第58話 肝試し
ヒュードロドロという音が鳴りそうな環境。特にいわくはないらしいが、暗がりにほのあかりしかない環境の森を歩くだけでも楓にとっては十分恐怖だった。
膝が笑い。涙腺がゆるむ。
疲労でも感動でもなく、ただただ恐怖の反応だった。
もっとも、怖いのは一番身近な存在だったが、楓は手を放すことができなかった。
桜は先ほどから壊れたようにいひひと笑っていた。
怖がらせる存在を怖がらせてしまっているのか、お化け役の人々が全く出てこなかった。
恐らく、本物のお化けの笑い声か何かだと思われているのだろう、と楓は考えていた。
事故がないように細心の注意を払って行われているらしいが、果たしてこれでいいのか仕掛け人。
今日も以前のホラー風謎解きよろしく、楓は桜にがっしりと抱きついていた。
今回は前と違い、その場に留まることもなく、少しずつ進んでいた。
「その笑い声どうにかならない?」
楓は桜に聞いてみた。
「笑い声? あたしが笑ってること? やだなあ楓たん。そんなことしたら雰囲気が台無しじゃない」
いひひひひひと笑いながら桜は言った。
どうやら自覚がないらしい。
今のところ桜にとって特に嬉しいことも、ショックを受けるようなこともなかったはずだった。
先行するペアの恐怖からたんを発するラッキースケベもなかった。
先に行ったはずのペアとは一切出くわさず、声も聞こえず、後ろから追いついてくるペアの様子も感じられない。
ほとんど二人だけの時間だが、楓にはとてもじゃないが楽しむ余裕などなかった。
始まる前にあったかすかな余裕は、すでに霧散霧消してしまっていた。
残ったのは恐怖ただ一つだけだった。
腕から感じる桜のぬくもりだけが、今の楓の心の支えだった。
急に驚いて走り出しても、桜に置いていかれないように抱きついておくことが精一杯だった。
手持ちの明かりによって照らされた部分しか見えないほどの暗さに、都会から離れたことがしみじみと感じられた。
まとわりつく空気は残っていたが、それでも森の中だからか涼しさが勝っていた。
しかし、日が登っていれば嬉しいそんな空気も、楓には本物が出るのではないかという思考を呼び起こさせていた。
「ねえそろそろ怖くなってきたから笑いやめてくれない?」
「やだなあ楓たん。だから笑ってないって。そう思うなら楓たんが口ふさげばいいでしょ」
前にそれで手をなめられたことから、楓はこのままにしておくことにした。
カサカサと草木が揺れるたび、びくりとして見てみるも、何もいないことにホッとする。
耳元でブーンという虫の羽音がするたび、首をすくめてキョロキョロとする。
小動物くらいはいるのだろうが、全くと言っていいほどお化け役が出てこない。
どこかで道を間違えたのかと考えたが、目印を頼りに歩いているため、そんなはずはないだろうと考え直す。
楓はすでに緊張と暑さからくる汗でぐっしょりだった。
早く終わらせてお風呂に入りたかったが、なかなか終わらない。時間はなかなか進まない。
もういっそお化け役でもいいから桜以外の人間に出会いたくなっていた。
人肌には触れているが、ずっと壊れたテープのようにいひひひと繰り返す桜の隣にいると頭がおかしくなりそうだった。
「守るとか言っておきながら肝試しは苦手なの?」
楓はつぶやいた。
「やだなあ楓たん。そんなわけないでしょ? ほら、ホラーの時もあたしは大丈夫だったでしょ?」
桜は笑いながら言った。
だが、先ほどから全てのセリフが楓を見ずに、まっすぐ前だけ見て言っているのだ。
笑いといい挙動といい余裕のなさからきているのか不審では、と楓は思った。
いっそのこと、桜を置いて走り出そうかと考えたが、暗い中走るのは危険なうえ、そこまでする度胸はもとより持っていなかった。
持っていれば、すぐさま川に飛び込み少年を助けていただろう。その後も迷わず行動していたはずだ。
これまで今の体になってから、死んだら終わりと考えたこともあったが、怖いものは怖かった。
加えて、女の子を置いて逃げたとあれば評判にも悪い。
楓はひよった。
途端、嵐の前の静けさのように風が止み、葉が擦れ合う音すら止んだ。
動物達も動きを止めたのか、辺り一体を静寂が包んだ。
不気味な笑い声だけが響き渡り、まるでホラー映画のワンシーンのような状況に楓は息をのんだ。
聞こえてくるのは心音だけ、それも自分の心音なのか、桜の心音なのかわからなくなりながら、楓は桜の体に必死に抱きついていた。
いつ何が出てくるとも限らない。そんな気配が、楓の息をひそめさせていた。
泣き出したら終わるのなら、泣き出してしまいたい思いでいっぱいだった。
だが、涙がにじもうとも状況は変わらなかった。
急に、ガサガサガサという音が静寂を破った。
楓は咄嗟に音の下方向を見た。見えたのは人間大の影。
