃をする。「私は経験ないですけど、発作的に死にたくなるほどの衝撃に襲われることって、想像できなくはないと思うんです。何か、今までの自分をひっくり返すような事実を示す、衝撃的な何かを見てしまったとか、聞いてしまったとか」
「アタシらへの当てつけ説は完全に捨てた形? まあいいわ。ちょっと乗ってみましょうか――でも、やっぱダメね。それだけ衝撃的な目に遭ったら、蕗屋君は逆に喜ぶと思う。漫画のネタになるって」
「それは……そうかもしれないけど」
頷く鈴。否定しないんだ。この人たちの中の蕗屋透像が、私はイマイチ把握できないでいる。
「百歩譲って、そういうことがあったとしましょうか」またか。この人、何百歩譲るつもりなんだ。「だとしてもさ、階段じゃなく梯子を使う説明にはならなくない? 死の発作に襲われて急に飛び降りたくなっても、屋外の塔に設置されている梯子を昇ろう、とはならない筈だもの」
「じゃあさ、カイちゃんは何だと思うの? さっきから人の意見に文句ばっか言って、そっちの考えも聞かせてよ」
珍しく声を荒げる鈴。無理もない。自分の意見も出さずに否定ばかりでは、誰だって面白くはないだろう。
「ん、よくぞ聞いてくれました。実はアタシなりに考えをまとめてたのよね」
聞かれるのを待っていたらしい。面倒臭いな。
「自殺説に反対ってことは、カイちゃんは事故派? それとも……」
「他殺か、ってこと? うーん、その三択だけなのかな? アタシはね、事態はもうちょっと複雑かな、って思ってるの」
紙コップを傍らにやって、頬杖をつく。
彼女の柔らかな髪がはらりと垂れ、テーブルに触れる。
「自殺、事故、他殺以外の可能性って何? まさか病気とか天変地異とか言わないよね?」
「もちろん違う。蕗屋君が梯子を昇り、その頂上から転落死したのは間違いない。大事なのはここから。いい? 問題は二点。どうして蕗屋君は梯子を昇り、何があってそこから落ちたのか――まず、梯子を昇ったこと自体は蕗屋君の意思、だけど、そこから落ちたのはアクシデント、これを前提とさせてもらう。その上で、その両方共が、何者かの意思によるものだとしたら、どうなる?」
思わず鈴と顔を見合わせていた。
「えっと……要するに他殺、ってことですよね?」
「でもそうじゃないって、カイちゃん自分で言ってたじゃない」
意図せずして足並みが揃ってしまう。対するカイラはそんな返答は想定済みだったようで、涼しい顔で答える。
「大きく捉えればそうなるでしょうね。でも単純な他殺って訳じゃない。いい? 梯子を昇ったのは蕗屋君自身で、落ちたのは不幸なアクシデントがあったから。そこにはある人物の思惑が絡んでいるのに、傍目にはそう見えない。その人物は自分の手は一切汚さず、蕗屋君の行動を誘導するだけで完全犯罪を成し遂げたって訳」
真正面を見据えながら、淡々と恐ろしいことを口にしている。
一拍置いて、鈴が探るように口を開く。
「操り――ってこと?」