同日 21:10〝クリア〟確定
一階フロアの隅まで移動したアタシたちは、物置部屋の扉の前で腕組みをして壁に凭れる利根の姿を発見する。
『利根君、どう? 番号は合ってた?』
案の定の光景に半分安堵、半分落胆しながら、アタシは意識して明るい声をかける。
『……そう見えるかよ。分かって言ってンだろ、クソが』
毒づく口調も弱々しい。あれだけ意気揚々と一位宣言をしておきながら、完全な空振りだったのだ。心が折れても仕方がない。
『ねえ利根っち。やっぱ8258じゃなかった?』
『はあ? 何でオメェがその数字――ああ、あのチェス盤見たんだったな。同じモノ見りゃあ同じ答えが出るのは当然か』自分で結論を出して一人で納得している。『でも、それが間違ってるってのは何だよ。8258はミスリードで、別に解答があるってンのか?』
『それだと、人形のヒントを消化していない』
顎に手を当て、アタシは前に出る。
『蕗屋はわざわざドールハウスのあちこちに仁行所の人形を点在させた。必ず意味がある。アイツは全てのヒントを活かさなければ謎は解けないと言っていた。まだ、全てではない――まだ全てのヒントを使い切っていない。全てのヒントを重ね合わせ、次元を下げる必要があるんだ――ってね、どっかの誰かが言ってたわよ』
『百パー波部じゃねェか』
『変に上手なのがまたジワジワくるよね』
昔から教師や芸能人の真似をするのは得意だった。その特技が、こんな風に役に立つだなんて夢にも思わなかったけれども。
『つーか、んなこと言ってンのか。そういうテメェは正しい数字が分かってんのかっつー話だよ』
『悪いな、すでに分かっている』
利根の毒に呼応するように背後から響く声。
『……ビックリしたあ……波部っち、いつからいたの!?』
鈴が心臓を押さえて仰天の意を示しているが、アタシはそろそろ現れる頃だと思っていた。
『久宮が似てないモノマネをしている辺りからだな』
『え、カイちゃんの真似、上手だったよ?』
『全然似ていない。やるならもっと精度を上げろ』
『モノマネされる本人ってだいたいそう言うんだよね』
『客観的に自分がどう見られてるか分かってねぇんだよ』
『どいてもらっていいか。俺はその中のコンベックスに用がある』
鈴と利根の言い分を無視して、部屋に入っていこうとする。
『悪いな。これで一位抜けは確定だ』
唇に人差し指を当て、無理矢理アタシたちの間を割って進んでいく。言葉とジェスチャーが合ってない。それは相手に黙ってほしい時にする仕草だろうに。
『ちょっと待って波部っち。中に入る前に、一つだけ教えて』
波部の肩を掴み、小首を傾げる鈴。
『次元って、何?』
いつになく真剣な声音で尋ねる鈴に、波部は扉に手をかけたまま、こちらを見ずに答える。
『……次元というのは空間の広がりを示す指標のことだ。一次元は直線、二次元は平面、三次元は立体を表す。四次元は立体に時間の概念をプラスした時空を表すと考えるのが一般的だな』
『……ありがと』
『じゃあな』
礼を言う鈴の顔も見ずに、今度こそ扉の奥に消えていく。音はしないが、今この扉は内側からスライド錠がかけられ、それと同時に番号入力装置にはスイッチが入ったに違いない。
『え、鈴、今の質問は何』
『聞いての通り。次元のことをね、聞きたかったの』
彼女にしては珍しく平坦な声。考え考え言葉を発しているという雰囲気だ。
『えっと、聞いてくれれば今くらいの簡単な説明ならアタシにもできるよ? こう見えても大学出てるんだから』
『うん……』
気持ち顔を俯け、人の言葉を受け流す。どうやら自分の世界に入っているらしい。須藤鈴、アンタもか。
『……ちょっと、ゴメン』
ポツリと呟き、唐突に踵を返す。彼女の小さな背中が廊下の角へと消えていく。
『オメェ、一緒に行かなくていいのかよ。鈴のヤツ、波部との会話で何かに気付いたみてえだぞ』
『そうね。でも今は波部君が正しい番号を打ち込めたかの方が気になるかな。それを確認したら、後で合流する』
『んだよ、行き先が分かってンのか』
『大体ね』
恐らく、二階フロアのどこかにいるのだと思う。さっき波部が何かを確認した場所だ。勿論、そこに行ったところで簡単に答えが分かるとは思っていないが……。
『利根君は?』
『オレもあのハゲが一位抜けできるかが気になるわ。間違ってたら盛大にディスってやんねえといけねぇしな』
ケケ、と笑う利根。どんな悪い顔をしているのだろう。
程なくして扉から出て来る波部。一分程度だろうか。
『おぅ、どうだ、駄目だったか』
『何だその聞き方は。普通は合ってたか、と聞くものだろう』
利根の軽口を受ける波部からは、やはり一切の感情が読み取れない。成否がどうだったか窺うのは至難の業だ。
『で、どうだったのよ』
なので直接聞いてみる。
『合っていたよ。当たり前だろう』
事も無げにそう言われ、何故か脱力してしまう。
『CLEAR、だとさ。これで通路への扉は開いたってことなんだろう。期待を裏切れなくて申し訳ないな』
平坦な口調で続ける。一時間弱続けてきたゲームは、こうして呆気なく勝敗がついてしまった。
『んだよ、クソつまんねェ!』
吠える利根。アタシも肩を落とす。正答を引き当てた波部は、早くも踵を返して入口へと歩き始めている。
『何だ、ついてこなくてもいいんだぞ』
背後につくアタシたちを、こちらを振り返りもせずにそう言う。
『バカ、オレたちもこっちに用事があんだよ』
出口へ続く通路に出るにせよ、二階に上がるにせよ、階段室を経由する必要がある。アタシだって一位抜け確定の人間の後をノコノコついて歩きたくはないが、他にルートがないのだから仕方がない。
『そう言えば、須藤の姿がないな。別行動か』
『さっき、次元がどうとかの話したでしょ。アレで何かに気付いたみたいで、波部君が数字打ち込んでる間に、どこか行っちゃったの』
『ふうん……』
何か考えることがあるのか、それとも興味がないだけなのかは分からない。波部はそれきり押し黙って、廊下を進んでいく。
階段室にはすぐ到着した。
『じゃあ、アタシらは二階だから』
久宮。
背を向けたところで、不意に声をかけられる。
『二位争い、頑張れよ』
右手で作った指鉄砲を振り向いたアタシに向け、波部は通路への扉へと消える。励ましは嬉しいが、何故撃たれたのかは分からない。
『つくづく何考えてンだか分からねえ奴だな……』
利根が首を捻っている。珍しく、同じ意見だった。