第33話 終業式
終業式が終わった。
あくびを噛み殺しながら、暑い体育館での式を無事楓は耐え切ったのだった。
ルールは柔軟ながら未だクーラーの設置されていない夏の体育館は暑く、まるでサウナのようだった。
汗がジワジワと出て止まらず、ゲリラ豪雨の時のように下着が透けるのではと思い落ち着かなかった。
だが、そこまでの汗はかかずにクーラーの教室に戻って来て、楓は生き返る心地だった。
転生してからというもの、楓は生活や肉体の変化に四苦八苦しながらも、なんとか夏休みという区切りまでたどり着くことができた。
今のところ、楓は正体がバレることなく平穏な学園生活を送ることができていた。
主に向日葵や桜が面倒を起こしていたが、その対処もまた日常になり、今の楓には楽しむ余裕ができていた。
一緒に帰ろうと自分から誘っておきながら、楓は向日葵が教室に居ないことに気がついた。
風で揺れるカーテンに、ここにきてダイナミックに窓から教室を脱出しだしたのかと思ったが、下に向日葵の姿はなかった。
「何見てるの?」
楓の様子が気になったのか、桜は跳ねながら楓の隣まで来た。
「いや、ちょっと外を眺めようと」
奇想天外な思考を知られぬように平然を装って答えた楓だったが、桜の突然の儚げな表情に目を丸くしてしまった。
遠くの空を見つめるその顔は悲しさの表れではないかと楓はもたついた。
「この景色を見るのも今日で最後だしね」
そんな桜のセリフに楓は、桜が転校するのだと考えた。
儚げな表情やもの悲しさはそのためなのだと思うと理解できた。
何か声をかけなくてはと慌てふためいたが、椿はそんな桜のことを心配せずに近づいてきていた。
「卒業じゃないんだし。また休みが明けたらいやでも見ることになるわよ」
「あはは。バレたー? まあそうなんだけどねー」
「ちょっとー驚かさないでよ。何かあったのかと心配したじゃん」
「楓たんは心配性だなー冗談だよ。冗談」
いつものペースで冗談を言う桜に、楓はクスッと笑った。と同時に冗談でよかったと胸を撫で下ろした。
普段から振り回されてばかりだったが、いざお別れとなるとどうしていいかわからなくなった。
まだ、今の楓になってからの関わりは浅かったが、それでも転校じゃなくて安心していた。
「そんなつもりで楓さんが見てるわけないでしょ。桜さんじゃないんだから。ほら、行くわよ。一人で考えたいこともあるでしょ」
「あ! 最近になってようやく下の名前で読んでくれるようになったと思ったら、椿たんとて罵倒を許可したつもりはないよ!」
「あら、罵倒したかしら?」
「なにおう! 今から説明してあげるから表出ろ!」
と言いながらもその場で睨みつける桜を意に介さず、椿は教室の外へ引きずり出した。
静かに言う通りにしていた椿が、いつの間にか桜をあしらうようになり、驚きつつも楓は桜を離してくれたことに軽く頭を下げた。
楓もまた、桜の指摘と同じように、秋元さんが楓さんになり、呼ばれるたび胸の内がソワソワしていた。思わず笑いたくなるようなこそばゆさだった。
「それじゃ、楓さん。また会いましょう」
「すぐに会いに行くからね! 何かあったら言ってね。なんでも相談に乗るからね。待ってもうすこ、あー……」
「うん。ありがとう。またね」
桜は何かを言いかけていたが構わず視界の外へと連れ去られた。
別に夏休み中会わなくとも、夏休みが終われば自然と学校で会うのだから。と楓は軽く吹き出しながら、最後まで騒がしい桜といつの間にか勇ましくなった椿を見送った。
バーベキューパーティが終わってからというもの、椿は桜に対して毅然としていた。
楓もまた椿の様子を見習わないと、と思いつつもいつも桜のペースに流されうまくいかないのだった。
再び落ち着いたところで教室を見回したが、未だ向日葵の姿はなく、校庭に目を向けても同じだった。
「楓」
ひかえめな男の声が楓に向けられた。
今度は心配そうな表情を浮かべた歓太郎が楓に話しかけていた。
「ちょっと話が聞こえちゃったんだが、何か悩んでるのか?」
