アオバズクが鳴いたなら
「おっす。今日も元気に掃除してんな、川辺」
鳥居の下で、竹箒を振るっている女性に声を掛ける。
初めに断っておくが、川辺と言うのは人名だ。間違っても、川のほとり、に対して声を掛けているわけではない。
川辺愛美。俺達の幼馴染で、誕生日は四月。何日だったかは忘れた。三月生まれの俺とは十一カ月の差がある為、子供の頃は肉体的にも精神的にも、よく下に見られたものだ。
とは言え、今では俺の方が指二本分程、身長では勝っているが。
「遅かったじゃん尾崎。来るなら早く来いって」そう言って、川辺は予備の竹箒を投げてくる。「真希と木下はもう来てるよ」
川辺が竹箒で示した先、石段の上で、一組の男女が手を振っていた。
木下陽樹、それと久下真希。どちらも俺達の幼馴染だ。
「こっちは幼馴染のよしみで来てやってんだぜ? そこは『ありがとう、尾崎君』って、涙の一粒でも流せっての」
「誰が流すか。バーカ」
川辺は大きく舌を出し、竹箒を動かした。俺もそれに続く。
俺と川辺、それと木下に久下。四人は小学校からの付き合いで、家も近所だった。五十音順の出席番号と言うありふれた出会いから始まり、小学、中学、そして高校の十二年間、俺達は常に四人一組で遊ぶ程の仲だった。
多分、これからも俺達の友情は変わらないと思う。だけど、一緒にいられる時間はどうしても少なくなる。
満開には程遠い桜の花びらが地面に落ち、川辺の竹箒によって掃われる。
卒業、そして進学。ごくごく当たり前の、それでいて無情な理由によって、俺達は別の道を行く。
俺と木下の男子チームは、事前に示し合わせた通り、同じ大学に通う。だが、女子チームである川辺は会計士になるべく短期大学へ。久下は家業を継いでコンビニの店員に、ゆくゆくはオーナーになるらしい。
俺達は少しずつ大人になっていく。
いやだいやだ。と嘆いても、その現実が変わる事はない。
鳥居周りの落ち葉を片付けた俺と川辺は、拝殿へと続く、蛇のように大きくうねる坂道を進んだ。
「もう何年になるんだっけ?」
経年劣化でヒビだらけになったアスファルトの上で、川辺に声を掛ける。
「なにが?」
「神社の掃除」
元々は、川辺の親父さんが区長になった時、区民で神社の大掃除した事がきっかけだった。
田舎町の、それもまともに管理する人のいない古ぼけた神社。大人達は拝殿内の掃除を、当時まだ小学生だった俺達は周囲の雑草を抜いたり、舗装された道の落ち葉を掃いまくった。
「小三の時にお父さんが区長してたはずだから、もう九年になるかな」
「早えもんだ」
翌年からは、俺の親父が区長を引き継いだ。にも関わらず、川辺は定期的に神社の落ち葉を掃いに来ていた。俺が最初にその事に気付き、手伝うようになったのが、中学に上がってすぐのこと。そして、気が付けば木下と久下も参加していた。
「川辺はさ、なんで掃除してんだ?」
川辺は神社の掃除をする際、誰かを誘ったり、事前に予告したりはしなかった。
月に一回から二回、どこかの日曜日の、午前十時からと決まっていた。だから、俺も木下も久下も、毎週日曜日のこの時間は、決まって神社を見に来ていた。誰もいなければ参拝を、川辺がいれば掃除の手伝いを、それが俺達の日常だった。
そのせいか、川辺が掃除をする理由、それを聞いた事はなかったし、気にもならなかった。
だが、今回を最後に別々の道を行くのだと思うと、今更ながら疑問を覚えた。
「なんでだろうね」川辺は、落ち葉を掃いながら、頭上を見上げた。「多分、好きだからじゃないかな」
「俺をか?」
冗談でそう言うと、川辺は腹を抱える程に爆笑した。
「寝言は寝て言え。バーカ」一頻り笑うと、再び上を見た。「あたしさ、ここが結構好きなんだ。見てよ、顔を上げただけで、一面、木の枝葉だらけじゃん」
