二日目――案内(丁)
オウギは橋を渡っている最中に、ある考えを抱いた。とりもなおさず、ある考えとは、魔物を倒すのに「この橋」が役立つのではないかというものである。
オウギは思う――魔物が僕たちのほうに向かって来るんだったら、この橋を前にして戦えばいいんじゃないかな? 南の村を背にすれば、わざわざ迷宮まで行かなくとも下人たちを南の村に集めるだけでいいし、何より橋の幅が狭いから、一度に戦わないといけない魔物の数が減って、そのぶんだけ戦いが、ぐっと楽になると思う。
無論、そのようなことはない。迷宮において、控えの下人たちが待機していた場所を【安全地帯】と呼ぶが、オウギはバシハから言われた「安全地帯に魔物が到達すると、よくないことが起きる」という旨の発言をすっかりと忘れている。あくまでも下人たちの優先順位は、安全地帯に魔物が到達しないことであって、自分たちにとっての戦いやすい場所を探すことではない。地の利を考慮するのは、安全地帯に魔物が到達しない範囲での話である。だが、間もなく、オウギもまた、別の理由から自身の案が成り立たないことに気がついた。
オウギが再び思う――ああ……でも、これだと迷宮の中を探索できなくなっちゃうか。迷宮を探索しながら魔物と戦うわけだから、少人数じゃ難しい。……そのための控えなのか。控えと交代しながら一日中……。
はたと、そこで気がつく。昨日の当番だった下人は全員、その日の昼には帰って来たではないか――と。
オウギは思う――あれ? 夜中はどうしているんだ? 夜に迷宮は……無理だ。暗闇の中を迷宮まで歩くなんて、できやしない。じゃあ、夜鍋のための下人をあらかじめ向かわせておくのか? ……ありえない。それなら、みんなで朝早くから行く必要がない。……ということは、魔物は一日中、動いているわけじゃないのか?
今までの出来事を振り返るように思いを巡らせていると、突然、迷宮の実態が防衛ゲームであるという確信にオウギは到達した。
オウギが再び思う――ウェーブ……そうだウェーブだ! たしかに下人の一人が、そう言っていた。間違いない、やっぱり迷宮は防衛ゲームなんだ。
そして、防衛ゲームであることがわかると、その場でオウギは頭を抱えた。
オウギは思う――頭を使うやつだ……僕には無理だよ。なんだか、急に先行きが不安になって来ちゃった。
そこで、ふと、オウギに声がかかる。バシハである。
「何してんだ――急げ! オウギ!」
言われて、オウギは、自身が橋の途中で立ち止まっていたことに気がついた。大慌てで橋を渡りおえ、バシハに感謝の言葉を述べる。
「ご、ごめん。ありがとう」
呆れるように溜め息をつきながら、バシハが口を開いた。
「危ねえな……。気をつけろよ?」
そうして二人は、南の村の案内へと戻っていった。
※
オウギとバシハとの二人が南の村へと戻っていく。その様子を見ていたジウホウミョは、「浮游の種子が使えるようになるまで、どうやって時間を潰そうか」と考えながら、なんともなしに視線をさげた。視界の端――迷宮の入口に置かれた物資が目に留まる。その物資の量は明らかに少なく、それは、挑戦が当分はおわらないことを言外に匂わしていた。だが、当分と言っても、その時間は、浮游の種子が再び使えるようになるほどではない。このまま何もせずにいれば、迷宮の入口でタヤを迎えることになるのは確実であった。「ただ一緒に橋を渡る」というそれだけのために、深い意味もなく、一時間も迷宮の入口で待つような下人であると思われるのは、さすがにジウホウミョにとっても不本意であった。
異能の使用は慎まなければならない。これは、魔力を回復させる手段に乏しい三つ子村においては常識であり、殊にジウホウミョの異能にあっては、利便性の高いものであるだけに、ほかの下人よりも強く求められるものであった。
しかしながら、背に腹は替えられない。
倹約を諦めて異能を使おうとした――ちょうどそのとき、物資を運びだすために歩いて来たキブトコに、ジウホウミョは背後から声をかけられた。
「……何してんすか、ジウホウミョさん」
驚き、ジウホウミョが肩を少しこわばらせる。
恐る恐る、後ろに振り向きながらジウホウミョが応えた。
「キブトコ……」
一方のキブトコは、ジウホウミョに名前を呼ばれながらも「なぜ、ジウホウミョが、こんなところにいるのか」と考えていた。答えを探すべく思いを巡らせていると、思いのほか早くに見つかった。先ほどまで迷宮を見学していたオウギとバシハとが、それである。二人が迷宮に来てから経過した時間は、どう考えても一時間に満たない。おおかた、タヤの迎えに来ていたジウホウミョを上手く使ったのだろうと予想がついた。
呆れたように、キブトコが口を開く。
「使ったんすね――異能」
言い訳の仕様もなく、ジウホウミョは、おずおずとうなずきながら口を開いた。
「……マシサカさんには、内緒にしてくれ」
被せるようにキブトコが応える。
