第55話 お弁当を食べよう
「びっくりしたよ。茜ちゃんも取り乱すことあるんだね」
楓は玉子焼きをつまみながら言った。
出て行くかと思われた茜だったが、ドアを閉めると、楓の誘いを、
「そう言ってくれるなら喜んで」
と言って受けたのだった。
同情されて傷ついた様子もなく、楓はホッとしていた。
「ごめんね。普段は感情が乱れることなんてなかなかないのだけど、楓といると肉体に引っ張られるようなのよね」
そう言うと、茜はブロッコリーを口にした。
「肉体に引っ張られる?」
もっと手塩にかけた感じの料理を食べてくれと思ったものの、楓からは疑問が口をついた。
「そう。私は本来肉体を持たないの。ここの世界にいるためにこの体を持っているのだけど、肉体を持つと感情が生まれてうまくいかないのよね。虚無よりは楽しいけれど」
言いながら、茜はふふふと笑った。
茜の言葉通りの楽しそうな様子に反して、楓は額を押さえた。
「ちょっと待って、そういう設定? 茜ちゃんって中二病だったの?」
「中二病……? 私も病気なの?」
楓の動作を真剣に取り合ったのか、茜は顔面蒼白で言った。。
友達が少ないせいで色々と知らないのだろうかと楓は考えた。
「ううん。お姉ちゃんは別に病気じゃないよ。神様だからね。先にそれを伝えないと」
会話よりも、食べ物を口に運ぶことに集中していた向日葵がつぶやいた。
ベッドに腰かけ、体を起こし、それだけ食べられるなら茜を引き止めた理由が弱くなりそうなのだが、と楓は思った。
だが、その思考が現実逃避だと気づくと楓は頭を振った。
「茜ちゃんも神様だったの!?」
「そうだよ。言ってなかったっけ? 一応、うちの姉妹はみんな神様なんだよ」
「聞いてない」
「そうだっけ?」
と向日葵は構わずお弁当箱を突いていた。
そんな様子に、楓は苦笑いを浮かべた。
他にも色々と話していないことはありそうだったが、とりあえず目の前の情報を処理することにした。
向日葵の姉妹は神様らしい。妹も神様なのかと楓は考えた。
「それなら中二病じゃないね」
「病気じゃなかったのね。よかったわ」
本気で心配していたのか、茜は胸を撫で下ろしたようだった。
「でも、今になってみると色々と不手際があったんじゃないかと心配だわ」
「姉妹で思考って似てるんだね」
「私が? お姉ちゃんと?」
向日葵が驚いたように言った。
楓は頷いて口を開いた。
「だって、向日葵も人のフリできてたか聞いてきたじゃん」
「そうだっけ?」
と言いながら、向日葵は誤魔化すように、お弁当の中身を色々と無作為で口に詰め込んでいった。
二人とも超常的な現象を起こせたとしても、感情のコントロールがお粗末らしい。
話を聞く限りだと、神様は実体を持たないようだ。
そして、虚無らしい。
人間の体とのギャップがあることで、感情に困惑して茜は楓を向日葵と引き離そうとしたのだろうか。
肉体に引っ張られるという茜の言葉を振り返ると、楓は吹き出した。
「何? 楓ちゃん馬鹿にしてるの?」
楓が吹き出した様子に、向日葵は楓を睨みつけた。
「してないしてない」
楓は手を振って否定した。
「神様って案外人間っぽいんだなと思って」
「一応言っておくけど人の姿を借りてるからだからね? ここじゃなければそうじゃないからね?」
「でも僕に恋をしたんでしょ」
「それは……そうだよ? 頑張って努力しても報われない姿を長い間見てたよ?」
「ひどい、そんなところ見てたの?」
「あとちょっとで成功するかも? みたいなのもあったけどね」
「どれ! どれがそうだったの!」
「ま、今じゃ知っても仕方ないけどね」
「くぅ」
拳を握りしめたが、しかし、楓は笑いが止まらなかった。
人の形をしていても同じ神様というわけではないらしい。
そう、初対面の時の茜のように魅力で人身掌握して操り、あくまで人間の世界は一つの箱庭でしかないと考えているような、遊びとしか思っていないような存在ではないのだ。
