第61話 髪を乾かしたい
大浴場では桜の馬鹿騒ぎでヒヤヒヤしたものの、注意すると止まったことから、意外と周りが見えているのだと椿は驚いていた。
全ての女子が彼女と言うだけあって、気遣いも見せられるらしかった。
そのうえ、
「向日葵ってお風呂入ると酔ったみたいになるんじゃないの?」
「あれはリラックスできる時だけだよ。伸びて寝てる猫がどこにでもいるわけじゃないでしょ」
と楓と向日葵が話しているのを聞いて、桜の二人は一緒にお風呂に入る仲という言葉が真実なのだと知った。
新たな一面を知りながら、浴衣に着替え、髪を乾かそうとしたが、脱衣所のドライヤーは混んでいたため、皆で部屋に戻ってから髪を乾かすことになった。
三人の湯上がり姿を初めて見て、いつもと違うなと思いながら椿はともに部屋へと戻ってきた。
桜が風呂での行動をやめたのは、決して疲れたからではなかったようで、移動中になると人の通りを確認してから、セクハラまがいのことをしていた。
楓は困惑し、向日葵は笑顔を絶やさない。
椿が受けた時は、程度に気をつけながら抵抗していた。
最近になって、やられるだけでなく、求められるだけでなく、嫌なら嫌と言うと時々伝わることがわかった。
線引きがあるとわかると、友達なのだから無関心や拒絶よりも断然嬉しかった。
そんな桜に椿は感謝していた。
もちろん楓や向日葵にも。
来た時に部屋の構造を確認しておけばよかったと思いながら洗面所を見てみると、ドライヤーは一台しかなかった。
「誰からにする?」
椿は三人に聞いた。
「ここは正々堂々じゃんけんにしよう」
桜が提案した。
「いいわよ」
椿は言った。
「待って、いや、うーん。でも……」
楓は何故か歯切れが悪い。
「じゃんけんだと都合が悪いの?」
「いやそうじゃないんだけど」
楓はチラチラと向日葵を見ていた。
「わかった。向日葵たんに髪を乾かしてほしいんでしょ。じゃあ、乾かす人も指名することにしたら解決だね」
「そうじゃなくて……もういいや」
楓は何かを諦めたように見えた。
「向日葵さんもいい?」
「うん」
「じゃあやるよ? じゃんけーん」
結果は向日葵、桜、椿、楓の順番になった。
「やっぱりこうなった」
楓が言った。
どうやら楓はじゃんけんが弱いらしい。
一番最後になったことで、握り拳のまま目をつむっていた。
「私と順番代わる?」
椿は聞いてみた。
「大丈夫だよ。別に先がよかったわけじゃないから」
「そう?」
三人もドライヤーを待つのは長いのではと椿は思った。
だが、代われば今度は楓の代わりに椿が待つことになる。自分で聞いたものの椿は少しホッとしていた。
向日葵は予想通り楓を指名して洗面所へと移動した。
その間、桜と椿は時間を持て余していた。
「どうして一台しかないのかしらね?」
椿は聞いてみた。
「洗面所は一人ずつ使いましょうってことじゃない? あとは電気代とか、コンセントとか? わかんないけど」
桜が言った。
「あながち間違ってないかもね」
「褒めた? 椿たん今あたしを褒めた?」
「別に褒めてないわよ」
椿が否定しても、桜はニヤニヤとした笑いを浮かべ、喜んでいた。
感覚は桜のもののため、言葉の意図は否定できても感覚までは椿には否定できなかった。
「褒めて褒めて、椿たんあたしをもっと褒めてー」
話題を変えないとずっとこのままだと思い、椿は何かないかと考えた。
ふとした疑問が頭をもたげた。
「そういえば、桜さんってどうして女子の名前を呼ぶ時に、名前の後にたんをつけるの? ちゃんとかさんじゃなくて」
「椿たんもあたしを桜たんって呼びたいってこと?」
「そうじゃないわ。単純に疑問に思って」
桜は少しの間唸っていた。
意味を考えているのか、それとも言うべきか迷っているのか、椿にはわからなかった。
「女子に対する思いの発露かな」
桜は天井を見上げながら言った。
「それはどういうこと?」
「よくわからない? ほら、ちっちゃい頃になんとかたんってキャラとかいなかった?」
「つまり、子供扱いしてるの?」
「違うよ。そうじゃなくて、愛情表現だよ。あたしの女の子に対する。愛。まさに、LOVE」
椿はいぶかしげに桜を見た。
「それならニックネームでいいんじゃないの?」
「ニックネームもいいけど、名前はしっかり呼んであげたいじゃん。椿って呼ばれると呼ばれてるなってわかるし、おいって言われるよりいいでしょ?」
「それはそうね」
「だからあたしは椿たんって呼んでるんだよ」
「それなら、誰彼構わず呼ぶのはどうしてなの? 特別な呼び方は特定個人に使うんじゃないの?」
「あたしにとっては椿たんも意中の人なんだよ」
「そ、そう」
真顔で言う桜に椿は目線をそらした。
桜はそんな椿を見て、楽しそうに笑っていた。
「やっぱり椿たんは弱いなー」
「なんのことよ。でも、なんとなくだけど、こだわりがあって呼んでるということはわかったわ」
桜の人の呼び方は軽薄な発言だと思っていただけに、椿にとっては驚きだった。
しかし、これ以上何か言うと、また褒めていると浮かれ上がりそうだったため、椿は黙っておくことにした。
「椿たんもあたしを桜たんって呼んでいいからね?」
「遠慮しておくわ」
少しして、向日葵と楓が戻ってきた。
桜の番になった。
桜も楓を指名したことで、今度は向日葵と一対一だった。
楓は連続で人の髪を乾かして大変だなと椿は思ったが、どうだろう、思っているよりも楽しいのかもしれない。
