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ニンギョウ・エチュード  作者: たもつ
11/60

同日 20:40〝ナンバー〟判明

 その軽薄な声に、アタシはその場にへたり込みそうになる。

 利根だ。落下防止の手すりに上半身を預け、首だけをこちらに向けている。その横では、波部が紙と巨大ペンを手に、床に片膝立ちになって何やら思案している。そのペンはまた瑠璃に借りたのだろうか。アタシたちが来たというのに、自分の世界に籠って見向きもしない。

『なんで……ウチらの方が早いと思ったのに』

『解散してすぐここに来たオレらの方が早いに決まってンだろ』

『真っ直ぐここに?』

『そうだよ。蕗屋のことだから、ドールハウスの外にもヒントを仕込んでるのは最初から予想がついてた。で、チェスだろ? 思いつくのは食堂の隅に置いてあったチェス盤だ。どうにかしてそれを見ようと思ったんだけど、生憎とカーテンは開けられないっつー話だ。ってことは、ドールハウスのどっかに、カーテンを開けずして外を覗ける場所があるってことだよな? そう考えると、塔の展望台が怪しいんじゃねぇかって察しがつくよな。しかも、部屋の隅にあるチェス盤を見るにはある程度の高さが必要だ。だったら四階じゃなくて五階の方がいいってことになる』

 ここに至るまでの経緯をペラペラと教えてくれる。アタシたちがここに到達した時点で自分たちと同じステージに来たことは明白なので、情報を解禁してもいいと判断したのだろう。何だろう。軽く泣きそうだ。もしかしたらこの二人に勝てるかもなんて淡い夢を見ていた数瞬前の自分たちがバカみたいだ。いや、実際にバカなのか。

『それで? 暗証番号は分かったの?』

 鈴を軽く押しのけ、アタシは敢えて高飛車な態度をとる。〝ドール〟状態の利点として、表情や視線などで感情を読み取られることがない、というのがある。とは言え、慣れてくると口調や姿勢でそれなりに分かるようになってくる。

 だからこそアタシは虚勢を張る。

 久宮カイラは決して負けを認めないのだ。

『心配すんなって。もう解けたも同然だ』

 すでにチェス盤を見て、一通りの考察を終えて番号も割り出してあるのだろう。利根はメモ一つ持たずに余裕の態度だ。確かに、四桁の数字を覚えるだけなら紙媒体への記録は不要だ。

『……波部っちの方は随分考え込んでるようだけど』

首を傾け、展望台の中央辺りで屈み込み、一人ブツブツと何事か呟いている波部に視線を向ける。


『……これだとまだ足りない――やはり人形か……』


 ひとしきり独白を終えたところで、波部はおもむろに立ち上がり、利根やアタシたちの横を素通りしてそのまま展望台を出て行ってしまう。最後までこちらのことは一顧だにせず、アタシたちの方もそんな彼に声をかけることができなかった。

『……そんなに考え込むほど難しい問題なのかな、コレ』

振り返る鈴と目が合う。もしそうならお手上げだ。

『アイツは難しく考えすぎなんだよ。すでに番号は分かってる。後は物置部屋に行って巻尺引っ張るだけだ――このオレが、な』

 対する利根はどこまでも楽観的だ。ゴールが見えてきたことで気持ちに余裕が出来たのだろう。ライバルである波部の動向にはさほど興味がないらしい。

『せいぜい二位争いを頑張れや』

 憎たらしい激励を残して利根も展望台を後にする。

『チェス盤が見たかったら瑠璃に言え。近くで見せてくれる』

去り際にアドバイスを残したのも余裕の現れだろうか。これはもう、一位抜けは絶望的のようだ。とは言え、それでゲーム自体を降りるほど諦めのいい性格はしていない。ここまで来たのだ。二位でも三位でも、はたまた最下位になったとしても、せめて脱出は果たしたい。アタシは気持ちを切り替え、ここに来て初めて展望台の外に視線を向けた。

そこには奇妙な光景が広がっていた。

挿絵(By みてみん)

