第92話 対紅葉
「何って文化祭に遊びに来たんだよ」
こともなげに言ってのける妹を前に、楓はしばらくまばたきを繰り返した。
紅葉は文化祭に遊びに来ている。確かにその通りなのだろう。事実、紅葉は楓の所属する学校を訪れ、楓のクラスにやって来て目の前に座っているのだ。これを遊びに来ていると呼ばずしてなんと呼ぶのか。
だが、楓はその言葉が飲み込めなかった。第一、そんな話を聞いていなかった。もしかしたら他人の空似とか、ドッキリとかそういう類のものではないかと思い頭を抱えた。
しかし、そんな思考は風が吹くように消えた。
「楓、何してるの? もしかして頭痛いの?」
紅葉に続き楓のところまで来た後ろ女性は楓の姉の藍だった。
「お姉ちゃんまで?」
桜の相手に一苦労して気を取られていたとはいえ、完全に油断していたと思った。家族を前にしても家族だと気づかないほど、今の自分の視野が狭くなっていることに気付かされた。
加えて、連続して知り合いが来たことで、自分は人相が悪いのかもしれないと楓は考えてしまった。すぐに、そこまでで思考を止め、頭を振った。
「聞いてないんだけど」
楓は素直に切り出した。
すると、紅葉はにっこり笑った。
「サプライズだよ。びっくりした?」
「びっくりもびっくりだよ」
「去年も来たんだから今年も来るに決まってるじゃん」
「藍お姉ちゃんはわからないかもしれないけど、私達にはわかるの。ね、楓お姉ちゃん?」
「うん。連絡なかったから来ないかと思ってたよ。何にしても来てくれて嬉しいよ。でも、よく来られたね」
「まあね。休日だし、帰って来られないわけじゃないからね。それにしてもすごいね。入り口から凝ってるし、ポスターの絵も上手だったし」
「でしょ? あれ僕の友達が描いた絵なんだよ」
「本当に? 通りで楓お姉ちゃんに似てるわけだね」
「あ、あはは。そこまでわかる?」
「うん。楓お姉ちゃんっぽさが出てた」
「そうかな?」
楓は照れて頭をかいた。友達のことだが自分のことのように嬉しかった。自分っぽさって何だろうと思ったが、恥ずかしくてそれ以上は聞けなかった。
「お姉ちゃんを省かないでー」
「別に省いてないよ。お姉ちゃんは紅葉の後でね」
泣き言を言う藍をなだめながら、楓はゲームを机の上に並べた。
「一応確認だけど、ここで何をするかはわかってる?」
「案内の人から聞いただけだけど、ここではゲームするんでしょ?」
「そう。それだけわかってたら大丈夫だよ。どれか遊びたいのある?」
丁寧にかつ、できるだけ多くのゲームを楓は机に乗せた。腕を広げながら楓は聞いた。すると、腕を組み、うーんと唸るようにしながら、紅葉は考え込んでいるようだった。しかし、そんな様子を見ているだけで、こんなすぐに妹の姿を再び見られるとは、考えていなかった楓は心が休まる思いだった。
「これにする」
「トランプでいいの?」
「うん。久しぶりに楓お姉ちゃんとババ抜きしたい」
「わかった。じゃあババ抜きやろっか」
楓は紅葉の指定通り準備を進めた。ジョーカーを一枚除き、カードを丁寧にカットアンドシャッフル。続けて、楓を先に交互にカードを配った。
配るカードがなくなってすぐ手札を見る。ババは楓の手の中にあった。
一対一のババ抜きでは、どちらかしかババを持たない。そのため、誰が持っているかではなく、どこにあるかという心理戦だ。
組みになるカードをぱっぱと場に出し、楓七枚、紅葉六枚からのゲームスタートとなった。
「私からでいい?」
「いいよ」
楓は特に工夫をしないで手札を持ち、紅葉が引きやすいように前に出した。
紅葉はカードの上で指を左右に動かしながら、楓の表情を確かめるように見ていた。
だが、楓はどの札の時も笑顔を浮かべていた。ポーカーフェイスではなく単なる喜びからくる笑顔だった。紅葉のベタ惚れの楓は油断すると頬がほころんでしまっていた。
油断しているのは、真剣にゲームに取り組んでいないのではなく、そのままにした方が有利に働くと判断してだった。
事実、ゆっくりと一枚ずつ指を止め、楓の表情をうかがっている紅葉は眉を寄せていた。
「二人でどれにするか決めてもいいよ?」
楓は助言のつもりで紅葉に言った。
「そう? じゃあ、ここはすぐに選んだ方がいいんじゃない? どれだって変わらないと思うけど」
楓の言葉に答えたのは藍だった。
「お姉ちゃんうるさい。藍お姉ちゃんは、ゲームになるとそうやってテキトーなんだから」
「楽しむのが一番でしょ? 回数こなした方が楽しいと思うけど」
「私はゆっくりでも勝った方が楽しいの」
「まあまあ。今はまだ手札も多いから、ババを抜く確率の方が低いし、お姉ちゃんの言う通りこれだと思うものを引けばいいんじゃない?」
二人を落ち着けるように楓は言った。
「そうだね」
楓の言葉に頷くと、紅葉はパッと楓から見て右から三番目のカードを取った。
そのカードはスペードのK。
隣だったならババだったが、引かれなかったものは仕方がない。楓六枚、紅葉五枚。
「よしっ」
と言って喜ぶ紅葉を視界に収めて、楓は紅葉から一枚カードを取った。ババを持っている楓はどれを取っても同じことだ。必ず組みになる。揃った二枚を場に出し、楓五枚、紅葉四枚。
