第47話 ホラー映画
「本当に大丈夫?」
「大丈夫大丈夫。さすがに映画は大丈夫だよ。映像だし。飛び出してこないし」
「他のものだと飛び出してくるみたいに言ってるけど、他のものでも飛び出してこないよ?」
約束通り、今度は映画の予定だった。
それもジャンルはホラー。
先ほどの趣旨を勘違いした怯えの反応は、楓にとって恥ずかしさで死にかけるところだったが、冷静さを取り戻した楓にとって映画程度は敵ではないという思いだった。
これまで、一度たりともホラー映画を見たことはなかったが、自信はあった。
それは、すでにいつ驚かせてくるかわからない恐怖も、雰囲気による恐怖も別のもので体感済みだったからだ。
また、これ以上恥をさらすわけにもいかず、見たことがなくても見栄を張らざるを得なくなっていたということもある。
「楓ちゃんの言う通り、これはあくまでフィクションだものね。いくら出来がよく、みなが口を揃えて二度と見たくないと言ってたとしても大丈夫よね」
「え?」
楓は今度は固まらず、意気揚々と後ろを向き、全速力で駆け出そうとした。
しかし、すでに腕は捕まれており、逃げることは叶わなかった。
「離してください」
「大丈夫よ。フィクションだから」
「そんな、誰も二度と見たくないなんて呪われてるんですよ」
「呪いなんてないよ」
「ええ、現実的じゃないわ」
桜も椿も楓には同調しない。楓に味方はいない。
必死に掴まれた腕を引っ張るも、茜はびくともしなかった。
まるで根を深くまで伸ばした木のように、直立したまま楓の抵抗をものともしない様子だった。
「楓ちゃん本当に力入れてる?」
「入れてますよ」
「じゃあ、怖くて力が入ってないの?」
「へっ」
楓は茜の言葉に抵抗をやめた。すると膝が震えていた。
疲れたわけでもないのに、膝が笑っていた。
恐怖を自覚すると、急に三人の口が三日月のように異常に口角が上がっているように見えた。
そして、周りを見回すと、誰もが楓を見つめ、また同じ表情で笑っている風に見えた。
「子供みたいにしてないで見ましょう」
「子供でいいですから」
効きすぎたクーラーの風が肌を撫で、楓の腕には鳥肌が立っていた。
大丈夫と言ったことを後悔しながら、しっかりと券を買い、楓は三人とともに劇場へ向かった。
道中、貸し出し用のブランケットを見つけると手に取った。
買ってしまってはもう仕方なく、楓は大人しく席についた。
怖い雰囲気さえなければ、暗くても大丈夫だったが、これから起こるであろう現象を予想すると、楓は身震いした。
「あれ? 茜ちゃんは」
気を紛らわせるため、近くを見回すと茜の姿が見当たらなかった。
すでにトイレも済ませたはずで、上映までもう数分程度だった。
ちゃんと桜でさえ大人しく席について、映画が始まるのを心待ちにしているにも関わらずだった。
「今、失礼なこと考えてなかった?」
「全然」
楓は桜から目を離した。
今さら怖くなって逃げ出したかと思ったが、茜はそんなことをする人間ではない。
となると誰かにさらわれたか。それもないだろう。ホラーじゃあるまいし。
椅子に座りじっとしているからか、冷房の効きが強くなったように感じるほどで、楓は腕をさすりながら持ってきたブランケットを膝の上に乗せた。
「いやあ、お待たせ」
器用に荷物を持ち、スタッフのような人も連れて、茜はやっとやってきた。
「何してたんですか?」
「ごめんごめん。色々買ってたら遅くなっちゃって」
飲み物にポップコーン。それにパンフレットも買ったのか、茜の手は荷物でいっぱいだった。
その上一人では持ち運べず、スタッフの人に頼み込んだらしかった。
「ありがとうございました」
とスタッフの人に礼を言うと、茜は荷物を置いた。
「はい。これが、楓ちゃんの。こっちが、桜さんと椿さんの分。で、私の」
きっちり四人分の飲み物とポップコーンまで用意しており、準備のよさがうかがえた。
楓は意外と準備がいいのだなと、受け取った物を所定の位置に置きながら思った。
「いいんですか?」
律儀に驚く椿に、茜は手を振って笑った。
「いいのいいの」
「ありがとうございます」
椿の感謝に続いて、めいめい茜に対して礼を言うと、ちょうど劇場は暗くなり予告も始まった。
冷えてはいるものの、冷房による寒さなため、喉のかわいてきた楓は水滴のついたドリンクを手に取り、ストローに口をつけた。
手が濡れる感触とともに、楓は吸うと、
「痛っ」
刺激が口腔内をおそい、首を引っ込めた。
その後、甘みを感じ、楓は炭酸飲料を渡されたのだろうと察した。
苦虫を噛み潰したように表情を歪ませながら、今さら茜を睨むわけにもいかず、楓は覚悟を決めてもう一口飲んだ。
今度は声を漏らさなかったが、これは水分補給にも苦戦しそうだと自覚して戻して、ポップコーンを口に含んだ。
炭酸が甘かったため、よりしょっぱく感じるかと思ったが、こっちはこっちでカラメルで甘々じゃないかと、ツッコみたくなった。
しかし、炭酸はまだしも、ポップコーンは美味しかったため、楓はよしとすることにした。
予告なら大丈夫だろうと見ていると、興味をそそるようにうまくできているからか、怖そうではあるが面白そうに見え、巧妙にしかけられた罠だと思っていた。
