第39話 姉妹で
さすがに、向日葵のためとはいえ、楓は家に帰る頃にはヘトヘトになり、だらしなく玄関へ倒れ込んだ。
「もう無理、動けない。頭がはち切れる。あああああ」
冷静になり、一日を思い出して悶えると、このままどこかへ行ってしまいたい衝動に駆られた。
だが、そんなことができようはずもなく、楓は起きあがろうと顔を上げたところで、間が悪く紅葉と目があった。
ヤバいと思った時には手遅れで、紅葉は玄関に倒れている楓目がけて駆け寄った。
「お姉ちゃんどうしたの? 何かあったの?」
「なんでもないよ」
「そんなことないでしょ? 玄関で寝るなんて相当だよ」
「いや、ちょっとハードな遊びにつき合わされただけだよ」
「ハードって何? 何したの?」
紅葉は楓の遊びの内容が気になったのか、床にうつ伏せになった楓の肩を激しく揺らした。
なかなか力の入らない楓の体は、紅葉の揺らすままに揺らされるだけだった。
「なんていうか、疲れる感じのことだよ。あと、恥ずかしい感じのこと」
「面白そう。私もやりたい。感想は? もっと感想」
大人しいのかと思っていた楓だったが、紅葉の好奇心は強いらしい。
もう眠くなり出した頭に、ここで寝てはいけないと指令を出して、楓は必死に体を起こした。
「妹って大変だなって感じのやつだよ」
「お姉ちゃんも妹だよね」
「そうだけど、なんだろう。今まで知らなかった妹に対する欲望を押し付けられた感じ」
「え、どんなことしたの?」
興味を持ったことを後悔したのか、一瞬表情を引きつらせた紅葉だったが、怯むことなく質問を続けた。
「紅葉は僕に何してほしい?」
「え? うーん」
楓の質問に、紅葉は迷うように揺れた。
少しして、頬を染めつつ楓を見つめた。
「頭なでなでしてほしい」
「じゃあそれを僕にしてみて」
「どういうこと? お姉ちゃんどうしちゃったの?」
「いいから」
驚きと困惑を混ぜたような顔を浮かべ、迷ったように何度か出しては引っ込めを繰り返してから、紅葉は楓の頭に手をのせ、スライドさせた。
楓は目をつむって呼吸を落ち着けると、先ほどまでの自分を思い出し、幼い妹像を自分の中に憑依させた。
「お姉ちゃんありがとう」
「え? 何? どうしたのお姉ちゃん。やっぱり疲れてるの?」
「ううん。こういうのを外でしてきたの。ハードでしょ。それじゃ、ちょっと部屋でやす、むぅ」
楓が立ち上がって移動しようとしたところで、紅葉は楓の腕を思い切り引っ張った。
ただでさえ力の抜けた楓は、体を大きくのけぞらた。
疲労でボーッとする意識の中、必死になって踏ん張ると、倒れることなくなんとかその場に留まった。
「どうしたの?」
「お姉ちゃんかわいかった。もうちょっとやろ?」
紅葉の発言に楓は目をしばたかせた。
甘える練習が効果的だったらしいことに固まってしまった。
ダメ押し的に、紅葉はすぐに頷かない楓を不安気に見上げた。
「ダメ、かな?」
これが本当の甘えるということなのだろうと思いながら、楓は首を縦に振っていた。
本物の妹からなら学べるところもあるかもしれないと思ったからで、かわいいと言われたからではない。と自分に言い聞かせていた。
紅葉の方を借り、よたよたと歩くと、楓は紅葉の部屋へと連れ込まれた。
それから、ままごとのようなことをして、晩ご飯を食べるなり、必要以上に世話をされた。
疲労と満腹からうつらうつらとし、半分睡眠状態だった。
「じゃあ、この辺で」
「待って、今日は私の部屋で寝て、妹なんだからもっと甘えてきて」
立ち上がったものの、紅葉に袖をつかまれ、半目のまま船をこいでいた。
「やったー」
楓の動きを了承と判断すると、紅葉は楓を布団へ入れた。
「おやすみ」
「うん。おやすみ」
部屋が暗くなったことで、楓はすぐに眠りについた。
翌朝。
「おはよう紅葉」
「おはよう楓」
「……ん? 呼び捨て?」
朝から紅葉の顔が目の前にあることには慣れていたが、新しい接され方に楓は目が覚めた。
