第93話 対藍
「まさかお姉ちゃんが囲碁で挑んでくるなんてね」
息を吐き出しながら楓は言った。今、楓のところは混んでいないため、囲碁をやる時間はあるのかもしれない。だが、決着までが長いイメージだった。交代のタイミングまでやっても決着がつかないかもしれない。
そう思い、長丁場になることを踏んで、ほどほどに備えるために、楓は息を吐き出したのだった。
だが、楓の準備とは打って変わって、藍は楓を見ながらキョトンとした表情を浮かべていた。
「そんな高度なゲームやらないわよ」
「そうなの?」
「そうよ。私達がやるのは五目並べのつもりだけど」
藍の言葉に楓はしばしまばたきを繰り返した。今度は楓がキョトンとする番だった。
「そうだったの? 恥ずかしいな。囲碁をやるんだと思ってなんだか張り切っちゃって」
「囲碁だったら他のところ回ったりできないでしょ。それに楓も困るだろうし」
「そうだよね。やらないよね。あはは」
笑って誤魔化してみたものの、今にも顔から火が吹き出しそうなほど、楓の顔は熱くなっていた。
「楓お姉ちゃん顔赤いよ? 大丈夫?」
「大丈夫大丈夫。今日は暑いね」
「そうでもないけど」
「そうかな? 僕は暑く感じるな。ゲームが連戦だからかな」
テキトーな言葉を並べ、疑問そうな表情の紅葉をやり過ごした。
「先攻と後攻はどっちがいい?」
「私は後攻でいいわ」
「本当? 後攻の方が不利だと思うけど」
「いいのよ」
楓は藍の意図はわからなかったが、遠慮せず黒の石を真ん中に置いた。それから、藍は離れた場所に白の石を置いた。
五目並べ。ルールは囲碁よりもシンプルだ。縦横斜め、いずれかで五つの石を並べれば勝ち。
楓は先ほど置いた石の隣に石を置いた。藍はその隣に置く。楓が二個が並んだ状態になった。
ここまではいつもの流れ。シンプルでいて意外と面白い。
それに、選択肢になかったものをわざわざ選んできたのだ。藍には相当自信があると楓は考えていた。
だが、楓は先手。強気に進めても問題ないだろう。盤面の石の数はまだまだ少ない。ここまでなら余裕を持って並べられる。しかし、これ以上増えると急に思考が苦しくなる。
片側が封じられているため、三つ目は連ねず置き、藍は別の場所に置いた。それを見て楓は斜めに二個連なるように置いた。藍はまた意図のわからない置き方をした。まだまだ始まったばかりということもあり、散らばせて置いた方がいいと判断したのかもしれない。
「お姉ちゃんは五目並べ得意なの?」
楓は聞いた。
「普通ぐらいだと思うけど、どうして?」
「単純に気になっただけ。囲碁盤なんてないかもしれなかったのに聞いてきたから」
「確かに、ないものを選べば、選んだ理由は知りたいと思うかもね。でも、私が五目並べを選んだ理由は、しいて言えばやりたかったからかな」
「そっか」
藍は五目並べに特別自信があるわけではないらしかった。楓の記憶の中でもそうだった。
だが、楓の手は手遅れになる前に封じるものの、余裕があるタイミングでは距離を取って置いていくばかり。詳しくない楓には、作戦なのか、デタラメに置いているだけなのか判断できなかった。
三つならばデタラメでも何とかなるかもしれないが、五つとなるとそうはいかない気がした。
「そうだ。逆に楓は五目並べ得意なの?」
「僕も普通ぐらいだよ。さっきも言ったけど、僕の実力は中級だからね」
「でも、ルールを知ってる人用の場所なら、五目並べの禁じ手も知ってるよね?」
「禁じ手?」
楓はパッと思い当たらなかった。
しかし、すぐに何のことか思い当たった。練習の時に五目並べをやっていたのだ。そこで何か言っていたような気がして、楓は一度手を止めた。盤面を見てもまだ五つ揃っていることはなく、加えて、藍の石が四つ並んでいるのを見過ごしているわけでもない。
「知らなかった?」
「ちょっと思い出せない」
「でも、ルールは守られてるよ」
「そう? えーと確か、黒の時だけなんだっけ?」
「そうそう。三つの並びが二つか四つの並びが二つ同時がダメで、あとは六つ以上つなげるのに気をつければ大丈夫だよ」
「なるほど、わかった。ありがとう」
「いえいえ」
禁じ手をしっかりと把握していなかった楓は、五目並べのルールも知っていると思っていたがそうではなかった。
確認してみると藍の言う通り、盤面には当てはまりそうな並びはなかった。だが、三つの並びを同時に二つなら簡単にできてしまいそうだ。先手の有利を補うためのルールと考えると合点がいく。
お互い三つをスルーした時点で負けは負けだ。三つになったらば、すぐさま潰さなければ負ける。
そんな綱渡りのゲームで、先に動けるというのは、やはり大きなアドバンテージになる。
「楓、向日葵ちゃんとはあの後どうなの?」
楓の考えなければいけなくなったことが増えてからも藍の言葉は止まらなかった。
これは心理戦。言葉遊びも一つの作戦。無視することもできたが、今は店員と客のような関係。無視はできなかった。
「どうって?」
「ほら、夏休みが明けて、それで今は文化祭でしょ? 準備中に一つや二つのアクシデントでもなかった?」
