第75話 事後処理
ひんやりとした感覚がして目を開けた。
あくびをかみ殺し、辺りを見回す。
なんだか気持ち悪い感触がして、体についたものを指でなぞる。
どういうわけかくっついてくる。
水ではないらしかった。
場所は屋敷の屋上。
「屋上!?」
屋敷には屋根があったはずで、人がゆっくりと横になれる場所はなかったはずだった。
そもそも向日葵は楓の部屋にいたはずだった。
痛みがあって以降のことを、よく思い出せなかった。
何があってこの状況につながるのか理解できなかった。
向日葵はすべりそうな足元に気をつけて立ち上がると、辺りを見回して見る。
何もないはずの屋上に二つの人影。
ベッドの上で重なり合っている。
向日葵には両方に見覚えがあった。
下敷きになっている方が楓で、のしかかっている方が朝顔。
瞬間に、何かまずいことが起こっていることを悟って、向日葵は粘液を吹き飛ばして駆け出した。
「何してるの二人は! ねえ、何してるの!」
向日葵は叫んだ。
朝顔が気づいたようにピクリと動いた。
体を起こしてキョロキョロすると、我に返ったように立ち上がった。
「ひま姉。これはその、私を戻すためにかえ姉がやってくれたことなの」
口元を拭いながら朝顔は言った。
雰囲気やしゃべり方が戻っていることに気づき、楓が襲われているわけではない。いや、襲われていたが、問題ない。とにかく、問題は解決したような気がした。
とうの楓はと言うと、ベッドの上で目を回していた。
やはり大問題だ。
「とうとう私の真の力を開放して、楓ちゃんを朝顔の魔の手から開放しないといけないんだね?」
「いや、終わったよ。その、こんなことになっちゃったけど」
もじもじして頬を赤らめながら朝顔が言った。
やはり何かあったらしい。
どうしてこうなっているのかはわからなくても、朝顔の態度を見ていればわかる。
「楓ちゃんは私の彼女だよ!」
向日葵は精一杯叫んだ。
パチパチと目をしばたかせる。
うんと思い切り体を伸ばす。
と言っても、そこまで広々としていない。
いつもの光景。
楓自身の部屋だった。
服も着替えさせられており、肌もさっぱりした感覚があった。
朝顔に頼まれた通りにしたはずだったが、うまくいったのだろうかと楓は思った。
もしかしたらうまくいかず、そっくりな部屋に閉じ込められたのだろうか。
「あ、楓ちゃん目を覚ましたんだね」
横から顔をのぞかせたのは向日葵。
「向日葵がいるってことは、ここは正真正銘僕の部屋?」
「そうだよ? 何おかしなこと言ってるの?」
「いや、ここにどうしているのかわからなくて」
「ああ、その気持ちはわかるよ」
しきりに向日葵が頷いている。
楓は首をかしげた。
「でも、それを語るのは私じゃないかな」
と言って向日葵がどくと、後ろに茜の姿があった。
茜はどうやら体調が戻ったようで、笑顔でピースを向けてきた。
「もう大丈夫なの?」
「うん。おかげさまでね」
そして、茜が少しずれると、後ろから申し訳なさそうに体を小さくしている朝顔がはみ出してきた。
「朝ちゃん? ええと、その……」
楓は咄嗟に体を起こしたものの、頬をかいた。
次の言葉が続かなかった。
「私としては楓ちゃんからもしっかり話を聞きたいけど、今は朝顔が話してくれるみたいだよ」
向日葵の厳しい視線。
楓は自分が何をしたのかを思い出した。
そして、どうやら向日葵にも知られたことを知った。
冷や汗が出る中、楓は朝顔に顔を向けた。
「その、今回はごめんなさい。朝顔の暴走にかえ姉を巻き込んでしまって」
朝顔が頭を下げて言った。
「朝ちゃんは無事だったの?」
「朝顔は無事ですよ?」
不思議そうに朝顔は首をかしげた。
「ならよかった」
「どうして朝顔のことを責めないんですか?」
「いや、怖かったし、なんだか色々大変だったけど、万事解決ならいいんじゃない? 単に、触手を出したのが朝ちゃんだから、暴走していたとはいえ負担はなかったのかなって思って聞いたんだけど」
「はい。それは大丈夫ですよ。もう朝顔の一部じゃなかったので。でも、朝顔はかえ姉を見送ってから、色々と仲違いさせて、頼れるのは朝顔しかいない状況を作ろうとしてたんですよ?」
「悪いと思って反省してるんでしょ?」
「はい。やり方が間違ってたと思います」
「じゃあ、次からは別のやり方で誘ってきてよ」
楓は笑顔で言った。
「いいんですか?」
「うん。僕も一人は寂しいからね。これからも仲良くしてね」
「はい!」
朝顔も笑顔が弾けた。
よかったよかったと楓は頷いた。
「しゃべり方戻した方がいいかな?」
「今のままのかえ姉でいてください」
「じゃあそうするよ」
楓は閉じ込めようとしてきたり、怪我をさせられたりした相手を許せるとは思っていなかった。