「楓こそお姉ちゃんを呼び捨てとは何?」
「お、お姉ちゃん?」
「明日も姉妹逆転ごっこにつき合ってくれるって言ったでしょ」
「そうだっけ?」
「そうだよ。なんだか、優位性を得た気がして楽しくって」
恍惚とした表情を浮かべだした紅葉を見て、楓は何かいけないスイッチでも押してしまったのではと思った。
すでに、変なクセができてしまったような気はした。
だが、今日もやるとは言ったような、言っていないような、楓の記憶はおぼろげだった。
まあ、なんとかなろうと思い、楓は紅葉の体に下敷きになった腕を引き抜くと、今日も起き上がった。
「じゃ、仕切り直して、おはようお姉ちゃん」
お姉ちゃんと呼ばれると、紅葉は嬉しそうに顔をほころばせると、部屋のドアを開けた。
出ろということだと判断し、楓は部屋の外へ。
これまでは紅葉が部屋に来ていたため、朝に紅葉の部屋から出てくることはなかった。
いつもと違う光景に違和感を感じながら、階下を目指した。
歩きながら、昨夜自分が何をしたのかを思い出そうとしていた。疲れからおかしな行動をしていた可能性もある。
何故だか楓にはわからなかったが、紅葉の体に腕を回しており、腕が紅葉の体の下敷きになっていた。
そのせいか、少しジンジンとする腕をさすりながら、楓は考えた。
甘えたついでに抱きついたまま寝てしまったのだろうか、と思いつつも記憶になく首をかしげる。
あまり張り切りすぎるのもよくないのだと気づいて、楓はこれからは気をつけようと考えた。
再び、リビングの前で、紅葉がドアを開け、楓はリビングに入った。
「おはよう。お母さん」
「おはよう。楓。どうしたの? 腕痛いの?」
「いや、なんというかジンジンするような気がして」
「そうだったの? 大丈夫?」
心配そうな声をあげ、紅葉は楓のさすっていた腕を撫でつけた。
あくまで知らない様子だったが、何か知っているかもしれない。
寝ている間に腕を回したのか、それとも寝る前に抱きついてしまったのか。
楓は気になったが、母の前で妹をお姉ちゃんと呼ぶ抵抗感に負け、口に出すことはできなかった。
「いただきます」
「いただきまーす」
食事の並んだ席に腰かけ、楓は紅葉とともに朝食をとりはじめた。
学校もなければ用事もない。今の楓には特に急いで食べる必要もなく、マイペースにゆっくりのっそりと料理を口へ運ぶ。
もとより食事のペースの遅かった楓は、昼食の時はペースアップして食べないと間に合わず、いつも焦って食べていた。
どういうわけか向日葵に食べさせてもらうと早くはなったが、慣れても恥ずかしいため、あくまで予防策だった。
しかし、今は夏休み、どれだけゆっくり食べても問題にはならない。せかされることもない。
誰よりも遅く食べ終わる楓は、母がまとめて洗うタイミングに間に合わないため、基本自分で洗うことになっていた。
そのため、いつもなら食べ終わると、即座に食器を渡す紅葉だが、早くも食べ終わったのも関わらず、楓の隣でソワソワと落ち着かない様子だった。
「どうしたの?」
紅葉は楓の質問に母の顔を見てから、楓の耳に手を当て、顔を近づけた。
「……楓を待ってるの」
さすがに、母の前では、姉妹逆転ごっこなどという遊びをやっていることは知られたくないらしく、紅葉は耳打ちした。
なるほどと思ったが、楓は構わずゆったりもぐもぐ食べ続けた。
紅葉の恥ずかしさはわかったが、楓には紅葉が楓が食べ終わることを待っていなければならない理由が思い当たらなかった。
結果、周りが食べ終わり、しばらくしてから楓は食べ終わった。
「ごちそうさまでした」
手を合わせ、挨拶をすると、いつものように皿を重ねた。
台所へと持っていこうとしたところで、紅葉は自分の分とともに楓の皿をかっさらい、まとめて洗い出した。
今日は母もいるため、持っていくだけで、
「やっとくわよ」
