第65話 最終日
楓は疲労で酔っていたことを思い出し、顔面を手で覆い隠して、真っ赤になっている顔の熱を感じていた。
昨夜の出来事を思い出して今さらながら恥じていた。とにもかくにも恥ずかしかった。
嬉し恥ずかしで思考回路が焼き切れそうだった。
だが、やってしまったことは仕方ない。
一応は向日葵の気分も戻ったようで、桜の言葉を参考にした作戦は功を奏したようだった。
皆より早く目が覚めたため、こっそりと布団を抜け出して、楓はひとまず深呼吸をした。
大きく吸って、大きく吐く。
特別思い入れがあったというわけではないが、いざ離れるとなると寂しさが出てきた。
こうして過ごすのも今日で最後なのだ。
どうなることかと思うこともあったが、無事乗り切ることができた。
楓は再度腕を広げた。
大きく息を吸う。
ここで空気を吸うのも今日で最後。
「んん!?」
と声が漏れ。体が強張った。
リラックスのためにやっていたはずが、突然のことにビクッとした。
胸を揉まれた。
完全に油断していた。
皆寝ているからと、油断していた。
「ふむふむ」
と言いながら感触を確かめるように指がうごめいていた。
身じろぎをして、楓は手を振りほどいた。
「朝から何さ」
楓は言った。
「いやあ。もう浴衣姿の楓たんを拝めないのかと思ってね」
桜が笑いながら言った。
「拝むって感じじゃなかったけど」
「いいじゃん細かいことは。今はまだ二人は寝てるんだしさ」
「あんまり騒ぐと起きちゃうでしょ」
「優しいんだね。楓たんは。叩き起こしたりしないの?」
「しないよ。まだ起きなくていいんだし」
「寝ている時は赤子の手をひねるようにできるもんね」
「何を?」
「あんなことやこんなことだよー」
「どんなことだかわからないけど、寝てる時には見守るくらいでしょ?」
「またまたーとぼけちゃってー」
「いや、何もしないって!」
楓は伸ばしてくる桜の手を振り払いながら言った。
体に注意が向いていたことで、少し大きな声が出てしまい、むにゃむにゃと言いだした。
まずいと思ったもののすでに遅く、二人は布団で横になったまま動きだした。
「もう起きたの?」
と眠そうに椿が言った。
「おはよう」
と向日葵が言った。
ともにまだ眠そうにして、すぐに布団から出てくる様子はなかったが、完全に目を覚ましたらしかった。
「あーあ。楓たんが大きな声出すから、二人とも起きちゃったじゃん」
「え? 僕のせい?」
「そうだよ。楓たんが大きな声出したからでしょ」
「どうせ桜さんが変なことしたんでしょ」
椿が言った。
「椿の言う通りだよ。危うく胸を揉まれそうになったんだよ」
「違うってあたしがそんなことすると思う?」
桜が犯人ということで意見が一致し、弁明が必要だったのは桜の方だった。が、早朝ではなかったため、そこまで追及されることもなかった。
宿舎を出た。
臨海学校最後のイベントに、楓は名残惜しさを感じていた。
数日過ごせば泊まり先の大抵の位置は把握できるものだ。
初日は、いちいち何がどこにあるのか思い出さなければならなかったが、すでにボーッとしていても準備に支障がなかった。
そのため気づけばお土産屋さんに来ていた。
ここでの選択は楓が苦手とするものだった。
買いすぎると持ち帰るのが大変なうえ、買う量が少ないと文句が出る。かといって、買わないと文句が出る。絶対に出る。
前世では特に父がうるさかった。
一度としてちょうどよかったと言われることがなかった。
もしかしたら、家に買って帰るお土産などそういうものなのかもしれない。
だが、今回は特に迷っていた。
何がいいのか見当をつける材料が少ないためだ。
楓は基本的に普段の観察で選んできていたため、直接見た判断材料がほとんどなかった。
記憶を頼ろうにも、広範囲すぎて収拾がつかなくなりそうだった。
仕方なく自力で選ぼうと思った時には、周りはポンポンと買い物を済ませているようで焦りが募った。
「楓ちゃんは買わないの?」
隣で選んでいた向日葵が言った。
「買うよ。買うけど、どれがいいのかと思って」
「私はもらえれば嬉しいと思うよ」
「きっとそれは向日葵視点だからなんだよ」
「そうかな?」
「そうだよ。そもそも友達にも買って帰るべきなのかな?」
「それはいいんじゃない? 一緒に来ているわけだし」
「それもそっか」
「ま、大丈夫だよ。どれを選んでも」
笑いながら向日葵は言った。
楓には向日葵の楽観視が怖かった。
そもそも向日葵は神様なのだから、お供え物をもらう立場だったはずだ。それこそお土産をもらいまくりだったのではないか。そんな神様が言うのなら、合っているのかもしれないと楓は考えた。
言葉では文句を言っていても、もしかしたら案外喜んでくれていたのかもしれない。
