ブラスタ
「目障りな小娘だ。政略結婚の足しにもならん」
ハイダル王国の王子ブラスタは、夢遊病者の様にたたずむ妹ルチルと回廊ですれ違った後、渋面でそう吐き捨てた。ブラスタは王位継承権第二位に位置している。
腹の違う妹とは云え、なんとも情けというものが感じられぬ台詞だ。
しかしながら、ハイダルを取り巻く情勢下では仕方の無いところではある。群雄割拠の時代、他国への侵攻と融和、条約の締結と破棄は日常茶飯事。
政略結婚は一時であれ、国の安寧をはかる為に重要な役割を持つのだから。
今代ハイダル国王テランには七人の御子があった。王子三人王女四人。
第一王子レイザー 18歳
第一王女エレクトラ 17歳
第二王子ブラスタ 16歳
第二王女ルチル 15歳
第三王子ジャスパー 15歳
第三王女クリスタ 14歳
第四王女フローラ 10歳
……という内訳である。
王位の継承はレイザーにほぼ決まりとみられており、エレクトラは隣国エンドラへの輿入れ話が聞こえている。
ブラスタはレイザーを助け軍政を担うべく育てられた。軍政を担うとは云え、戦はリスクがともなう。政略結婚で回避出来るならそれにこした事はない。
ルチルにはそれが望めそうに無かった。
ルチルの母は魔法使いを多く輩出した家系で、ルチル自身も魔力膨大であると確かめられている。
しかしルチルは過ぐる年、毒を盛られてから様子がおかしくなっていた。王家の医療を担当する者達の見立てでは頭脳に支障が……という話であった。
その様な娘を他国に嫁がせるなど論外。
今もルチルの胸元には赤児の様によだれかけがあり、湿っていた。
ブラスタにしてみれば兄も姉も気に入らない。
兄レイザーは阿呆である。
お優しい気質と謂えば通りが良いが、自分が次代の王と決まりきっていると自惚れ国政に参加しようともしない。
狩りや女遊びに夢中で散財する事おびただしい。またそれを父王が諌める事をしないものだからどうしようも無い。
ブラスタは自分が第二王子である事を、兄の阿呆面を見るたび呪わしく感じていた。
(王位継承第二位など……糞の役にも立たん)
次男に生まれたが故にブラスタの政治教育はおざなりであった。長兄を補佐する為に軍政に教育の重きを置かれていたのである。
兄は阿呆だが、自分がとって替わる訳にもいかないのがもどかしい。
「あら、ブラスタ?御機嫌はいかが?」
ブラスタに気安く声を掛けたのは姉エレクトラである。
(面倒くさい奴が……)
「これは姉上、兄上に何か御用でも?」
ブラスタは回廊の向こうでエレクトラが兄レイザーの部屋から出てきたのを視界の隅で捉えていた。
この回廊は兄弟姉妹それぞれの居室に繋がっている。その為、日に一度は誰かと鉢合わせする機会が多い。
「いえ、輿入れの日取りがなかなか決まらぬでしょう?兄上にお父様へとりなしていただこうかと」
「なるほど……」
(よくもまあ、出鱈目が滑らかに出てくるものだ)
エレクトラの華やかな笑顔に愛想笑いで応じ、ブラスタは彼女の前を通り過ぎた。
ブラスタにとって兄が阿呆なら姉は毒婦だ。
何処の王家で兄の閨に潜り込む王女がいるというのか。ブラスタの鼻は姉とすれ違った際にその肌から微かに漂う牡の臭いを敏感に感じ取った。
きっと輿入れの延期を画策しているに違いない。隣国エンドラの王は老齢、多婬な姉はエンドラ王を役不足と感じている事だろう。
ブラスタがこの様に思うのは、彼の心の奥深くに兄への嫉妬と姉への情欲が渦巻いているからだったが、本人は気付いていなかった。
言いようの無い苛立ちを抱えて鼻を鳴らしながら、ブラスタは居室の扉を開けると中へ潜り込んだ。
ブラスタとエレクトラ、それぞれが自室に戻ると回廊にはルチルが独りぽつんと残っていた。