ほのかに光るその姿は、まるで本物の幽霊のようだった。
やっと出会えたお化け役の人物に楓は安堵の息を漏らした。
人だ。
その人はそのまま楓たち目指して移動をしていた。
ガサガサと木々を揺らし、少しずつ少しずつ近づいてくる。
しかし、楓はその人物の異変に気づいた。
移動するたび揺れているのが頭上だけで、足元の草木は全く揺れていない。
幽霊はまだ進んでくる。
ゆっくりゆっくりとした動きで確実に近づいてくる。
何も言わず、顔も上げず、ただひたすらゆっくりとゆっくりと。
きっと気のせいだろう、見間違えだろうと思い、楓は幽霊を見つめていた。目を離してはいけないと思った。
あと少し、あと少しで人だとわかる。
幽霊は足元を決して揺らさずにのっそりと楓達が歩いていた獣道に出てきた。
髪の長い女らしき姿、ほのかに白く発光した体には、腰から下がなかった。
「きゃー」
いつの間にか止まっていた、いひひひという声に変わって、桜が叫び声を上げた。
腰に捕まる楓の腕を必死になって引きはがそうとしながら走り出していた。
「待って、待ってって。置いてかないで。離さないで」
「いやー」
幽霊は桜の守備範囲外らしかった。
いつになく全速力で走る桜の腰を掴んで離さない楓だったが、とうとう、桜によって腕が引き離され、気づくと両腕を振って桜の背中を見ていた。
このままでは追いつかれる。
楓は振り向くことなく走り出した。桜に追いつこうと走り出した。
スカートであることは、誰も見ていないのだからと気にすることなく走った。暗くて見えないのだから気にすることなく走った。
腕を振り、足を上げ、出せる限りのスピードを出した。
だが、桜には追いつかないどころか、背中はどんどんと遠ざかっていく。
恐怖で足がもたつき、ちょっとしたでこぼこに足を取られているためだった。
すぐに、楓は足を取られ、こけた。
土のひんやりとした感触を感じ、痛みを理解するより早く、楓は顔を上げた。
震える足に鞭打って、楓は立ち上がろうとした。
しかし、体に力が入らず、立ち上がることはできなかった。
後ろには幽霊。
諦めるわけにはいかない。
徐々に近づいてきていると思うと、背中を冷たいものが撫でた気がした。
楓は這ってでも進み出した。だんだんと立ち上がり、体を起こすと両足で再び走り出した。
走って、走って、走った。
すると光が見え、森の切れ間が見えてきた。
ラストスパート。
楓は森を駆け抜けた。
クラスメイト達の顔を確認すると、楓は膝に手を当て振り返った。
ほのかな影は振り向き、戻っていくように見えた。
「助かった」
だが、ゴールはまだ。
それに、桜がどこへ行ったのかも確認しなくてはならない。
泥だらけになった体を軽くはたいて、楓は石段を登っていった。
「楓たん。よかった。無事だったんだね」
楓は何事もなかった様子で笑顔を浮かべた桜の姿を見つけた。
「ひどいよ桜。置いてくなんて。怖かったんだよ。お化け。ねえ! 守るって言ったのに!」
「いやあ、リアルとエンタメは違うよ」
「これもエンタメでしょ」
「あそこまでとは思わなかったよ。ねえ」
と桜は椿と向日葵に話を振った。
先にスタートしていた二人は、なんのハプニングにも巻き込まれなかったのか、涼しい顔をしていた。
「別に普通の肝試しだったわよ」
「うん。面白かったよ」
それぞれ程度の差こそあれ、笑みをたたえていた。
「幽霊は? お化けは? 足の生えていない」
楓は椿と向日葵にに聞いた。
「そういうメイクとか演出じゃなくて?」
椿は冷静に言った。
「違くて、本当に生えてなくて」
「見間違えでしょ?」
「見たの? 幽霊」
椿は否定し、向日葵はむしろ興味を持ったようだった。
他のクラスメイト達も、楓ほど取り乱した人がいなかったのか、誰一人として泥だらけになっている者はなかった。
「とりあえず二人はゴールしたんだし、特典をもらってきたら?」
「特典?」
何やら二人組で教師に向かっている列があった。
説明の時に話していた気がして、楓も桜とともに並んだ。
受け取ったのはメダル。
子供じゃあるまいしと思ったが、キレイではあった。
「この肝試しを二人で終えた者達は結ばれるらしいよ」
桜が言った。
「ここにもそういうのあったんだ」
「今、あたしが作った」
「なんだ嘘か」
「嘘ってなんだ。いいじゃんそういうの! ねえ」
「そうだねー」
楓は桜の冗談に笑った。
こうして無事に肝試しを終えているということはきっと見間違えだったのだろう。
ただでさえ怖がりの楓が見た幻覚。
その楓に影響を受けた桜の幻覚。
楓はそう考えることにして、幽霊について考えるのをやめた。
「ねえ、結ばれちゃうの? 楓ちゃんは桜ちゃんと赤い糸で繋がってるの?」
「桜の創作でしょ」
不安そうな向日葵に楓は笑いながら言った。




