第68話 待機/侵入
家に向日葵が居て、一緒に遊んでいる。待ち望んでいた状況のはずが、楓は緊張でろくに楽しむことができないでいた。
向日葵に緊張しているのではなかった。
もちろん、女子を前にする緊張は未だゼロになったわけではない。
そうではなく、いつ朝顔が来るとも限らない状況に気が抜けなかった。
触手が窓に穴を開けて以降は、朝顔に動きは見られなかった。
茜が足止めをしているのか、苦戦しているのか確認する術もないが、どうにかしのいでいるのだろうと楓は考えていた。
だが、いつまでも戻ってこないことに不安を募らせてもいた。
無事なのか、はたまたすでにやられ、朝顔が余裕をもって楓達をじらしているのかわからなかった。
「こうしてても状況は変わらないし、説明でもしとこっか」
という向日葵の提案を受け、楓は家族にかいつまんで事情を説明し、向日葵が泊まることを了承してもらった。
これまでのことから、反対はされないだろうとわかっていたが、不安でもあったため、納得してもらえた時は肩の荷がおりた思いだった。
それでも、夕食もお風呂も済ませたが、未だ眠気がやってきていなかった。
「汗かいてるよ? エアコンの温度下げようか?」
向日葵が聞いてきた。
「いや、大丈夫」
と楓は答えた。
夏の暑さで汗をかいているのではなかった。
冷や汗だった。
気が気ではないとはこのことかと思っていた。
腕で汗をぬぐい、楓はふうと息を吐き出した。
「待つと言っても、いつまで待てばいいの?」
楓は聞いた。
「あんまり正確にはわからないけど、夏休みが終わるよりは短いはず。朝顔も学校があるはずだし」
向日葵が言った。
「夏休み前に終わるならありがたいけど、それでも十分長いな」
楓は床に横になって天井を見た。
一見していつもと変わらないにも関わらず、油断すれば監禁される。
朝顔は同じミスをしないだろう。
そう考えると、今度こそ脱出のスキはない気がしていた。
茜が朝顔を期限まで無力化してくれることを祈り、楓は目をつむった。
その時、コンコンとドアをノックする音が部屋に響いた。
「はーい」
藍だろうかと思いながら楓は返事をした。
「そういえば聞くのを忘れてたんだけど、少し前にした窓が割れた音はどういうことなの? 部屋は大丈夫なの?」
ドアの向こう側から聞こえたのは母の声だった。
「大丈夫だったよ」
確かに説明不足だったと思いながら、楓はドア越しに答えた。
「ちょっと中を見せてくれない?」
「いいけど、本当になんともないよ」
「一応、我が家のことだから」
「お母さんは心配性だなぁ」
楓は窓を指さしながら、大きくドアを開けた。
「ほら、大丈夫でしょ?」
楓は示すように言った。
「閉めて!」
母が答えるより早く、突然向日葵が叫んだ。
もう騒げる時間じゃないだろう、と思いながら楓が振り返ったスキに、人影が部屋の中に入ってきた。
完全に油断していた、と楓は思った。
中に入って来たのは母ではなく、朝顔だった。
「どうして、完全にお母さんの声だったはずなのに」
楓は思わずつぶやいていた。
「簡単なことだよ。かえ姉が見てる光景を変えられるように、かえ姉が聞く音を変えることはできるからね」
朝顔がニタニタとしながら言った。
聞こえるようにするのではなく、音そのものを変えられてしまえば、楓の神様の力への耐性は発動しない。
直接攻めてくることを考慮しないで、うかつな行動だったと後悔していた。
中に入れてしまった。
まずい。
と立て続けに思ったが、楓の体は硬直して動けなかった。
風を切る程のスピードが出る何かの音。
茜や向日葵の力で補強された窓をも突き破る威力の触手。
もし、それらが自分に向けられたらと思うと、楓はこれ以上うかつに動けなかった。
「私の後ろに下がって!」
と叫ぶ向日葵の声で、ようやく楓は我に返った。
朝顔から離れようと決心をして顔を上げ、駆けようとしたところで異変に気づく。
先ほど楓のことを呼んだはずの向日葵が居ない。
「向日葵?」
楓は向日葵がいた場所へ呼びかけた。
返事はない。
「向日葵?」
もう一度呼びかける。
だが、居ない。
窓も開いておらず、クローゼットに移動するような暇はなかったはずだった。
「ひま姉なら今頃朝顔の部屋に居ると思うよ」
向日葵に代わって、朝顔が答えた。
「どうしてわかるの?」
「わかるよ。だって、私が送り飛ばしたから。能力を封じる箱に閉じ込めてね」
テレポートの能力は力が上なら、神から神に対しても通用するのか、と楓は思い知らされた。
