10月5日(日) 14:00 〝ステージ〟開幕
私の名前は〝吉良摩耶花〟。
アイドルグループ〝アビエ〟のセンターを務めている。
都内の公立高校に通う高校一年生。誕生日は八月七日蟹座のO型。身長一五〇センチ体重三十八キロ、亜麻色の髪をツーサイドアップにしてまとめている。アイドル活動に関して、最初はバイト感覚で臨んでいたが、様々な挫折と葛藤を乗り越え、トップアイドルを目指すようになる。そして今、〝吉良摩耶花〟は二人の仲間と舞台に立ち、親友が作詞作曲した持ち歌を披露している――。
曲の切れ間に軽く息をつく。
頭を巡るのは、繰り返し暗誦してきた〝吉良摩耶花〟の履歴書。
そんなものを暗記したところでパフォーマンスに大差はないと、劇団員の仲間は言う。メソッドだなんて、古臭いアプローチだと。だけど、私はこれ以外にやり方を知らない。役柄を知り、背景を知り、〝ガワ〟を何層も作って自分に馴染ませ、同化する。
そうして私は、〝待鳥吉香〟から〝吉良摩耶花〟になる。
次の曲が始まった。振り付けは体に刻まれている。
あとは如何に〝吉良摩耶花〟になりきるか。
挙動を指先に至るまで徹底的に完コピし、やり切る。
彼女が見せた最高のパフォーマンスを私が再現する。
言ってみるなら、これは〝アビエ〟の相似形なのだ。
サビ前、顔を上げた。
ステージの前方上空に、いくつもの巨大な顔が浮かび、私たちのパフォーマンスを呆けたように眺めている。私はその中に、サングラスをかけた黒髪の美女を見つけていた。
さいたま市郊外にあるショッピングモールのイベントブースに、私たちの舞台は置かれている。幅二メートル、奥行き一メートルの箱が私たちのステージだ。ライブハウスなどの舞台を俗に〝ハコ〟と呼ぶことがあるが、これは正真正銘の箱庭舞台。しかし、今の私たちにはそれで充分。
何せ、このショーにおける〝吉良摩耶花〟の身長は一五センチしかないのだ。
最長身のメンバーでも十七センチちょっと。十分の一サイズのアイドルに二平米の箱庭舞台は大きすぎるくらいだ。この箱を最大限に活用して観客に縮小サイズ〝アビエ〟をお届けする。いや、届けて見せる。それが私の仕事だ。
イベント開催を知らせるパンフレットには、ポーズを決める五人の少女――いや、少女たちを模した精巧な〝ドール〟の姿が描かれている。
「吉香、すごいことやってるのね……」
一時間後、近くの喫茶店で私は久宮カイラと対峙していた。この人は大学時代の演劇サークルでの先輩なのだが、今はその美貌を活かしモデルとして活躍している。母方の祖母が北欧の人間だとかで、その顔立ちは日本人離れして彫りが深く、鼻梁が高く通っていて、まるで人工物のようだ。その場にいるだけで周囲の半径五メートルが華やかになる。もっとも、その中身は相当に気が強く奔放で、何かとトラブルを巻き起こしがちではあった。とは言え、私に対しては何かと良くしてくれることが多く、この派手な先輩をずっと慕っていた。
今でもそうだ。
ただ、こうして私の職場に来るのは初めての経験だった。
劇団の公演ではなく、〝ドールショー〟を見に来るのは、という意味だが。
「ドールショーねぇ……時代はここまで来たかって感じだよね」
パンフレット片手に、ブラックのまま口をつけるカイラ。
「この、〝ドレスアップ・ドリーマーズ〟ってのは?」
パンフレットの単語に反応する。相変わらずサブカル方面に疎い。
「最近売れているアイドルアニメです。通称〝ドレドリ〟。普通の女子高生だった主人公がちょっとしたことから芸能界に入り、そこからトップアイドルを目指していくというシンデレラストーリーで、シンプルなストーリーながら丁寧な描写と安定した作画、クオリティの高い楽曲群などでBDの売り上げは今期ダントツ、発売されたCDもヒットチャートの常連で、担当声優が自ら舞台に立つドレドリライブは毎回大盛況。ちなみに吉良摩耶花の所属する〝アビエ〟は他に真照はるひ、関口桃子がいて、それぞれに熱心なファンがついているんですよ」
私は別段アニメファンという訳でもないのだけど、今回のためにそれなりに勉強はしている。何も知らない人間に解説するくらいのことは容易い。