 仁行所家一階の南西に位置する食堂――インテリアや壁紙などが変わった訳ではない。アタシが〝ドール〟に繋がった時と、部屋自体は何も変わっていない。変わったのは、こちらの視点だ。十分の一サイズで見ると、通常の部屋がこんなにも広大に感じるなんて初めて知った。つい一時間ほど前に瑠璃と言葉を交わしたあの食堂が、今は丘の上から見下ろす街並みのように、眼下に広がっている。

「あらあら、今度はカイラちゃんと鈴ちゃんが来たの? 千客万来ねえ。さっきまで淋しい想いをしていたのに」

 東側からのんびりとした声が響く。もちろん瑠璃だ。先程、物置部屋の前で顔を覗かせた時と同様、車椅子に泰然と座っている。アタシは何ともなしにそちらに視線を向け――言葉を失った。瑠璃の隣に、世にも怪しげな風体の人物がいたからである。

 まず、体は白い斑点の散りばめられた黒い全身タイツのようなモノを纏っているが、これはドールを動かすための特殊スーツで、アタシたち全員が身につけている。顔は細面で、一重の目は鋭い。誰何するまでもない。多少老けているが顔立ち自体は変わっていない。


『――フッキー、そんな所で何してんの』


 鈴の声音が一オクターブ低くなる。

「そんな露骨に機嫌悪そうな声出さなくてもいいじゃないか。不倶戴天の敵と遭遇したわけじゃないんだからさ」

 初めて聞く蕗屋の肉声は、〝ドール〟のそれとほぼ同じだった。

『答えてよ。人のことドールハウスに閉じ込めておきながら、自分だけちゃかり抜け出して、お茶なんて飲んじゃってさ』

 詰るような鈴の声。確かに、蕗屋が座るソファー前のテーブルにはティーセットが置かれ、カップには湯気を立てる琥珀の液体が注がれているのが確認できる。

「主催者の特権ってヤツだね。考えてみれば、僕がドールハウスに入って皆の右往左往に付き合う必要ないんだよ。ルール説明済ませてヒント出しきった後は、こうして高みの見物って訳さ」

『何でもいいわ。蕗屋くんなんかより、アタシたちは大事な用があってここに来たんで』

「分かってるわよー。これを見に来たんでしょう?」

 瑠璃が近付いてくる。こちらの考えを読んだらしく、その膝の上には件のチェス盤が乗せられている。

『よく分かったわね』

「さっきの二人もそうだったもの。第一、わたしは蕗屋くんに答え聞いて知ってるし」

 愚問だった。瑠璃が主催者側の人間なのは分かり切っているし、アタシたちが波部や利根に続いて展望台に現れる理由など、他に考えられない。アタシは中身のない会話を自重して、彼女の差し出すチェス盤に注目する。

挿絵(By みてみん)

 盤上の駒は少なかった。


 アタシたちから見て左奥に黒のナイト、右奥に黒のビショップ、真ん中の手前に黒のルーク、そして左の中段に白のクイーン――たった四個の駒しかない。そもそもどちら側にもキングの駒がない時点で盤面が成立していないことはチェスに疎いアタシでも分かる。でも、ヒントとしてはこれで充分だった。BRQN――黒のビショップ、黒のルーク、白のクイーン、黒のナイト、全てが写真のヒントとピッタリ合致する。何らかのヒントなのは間違いない。

「メモなら、さっき波部くんに渡したのがそこに残ってるわよ」

 気を利かせて瑠璃が言う。彼女が指差す先、展望台の隅にはポスターくらいの大きさのある紙束が置かれ、その横には例の巨大鉛筆が立てかけられている。もちろん、〝ポスターくらい〟というのは〝ドール〟状態から見た話で、実際はA7サイズ程度のメモ用紙なのだろう。近寄って見ると、波部が書き殴った図や記号がいくつも残されている。

