第64話 心理的ハードル
向日葵は困っていた。
茜の言った通り、人の体になると感情に支配され、行動のコントロールがうまくできない。
楓に対してもっと優しく接したいはずなのだが、油断するとツンとしてしまう。
だが向日葵は、向日葵という彼女があるにも関わらず、他の子と一緒にいる楓がいけないのだと考えていた。
同性の場合はいいのかもしれないが、同性と付き合っているなら、同性との関係も気にしなければダメだろう。
しかし、これは狭い考えで楓の可能性を狭めてしまう気もした。
向日葵は、自らの思考すらよくわからなくなり、悶々としていた。
会えない時間が距離を作ってしまったような、当初の茜の作戦がここにきて生きてきたような気がしていた。
神様であるにも関わらず、自らの力で治せない風邪をひいてしまった自分を責めていた。
風邪をひいていなければ、もっと自然に関われていたのではないかと向日葵は思った。
ため息をついて向日葵は部屋を見回した。
今日一日の日程を終えて、もう寝るだけだった。
臨海学校も明日が最終日。後は帰りにお土産屋さんなどに寄って帰るだけだった。
一応は勉強の一環らしいが、それでも向日葵からすれば娯楽として認識されていた。
他の参加者達も楽しそうにしていることから、勉強はあくまで表向きの認識なのだろうと向日葵は考えていた。
神様にある娯楽はどれも虚無だったため、人間の娯楽はとても楽しかった。
神様でいる間はずっと一定だが、人間の姿でいる時はマイナスがある代わりにプラスもある。
それが今は、マイナスに意識が向いていた。
向日葵は顔をあげ、肉体の不便さを痛感していた。
そんな向日葵を見かねたように、楓が隣に座ってきた。
「どしたの?」
向日葵はあくまで自然に聞いた。
「臨海学校がもうすぐ終わるんだなと思って」
楓は笑いながら言った。
声は穏やかだった。
うまく接することができていないと思っていたが、楓は怒っているわけではなさそうだと、向日葵は胸を撫でおろした。
だが、それは観察による推測でしかなかった。
この世界にとって楓はイレギュラーな存在だ。
他の人間と違い、直接干渉する能力が通用しなくなっている。そのため、心の中を読むことはできない。
楓と対する時は他の人間がするのと同じように、態度から推測するしかない。
答えのわからないゲームをすることが、ここまで難しいことだと向日葵は知らなかった。
「そっか」
相変わらず天井を見たまま、向日葵は声を漏らした。
普段ならば間髪おかずに言葉を続けただろうが、今の向日葵は言葉を選んでいた。
今度こそツンとしないために。
「あのさ」
と二人の声がかぶった。
「楓ちゃんが先に言って」
「そう? いや、その言い忘れてたんだけどさ……」
楓は言いよどんだ。
「うん」
向日葵は声に出して頷いたものの緊張した。
表情には出さなかっただけで、気にしていたのだと思った。
何かお茶をにごす言葉を探さなければ、と向日葵は言い訳を探した。
しかし、向日葵の思考は間に合わなかった。
楓は顔を赤くして口を開いた。
「浴衣似合ってるよ」
楓が向日葵の目を見て言った。
「え?」
向日葵は楓の言葉に目をしばたかせた。
咄嗟のことで何を言っているのかわからなかった。
「やっぱり浴衣に着替えた時に、すぐ言うべきだったよね。今はタイミング的におかしいもんね」
楓は早口で続けた。
「う、ううん。おかしくないよ」
向日葵は首を横に振って否定した。
それ以上言葉が続かなかった。
どうやら浴衣姿をほめられたらしいことはわかった。
それでも、どうして楓の口から漏れ出たのかわからなかった。
時々、楓の方から積極的なことはあった。向日葵もそれは知っていた。
なんのスイッチが入るのか、普段なら向日葵が求めた時の返答として行うことを、自らやることがあった。
そんな時、向日葵はいつもどうしていいかわからなくなるのだった。
自分からやるのなら、楓の反応を楽しむこともできるのだが、いざ自分がやられる立場になると、急に対処に困った。
今も顔が熱くなることを感じるだけで、思考がまとまらなかった。
頬がゆるむような感覚があるものの、どうしてかわからなかった。
「ありがと楓ちゃん」
やっとのことで向日葵は感謝を口にした。
「ううん。僕もこれまで色々と向日葵に伝えるべきことをすっぽかしてきた気がしたから。これからはもっと似合ってるって、かわいいって言ってあげたくて」
楓の笑顔で、向日葵は再度停止した。
急にどうしたのだろう。何か変なものでも食べたのだろうか、という思考が浮かんでいた。
だが、向日葵は楓に異変があったことを知らない。
外から観察する分には能力を使うことができたため、おかしなものを摂取しようとする場面があれば、確実に事前に止めに入っていた。
そのため、向日葵には原因がわからなかった。
このまま気遣いに満足することもできたが、向日葵にはそのような選択肢はなかった。