「ああ、あれは桜の冗談だから気にしないで」
ホッと安心したように歓太郎は息を吐いた。
すると、すぐに破顔して頭をかいた。
「いや、また俺が何かしたんじゃないかと思ってさ」
「速水くんは少し気にしすぎだよ」
「でも、前は迷惑かけたからな。春野さんじゃないが、困ったら俺も頼ってくれていいからな」
「ありがとう」
「遅くなる前に帰れよ」
「うん」
歓太郎もまた楓を気にかけた様子で教室を出ていった。
楓はそんな歓太郎にも手を振り見送った。
それでも向日葵は帰ってこない。またしばらく待ってみても姿を現さず、とうとう教室には楓一人になってしまった。
もしかしたらもうすでに帰ったか、呑気にどこかをほっつき歩いているのではと思い、楓も遅ればせながら教室を出た。
初めは自意識で動こうとすると、つんのめりそうになったものだが、楓も今の体に慣れたものだった。意識を散らして歩くこともできるようになった。
廊下でキョロキョロと周りを見回しながら歩いたが、向日葵の姿はどこにもなかった。
階下に降りてもそれは同じで結局、校舎の中には向日葵の姿はなかった。
人には一緒に帰ろうと言っておきながらやはり先に帰ったのだと、楓は靴を履き替えて校舎を出た。
数歩歩いたところで、濡れるようにきらめく銀色の長髪が流れ、楓は一瞬にして目を奪われていた。
楓の体は勝手に女性を追いかけ、校門へ向かっていたはずが関係ない方向へ歩いていた。
甘い香りに誘われている自覚はあったが、楓の体は融通が効かなくなっていた。
あんまりジロジロと見てはいけないと思いがありつつも、楓は銀髪で白く透き通る肌をした女性から目を離せなかった。
見慣れない女性は楓の足音に気づくと、振り向き楓に向けて軽く微笑んだ。
ハッとして今ならまだ間に合うと楓がその場を離れようとしたところで女性は口を開いた。
「あなたは秋元楓さんね」
「ハイ」
名前を呼ばれ、楓は反射的に背筋を伸ばすとうわずった声をあげていた。
顔が熱くなるのを感じながらも、楓はただ目の前の女性の碧眼を見つめていた。
女性はゆっくりと楓に近づくと、手を楓の頬に当て目を細めた。
「ふふ。そんなに硬くならなくていいわよ。妹がいつもお世話になっているわ」
「へ?」
楓は記憶を探ろうとしたが、まともに頭は働かなかった。
女性を見つめ、心臓の音を聞くだけで精一杯になっていた。
かろうじてほんの少しの余力で思い返してみても似た人物のデータは見つからなかった。
染髪OKということもあり、綺麗だと感じた銀髪は染めているのだろうが、それでも楓は知り合いの面影を感じられなかった。
何かされるのかと思ったが、女性は楓の頬に手を当てる以上のことはしないで、今度は遠目から観察するように距離を取った。
スキを見て楓は再度記憶を探ったが、やはり銀髪の女性の知り合いはいなかった。
そもそも、向日葵達と家族の話をしてこなかったことを思い出した。
「あの」
と素性を尋ねようと女性が居た場所に声をかけたが、すでに女性は居なくなっていた。
「あれ?」
首をかしげ、辺りを見回したが煙のように痕跡がなかった。
最初からいなかったような気さえしたが、頬には触れられた感触が残っていた。
「おーい」
聞き慣れた声に、楓は校門の方向を見た。
そこには見慣れた桃髪の人物が楓に向けて手を振っていた。この学校で桃髪といえば探していた向日葵より他にいない。
女性がどこへ行ったのか気になったが、楓は上がった息を整えると急いで向日葵のもとへ駆けた。
「楓ちゃんどこ行ってたの?」
「いや、それはこっちのセリフだよ。どこ探してもいなかったし」
「え? 私はずっとここに居たよ?」
「本当に?」
教室から見下ろした時には楓は向日葵の姿を見つけることができなかった。
ちょうど光か何かが視界に入り、見えなかったのだと理由を決めつけ楓はそれ以上考えなかった。
「まあいいじゃん出会えたんだし。帰ろっか」
「そだね」
二人は手をつなぐと、だべりながら学校を後にした。