『……そう言えば、波部君は手ぶらで出て行ったみたいだけど』

『覚えちゃったんじゃん? 波部っちくらい頭良ければ、四つの駒の場所を暗記するくらい訳ないし、こんなおっきな紙を持ってウロウロするのもヤだったんだと思うよ』

 アタシと並んで波部のメモに視線を落としながら言う鈴。そういう彼女は、物置部屋からずっとヒントの書かれた二枚の写真を胸の前で抱えて持ち歩いている。絶対に邪魔くさい筈だが、手放そうとはしない。BRQNの四文字と、空っぽの格子柄。今となっては用済みの情報なのだから、その辺に置いておけばいいと思うのだが――と、ぼんやりと考えていたアタシの頭上に、ちょっとしたアイデアが舞い降りる。そうか。わざわざ荷物を増やすことはないのか。

『――瑠璃、悪いんだけど、鉛筆じゃなくて油性ペンがあったら貸してほしいんだけど』

「油性ペン? あるわよお?」

 鷹揚に応じて振り返る。視線の先、テーブルにペン立てが置いてあるのが見える。アタシたちの遣り取りを聞いていたらしい蕗屋がその中の一本を手に取り、持ってきてくれる。

「これでいいかい?」

『ありがと』

「でも、どうして? 鉛筆じゃあ、ダメなの?」

『ツルツルして光沢のある紙質だから、鉛筆じゃ書きにくいと思って――鈴、貸して』

『え? これ? ああ、これに直接ってこと?』

 キャップを外すアタシを見て、即座に理解したらしい。そう。せっかく空の格子柄を持ち歩いているのだから、そこにそのまま駒の場所を書き込めばいい。わざわざ新しい紙にゼロからメモして荷物を増やすより、遥かに効率がいい。書き込みはすぐに終わった。もう、ここには用はない。

「それで、どう? 脱出の目途は立ちそうかしら?」

 チェス盤をローテーブルに戻した瑠璃が、ニッコリ笑みを浮かべながら尋ねてくる。

『当然でしょお? だいたい分かってるわよ。』

「そうよねえ。うん、男子たちに負けないようにねー」

 おっとりとした瑠璃の声援と、無言の蕗屋の視線を背に、アタシたちは展望台を出て、その後ろをチョコチョコと鈴がついてくる。

『カイちゃん、だいたい分かったって本当?』

 当然、そう聞いてくるだろうと思った。返す言葉は決まっている。

『え? 鈴はまだ分かってないの?』

『……これかな、ってのはあるけど』

『聞かせて』

 四階と三階の間の踊り場で足を止め、振り返って少し上から鈴を見下ろす。

『合ってるかどうか分かんないよ?』

『いいの、鈴の考えを聞きたいだけだから』


『8258、かな、って……』


『ん、その根拠は?』

『ちょっといい?』

 鈴はアタシが持っていた書き込み済みの格子柄を再び手にして、簡単な説明を始める。

『チェス盤って、横方向にアルファベット、縦方向には数字で8×8の座標が決められてて、駒の位置はそれで表記するじゃない? 今回の場合は、h8、d2、a5、b8になるよね? で、そのランクの数字を抜き取って繋いだだけなんだけど……』

『……そうね。アタシも全く同じこと考えてたわ』

 何だろう。どんどん人としてダメになっていく気がする。

『でも、これで合ってるのかな……』

『でも他に考えられないんだし、これでいくしかないでしょ』

 格子柄を拾い上げ、アタシは階段を下る。本来はそのまま一階まで猛スピードで降りてしまいたかったが、途中でブレーキをかけざるを得なくなる。二階フロアで、波部がうずくまっていたからだ。

 まさか体調でも悪くしたのかと一瞬心配したが、当然そんなことはなく、ただそこに置かれた人形を観察しているだけだった。

 二階フロアに腰掛け、階段部分に脚を投げ出した仁行所瑠璃お手製メイド人形――〝エル〟。目隠しのポーズには何の意図があるのだろう。いや、そもそも意味など込められているのだろうか。分からない。分からないが、少なくとも波部は何か意味があるのだと見ているらしい。だからこそ、ここまで拘泥しているのだ。