「挙句の果てにフィギュアも踊り出すって訳ね」はー、と嘆息している。「ドールショーか……とんでもない時代だね……」
頬杖をつき、先程と同じ台詞を吐くカイラ。
「おかげで売れない劇団員にも仕事が回ってくるって寸法です」
「え、これって劇団の公演なの?」
「違います。ウチの代表が持ってきたバイトみたいなものです」
今ではこれが本職だが。
「そもそも、この人形ってどうやって動いてるの?」
話題がポンポン移る。私は唇を舐めた。
「〝ドール〟って分かります?」
「アタシ、こう見えても大学出てるんだよね」
「固有名詞としての〝ドール〟のことです」
座り直し、気持ち息を整える。アニメ作品とは違って、この説明には少し骨が折れる。
先程まで私たちが動かしていたのは、勿論ただの人形ではない。
平たく言えば、ロボットだ。
操作する人間――オペレーターと呼ぶ――は微小なセンサーが散りばめられたボディスーツを身に纏うことで、離れた場所にいるロボットにリアルタイムで動きを伝えることができる。難しい操作など一切必要とせずに、自分の動きと連動させられる訳だ。
例えば今回の場合は観客の前に立ってパフォーマンスするのは箱庭舞台に立つ三体の〝ドール〟だが、それらを動かしている私たち役者はショッピングモール二階の大会議場にいる。遠隔地にいながら、今までは絶対に不可能だった滑らかで激しい動きを、この〝ドール〟は可能にした。
特筆すべきはその外見である。〝ドール〟と言う名の通り、中身は精密機械だが、外側はアニメキャラを模したフィギュアにしたり、マスコット風のぬいぐるみにしたりと、かなり自由が利く。結果、私は私と全く似ても似つかない〝吉良摩耶花〟というキャラになりきることができた。衣装やメイクや芝居だけでは限界がある。だけど〝ドール〟にはそれがない。オペレーターは、いつだって誰だって、なりたいキャラになりきることができるのだ。
さらに、ヘッドホンと一体化した専用ゴーグルを装着することで〝ドール〟と視覚、聴覚を、特殊グローブを手にはめることで触覚までもを共有することが可能。遠隔地にいながら、あたかもその場にいるかのような体験を味わえる。
勿論、受信だけではない。ゴーグルに付属されているヘッドセットマイクはオペレーターの声を拾って加工して、〝ドール〟に内蔵されたスピーカーからキャラクターの声として流される。現実にそこにいる存在としてコミュニケーションを交わすことが可能になる訳だ。もっとも、ショーでは音源に合わせて踊っているだけなのだけども。
「それって、だいぶ前に流行ったVRとは違うの」
髪の先を指で弄りながら言葉を挟む。人に講義を頼んでおいて、もう飽き始めている。
「少し違います。〝ドール〟がいるのは、モニターの中の仮想現実ではなく、私たちが生きているのと地続きの現実世界ですから。言ってみれば、小さな分身を遠隔地に置くみたいな感じです。専門的には〝テレイグジスタンス〟って言うらしいですけどね」自販機で買った紙コップのコーヒーを飲み干しながら説明を続ける。「元々は災害救助や危険地帯での作業、医療用に開発されたロボットで、ショービジネスへの流用は副次的なモノだった筈なんですけど、今や娯楽目的での利用が主流になってしまってるのが皮肉ですね。アメリカでは〝ドール〟だけで構成された舞台がブロードウェイで上演されたりしてるらしいですけど――私ら末端の劇団員には縁のない話です。せいぜい、ショッピングモールのイベントブースでアイドルアニメの疑似ライブをするのが関の山ですよ」
口にする言葉が自虐めいてくる。
必死になってキャラクターの理解をしようとしていたのに。
この仕事に、誇りを持っていたのに。
「……そう? アタシはよく出来たショーだと感じたけどね」
首を傾げながら素直な感想を口にするカイラ。私はそれだけで何となく報われた気分になる。単純なものだ。
「それに、安心したんだよね」
スッと、カイラがサングラスを外す。
空気が変わった。
「そこまで分かってるなら、安心して依頼の話に進める」