第69話 壁に追い詰められ
楓は朝顔が何をしようとしているのかわからず、されるがままに腹を押され続けると、背中に壁が当たった。
やはり逃さないためかと思うと、朝顔は両手を壁に叩きつけ、楓の顔を見上げた。
「これはどういうこと?」
楓は聞いた。
「壁ドンって聞いたんだけど」
朝顔が言った。
「多分身長が足りないんじゃない?」
「足りない?」
「うん。高い方が低い方にするイメージ」
「じゃあ、しゃがんで」
朝顔はペコペコと手招きするように動かした。
朝顔から時間稼ぎに乗ってくれるのなら、と楓は朝顔を見上げる状態までしゃがんだ。
仕切り直しとばかりに、こほんと咳払いしてから、朝顔は再び両手を壁に叩きつけた。
今度は楓にも圧迫感があった。
まさか、される側になるとはと楓は思いながら、続きを待つ楓。もちろん、したこともない。
時間稼ぎのつもりが、追い詰められているのではと思ってしまった。
身動きがほとんど取れず、体勢的にも朝顔が優位。
様子見ということで、楓は朝顔の顔の観察を始めた。
整った顔立ち、大きい目、上から下に目線を向けていると、朝顔が何かを言おうと口をもごもごしていることに気づいた。
なんだろうと思い見つめていると、朝顔が口を開いたところで、部屋のドアが開かれた。
家族に年下に壁ドンされる趣味のあるロリコンだと思われると身構えたものの、ズカズカと中に入って来たのは茜。
「あ、茜ちゃん? 無事だったの?」
楓は声を漏らした。
「あか姉もしつこいな。今いいところなのに」
苛立ちながら朝顔が言った。
しかし、壁ドンの体勢は崩さない。
「しつこい姉でごめんなさいね。でも、今の朝顔ちゃんを朝顔ちゃんだとは思わないことにしたから。それに、楓を連れ去らないところを見るに、私の予想は当たりだったようね」
茜は腕を組みながら堂々と言った。
「予想?」
「そうよ。まあ、とりあえず帰ってもらおうかしら」
茜は組んでいた腕をほどいて、朝顔に向けて突き出した。
朝顔も壁ドンしている場合じゃないと思ったのか、茜に向き直り臨戦態勢を取った。
だが、楓の方を向いていた朝顔の方が反応が遅れた。茜の能力によるものか、向日葵がやられたように一瞬にして朝顔の姿が消えた。
茜はふふと笑っていたが、頬から血が滴っていた。
「茜ちゃん? 血が」
「そりゃそうよ。これは人の体だもの。出血ぐらいするわ。ただ、すぐに治るわ」
茜は手に光をまとわせると、頬を覆い傷をすぐさま治した。
「でも、どうして?」
「最後の最後で抜け目なく攻撃してくるんだもの。困った妹ね」
「攻撃してたの? 全く見えなかったけど」
「そうでしょうね。あれは人の目じゃ追えないと思うわ」
「そもそも朝ちゃんは何も持っていなかったんじゃ」
「朝顔ちゃんは服を色々なものに変化させて攻撃するのよ。私の制限の穴をついたってところかしら」
関心している場合だろうかと思ったが、楓は次を促す言葉が思いつかなかった。
「そろそろ私を出してほしいんだけど!」
キーキーとした声で、茜の体から音が響いた。
つんざくような音に、楓は耳を押さえていた。
「今のは?」
楓は聞いた。
「向日葵ちゃんよ。急に現れたから驚いたけど、とりあえず連れてきたわ」
茜が言った。
「とりあえずって何よ!」
茜は、向こう側が透けて見える薄緑色の立方体をポケットから取り出した。
サイコロのようなそれの中では、人型の何かが必死になって壁を叩いていた。
茜の言葉が本当ならば、箱の中のミニチュアの人形のようなものが向日葵ということらしい。
「これ、本当に向日葵? 小さくなれたってこと?」
「違うわよ。向日葵ちゃんの見た目のルールは、私が作ってるってこと忘れてない?」
「なるほど」
楓は手を打った。
どうやら、向日葵が自分で姿を変えることはできないが、茜が向日葵の姿を変えることは可能らしい。
向日葵は小さくなり、茜は頬を傷つけられたが、全員戻ってくることができたようで楓は胸を撫で下ろした。
「ホッとしてるところ悪いけど、とりあえず整理したいから、甘味でも取りながらお話ししましょう」
茜の提案に楓は固まった。
「え、でも今食べたら太るんじゃ」
「エネルギーは取っておける時に取っておくのよ」
結局楓は茜に流され、テーブルにお菓子を並べて座った。
リビングに取りに行った時に、珍しいといった様子で驚いた顔を母に浮かべられたが、
「向日葵が泊まっているから」
と誤魔化した。
「別にダメなんて言ってないわよ」
と母に言われ、
「そうでした」
と苦笑いをして、自意識過剰を恥じ、そそくさと出てきたのだった。
太ることを気にしているのは、ここでは自分だけかもしれないと楓は思った。
「それで、どうして茜ちゃんが向日葵を連れてるの?」
楓は聞いた。
「封印されてるみたいだけど、そのままにするわけにはいかないし持ち帰ってきたわ」
茜が言った。
「そう! 夏目家で何をしてたのかわからないけど、茜ちゃんは無事だったの?」
「ええ」
茜は当時のことを語り出した。
茜は朝顔の部屋で両腕をつられていた。