 さて、ここで声をかけるべきか、そのまま先を急ぐべきか――

『ねーねー、利根っちに先越されちゃうよ?』

 アタシが逡巡している間に、さっさと鈴が声をかけてしまう。

『……大丈夫。利根は分かっていない。アイツは勘違いしている』

 思ってたよりも、ずっとしっかりとした口調で波部が答える。人形を向いたままで、こちらを見ようともしないのは相変わらずだが。

『随分自信があるみたいだけど、その根拠は何なのよ。何で利根君が正解じゃないって言い切れる訳?』

 黙っているのも不自然だと感じて、鈴と並んで声をかける。

『――言っておくが、答えは8258ではないぞ』

 虚を突かれ、思わず鈴と顔を見合わせる。なんでその番号だと分かったのだ。そもそも、それが違うとは……?

『図星か』

『え、波部君エスパー?』

『無言が肯定の証だろ。駒のランク番号を繋げたらそうなるからな。一応辻褄は合うし、その答えに飛びつきたくなる気持ちは分かる』

 だけど、違う。

 こちらの顔すら見ないで、眼鏡の秀才はそう言い切る。

『それだと、人形のヒントを消化していない。蕗屋はわざわざドールハウスのあちこちに仁行所の人形を点在させた。必ず意味がある。アイツは全てのヒントを活かさなければ謎は解けないと言っていた。まだ、全てではない』

 確かにそうかもしれないが、チェスと人形に何の関係があるのか皆目見当がつかない。ただの考えすぎではないだろうか。

『――その格子、お前らが書き込んだのか』

 答えるべき言葉に迷っていると、波部の方から話題を転じてくれた。視線の先は、格子柄。

『うん。アタシらは駒の配置暗記するなんてできないからさ』

『……ふうん……』

 あ、これ聞いてないな。

 波部貴夜という男、ちょいちょい自分の世界に没入してしまう癖みたいなものがあるらしい。それだけ集中力が高い、とも言えるが。

『どうしたの? 波部っち、何か気になることあった? アンタも同じチェス盤を見てた筈じゃん』


『……全てのヒントを重ねて……次元を下げて……』


 アタシたちの言葉など届かない。顎に手を当て思案を重ねること数十秒、いい加減に放っておこうかと思い始めた頃に、ようやく波部は立ち上がる。

『……分かったかもしれない』

『ええ!? 今ので!? 何かヒントになるようなことあった!?』

 鈴が驚いている。

『ああ。やはり全てのヒントを使わなければ謎は解けない。それに、蕗屋は戯れ言の中にヒントを隠してたらしい』

『それは何? ヒントを重ねるだの、次元を下げるだのって話?』

『……後は自分で考えるんだな』

 明言を避けて立ち去ろうとする波部。もっとも、それは肯定しているのと変わらない。

『あれ、波部っち、物置部屋はそっちじゃないよ、一階だよ』

 階段室の奥、二階フロアへと続く扉に手をかける波部に、鈴は声をかける。

『いいんだ。解き方は分かったが、まだ肝心の暗証番号が分かった訳じゃない。この先にあるものが、必要なんだよ』

『ふうん? じゃあ、アタシたちも――』

『言っておくが』体の正面をこちらに向け、波部は声に力を入れる。『分かってないのなら、ついてくるなよ。一応これでも競争ということになっている。ましてや俺は教師だ。不正は見過ごせない』

『真面目だなー』

 真正面から正論を言われては卑怯なアタシも引き下がるを得ない。扉の向こうに消える波部を見送りながら、すごすごと踵を返す。

『カイちゃん、行こうか……』

『行くのは、いいけど――8258じゃないんなら、アタシたちはどうすればいいんだろうね……』

『正しい番号を考えるしかないんじゃない?』 

『またイチから考え直しかあー。もう何も思いつかないよ……』

途方にくれる鈴。アタシも気持ちは同じだったが、ここで立ち止まっている訳にもいかない。

『取り敢えず、物置部屋に行ってみようか。もしかしたら間違ってるのは波部君の方で、8258で合ってるのかもしれないし』

『だとしても、一位抜けは利根っちだね……』

 すっかり意気消沈しているが、一応アタシの後をついてくる。どう転んでも負け戦だけど、アタシは歩みを止めない。

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