第31話 湯上がり
楓と向日葵は二人してのぼせかけ、脱衣所までヨタヨタと戻って来た。
「あ、着替えは?」
向日葵は川で濡れた服をランドリーで洗った様子もなかった。
楓も汗と涙で濡れた服をまた着ることには抵抗があった。
「まあまあお二人さん。まずは湯上がりの一杯と言ってはどうですか?」
「冷たっ」
桜は約束通り脱衣所で監視役になっていてくれたらしかった。
戻ってくるなり、正確に頬に冷えたビンを当ててきたが、目はつむったままだった。心の目でも開眼したのだろうか。
「でも、まだ着替えてないけど」
「いいじゃない。こんなところだからできるんでしょ?」
初めての体験に向日葵は目を光らせてビンと楓を見比べていた。
ここまでかわいい姿を見せられては楓としてもやぶさかではなかった。
「じゃあ飲もうかな?」
「見てもいい? 見てもいい?」
「いいんじゃない? どう? 向日葵」
「いいよ」
さすがに桜としては頑張っただろうという思いで楓は桜に目を開く許可を出した。
自分からやったことだったはずだが、他人に許可を求めるのはどうなのだろうか。
桜は、
「おおー」
と声を漏らしながら目を開いた。
「やっぱいいっすね。普段とは違う頬が上気した表情。それにタオル姿。こんなの学校じゃ見られないっすね」
桜のテンションがおかしいのはいつも通りだったが、いつも以上におかしいテンションに楓は身を引きつつも落ち着いていた。
桜の言うように風呂上がりなど学校では見られない。見られるとしたら修学旅行くらいだろう。その修学旅行の心配が桜の言行より不安になっていた。
ぬるくなっては仕方ないと渡されたビンを開け、飲み出した。
「美味しいね」
「そうだね」
「飲みっぷりもいいっすね」
渡されたのはコーヒー牛乳。
桜の好みなのかは知らなかったが、それでも甘く冷たいコーヒー牛乳は熱くなった体で格別美味しく感じられた。
「おっと、さすがに着替えは見ないと約束したっすので、この辺で先に戻ってるっすね」
「うん。気をつけてね」
「はーはっはっはっはー」
敬礼すると、何故か高笑いで桜は脱衣所を出て行った。
テンションがおかしいのは今の姿のせいなのかと考えたが、これまでなかった誠意を見せ、着替えまで見ないで行った。
そのうえ、荷物の番にコーヒー牛乳までくれ、いたれりつくせりだった。
「じゃあ冷える前に着替えようか」
「うん」
ビンを一時横へ置いてカゴを取り出す。
中に入っていた服を見て楓はしばらく固まっていた。
誰かの物と間違えたかと思ったが、桜が番をしていた場所であり、ご丁寧に名前のメモまで残してあった。
どうやら間違えではないようだったが、中身は全くの別物だった。
「何これ?」
向日葵も同じような状況だったようで、中身を取り出して首をかしげていた。
「浴衣かな?」
楓の記憶ではその名前が一番しっくりきた。
着ていたのは洋服のはずで、着替えを持って来たわけでもなかった。
再び中身をよく確認してみると、メモがもう一枚あるだけで他に衣類はなかった。
メモにはわかりやすい着方の説明が描いてあった。
ここにきて今までの桜の気遣いの説明がついた。最後の高笑いにも納得がいった。計画通りということだったのだ。
思わずカゴを落としそうになって、持ち手を力強く握った。
「やられた」
頭を抱えてしゃがみたい気持ちをグッと抑えて、楓はつぶやくにとどめた。
「どう言うこと?」
「つまり、桜は僕たちに最初から浴衣を着せたかったんだよ。それで、優しくして油断させたところで服を入れ替えた。暇つぶしってのは嘘で、持っていた紙袋はそのための物だったんだよ。そして、牛乳を飲ませて体を冷やさせ、気づかれる前に退散すれば。もう浴衣を着るしかない」
「でも、問題ないんじゃない?」
向日葵はタオルを下ろして器用に浴衣を着てみせた。
あまりにも簡単に着たため、難しくないように見えたほどだった。
「似合うね。じゃなくて」
「着られないなら着せてあげるよ?」
「そうじゃなくて、今、ほら、直だよ?」
「ないものは仕方なくない?」
相手は神だったと楓は思い出した。
人の常識は通用しない。
「それにほら、これがルールだって書いてあるよ?」
桜が残したメモには直で着るのがルールと確かに書いてあった。
楓もそのような話は聞いたことがあったが、実際に直で着ている人は現代では少数なのではないかと疑った。
神だからではなくルールだから信じたのか。神なのに手玉に取られたのかと思ったが、人っぽさを気にしていた向日葵には効果的な方法だろう。
