第56話 臨海学校
「よかったね。風邪治って」
楓は隣を見て言った。
「本当だよ。風邪ってしんどいんだね」
もうこりごりといった様子で、向日葵は言った。
神様の発言じゃないなと思いながら楓は笑った。
二人は現在バスの中。高速を移動している。
瞬間移動できる向日葵と違い、楓は交通機関を使わなければいけないという問題ではない。
「それくらいなら連絡してくれればよかったのに、向日葵たん」
「それだと心配かけちゃうでしょ?」
「余計心配するよ。ねぇ? 椿たん」
「そうね。音信不通というのは、それだけで不安になるわ。長期になればなるほどね」
バスの中には桜、椿をはじめとする楓のクラスメイト達が乗っていた。
現在は臨海学校の宿泊先へ向けて移動中。
向日葵のことですっかり忘れていた楓は、ギリギリで予定に気づき、今日まで諸々の準備に明け暮れた。
最初は無理だと諦めかけたが、やってみるとなんとか間に合ったのだった。
今笑っていられるのも、持ち物を詰め込み、確認し、家を出て、後は日程をこなすだけになっているからだった。
間に合ってよかったと思いながら楓は外に目を向けた。
見渡す限りの自然。都会から解放された時間を感じることはなく、窓から見えるのは隣を走るバスに乗る生徒達だけだった。
仕方なく、楓は目を閉じ、今頃家族は何をしているだろうかと考えていた。
今朝まで迷惑をかけただけに、ひどい愚痴大会になっていないか不安だった。
準備完了して家を出る直前でも、危うくバスに乗り遅れるところだった。
「楓ぇ。お姉ちゃん寂しいよぉ」
と涙声で茜が言った。
「しっかりしてよ。藍お姉ちゃん」
茜を引き離そうとしながら紅葉が言った。
「うぅ。紅葉がいなかったらどうなってたかぁ」
「もうどうにかなってると思うんだけど。お姉ちゃんそろそろ離して。荷物準備できたけど、本格的に遅刻するから」
「嫌だよ。楓と離れ離れは嫌だよ」
子供かと思いながらも、楓は微動だにできなかった。
家には何度もピンポンという音が鳴り響いていた。
やっと当日というタイミングで、藍が楓に抱きついて離さなかった。
一人暮らしの間ずっと離れ離れだっただろうというツッコミも通用せず、結局、母と紅葉に無理矢理引きはがされ、取り押さえられているうちにドアを閉めたことで解放されたのだった。
それでも時間はギリギリで、学校までは走ることになった。
向日葵が最初にインターホンを鳴らしたタイミングで出ていれば、余裕をもって行動できたはずが、できなくなってしまった。
朝から向日葵には謝り倒し、なんとかここでも間に合ったのだった。
大荷物と暑さのせいで、楓は臨海学校が始まる前からへとへとになっていた。
せめて、予期できていたらと考えても、それは後の祭りだった。
藍の調子が演技でなければ、さすがに愚痴大会にはなっていないか、と思うと楓は暇になったらしい向日葵に揺り動かされ、現在に戻ってきた。
「楓ちゃん。何かしよ」
向日葵の言葉に楓は頷いた。
楓としても向日葵の提案は賛成だった。何故なら、楓は乗り物に弱かった。
それは、たとえ乗っているものがジェットコースターだとしても、乗り物なら吐き気を催すほどの三半規管の弱さが原因だった。外を見たのもそのためだった。
あいにく、遠くを見るという目論見はバスによって阻まれたが、外を見られないなら、人と話していないと、目的地についた時には楓はたいていグロッキーだった。
到着して時まで無事だったとしても、降りたらまず深呼吸が不可欠だった。
「何するの?」
「トラ……」
「愛してるゲーム!」
椅子のすきまから声が響いた。
指を突っ込めば刺さりそうな雰囲気で、影がのぞき込んでいた。
正体は、先ほどから後ろの座席にいるにも関わらず、腕を伸ばして相変わらずちょっかいを出し続けてくる桜だった。
そこまで大声で言わなくても聞こえるのだが、クラス中に聞こえそうな声で言った。
旅行のテンションなのか、桜はいつもよりも楽しげだった。
桜の言葉で、向日葵はしょんぼりしながらトランプをしまった。
イカサマし放題の向日葵にトランプ勝負は分が悪い。どころか勝ち目がない。
そのうえ、トランプは下を向くことも楓にとってはネックだった。スマホを使ったり、本を読んだりなどは酔いやすい楓からすればありえない行動だった。
今回ばかりは楓も桜にナイスと言いたくなった。
「愛してるゲームって何?」
「お手本を見せるね」
と言って、後ろを見ろと指図する桜。
ゲームの説明で後ろを見させられるのは想定外だったが、少しの間なら大丈夫だろう、と考え楓はすきまをのぞいた。
「じゃあ相手は椿たんね」
「私は別にいいわよ」
「いいからいいから。まず、二人で戦います。それで、椿たん愛してる」
「はいはい」
「と、こんな風に、愛してると言い合います。次、椿たんの番」
「はいはい。愛してる愛してる」
椿はテキトーに言った。
椿も酔いやすいのか、いつも以上にやる気を感じられなかった。
そんな椿に、桜は椿の頬を両手で挟むと、顔の向きを無理矢理変えた。椿の視線を桜自身に向けさせ口を開いた。
「もっとあたしの目を見て愛してるって言ってよ」
「わ、わかったから……」