「そんなのないよ」
「そう? 友達の絵を手伝ってたんでしょ? あれ、描いたのも描かれてるのも友達って言い方じゃなかった? その時も何もなかったの?」
「ないって。いや、あったか」
「何があったの?」
興味津々といった様子で聞いてくる藍に、楓は思い当たったことを話すことにした。
話したのは椿が不調になった時のこととそれから復帰した時のことだ。
それから、盤面に石が増えすぎる前に話を終えた方がいいだろうと考え、夏休みが終わってからの出来事で目ぼしいことも聞かれるより先に話しておいた。
「私と遊んでる時は話してくれなかったのに」
楓が話し終えると、抗議するように紅葉が言った。
「いや、紅葉はゲームに集中してたからさ」
「そうだけど、ちょっとぐらい話してくれてもよかったじゃん」
「楓も余裕がなかったんじゃない?」
藍の助け舟に楓は頷いた。
「そうだよ。僕も余裕なかったんだよ。だから、次やるときは雑談でも交えながらやろうね」
「うん。あれ? でも、私達がやったのババ抜きだよ? 五目並べより簡単じゃない?」
「うっ」
痛いところつかれたと思い、楓はうめいた。だが、仕方がない。
「自分のことって話すの照れるじゃん? そういう意味で、ね?」
「そうよ。今も余裕がないのも、照れるのも本当らしいし、昔から楓って顔に出やすいタイプだったもんね」
「確かに、嘘はついてなさそう」
「本当?」
楓は咄嗟に顔に触れた。
しかし、鏡を見たわけでもないため、どうなっているのかはわからない。
人から見て指摘されるならそうなのかもしれないし、違うかもしれない。ハッタリか、それとも本当か。だが、言われてから、はにかんでいたことに気づいたような気もした。
「楓の番よ」
「ごめんごめん」
話に気を取られていたため、すっかり呆けていたが、楓は盤面に向き直った。
白の並びで三つが一つになっていることに気づいて、楓は黒で埋めた。
五目並べは凡ミスで勝ちを取られることも多かったが、今回はそこそこ長く続いていた。
話に気を取られていたのは、楓だけではなかったということだろうか。
「残念ね」
白を置いたことで二つ二つの並びがつながり五つになった。
「いつの間に」
「だから言ったでしょ。余裕がなくなっているのは本当みたいって」
ニヤリと笑う藍。
楓は無意識的に、直接つながっていないものを思考から外してしまっていた。会話は作戦だったようで、まんまと乗せられてしまったらしかった。
調子のよさは本番前に使い果たしてしまったのか、向日葵に吸い取られたのか、楓は三連敗を喫した。
楓とは打って変わって向日葵は、いつものことのように、一度に二人を相手にしながら連勝記録を伸ばしていた。
「お姉ちゃんは景品いる?」
楓は見上げるように藍に聞いた。
「もちろんいるわよ」
藍の言葉を受け、楓は景品の入れ物を差し出した。すると、藍は何にするか決まっていたようにすぐに手を伸ばし、目的の物を取り出した。
「これにするわ。紅葉のと色違いみたいなのだから」
藍が取り出した人形を見て、思い当たるものがあり、楓は景品の入れ物を探った。桜が持っていった楓の人形。そして、それに似た紅葉の選んだ人形と藍の選んだ人形。楓の予想が正しければ、今紅葉が持っている笑顔の方が桜で、藍が持つ澄ましている方が椿だろう。ならば、と必死になって探した。だが、何も見つからなかった。
「どうかしたの?」
「いや、何かあるかなと思ったんだけど、気のせいだったみたい」
「そう?」
楓は景品の入れ物を片し、囲碁盤も片した。
「それじゃあこれでおしまい。ありがとうございました」
「楽しかったわよ」
「私も楽しかった」
笑顔の二人を見ると、楓は自然と笑顔になった。
「それならよかった」
「楓お姉ちゃんがよければなんだけど、交代したら私達と回らない?」
紅葉の言葉に、楓は大きく目を見開いてから、すぐに視線を泳がせた。どうするか迷う究極の選択だった。楓は向日葵と約束している。だが、姉妹仲良く文化祭を回るのもきっと楽しいだろう。夏祭りではほとんどできなかったことだ。
しかし、楓は首を横に振った。視線をさまよわせたのは、何も迷ったからだけではなかった。意思を確認するために向日葵を見たのだ。
「ごめん。交代してからでも今回は一緒に回れないんだ。せっかくだから二人で楽しんできてよ」
「そっか。残念」
「仕方ないわよ。楓にも色々あるのよ。きっと、ね?」
「ま、まあね。ほら、僕とじゃなくても朝ちゃんと一緒に回るとかもできると思うから」
「誤魔化さなくてもいいわよ。姉妹でしょ。何しようとしてるのかくらいわかるわよ。それじゃあ色々とがんばってね楓。行くわよ紅葉」
「うん。楓お姉ちゃんがんばってね」
「がんばる」
ガッツポーズを作って去っていく姉妹に答えて、楓は気合を入れた。
今日はまだまだ始まったばかり。想像以上に向日葵の人気がすごいが、向日葵ばかりにも任せていられない。
楓は再び立ち上がって入り口に向けて声をかけた。