朝顔はすでに勝った気でいるらしく、茜を置いて部屋を出る腹づもりらしかった。
しかし、茜は拘束する触手を腕を下げるようにして、いとも簡単に引きちぎってみせた。
「私をこれくらいで拘束できたと思うなんて、今は楓に夢中で周りが見えてないのかしら」
茜は言った。
拘束をとくと、手をぶらぶらと軽く揺らしてストレッチを始めた。
「な!」
朝顔は声を漏らした。
「驚いてるの? でも、それもプログラムの範疇なんでしょ? 私にはわかってたわよ。あなたが本物の朝顔じゃないって、ヒントを与えていたのだけど気づかなかった? 自分がちゃんづけで呼ばれていないって」
「そんな……」
「馬鹿なって? わかるわよ。姉だもの。本体は家に行ってるんでしょ? そういう意味では私はやっぱり誘い込まれていたのね。直接来ることは読まれていた。案外先が見通せないのも困りものね」
「でも、もう遅いわ。これでドアを閉めてしまえばあか姉は外に出ることはできない」
朝顔は言いながらドアを押した。
だが、顔を真っ赤にして押しても、ドアはびくともしなかった。
「どうしたの? 閉められないの? そうよね。本体にそんな余裕はないわよ。だって……」
茜は息をのんだ。
茜の言葉をさえぎるように、突然目の前に緑色の箱が現れたからだ。
「助けてお姉ちゃん!」
箱を中から叩きながら助けを求めてきていた。
中にいるのは向日葵。
「どうして向日葵がここに? それにこの箱は……そういうことね」
少しの思案で茜は状況を理解し、事態が急を要することを悟った。
向日葵の背後ではドアを閉められないながらも、不敵な笑みを浮かべている朝顔の姿。
完全に朝顔の手のひらの上で踊らされていたらしい。
これ以上嘲笑しても何も出てこないと判断し、茜は偽物の朝顔を弾き飛ばした。
「助けて!」
再度の向日葵の声に茜は首を横に振った。
「向日葵には悪いけど、ごめんね。今はちょっと難しいから、楓の家に戻ってからね」
「そう! 楓ちゃんがピンチなの。私は能力封印の箱に閉じ込められて、朝顔が来てて」
「わかってるわ」
しどろもどろな向日葵の言葉に頷いて、茜は向日葵と箱を小さくだけすると楓の家をイメージした。
「というのが、ことのあらましかしら。恐らく私の行動が読まれていたのね。朝顔の部屋に置かれていたのはダミーだったの。つまり、部屋はもぬけの殻だったわ。気づくまでに警戒や探索などで時間がかかってしまったの」
茜が申し訳なさそうに言った。
そんな茜に、楓は首を横に振った。
「茜が気にすることじゃないよ。分早かったと思うしね。ありがとう」
と楓は言った。
「褒められるようなことじゃないわ」
そう言いつつも、茜ははにかんでいた。
実際、茜が来ていなかったら、楓はどうなっていたかわからなかった。
時間稼ぎをして考えても、状況を打破する策は思いついていなかった。
「ねえ、私のこと忘れてない? 私もお菓子食べたいんだけど! しゃべってないで私を出して!」
向日葵が箱の中から抗議した。
これはこれでかわいいなと楓は思った。
一家に一人、ミニ向日葵。ありかもしれないと思いつつ楓は首を横に振った。
ダメだ。どうせならば独り占めしたい。
そうじゃない。楓は思考を振り払った。
「向日葵のことは助けられるの?」
楓は聞いた。
「ええ」
茜はこともなげに言うと、立方体を握りしめた。
しかし、態度とは打って変わって、立方体にはなかなか変化が現れなかった。
「本当に……」
「静かに!」
楓は聞こうとして、箱の中から向日葵に止められた。
今楓にできることはだまって見ていることだと悟った。
たとえ変化が少なくとも。
じっと観察していると、スキマから見える立方体に少しずつヒビが入っているのが見て取れた。
少しずつパキッパキッと音を立て、楓にも封印が破壊されていることがわかった。
最後に大きく破砕音が部屋に響いたことで、楓は箱が破壊できたことを確信した。
茜は小さな向日葵をゆっくりと床に下ろし、頭を小突いたように見えた。
すると、みるみるうちにいつもの大きさの向日葵に戻っていった。
「やっぱりこの姿が落ち着くわ」
向日葵が言った。
体の大きさが戻ったことで、声も戻ったようだった。
「よかった。よかったよ」
今度は楓が向日葵に抱きつく番だった。
すぐに立ち上がると、楓は勢いよく向日葵の体に腕を回した。
そして、涙をにじませながら、向日葵の肩に顔をうずめた。
「そんな大袈裟だよ。私ならこの体がダメになってもなんとかなるんだから」
笑いながら向日葵は言った。
「ダメだよ。そんなこと言っちゃ。大切にしないと」
楓は向日葵の顔を見て言うと、再び肩に顔をうずめた。
「わかるけど、楓ちゃんが泣くことないでしょ」
「そんなことないよ。封印されたって聞いて、どうしたらいいかわからなくなったんだから。切羽詰まってて表には出なかったけど、向日葵が思ってるよりずっと不安だったんだよ」
半ば押し付けがましくなっていることに気がつきながらも、楓はそのまま向日葵の肩で泣いた。
感情を押し流すようにしばらくそうしていた。