次のターンも楓の言葉通り、紅葉はカードを素早く選んだ。
楓はカードが完全に手から離れてから目を見開いた。
「ああー」
紅葉が引いたのはババだった。楓四枚、紅葉五枚。形勢逆転に楓は思わずニヤリと笑った。
「勝負はまだわからないよ」
一度はうなだれたものの、紅葉は威勢よく言ってのけた。そして、左に二枚、右に三枚にカードをわけて持り前に出した。
持ち方を工夫する時、カードを一枚だけ上に出すのだと思っていただけに、楓は虚をつかれた。
だが、やることは変わらない。この中からババを避けて一枚を選ぶだけ。迷わずさっと紅葉の左手から一枚カードを抜き取った。
ビンゴ。楓は手札を場に出す。楓三枚、紅葉四枚。
「うぅ」
という紅葉の唸りを聞きながら、楓は手札を前に出した。
スッととる紅葉。そして、組みになったカードを場に出す。楓二枚、紅葉三枚。
今度の紅葉はカードを先ほど楓が考えたように一枚ひょっこりと上に出した。
ババかそれ以外か。
「それはババかな?」
楓はあえて聞いてみた。
「どうだろうね。私のこれまではどうだったかな?」
追い詰められているはずだが、あくまで余裕しゃくしゃくという態度で紅葉は言った。
紅葉の言葉に促され、楓は記憶を探った。その中で上に出ているカードを引いた時は、ほとんどの場合ババだった。今回もババか、それとも今回はババではないか。上に出せば引くと思われているからこそのババか。
楓は高くなっている一枚の右隣を選んだ。上がっている一枚がババという読みだった。
「なっ」
「やった」
お互いの声がほとんど同時に漏れた。
楓が引いたのはババ。紅葉を信じていれば、ババでなかったということ。楓三枚、紅葉二枚。
してやられた。と思い、今度は楓が一枚を高くした。
「ふーん。なるほどね」
しかし、楓の行動に動揺する様子を見せずに紅葉は言った。
「これが何かわかるの?」
「まあね」
嘘か誠かわからない。しかし、紅葉は迷うことなくカードを手に取ると、すぐに場にカードを出した。
紅葉の残り手札は一枚。楓は二枚。そして楓の引くターン。
読み合いではなく、確実な敗北。
楓は諦めて紅葉のカードを引いた。
「私の勝ちー」
満面の笑みで紅葉は言った。
どうやら紅葉としては勝つことが楽しいというのは本当らしい。
「紅葉強いね」
「えへへ。そうでしょ。よくあることをわざと外せば、さすがに表情も崩れると思ったけど、予想通りだったね」
「やっぱり顔に出ちゃってたか」
楓は顔をかいた。だが、嬉しそうに笑う紅葉を見ていれば、負けの悔しさよりも一緒にババ抜きをできた楽しさの方が勝っていた。
「じゃあ聞いてると思うけど、景品をどうぞ」
「うーん。どれにしようかな?」
「あんまり手の込んだものはないかもしれないね。もしいらなければ、無理に持ち帰らなくてもいいからね」
「ううん。戦利品は欲しい。そーだなーじゃあ、この人形にする」
「それでいいの?」
「うん。これがいい」
紅葉は一つの人形が気に入ったらしく手に取っていた。それは、楓にとってどこか見覚えのあるような形状のぬいぐるみのように見えた。
引っかかったが、すぐには思い出せず、楓は紅葉から景品の箱を返してもらった。
「次は私の番ね」
やっとかといった様子で腕を回しながら、紅葉と交代で藍が席についた。
紅葉に負けたことで桜に続けてまさかの二連敗に、楓は少し焦りを感じていた。もしかしたらずるずるいくというのは、予想通りだったのかもしれない。
これ以上負けては面目が立たないというもの。楓も藍を真似て腕を回した。
「楓。さっきの試合、妹が相手だからって手加減してないでしょうね」
「してないよ」
「本当? あんな簡単に負けるなんて楓らしくないけど」
「いやいや、僕のことをなんだと思ってるのさ。ほら、これ見てよ僕の実力は中級だよ?」
楓は自分の実力表示を指さしながら言った。
自慢できることではないが、今の実力が急に変わるものでもない。
白熱した戦いを繰り広げ、時折歓声が上がる向日葵のレベルには、一朝一夕では到底至らないのだ。
「そう。私は楓がもっと向上心のある子だと思ってたんだけどね」
「お姉ちゃんどうしちゃったの?」
楓は藍ではなく紅葉に聞いた。
「さあ、私がテキトーって言ったから火がついちゃったのかな?」
肩をすくめてみせる紅葉。
目から火が燃え上がるような、そんな暑苦しさを感じながら、楓はトランプを箱に戻してからゲームを並べた。
「どれにする?」
「囲碁盤ってないの?」
「えっ、あったと思うけど」
机に並べたゲームを片してから、楓は後ろを振り向いた。
囲碁は実力こそ中級になっているが、楓の中でも苦手意識の強いゲームだった。
ルールを知らない人が多いことである程度できることになっていたが、少し詳しい相手には手も足も出なかった。家でもそこまでやった記憶がない。
半分に折るタイプの囲碁盤を広げ楓は机の上に設置した。それから、白と黒の石が入った碁笥二つを盤の上に置いた。
「そうこなくっちゃ」
自信ありげな藍の笑みに、楓は身震いした。