一応神様である向日葵は、恋をしたということ以外で、楓に手玉に取られることは避けたかった。
「わ、私こそ言ってなかったけど、楓ちゃんも浴衣姿かわいいよ」
向日葵は言った。
「ありがとう」
楓は微笑んで言った。
おかしいと向日葵は思った。
いつもならば、かわいいと言われればそれだけで動揺を見せる楓が、ただ笑顔で喜ぶだけだった。
反撃のはずの言葉が効いていない。
「楓ちゃんの方が浴衣似合ってるよ」
向日葵は追撃に出た。
「いいや、向日葵の方が似合ってるって」
「そんなことないよ。私は浴衣を着てるのとっても嬉しかったし」
「僕だってそうだよ。また向日葵の浴衣姿見られて嬉しいよ」
「熱いねえお二人さん。人目もはばからずイチャイチャして。ここが四人部屋なの忘れてない?」
桜はニヤニヤ笑いを浮かべながら言った。
向日葵は一度ハッとしたように見てから、これがチャンスだと思って楓を見た。
しかし、桜の言葉も気にしていないようで、楓は余裕しゃくしゃくだった。
「見られちゃったか」
と言って、楓は頭をかいていた。
そんなことないよ。や、そんなつもりじゃなくて。などと今までのやり取りを否定するような言葉が漏れると思っていただけに、向日葵が目を見開いていた。
はにかんでいる楓はどこか嬉しそうだった。
向日葵にはまるで人様に見せつけたかったかのように見えた。
「見ちゃったよ。見ちゃったとも。ねえ、椿たんも気になるよね」
桜は椿に話を振った。
「そう? あんまり人の色恋に首を突っ込まない方がいいんじゃない?」
椿は淡々と言った。
「えーやだよーあたしも彼女なんだよ? あたしにも色っぽいことしてほしいよー構ってほしいよー」
「それは勝手に言ってることでしょ」
「ひどいなーじゃあ椿たんがあたしを構ってよ」
桜はそう言いながら、椿に飛びついた。
「ちょっとどこ触ってるの?」
「いいでしょ? 彼女なんだし、イチャイチャしようよ。キャッキャウフフしようよ」
「私がいつ彼女になったのよ」
「生まれた時」
桜の様子に向日葵は苦笑いを浮かべた。
だが、あれだけ飄々としていられることが、今の向日葵には羨ましかった。
もちろん、飄々としているように見せたり、思わせたりすることは向日葵にもできた。
しかし、それは表向きに見えるものと結果的に見えるものだけだった。
決して、向日葵の内面が飄々としているわけではなかった。
能力で思い悩むことなどなかった向日葵には、人目を気にしないことが今となってはハードルの高いものとなっていた。
関係性を深めるために焦って行動していた時は、それどころではなかったものの、一度安心してしまうとなかなか次に踏み出せなくなっていた。
キスも今となっては、桜とするか桜がしているのを見るばかりだった。
それでも、向日葵にとっては楓との接触が重要だった。
飄々とした行動をする桜は、向日葵以上に楓に触れ、キスもしている。向日葵に対してと同じように。
桜でも言葉で籠絡できないのならば、行動を使うべきだろうと向日葵は考えた。
覚悟をしても、向日葵の中で楓とのスキンシップはハードルが上がっていることに変わりはない。
向日葵とキスしたい気持ちとせめぎ合うように、恥ずかしいという気持ちが湧いてきていた。
前までどういうものかわかっていなかったものが、だんだんと理解できるようになってきていた。
それが逆に、向日葵を踏みとどまらせていた。
だが、神様として、そして、楓を喜ばせるため、向日葵は楓の手に手を重ねた。
触れたことに気づいたように、楓は下を向いてから顔を上げた。
「どうしたの?」
楓は言いながら、小首をかしげて向日葵を見た。
視線がぶつかり、向日葵が顔を寄せると、楓は目をつむった。
向日葵はハッとしてまごついた。
頬にしようと思っていただけに、唇にしないといけない気がした。
いつもキスの覚悟を決めるまでに時間がかかっていたように見えた楓が、今は間を置かず受け入れようとしている。
向日葵は一度目を泳がせると、意を決してさらに顔を寄せた。
そっと、口づけをした。
軽く触れた。
「おやすみ」
と言って向日葵は立ち上がった。
「皆もおやすみ」
「おやすみ向日葵たん」
「おやすみなさいと言いたいけど、助けて。誰か、助けて」
「今夜は寝かせないよ」
「寝かせて。明日は帰りだから寝かせて」
向日葵は目を伏せ布団に入り込んだ。
目をつむった。
世界からの情報を断とうとした。
しかし、できなかった。まぶたの裏では唇を離した時に、少し物足りなさそうに悲しそうな表情を浮かべていた楓の姿がよみがえっていた。
精一杯やったつもりだったが、また、失敗したのか。また、ツンとしてしまったのか、と向日葵は考えたが、今はこれ以上は無理だった。
布団に入ったものの、自らの心臓の音がうるさく、とても眠れるような状況ではなかった。
だが、向日葵は強く目をつむった。