なるほど、それならば少ない情報でも楓にもわかった。
秋元家には甘味ならハズレはないだろう。
楓は手に取った。
「それにするの?」
向日葵に聞かれ。
「うん」
と楓は頷いた。
レジへ向かう。
神様視点は役に立ったなとほくほくしていた。
「ちょっと待って」
と向日葵に呼び止められ、楓は止まった。
「どうしたの?」
「せっかくだし、この中から同じの買わない?」
向日葵はストラップなどの棚を指さして言った。
ストラップもなんだかんだ買ってはみるものの使わないんだよなと思いながら、楓は棚を見回した。
だが、買わないというのも付き合いが悪いだろう。
それに、向日葵と一緒ならつけるのもやぶさかではなく、むしろ嬉しかった。
それはそれとして、ストラップとなると楓の苦手分野。向日葵に否定された分野。
「向日葵が選んでよ。僕はそれに合わせるよ」
「一緒に選ぼうよ。こういうのは二人で選ぶからいいんじゃん」
「いや、服は及第点だったってことはこういうのはダメだったってことでしょ」
「まだ引きずってるの?」
「引きずるよ。結構なダメージだったよ? この間も茜ちゃんに微妙な反応されたばっかりだし」
「お姉ちゃんが?」
「うん。結果的に壊しちゃってリボンもらっちゃったし」
「リボン? この間はつけてなかったけど」
「ああ、外出だと思ってどこか行くとまずいと思ってつけなかったけど、今度つけてみせるよ」
「楽しみだなぁ」
「じゃあ、そんなところで」
「いやいやいや」
話を終えレジへ向かおうとする楓は、向日葵によって止められた。
途中から話題を変えて逃げようとしたが、逃げられない。
茜の時の反省から、ついついいつも買ってしまう剣はないとして、まだまだ選べるものは多い。
考えろ。女の子が持っていて、かわいいなと思えるものを考えろ。
楓は向日葵の様子をうかがいながら、手を引っ込めは伸ばし、引っ込めは伸ばしを繰り返した。
趣味に合いそうで、かつカバンにつけていてもおかしくないもの。
「このご当地ストラップでどうでしょう」
「まあ、それならいいんじゃない?」
通ったようだった。
楓は向日葵の反応が気になったが、通ったということでレジで会計を済ませた。
いずれリボンつけるのか、と思いながら楓はバスへ戻った。
解散した。
帰路についた。
向日葵と別れた。
無事家に帰ってくることができた。
スマホを持っていたものの、なんだかんだと忙しく連絡を取れていなかった。
家の前まで来て、やっとスマホを確認すると通知が大量に来ていた。主に姉の藍からだった。
家に帰ってきて何かをこじらせてしまったのか、大変そうだなと思いながらドアノブに手をかけた。
しかし、なかなか家のドアを開けられないでいた。
買ったお土産を喜んでもらえるだろうか。
少し、弱気になりながらも、周りを確認してから深呼吸をして、楓はドアを開けた。
「ただいま」
誰もいない。
不用心だと思いながら、楓は玄関に座って靴を脱ぎだした。
だが、すぐにドタドタと足音がしてきた。
「おかえりー」
楓は声に驚き振り向いた。
靴を脱いでいた楓に抱きつくようにすると、声の主は楓の肩に頭を乗せてきた。
近すぎてよく見えないが、その姿には見覚えがあった。
しかし、そこまで仲がよかった記憶はなかった。というよりも楓としてはあまり親しくないと思っていた。
向日葵の妹だけあって特徴的な髪色をしていることで、楓の記憶には残っていた。
「えっと、朝顔さんでしたっけ? どうしてここに? 迷子?」
楓は聞いた。
「いやいや、かえ姉を待ってたんだよ」
朝顔が笑顔で言った。
愛想笑いではなく、満面の笑みで言った。
何故向日葵の帰りを待つのではなく、楓の帰りを待っているのかわからなかった。
そもそも、
「かえ姉!? 朝顔さんってそんな感じじゃなかったと思うんですけど」
「うふふ。かえ姉はかえ姉だよ。それともかえ兄って呼んだ方がいい?」
遅ればせながら、トントンと階段を降りてくる足音が聞こえ、楓は背筋が伸びる思いだった。
「わかった。かえ姉でいいから」
楓はささやいた。
「おかえりお姉ちゃん。あれ、朝顔ちゃんと知り合いだったの?」
降りてきたのは紅葉だった。
「う、うん。そうだよ。二人は知り合い?」
朝顔にだまっているよう目配せしながら楓は言った。
「そう。仲良くなって遊んでもらってたの。それで、ちょうど帰る時にお姉ちゃんが帰ってきて」
「そっか、じゃあ僕が送ってくよ」
楓は言いながら靴をはき直しだした。
「いいの? かえ姉」
「大丈夫大丈夫。お土産その中に入ってるから食べていいよ」
「わーい。ありがとう」
とりあえず、このままではまずいと思い、楓は朝顔の手を引くと、最低限の荷物だけ持って家を出た。
紅葉の笑顔を見れば、まだ朝顔を家に送る分の気力は湧いてきた。