と言われるパターンだと思っていたが、全く予期しなかったことに楓は度肝を抜かれた。
大袈裟な驚きな気はしたが、視界の外から急に手が伸びてきたようだとでも考えれば、楓は今の自分の気持ちが腑に落ちた。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして」
紅葉は二人分の皿を手際よく洗い終えると、またも楓のためにドアを開けた。
二人はリビングを出て、洗面所へ。
歯を磨く間、楓は髪のセットもやってもらってしまった。
服も選んでもらい、よくよく冷静になると、再び恥ずかしさが楓のもとへとやってきた。
「なんだか姉というよりお手伝いさんみたいだね」
「いいの。私がやりたくてやってるんだから」
実際、紅葉は朝から楽しそうで、今も鼻歌を歌いながら何やら楓の髪をいじくっていた。
先ほどの髪型が気に入らなかったのか、今度はスマホを見ながら、楓の髪型を変えていた。
楓はこれまで、なんだかんだと簡単に結んで済むような髪型しか試していなかったため、どうなるかは楓も気になっていた。
あーでもないこーでもないと髪型を変える紅葉の手が止まるのを待ちつつ、エアーあやとりをしていると、
「ジャジャーン」
という妹の声に楓は現実に戻ってきた。
手鏡で確認すると楓の名前の知らないツインテールのような髪型になっていた。
「これは?」
「えーと、ツーサイドアップ? ってやつらしいよ」
「ツインテールみたいだね」
「ツインテールの親戚みたいなのじゃない? 調べて出てきたのをやってみようと思って。でも、妹っぽいでしょ?」
「え、うん。まあ、髪のセットをしてもらうのも、ツインテールみたいなのも妹っぽいのかな?」
「へへへ」
はにかむ妹にこれでよかったのかと思いつつも、自分は特に髪のセットなどしてあげたことないと思い出した。
これまで言っていなかっただけで、やってほしかったのかもしれない。
夏休みが終わればまたしばらく会えなさそうだと考え、楓は練習しようと心にメモした。
これで準備が整ったのか、紅葉は楓の前に回り込むと、両手を広げた。
「昨日の続き、しよ?」
楓は紅葉の言葉に固まった。
結局、自分が昨日の夜何をしたのか思い出せていなかった。
紅葉の部屋に入ったところまでは記憶にあった。
しかし、それ以降はなんだかうつらうつらしていて、目も開いていたような、閉じていたような状態で過ごしたため、霞がかっているようだった。
そのうえ、茜とのやり取りを思い出しては、どうしてあんなことをしたんだという思考が常に頭の片隅にあり、何をしているか判然としていなかった。
そう思うと、急に妹の目が自分以外の何かを見つめているように感じ、楓は鳥肌が立った。
これ以上進むと何か大切なものを奪われる予感から、楓は視線をさまよわせた。
「あ! ごめん。今日は友達と宿題を一緒にやる約束をしてたんだ。また今度ね」
「えー!」
「お姉ちゃんなら待てるでしょ?」
「うん」
「また、今度埋め合わせするから」
「絶対だよ」
頷いて、部屋を出て、楓は自らの部屋に駆け込むと、ドアを背にして、床にへたり込んだ。
妹である紅葉に、何かに取り憑かれたような、狂気のようなものを感じた。
どうやら、開けてはいけない扉を開けてしまったらしいと思いつつ、楓はスマホを手に取った。
桜へ今から僕の家で夏休みの宿題やろうと簡単にメッセージを送る。
ずっとスマホでも見ていたのか、即座にOKと返事が来て、瞬間移動並みのスピードで家のチャイムが響いた。
楓も気づいたタイミングですぐさま部屋を飛び出し、誰より早く玄関へ向かった。
勢いよく開かれたドアに桜は大きく目を開けたが、すぐに笑顔に変わった。
「楓たんから誘ってくれるなんて珍しいね。あたしも宿題困っちゃってさ」
「とりあえず、玄関じゃなんだから、僕の部屋にどうぞ」
「お邪魔しまーす」
こうして、約束があったように装い、楓は桜と夏休みの宿題に取りかかった。