そして、いつもの盗撮の映像の後で、映画が始まった。
オープニングの映像から、すでに物語は始まっているのか、不気味さ満点の映像が流れ出した。
またも隣が桜だったため、一度も二度も変わらないだろうと、いざという時は頼りにしようと心に決めたのだった。
「面白かったね」
「……」
楓は無表情だった。
もう怯えることはなかった。
ただ虚空を見つめ、ほのかに笑みを浮かべていた。
困った様子の三人を前に、楓はそれ以上の感情表現ができなくなっていた。
「見猿、聞か猿だったのに怖かったの?」
「桜のせいだよ。桜の……はは」
「あたし?」
自らを指をさし驚いた様子の桜に楓は頷いた。
楓はそのまま映画の途中を思い返した。
それはオープニングの怖さから、すでに目をつむり、耳を塞ぎ、時々ポップコーンをつまんでいた時のこと。
喉がかわき、飲み物を取ろうと手を伸ばした時、楓の手は空を切った。
何度指を曲げてもグーにしかならない。
おかしいと思い、薄目を開けるとドリンクホルダーに飲み物がなくなっているではないか。
落としたかに思えたが、足元に水は広がっていない。
となると可能性は一つ。
楓は即座に首を上げ、隣に座る桜を見た。
桜はスクリーンを真っ直ぐに見つめながら、両手で持った飲み物のストローを吸っていた。控えめながら、ズズズと中に何も入っていないことを示す音を発して。
そして、満足したように楓の手元へと戻された。
炭酸を一気に飲んで大丈夫なのか疑問を抱きながら、楓は空になっただろうドリンクを見た。
手に取り、フタを取り、氷しか残っていない炭酸の氷だをけ食べて、なんとか水分を補給したのだった。
「そこまでするなら見なくてもいいんじゃ? お金も払ったんだし」
「そう思ってそっからは見たよ。それがこれだよ。途中からなら大丈夫だろうって思ったけど、怖いものは怖いよ」
言い終えると、楓は再びすんと表情をなくした。
実の所は見たのではなく見せられたのだ。
耳から手を離し、目を開いたことで、いやでも情報は視覚と聴覚から入ってきた。
そうなると、楓は動けなくなり、受動的に受け入れざるを得なくなった。
結果、物語に集中し、精魂尽き果てたのだった。
かわいく怖がる余裕など微塵もなかった。
今までは、なんだかんだと余裕があったのだということが、楓にとって唯一の発見だった。
「怖がってるのは、ずっと楓ちゃんだけだったのね」
茜の同情的な視線が、楓にはひどくいたたまれなかった。
この後の予定など投げ出して、いっそ逃げてしまいたいと思った。
だが、そんなわけにはいかない。本当のミッションは自分で計画したのだから。
「面白かったもんね。椿たんもそうでしょ?」
「そうね。怖かったけど、面白かったわ」
「意外ね。椿さんは涼しい顔してたけど、怖かったのね」
「怖いですよ。ただ、私は楓さんと違って、そこまで態度に出ないだけです」
内容を話し合う三人は、ホラー映画の後だというのに笑っていた。
結局、かわいく怯える練習とはなんだったのか、と楓は今さらながら思うのだった。
楓の思考もよそに、まだまだ元気な茜は、二人と離しながらも、今の楓をどう料理しようかと値踏みしているようだった。
しばらく周りと見比べていたが、何かを思いついたように手を打った。
ニヤニヤとしたいやらしい笑みを顔にはりつけたまま、茜は口を開いた。
「それじゃあ、軽くご飯食べてから、次行くとしましょうか」
もうそんな時間かと思い、楓は近くの時計を確認すると、すでに昼過ぎだった。
ポップコーンに炭酸飲料で、楓のお腹はある程度満たされており、確かに軽食で十分だった。
ご飯のことを思い出すと、楓にほんの少し気力が戻った。
三人はすでに歩き出しており、追いつくために小走りした。
道中、ブランケットを返却し、茜に食ってかかった。
「茜ちゃん。なんで炭酸だったんですか」
「炭酸嫌い?」
「嫌いというか苦手なんです」
「楓たん。痛って、言ってたしね」
「そう。炭酸は痛いんです。どうして他のにしてくれなかったんですか」
「え? 私が好きだから。あと、映画館ならポップコーンと炭酸じゃない?」
「あたしもそう思います」
「いえーい」
意見のあった二人は、ハイタッチ。
すっかり仲良くなった様子だった。
ホラーより恐れていたはずが、恐怖はどこへ行ったのか。
そんな二人をよそに、楓は恐る恐る椿を見た。もしかしたらおかしいのは自分かもしれないと思ったからだ。
楓の視線に気づくと、椿は目を伏せ考えだした。
「私はなしでもいいですかね。映画に集中したいので。そういうことでしょ?」
「さすがにそこまでじゃないかな」
「え? 家だと何も食べないでしょ?」
「あたしは家なら家でお菓子とか準備して見るよ?」
「そうね。私もそうしてるわ」
「僕もそうかな」
「食べないのは私だけ?」
思い返してみると、宿題をやる時もお菓子に手をつけている印象がなかった。
椿にはながらで食べるという文化がないのかもしれない。
今日は、椿の分として渡されたこともあり、残すことが申し訳なく食べたり、飲んだりしたのかすっかりなくなっていた。
何を飲むか以前に、ありかなしかということでもわかれているのかと楓は知ったのだった。