椿は咄嗟に桜から目を背けた。
「はい。椿たんの負けーというように照れた方が負けです」
桜の言葉に椿は不服そうに座り直した。
楓はふむ、とアゴに手を当てた。
ルール上向日葵が他の二人と当たれば必勝。それ以外は実力勝負。
言葉も発するため、酔い止めにもなりそうだと考えた。
「じゃあ、トーナメントでやるとして、予選第二試合は楓たんと向日葵たんね」
「僕達?」
「いいじゃんいいじゃん。やろやろ」
いつの間にかノリノリになっている向日葵を前に楓は身を引いた。
神様の力は効かないとはいえ、恥の感情が強いのは楓。
弱気でいれば勝てないだろうが、実力勝負とはいえ勝機があるのか楓にはわからなかった。
楓は少し酔ったことを自覚して呼吸に意識を向けた。
「楓たんやる気十分だね」
「これはそういうのじゃないから」
深呼吸を興奮とみなされ、楓は即座に否定した。
見られているという事実がすでに目線をそらす要因になっていた。
「私からね」
向日葵が自らを指さしながら言った。
「うん」
向日葵は黙って息を吸うと、楓の目をまっすぐ見つめた。
「楓ちゃん。愛してる」
「ありがとう」
楓にとっても素直に嬉しかった。
好きとはまた違った言葉が胸に広がる感覚だった。
しかし、耐えた。動揺からくる照れは表に出さなかった。
そして、ターンが回ってきた。言う恥ずかしさに追撃をかける。
神様の弱点。それは、精神のお粗末さ。
楓は勝利を確信して口を開いた。
「あ……」
「はい。負けー」
「え、え? 何で?」
楓は驚きで後ろの座席を見た。
「今のは照れた笑いだったよ。ねぇ? 椿たん」
「ええ、そうね。そうだったわ」
負けた。ターンが回ってこないで楓は負けた。
やっと向日葵に対して勝ち星を挙げられるゲームだと思ったところでの敗北。
楓は前方へ視線を戻した。ふとその間で向日葵の姿が目に入ったが、いつもの笑顔。
しかし、楓は見逃さなかった。向日葵のニヤリとした笑みを。
やられたと思った。
自分に対して力を使えないからと油断していた。
向日葵の様子からすると何かしたのだ。
楓は考えた、自らに力を使わないで勝つ方法を。
思いつく限り、それはおそらく、桜と椿の視界を操作したのだろうということだった。そうすれば、楓に影響を与えずとも、確実に勝利できる。
二人の視界に照れた楓を見せれば、それだけで楓の反応関係なく楓の敗北が決まる。
愛してるって言われたからいいかと考え直し、楓は息を吐いた。
「じゃあ、三位決定戦ね。楓たんももう一試合」
「連戦?」
振り返るのはいかがなものかと思いながら、楓は再び後ろを向いた。
「それにほら、椿たんの番だよ」
「私はいいわよ」
と椿はそっぽを向いた。
「さっさとやれば終わるよ。椿、愛してる」
「ちょ、ちょっと待ってって」
「はい。負けー椿たんクールぶってるのに弱いね」
「クールぶってるんじゃないのよ。それに始まってたの?」
突然のことに面食らったのか、豆鉄砲食らったようにすると、赤くなって、顔を押さえてしまった。
「照れたら負けだよ」
桜の言葉で楓はとりあえず三位。順位を気にしていない様子の椿相手だったが、勝ちは勝ち。とりあえずの面目は保てたと思った。
「じゃあ最後にあたし達の決勝ね」
「私からでいい?」
「いいとも。かかってきなさい」
振り返る向日葵の姿を見て、楓は桜の負けを確信した。
「愛してる」
「おふぅ。ふふ。じゃああたしの番ね」
「今の負けでしょ。何続けようとしてるの?」
「今のは普通の笑いだったよ。ねぇ椿たん」
「もし普通の笑いなら、桜さんは相当変わり者ね」
「あたしは変わり者です。だから普通の笑いです」
「往生際が悪いな」
それから桜は何度も普通の笑いと言って、結局一度も負けを認めようとしなかった。
向日葵も桜の愛してるを耐え切り、決勝は決着がつかなかった。
桜の提案のおかげか、到着まで気持ち悪さに支配されることはなかった。
バスが止まり、ぞろぞろと降りていくクラスメイト達を尻目に、楓は向日葵の肩を引いて止めた。
荷物を言い訳に全員が出ていくのを待ち、全員がでたことを確認したところで、やっと準備ができたフリをして向日葵の背中を押しバスを降りた。
途端、思わず顔をしかめたくなる蒸し暑さが楓を襲った。
クーラーの効いていたバスの中がどれだけ快適だったか、楓は思い知ることとなった。
まとわりつく空気に反射的に暑いと声を漏らすより早く、
「降りてこないから待ってたんだよ」
と言う桜が楓の視界に入ってきた。
隣には桜に引っ張られ、強制的に待たされていた様子の椿が腕を組んで立っていた。
「さ、行こ行こ」
と言いながら歩き出す桜にと椿を確認してから、楓は向日葵に抱きついた。
楓は暖かさを通り越した熱さを感じ、やっと向日葵が戻ってきた気がした。
「どうしたの?」
優しくつぶやく向日葵の声が、楓の耳に響いた。
楓は目をつむると、向日葵の小さな肩にアゴを乗せた。
「……愛してる」
すぐさま解放し、楓は笑みを浮かべた。
「ほら、置いてかれるよ」
「う、うん」
それは、顔を真っ赤にして目を泳がせ、固まったままの向日葵を見たからだった。
楓は向日葵の手を引いて、ホテルまで駆け出した。