その言葉に釣られ、俺も顔を上げる。
川辺の言った通り、何十本もの木々が、血管を張り巡らせるように何百、何千の枝を伸ばし、そこから生える幾万もの葉が、先にある青空を粒に変えていた。
「確かに、神社って言うより森だよな」
俺達がいる坂道も、木下達が掃除している石段も、一歩わき道に逸れてしまえば、木々が生い茂る森林地帯に早変わりだった。
神社入り口の由緒書きによれば、樹齢百歳越えから、四・五十歳くらいの楠、九十五本がこの神社を包んでいるらしい。
「居心地がいいからいるだけなんだよ、きっと。落ち葉を掃ってるのも、手持ち無沙汰になってるだけ」
「そんなのに付き合わされるのかよ、俺達は」
非難轟々に川辺を睨むが、「あたしは別に、手伝って。ってお願いしたつもりはないけど?」と素っ気なく返された。
「それもそうだな」
「でも、手伝ってくれるのは素直に感謝してるから」そう言うと、川辺は歯を見せるように笑った。「そう言えばさ、坂を上がって、二回目のカーブあるじゃん。そこを曲がらないでまっすぐ進むと、先がけもの道みたいになってるんだけど、その更に奥がちょっとした広場になってるの、あんた知ってた?」
「まじ? 知らんかった」
「じゃあ、掃除が終わったら真希達と行ってみよっか」
「悪くねえな」
頷き、竹箒を動かす手を速める。
早いとこ掃除を終わらせ、例の広場とやらを拝みたかった。
正直な話、神社の落ち葉掃いなんて微塵も楽しくなかった。特に、石段と違って坂道になっているこちらの参拝道は、人の通りも悪い。そもそも、こんな田舎町の小さな神社に、参拝客が来る事自体が稀ではあったが。
そんな神社を、毎月律儀に掃除する川辺には、呆れを通り越して、脱帽すら覚える。
蛇の様なうねりを一度曲がり、その先で石段を掃除していた木下・久下ペアと合流する。広場の件を伝え、そのまま各々の掃除に戻る。
「真希と木下ってさ」少しして、川辺が口を開いた。「付き合ってたりすると思う?」
「そりゃねえだろ」俺は即答する。「二人がいちゃついてるとこ、見たことないし。それに、ガキの頃から十数年と一緒にいるんだぜ? もう異性として見れねえって」
「だけどさ、木下って、あたしといるより真希といる事の方が多くない?」
「お前がおっかないから、消去法で久下といるだけだろ」
「死ね」
「やなこった」
改めて、木下と久下の関係性を思い出す。
小学一年の時、俺と川辺は前後の席で、よく話をしていた。その後ろで、木下と久下も仲睦まじげに会話していた事をぼんやりと覚えている。
元々は俺と川辺、木下と久下、別々のグループだったはずだ。それがどういう経緯で一緒になったのかは、もう覚えていない。
ただ、四人が一緒になってからは、俺が木下や久下と絡む事も多かったし、川辺も同様だった。
少なくとも、俺は三人の中で誰が一番の親友であるかなんて、選ぶなんて事は出来なかった。冗談の応酬が出来る川辺も、唯一の男友達である木下も、もちろん久下だって、皆、大切な親友だ。
「あ、アオバズク」
唐突に、川辺が頭上を指差した。
「まじで? どこどこ?」
川辺の伸ばした腕に顔を寄せ、視線の先を探す。
アオバズク。梟の一種で、これまた神社入り口の由緒書きによれば、三月から初夏にかけて、中国だがフィリピンあたりから渡ってきているらしい。
「ほら、奥の木に右の枝、バッテンしてるとこに二羽。あれ、多分つがいだよ」
「わかんねえよ」
木なんていくつも生えているし、交差している枝で言えばもっとある。
しびれを切らしたのか、川辺が俺のこめかみに顔を寄せ、「あれだって」と言ってくる。
「あれか?」
竹箒を伸ばし、それっぽい物体を指差す。