「へくしっ」
「あんまり、タオルでいると冷えるよ」
向日葵の言う通りだ。
くしゃみが出て、楓は少し震えてきた。冷えた牛乳の効果が出始めたらしい。
タオルで外をうろつくわけにはいかず、いつも通り桜の思い通りになることにどこか釈然としないながらも、楓も向日葵に続こうとした。
「あれ?」
初めてでも着られるだろうとたかをくくっていたが、説明通りにやろうとしてもうまくいかなかった。
早くやろうとするあまり余計にうまくいかず、最終的には向日葵に頼み込んでやってもらったのだった。
いつも以上に防御力の低い服装に、楓はしきりに服をいじらないと落ち着かない気持ちだった。
なんだか本当に変質者になったようで、周りの目線が気になって仕方がなくなっていた。
向日葵は当たり前のことのように隣で歩いているのを見て、堂々と歩けば気にならないかと思ったが、楓にとっては変わらなかった。
結局、向日葵の少し後ろを歩いて、心理的な安心を得て、なんとか道中を耐え抜き、戻ってくるとどういうわけか椿と桜まで同じ格好になっていた。
桜は椿にヘコヘコしていたが、楓と向日葵の姿を見つけるなり、元気を取り戻したように顔に生気が戻ってきていた。
「うんうん。やっぱり似合ってるね。こんなこともあろうかと持ってきておいてよかったよ。それにその反応、しっかりとルールは守ってくれたようで何よりだよ」
むふふーと鼻息を荒くする桜に、元からこんなことを起こそうとしていたのではないかと楓はいぶかった。
だが、その思考が桜にスキを与えた。
「ふふふ。どこ見てるのかな?」
「あ、ちょ、やめっ」
振り払おうとするも、今の服装で激しく動くと色々と問題になりそうなため、楓は控えめにしか抵抗しできなかった。
「その辺にしてあげなさい」
「はい」
椿の注意を珍しく聞き入れると、桜は首の後ろを掴まれた猫のように大人しくなった。
静かになった桜をいいことに楓は聞いた。
「冬広さんたちはどうして着替えたの?」
「それは、春野さんが水をこぼして服が濡れたからよ。まあ、こんなことになっては初めから手を滑らせるつもりだったのかもしれないけどね」
桜は椿の言葉に明らかに動揺して目線をそらした。
だが、先程の様子や今逃げないあたり、もうすでにこっぴどくやられ、反省しているのかもしれない。
モジモジとする楓と椿、正反対に服装に関しては堂々とした向日葵と桜。
なんだかなと思ったのだった。
桜が離れたところで、向日葵は楓の顔に自らの顔を近づけた。
「さて、じゃあそろそろことの顛末を明らかにしようか」
「え?」
何を思ったのか向日葵は楓の耳元でささやくと手を挙げ、指を鳴らした。
高く音が響くと、風は止み、世界から色が失われた。
急にモノクロになった世界では、音が消え、動くものは向日葵と楓だけになった。
「何したの?」
「世界を止めたんだよ。でも、イレギュラーの楓ちゃんと私みたいな神達、あとはこの中で動けるように設定された人間は動いてるけどね」
実際楓はいつものように動けていた。
しかし、桜も椿も先ほどまで動いていたはずがマネキンのように動かなくなった。
「向日葵以外にも神様がこの世界に来てるの?」
「まあ、来てたり来てなかったりかな。もっと人じゃない何かって場合もあるからね」
「神様ってずっと実体がないと思ってたよ」
「化身みたいなもので、この世界用の体を操っていると思えばおかしくないんじゃない?」
「なるほどね」
確かに蛇となって出てきたとか、他の動物で出てきたという話は楓も聞いたことがあった。
おとぎばなしだと考えていたが、実在のものだったのかとなんだか受け入れられた。
すでに転生なり、連れて来れれたなり聞いていては今さら疑っても仕方がないという気持ちが勝っていた。
うんうん頷いて神の理屈を理解したが、向日葵が何をしようとしているのかまではわからなかった。
「で、なんで止めたの?」
「だから、ことの顛末を語ってもらうためだよ」
「え? 向日葵が語るの? 他の人に聞かれたらまずいの?」
「やっぱり主犯の言葉が一番じゃないかなと思ってね。それに、これは私が楓ちゃんに知っておいてほしいだけで主犯の人は知られたくないと思ってるだろうからね」
「主犯?」
向日葵はそう言うと、クラスメイト達の中を歩きだした。
一人一人またすれ違い、この中に向日葵の言う主犯がいることが明らかになった。