それでも無事だったのだ。何も問題はないだろう。
それに、茜の時のことも考えれば、茜よりも感情に慣れていない朝顔に対しては、大目に見てあげる気にもなった。
しかし、楓は少し照れ臭かった。
ふれあいに慣れてきたのか、朝顔に手を取られ、今のままでいてくれと言われたからだった。
まだまだ未熟なのに、今のままでいいのかな、と楓は思った。
「ちょっといいかな? 誘ってって言ってるけど、私がいるんだよ?」
向日葵が恨めしげに言った。
「わかってるよ。別に向日葵と縁を切るなんて言ってないじゃん」
「でも、楓ちゃんは他の子とイチャイチャしすぎなの!」
「そうかな?」
「そうだよ。もっと私と遊んでよ。朝顔とだってちゅっちゅっちゅっちゅって」
「そんなにしてないでしょ。それに、あれは朝ちゃんに頼まれたからで」
「頼まれたらするの? 頼まれたら場所も選ばずにするの?」
迫り来る向日葵に楓は思わず身をひいた。
どうやら納得していないらしい。
楓も頼まれたからして、触手が消えたことで満足していたが、理由を聞いていなかったことを思い出した。
「ねえ、朝ちゃん。あそこで僕に頼んだのはなんで?」
「逃げた!」
「その、まだ仮説なんですけど。朝顔がかえ姉とキスすると、人格と言うか神格のようなものが入れ替わるのかなって」
指を突き合わせながら朝顔が言った。
「つまり、今まで不定期で調子が変わるものは、中身が入れ替わっていたもので、それが楓とのキスで確実に起こるってこと?」
茜が聞いた。
「多分。だから、今の朝顔に戻るために二回キスしてもらったの。わかってひま姉」
「うーん。そんな馬鹿な」
向日葵が不服そうなのが楓には手に取るようにわかった。
「じゃあ、試してみればいいんじゃない?」
冗談めかして言う茜に向日葵はぶんぶんと首を横に振った。
「やめとこう」
「その方がいいと思う。今は戻れたからいいけど、まだ仮説だし。あか姉も病み上がりだし」
「じゃあ、納得するしかないんじゃない?」
「うん」
結局、今実際に試してみるわけにもいかず、向日葵は納得するしかなかった。
朝顔の件はこれにて一件落着とあいなった。
「それにしても、楓が朝顔ちゃんの部屋に入った後、タイミングよく人格が変わった原因はわからないの?」
茜に聞かれ朝顔は頷いた。
「うん。心当たりはないから、不定期でも変わるんだと思う」
朝顔は答えた。
楓を休めるため、朝顔、向日葵、茜は屋敷に戻った。
屋敷の惨状も能力を使えば何もなかったように元に戻る。
急造した屋上すら元通りの屋根に戻る。
なんだか物悲しく思いながら、朝顔は屋根を眺めていた。
屋敷を直すと、三人はそれぞれの部屋にわかれた。
朝顔は部屋に入ってまず、触手の残骸を外からも監視できる封印の箱に閉じ込めた。
記憶は共有していなくとも、意識は共有しているのか、しっかりと触手を破壊してくれたようで安心していた。
全て破壊し尽くすつもりだったが、残ってしまったのか、壊しきれなかったのか、何にしても以後暴走しないように見張っておくつもりだった。
能力で出した生物に近いものを、消滅させずに残したままだと、生きたようになってしまう。
ちゃんと後処理をしなくてはならないと学んだ。
だが、物でも多大な影響を与えるのかもしれない。
茜には心当たりがないと言った朝顔だが、少し、ほんの少し心にわだかまりがあった。
実際にその物を作り出す。
楓そっくりの人形。
自らのダミーのように扱えば動かすこともできるが、所詮マリオネット。本物の温もりはない。
記憶を頼りに本物を再現できても、それは過去の姿。言ってしまえば立体的に見るビデオでしかない。
しかし、その多大な影響の可能性は、この人形にあると朝顔は考えていた。
人形になら気にせずに触れられる。
撫でたり、撫でてもらったりもできる。
なんならキスだって。
しかし、それが元凶かもしれない。部屋が楓の写真に包まれてすぐ、朝顔は楓の人形を作り出した。温もりはなくとも、写真とはずいぶん違った。緊張していた。それでも、慣れるために触れた。そして、いずれするだろう練習としてキスもした。
それ以降から、楓にキスされるまで、意識が水の中にいる時に呼びかけられているように、はっきりとしなかった。
今までも時たまあった。
体が動いている感覚はあるものの眠った状態の時が。
「まさかね」
朝顔は人形を消した。
もう必要ない。
したくなったら、向日葵の目を盗んで、直接本人に頼みに行けばいいのだ。
もし、人格が入れ替わっても、きっともう一人もしたいはずだから、また戻ってこられる。
感受性豊かで力の強いもう一人。
今は静かに眠っていてもらおう。