「もっと左」
「それか?」
「あれは木の洞でしょ」
そんなやり取りは何度か繰り返し、「いた!」ついに二羽の梟を見つける。
木枝と同化する濃い茶色の羽に、茶色と白色が綯い交ぜになった胴体。坊主のようにつるりとした頭に、まん丸な黒目。時折、首を傾げる姿は、まさしく梟の代名詞と言えた。あれ程見つけられなかったのに、一度視認してしまえば、目立ちすらした。
背の高い木枝の上で、仲良く肩を寄せ合う二羽のアオバズク。遠目から見ても、両者がつがいであることは明白だった。
「思い出した。昨日の夜にホーホー鳴いてたぞ」
昨晩は、三月にしては気温が高く、昼間に開け放った窓を夜もそのままにしていた。その際、毎年のように聞いていた梟の鳴き声を耳にした。
「そう言えば、あたしも聞いた気がする」
俺の家も川辺の家も、この無駄に広い神社の敷地に面している為、夜に梟が鳴けば、一発でわかった。
「おっと、あいつらのいる方向、お誂え向きに例の広場の方向じゃねえか」
二度目のうねりに差し掛かり、そのままけもの道まで直進しようとしたが、川辺に止められた。
「抜け駆け禁止。それに、まだ半分しか掃ってないだろ」
「へいへい」
二度目のうねりを越え、再度木下・久下ペアと合流する。その際に、アオバズクを見つけた事を自慢するが、一度森に溶け込んでしまった二羽の梟を、再度見つける事が出来なかった。
木下達と再度別れ、残りは三分の一。一度のうねりを残すまでとなった。
「頑張れ、俺。あとちょっとだぞ」
いつもの事ではあるが、毎回、ここらへんダレてしまう。竹箒の動きは疎かになり、落ち葉も完全に掃い切れない。そして、毎回の様に川辺から注意される。
それが一連の流れであるはずだが、今回は川辺の怒鳴り声が聞こえてこない。
代わりに、「あたし、思うんだ」と、普段よりかは真面目な声が聞こえてくる。
「なにを?」
「好きだと思う」
「そのネタはもうやっただろ」
なにが悲しくて、川辺の、「好きかも」に対して、二度も、「俺をか?」とボケないといけないのやら。
「ネタじゃなくて、多分本気で尾崎の事が好き」
そう言う川辺の声のトーンが、あまりにも真面目だった為、俺は笑い飛ばす事が出来なかった。しかし、当の川辺が、それを言い終わった後に爆笑した。
それを見て、俺も安心して笑う事が出来た。
「今日の川辺はなんか変だぜ」互いの笑いが落ち着いた所で、口を開く。「木下達の事と言い、俺達の事と言い、悪いもんでも食ったのか?」
「食ってねえよ」川辺は、最後のうねりで立ち止まった。「よくあるじゃん。幼馴染が互いの好意に寄せておきながら、距離が近すぎるせいでそれに気づかない、ってパターン」
「言っておくが、俺は川辺の事、異性として見てねえぞ」
「偉そうに言うな。あたしだって尾崎の事、好きじゃねえし」
「んじゃ、万事解決だな」
竹箒を適当に動かしながら、うねりを越えようとするが、川辺に止められる。
「待てっての」
「なんだよ」
川辺の瞳が、真っ直ぐに俺を射抜く。
こんなにも真剣な眼差しは、長い付き合いの中でも始めてだった。
「あたしら、来月からはバラバラになるじゃん。そしたら、これまでみたいに四人で同じ教室に集まって、昼飯食ったりも出来なくなるんだよ」
「まあな」
俺と木下は同じ大学に行くわけで、これまで通り、一緒に昼飯を食える関係ではあったが、川辺や久下は、そう言うわけにはいかなかった。
「それを考えた時、あたしさ、すっごく寂しくなったんだ。それで、なんでか尾崎の顔が浮かんだんだ」
「それでときめいたってわけか?」冗談半分に聞いてみると、川辺は、「いや、どっちかって言うとムカついた」と、俺を睨んできた。
「そいつは悪うございましたね」