関わってくれる友達がいるからこそ知ることのできることなら、そんな友達がいない者、少ない者にはわからないものかもしれない。
向日葵は楓に髪を乾かしてもらったうえ、風呂上がりもあってテンションが高そうに見えた。
「皆でお泊まりっていいね」
向日葵が言った。
「そう?」
椿は聞き返した。
「うん。楓ちゃんと一緒に寝たのも嬉しかったけど、皆で寝泊まりできるのも嬉しい」
「楓さんとの寝泊まりも本当だったのね」
「そうだよ。私の家は広いけど、広さの割に人が少ないからなんだか寂しくなるんだ。だから、楓ちゃんと一緒だったり、椿ちゃんや桜ちゃんと一緒に集まって眠れるのは一人じゃないって気がする」
向日葵は笑顔だった。
きっと人間が好きなのだろう。
椿は桜も向日葵も人に対して臆病になっていない気がした。
逆に、楓には似たものを感じていた。人に対して一歩引いてしまう。そんな雰囲気をいつからか感じていた。
最初はそんなことはなかったはずだった。
もしかしたら、親しくするうちに見えてきたのかもしれない。
それでも、人と積極的に関わっている楓が羨ましくもあった。
今もまだ人に対して引け目を感じ、怖くもある。
だが、
「そうね。私も今日ばかりは楽しいわ」
「本当? だったら私も嬉しい」
向日葵はいつものようにニコニコとしている。椿には嘘偽りなく言葉を発しているように見えた。
まるでお花の向日葵のように、さんさんと太陽の光を浴び、それを人にも振り向けているようだった。
自分にもできたらと思うと同時に、そうなったら自分ではないような気がした。
「椿ちゃんは皆のこと好き?」
突然の向日葵が言った。
「え……」
と言って、椿は固まった。
向日葵と楓の関係のことを考えると、どう答えていいか迷ったからだった。
少し考えてから、皆について聞いているのだから関係ないだろうと考え、口を開いた。
「好きよ。皆大切。桜さんも?」
「うん。私も皆が好き。特に、楓ちゃんが好き、大好き。この世で一番好き」
向日葵は今までで一番笑顔が弾けていた。
「椿ちゃんも楓ちゃんのこと好き?」
「え……」
椿は再び固まった。
今度こそ答えに迷ってしまった。
横恋慕の確認かと警戒してしまう思いだった。
だが、向日葵の純粋な目を見ていると、単純な興味で聞いていることが見てとれた。
椿は安心して口を開いた。
「好きよ。もちろん、向日葵さんも桜さんも」
椿はそのまま言葉を続けた。
話さないのはフェアじゃないと思ったからだった。
「私は楓さんに告白されたことがあるの。私が断ったのだけど、それでも優しくしてくれるから好きよ」
「私は自分から告白したの。でも、楓ちゃんは椿ちゃんのこと今も好きみたいだよ」
「え?」
「表情を見ればわからない? まだ心の底では意識してるみたいだよ」
「そうなの?」
「本当のところはわからないけどね。私にはそんな気がするんだ。別に責めてるわけじゃないよ」
「わかってるわ」
大ぶりで否定する向日葵に椿は頷いた。
ちょうど桜と楓が戻ってきて話は途切れた。
次は椿の番。
気にならないはずなのに、どうしてか胸がうずいた気がした。
「三人連続にしちゃってごめんね」
椿は言った。
「大丈夫だよ。意外とドライヤーが重くて腕は疲れてきたけど、美容師ごっこだと思えば案外楽しいよ」
楓が笑いながら言った。
「そうやって気持ちを切り替えられるのは羨ましいわ」
「これが苦手なことをやる時にもできたら僕もよかったんだけどね」
そうして苦笑いを浮かべると楓は椿に風を当て始めた。
後ろに立っている楓を鏡越しに見ていると、向日葵の話がぶり返してきた。
向日葵の言っていた話は本当だろうか。
別に疑っているわけではなかったが、好奇心がくすぐられてしまっていた。
流れで楓を選んだと言うよりも、一対一での話の機会を作るために楓を選んでしまったのだった。
優しくしてくれ、仲良くしてくれている楓。
しかし、桜や向日葵がいない時はどことなく距離を感じていた。
無理もないだろう、楓からすればフラれた相手だ。
多少コミュニケーションにぎこちなさが残ってもおかしくない。
それでも接してくれるのは、向日葵が言うように思いが残っているからか、それとも。
「楓さんは皆のこと好き?」
椿は向日葵に聞かれたことを聞いてみた。
少し笑って、世間話のように。
「僕? うーん。口に出すと照れくさいけど、好きだよ? 優しくしてくれて、僕にはもったいないくらい」
楓は言った。
「そんなことないわ。むしろ感謝したいのは私の方よ」
「椿が? どうして?」
秋元さんから楓さんに変えたことに気づいて、楓も冬広さんから椿に変えてくれたこと。
他の皆と同じ呼び方をされ、くすぐったくもあり、嬉しくもあった。
いつの間にか意識せずに桜の影響を受けていたのだと気づいた。
そして、最近のことだけでなく、そもそもの関わり始めた時のことも。
「優しくしてくれるから私も好きよ。楓たん。なんてね」
椿はつぶやいた。
「何? 聞こえないよ?」
楓は聞き返した。
椿の声はドライヤーの音でかき消され届かなかったらしかった。
「内緒」
「そっか。でも、最近はそうして冗談っぽいことも言ってくれるようになってよかったよ」
楓は笑っていた。
椿は人の多い場はまだ苦手だったが、それでも、こうして接点のある人との関係には慣れてきていた。
大切にしたいと思っていた。
頭に当たる風と手を感じながら、椿は目を閉じた。