向日葵がいなくなったことで、再び一対一に持ち込まれてしまった。
朝顔の手によってドアも閉められ、部屋の外に出ることも一筋縄ではいかなくなった。
家族に助けを求めようにも、この状況で力になってくれそうな人はいない。
「さ、迎えに来たよ。さっきはあか姉がかえ姉連れ去ったけど、こうして朝顔が迎えに来たよ。まるでお姫様を助けに来たみたいだね」
うっとりとした表情で朝顔は言った。
「そうだね」
形だけ頷きながら楓は言った。
同時に考えた。
うかつに動けばどうなるかわからない。
楓自身には特別な能力がない。
楓が勝っていることをしいて言うならば、家の構造に関しては、朝顔よりも恐らく把握しているということだけだった。
しかしそれも、部屋の移動ができない以上、メリットは何もないのと同じに感じられた。
未だ再開の熱にうかされている朝顔だが、いつすぐに連れ帰ろうとするかわからない。
ここはとりあえず頭を撫でて時間を稼ごうと思い、楓はスッと手を伸ばした。
なんの気無しに伸ばしたのだったが、朝顔は反射的に首をすくめ、一転して怯えたような目をして楓を見上げた。
だが、それも一瞬だった。
すぐに、笑顔になって肩の力を抜いたのが楓にはわかった。
「なんだ。撫でてくれようとしたんだね」
ホッとしたように朝顔が言った。
「そうだよ?」
首をかしげて楓は答えた。
今のは何かヒントかもしれない。
「じゃあ今度は朝顔の番ね」
と楓に考えるスキを与えず、朝顔は楓の腹を押した。
屋敷へと戻って来た。
屋敷と言っていいのかわからなかったが、便宜上家やら屋敷と茜は呼んでいた。
つまり茜の実家なのだが、なんなく正面から入ることができた。
朝顔は屋敷全体に警戒を敷いているわけではないらしかった。
どうやら、朝顔の部屋だけが特別警戒区域ということになっているらしかった。
他の場所へならばテレポートも可能で、また結界のような妨害もなかった。
触手も引っ込めたようで、生活する分には問題なさそうだった。
だが、向日葵の彼女である楓のことをほっぽり出して日常に戻ることは気が引けた。
さすがに屋敷内に足を踏み入れると、肩に重荷が乗っかったように、体がずしりと重くなったことを茜は感じた。
人の姿になって初めて、言い知れぬプレッシャーを感じていることを茜は自覚した。
朝顔に対して緊張することなど、神の世界を含めても初めての経験だった。
無論、力ではわずかでも茜が勝っている。楓や向日葵のことを考慮しないならば、今回のことも全く問題ではなかった。
しかし、今回矛先が向いているのは茜ではなく楓だった。
前回の朝顔が起こしたいざこざは、人間の関わらないものだったため、シロガネが引きこもることでことなきを得たことになっている。
今回はどうだろう。向日葵の大切な人に対して、朝顔が何をしようとしているのかはっきりとはわからなかったが、それでも人間が関わっている以上、防がなければならないという予感はしていた。
見回りがいるわけでもないが、壁伝いにゆっくりと歩き、できるだけ物陰に身をひそめながら茜は屋敷の中を進んでいた。
明らかに罠だとわかるが、朝顔はドアを開け放っていた。
これならば楓や朝顔と言わず、誰でも朝顔の部屋に入ることができる。
誘い込まれていることはわかっているものの、茜に他の選択肢はなかった。
少しずつ近づき、とうとう茜は部屋の前までたどり着いた。
警戒をおこたらず、体中にバリアを張って中へ入った。
「やっぱり戻ってきたんだ」
入り口すぐ左の部屋の角で、体育座りをしたまま朝顔が言った。
「ええ、戻ってきたわ。こんなにわかりやすい罠を張って、朝顔には一体どんな作戦があるのかしら?」
茜は聞いた。
「それに答えると思う? と言っても、すぐにわかるけど」
朝顔は手を挙げた。
と同時に、部屋の天井から二本の触手が伸び、茜の手首を絡め取った。
少しずつ引っ込んでいくと、茜は宙吊りにされた。
「ほら、私の力でできた触手だよ? あか姉でも簡単に切れないでしょ? 後はそこでじっとしてて。そうしたら全てが終わるから」
朝顔はそういうと尻を払って立ち上がった。
悠然とした足取りで、一歩二歩と、まるで茜に見せつけるように歩いてドアまで進んだ。
「じゃあ、この部屋でことが終わるまでじっとしててね。あか姉」
ニヤリと笑って朝顔がドアノブに手をかけながら言った。
「私もなめられたものね」
ぼそりと茜は言った。
「え?」