また、全く存在しないわけでもなかったのだ。
序列はあるようだが、それも具体的なのかどうかはわからない。
ふと、楓はひらめいた。
「茜ちゃんが向日葵より上位の神様なら、イレギュラーな僕に対しても、変化を加えられるんじゃない?」
楓は期待の目で茜を見つめた。
もしかしたら、男になることもできるかもしれない。
それは、未練というよりも興味だった。
転生した時はぼんやりしていて、気づけば女の子になっていた。今なら、向日葵が自分自身にしていたような、肉体が変わる瞬間を直接体験できるかもしれない。
変身はロマンと考えながら、楓は再度黙っている茜を目を輝かせて見つめた。
だが、茜のテンションは楓と違って低かった。
「期待してくれてるところ悪いけど、それはできないわ」
「なんで?」
「私ならと言うけれど、私の力でも効かないことは確認済みなの。もう色々と試してダメだったから、直接私が楓と対面することになったのよ。言ったと思うけど、嫉妬していたの。最初は能力で気持ちを変えて解決しようとしたけど、効果はなかったの。何もされた記憶はないでしょ?」
楓は茜の言葉で記憶を探ってみた。
確かに、心が折れそうにはなったが、諦めようとはならなかった。
気持ちや行動を変えることができないのに、見た目を変えることはできない、ということなのだろう。
楓はがっくしと肩を落とした。
そんな楓に向日葵は頭を撫でた。
「上位の神様でもダメか」
「ねぇ、楓ちゃんには無理でも私の胸は? お姉ちゃんのルールじゃないの?」
「そうよ。私のルールよ。でもそれは、私が許さないわ」
「なんで! 楓ちゃんは大きい方が好きなんだよ」
「はっきりそうは言ってないよ?」
楓は恥ずかしくなってうつむいた。
「私は小さい方が好きなの!」
茜は叫んだ。
どうやらルールを作っているという上位の神様は、茜のことだったらしい。
つねり合い、取っ組み合って抗議しているが、茜の方が強いのか、風邪のせいか、向日葵は簡単にへたってしまった。
「姉としてそれでいいの?」
「いいのよ」
勝利のポーズなのか、茜は腕組みすると、まるで差を強調するようにして、向日葵を見下していた。
嫉妬は一体どういうことだったのかと思った楓だった。
騒がしくてなかなか食べ終わらないと、楓は再びお弁当に向き合った。
「それにしても普通ね」
味を思い出したように茜は言った。
「美味しいでしょ!」
茜の言葉に向日葵はむくりと起き上がった。
精一杯作ったつもりだった楓としても、普通と言われるとグサリときた。
「普通よ」
「そりゃ、こんな豪邸に住むんだもん。さぞ美味しいものを食べてるんでしょ? それと比べてるんでしょ? だったら普通だと思うよ」
「それでも楓ちゃんのお弁当は美味しいよ。私は大好きだよ」
「あ、ありがとう」
素直な褒めに楓は頬を染めた。
それから、向日葵は茜を睨みつけた。
だが、先ほど負けて学習したのか、向日葵が茜に手を出すことはなかった。
途中から団らんとはいかなかった気がしたが、お弁当を完食してもらえて楓は満足だった。
茜からの評価は普通だったが、向日葵が大好きと言ってくれたため、それでよかった。
どうやら茜は用事があるようで、お弁当を食べ終えるとすぐに部屋を後にし、向日葵も食べたら眠くなったのか布団に入って寝てしまった。
食べてすぐ眠ると牛になると思ったが、神様に限ってそんなことはないだろう。
茜の言葉から考えると、向日葵を牛にすることはできそうだが、そこまでするようには見えなかった。
なんだかんだ言っても仲がいいのだ。
しかし、茜はもう少し妹離れした方がよさそうだと思いながら、楓は部屋を出た。
完全に油断していた楓は動きを止めた。
向日葵の部屋の外には一人の少女が立ちつくしていた。
紫色の髪のロリータファッションの女の子。まるでお人形さんのような姿に、楓は物語の世界から飛び出してきたのではと思った。