首だけを動かし、形だけで謝罪する。
「ムカついてる内に、寂しさもどっかいってさ、あたし、不思議に思ったんだ、『なんで尾崎なんだろう?』って。木下とか真希の顔は全然浮かばなかったのに、あんたの顔だけが浮かんじゃって」
「家が近いからだろ」
「好きだから、かもよ?」
「マジで嬉しくないんだが……」
本気で嫌な顔をしていると、川辺は俺から背を向け、一歩、坂を上った。
「確認させてくれない?」
「なにを?」
「あたしが尾崎の事、本当に好きかどうか」
「構わねえけど、どうするんだ? 先に断っておくけど、ハグとかキスとかはごめんだからな」
「こっちから願い下げだっての」川辺は振り返り、苦々しい顔を見せてくる。「一年後、この神社で再会しようよ。もしその時に、あたしもあんたも、互いに友達以上の感情が持ってたら……」
「持ってたら?」
「……特別に、付き合ってやる」
「なんだその上から目線!」一年後はわからないが、少なくとも、現在の微塵も好意を持っていない俺が抗議の声を上げる。「ってか、待望のキャンパスライフだぞ! 可愛い子と出会っても、一年間は声掛けちゃいけねえのかよ!」
「当たり前だろ! てか、あんたみたいな男が自惚れんな!」
逆切れしてきた川辺が、竹箒の柄で突いてくる。
「そいつはこっちの台詞だっての!」
俺も竹箒を構え、応戦する。
竹箒の打ち合いが開始され、程なくして滅多打ちにされる。
満身創痍になった俺は、大人しく川辺の後を追い、坂を上る。
「……あのさ、川辺って短大には実家から通うんだよな?」
「うん」
「俺も実家から行くわけだが、それってつまり、変わらずにご近所さんってことだろ? 一年後にここで再会するにしても、途中で何回も顔を合わせる羽目にならねえか?」
川辺の言葉を鵜呑みにするなら、一年間会わない事で互いの好意を自覚するのだろうが、これではあまりにも緩かった。
「それは別にいいでしょ。あたし、神社の掃除だってこれからも続けるつもりだし」
「それじゃあ、ますます一年後に会う意味なくねえか?」
俺も、川辺が神社の掃除を続けるなら、それに付き合う気でいた。
「意味はあるよ」先を行く川辺は、自信満々と言った具合に答える。「来年の春、今日みたいにアオバズクが鳴いた次の日に、例の広場で待ってるから」
そう言うと、川辺は手にした竹箒を放り出し、坂を駆け上がった。
「川辺?」
坂を上がった先、拝殿では木下と久下が賽銭箱に小銭を入れていた。鈴を鳴らし、何度か手を叩く。そこに川辺が合流し、肖るように手を合わせた。
俺も走った。三人の後ろに付き、急いで手を合わせる。ここで願い事に便乗出来ないと、追加で小銭を失う羽目になる。そう思ったからだろう。
何を願おうか。
瞼の裏側を見つめている時、不意に梟の鳴き声が聞こえた。
脳裏に過ったのは、肩を寄せ合うつがいのアオバズク。
「人」の字の如く、互いを支え合い、時に相手の毛繕いを手伝う。そんな夫婦仲を見せつけられ、げんなりとし、それでいて羨ましくも思った。
「尾崎」川辺が俺を呼ぶ。「ほら、例の広場に行くよ」
瞼を開けると、木下と久下、そしては川辺も願い事を終え、移動を始めていた。
「うい」
三人の後を追い、石段を下りる。途中、一度だけ振り返り、願い事を唱え忘れた拝殿を見る。
一年後、か……。
向き直り、先へ先へと進む三人の後を追いかける。
「待てっての」
中央を手すりで仕切られた石段。その左側を木下と久下が、その右側を俺と川辺が行く。
途中、坂道に移行する為に木下達が左に曲がった。俺もそれに続こうとするが、前を行く川辺が立ち止まった為、それに遮られる。
石段の終わりで、川辺は徐に振り返り、思い出したかのように笑った。
「そう言えば、誕生日おめでとう」