だが、楓には目の前の少女に見覚えがあった。
それは、紅葉とショッピングモールへ行った日のこと。ちょうど、向日葵と茜が楽しそうに歩いていて嫉妬した時、近くにいた女の子だった。
驚きに目を見開いていると、ペコリと頭を下げられた。慌てて楓も下げ返した。
「姉二人がお世話になってます。妹の朝顔です」
と目の前の少女が言った。
「こちらこそお世話になってます。秋元楓です」
再び頭を下げて楓はいった。そして、なるほどと思った。あの時、向日葵は茜と二人ではなかったと気づいたからだった。
同時に、茜に対する苛立ちは完全に当てずっぽうによるものだったのだな、と楓は気づいた。
「私は年下ですけど、敬語なんですね」
「神様と聞いたので」
「でも、姉達も神ですよ」
「二人ともくだけた話し方がいいようなので、ですますじゃないだけですよ。それに、見た目じゃ年齢は分かりませんからね。初対面で粗相はできませんし」
「そうですか」
なんだかつっけんどんだな、と楓は感じた。
挨拶に来ただけなのか、そそくさと廊下を歩き出したため、楓は朝顔の背中を見送った。
それから、どっちが帰り道だったか、と廊下をキョロキョロと見回した。
「何してるんですか? 姉に送れと頼まれたので、ついてきてください」
「は、はい」
慌てて返事をして、楓は朝顔を追いかけた。
動きにくそうな格好をしていて、楓よりも小さいにも関わらず、朝顔はハイペースでズンズン進んでいった。
焦らないと置いていかれそうになるスピードに、楓は必死に歩いてくらいついた。
途中、駆け足になりながらも移動を続け、夏目家を出た。
門までは、再び使用人の人に車で連れていってもらい、自然へ。
獣道を迷わず進む朝顔を前に、服につく汚れも神様の力で消せるから気にしないのか、と楓は考えていた。
そのまま木々の間をしばらく歩くと、見慣れた住宅街に出た。
来た道を引き返しているだけのはずだったが、楓は全く別の道を歩いているような気がした。
久しぶりの向日葵との時間は楽しいものではあったが、知らぬ場所に来ていたからか、やっと帰れるという安堵が大きかった。
「もう大丈夫ですよ。ここからなら家までの道はわかりますから」
「いえ、姉に家まで送れと言われてますから。家まで送りますよ」
「僕の家の場所わかるんですか?」
「はい」
頑なだなと思いながらも、楓は続けて朝顔に先導してもらった。
通り過ぎる人々の視線をかっさらう朝顔の近くを歩くのは楓にとっても恥ずかしく、たびたびうつむいていた。
「さすがに、ここまで来たら帰れますよ」
家の前で立ち止まり引き返そうとしない朝顔に、楓は言った。
しかし、朝顔は首を横に振った。
「姉には 帰宅までしっかり見送れと言われてますので」
上下関係が激しいタイプの関係なのだろうか、と考えつつ楓は苦笑いを浮かべた。
茜と向日葵の関係とはまた違うのだろう。
このままじっとしていては朝顔は家に帰れないのだろうとわかり、楓は家のドアまで駆けた。
「またね」
「さようなら」
楓が笑顔で手を振ると、朝顔は笑顔を初めて見せ、頭を下げた。
背中に視線を感じながら、楓はドアを開け家の中へ。
「ただいま」
すぐに引き返しただろうと思い、楓はすぐさまドアを開けて家の前を見た。
だが、先ほどまでいた朝顔の姿はなかった。
近くを見回してみたが、歩くスピードで移動できる場所で物陰に隠れらそうな場所もなかった。
誘拐かと考えたが、それこそ規格外のスピードでかっさらっていったことになる。
どういうわけか、忽然と姿を消してしまったらしい。
もちろん相手は神様だ。透明になって実は見ている可能性もある。それだけでなく、他の可能性もあるだろうが、少なくとも楓には見つけられなかった。
向日葵にしっかりと帰宅したか聞こうと考え、楓は再びドアを開け家に帰った。
「ただいま」