「ええ、村長には黙っておきますよ」
キブトコの稍不自然な強調に、ジウホウミョは引っかかりを覚えたものの、取り立てて指摘するほどではないと考えなおすと、礼を言うべく口を開いた。
「……助かる。そうでないと俺だけじゃなくて、バシハたちまで怒られちまうからな」
キブトコは、そんな仲間思いのジウホウミョに対して、羨みと蔑みとが入り混じった複雑な視線を向けると、手に持っていた物資を無造作に地面に置きながら、独り言ちるように口を開いた。
「姉さんは甘いんすね」
棘のある言い方に、思わずジウホウミョが苦笑いを浮かべる。自分が甘いのではなく、キブトコが厳しいだけなのではないかと、キブトコの性格を茶化すように、ジウホウミョは冗談を口にした。
「お前が厳しいだけなんじゃねえの?」
意外にも、その漫ろ言はキブトコの肯綮に中るものであった。図星を指されたキブトコが、思わず、吐き捨てるように口を開く。
「俺は、手前で認めた下人しか気づかわないんで」
そう言って、キブトコが迷宮へと戻っていく。しばしの間、その後ろ姿を憐れむように見つめていたジウホウミョであったが、気を取りなおすと、自身の愛敬毛をもてあそびながら異能の詠唱をはじめた。
「大いなる存在に伏して祈る。洗えぬ羽総――微かな日差し、浮かんで戻した高物語。磑風舂雨――穏やかに煙る目木、青衿の文に寄り掛かる。薹、縁、要、願。《雲脚の影》――これをもって業とする」
そうして、オウギとバシハとのあとを追った。このあとジウホウミョは、キブトコから事情を聞いたタヤによって「魔力を無駄にするな」と叱られることになる。
※
南の村の案内をおえると、オウギとバシハとはエマキエの家に戻るべく西の村へと向かった。遠くに見える稜線と、その上に架かるようにして靄然と浮かぶ雲の帳とが、この直前に、ゴミの一件で「日本にいたときの生活」を思い出したせいか、それらを眺めたオウギに郷愁の念を抱かせた。つかの間、オウギは懐かしむように目を細め、ノスタルジックな感傷に浸る。そんなオウギの姿に気がついたバシハが、憐れみと訝しさとをちょうど半分ずつ混ぜ合わせたような声で、オウギに言った。
「……どうした?」
やわらかな表情であった。それを見てオウギもまた、バシハに、自身が少しだけホームシックになったことを見抜かれたのだと理解した。そうであるならば取り繕うだけ無駄であろうと、オウギは今の気持ちを白状する。
「ちょっとだけ、故郷のことを思い出しちゃって……」
オウギは思う――遠く離れていても、山や雲の形は、あのころと同じなんだな……。踏ん切りをつけさせてもらえないような感じで、少しだけ嫌になる。
今のオウギには、昨日のように「本当に遠く離れているかどうかは、わからない」などと冗談を言う気にはなれなかった。
再び、バシハが穏やかな声で言う。
「戻りたいのか?」
バシハの問いに、オウギは、少しだけ驚いたような顔をしながら答えた。
「どう……だろう」
オウギは思う――特に、これと言って、日本に戻ってやりたいことがあるわけじゃない。……だからといって、別世界の人間である僕が、本当にここで生活していくべきなのかとも疑問に思わないわけでもない。……どうしたら、いいのだろう。「ほかにどうしようもないから」という理由で生きていくのは、ここに住んでいる下人たちに、ちょっと失礼なんじゃないかな?
オウギの脳裏には、いつか見た記事の「私には、どうしてもやりたいことがあった」というタカラの台詞が浮かんでいた。
オウギが再び思う――僕にはないよ、そんなもの……タカラさん。
沈黙を破るように、バシハが、なんともなしに言う。
「戻れるぜ――たぶんな。迷宮を【攻略】すれば、願いを一つかなえられるっていう噂だし……」
意外な一言に、オウギが目を丸くした。次いで、落胆とも安心とも言えない表情で、オウギがバシハに応じる。
「噂……」
オウギの言わんとすることを察したバシハが、補足するように言葉をつづけた。
「噂――言っても、たしかなやつだよ。実際に、攻略したやつが言ってんだからな。『迷宮を攻略すると、その先には親玉が待っていて、その親玉を倒したら願いをかなえてもらえる』っていう感じだったか? 詳しいことは忘れたけどな」
オウギは、どう反応していいのかわからず、しばしの間、口をもごもごと動かしたのち、微苦笑を浮かべながら言った。
「遠い道のりだね」
『たしかに』と言わんばかりに、バシハは小さく笑った。
オウギは思う――つまり、それって、日本へ戻るのは現実的じゃないってことだよね? でも――まあ、いいか、今はそれでも。答えを出すのを先延ばしにできただけでも、きっと十分だよ。
オウギは空元気を出して、作り笑いを浮かべると口を開いた。
「とりあえず今は、もうちょっと、ここで生きてみようかな。……せっかく異世界に来たんだからね!」
バシハが応える。
「そいつはいい。どうせ、この村の連中に、迷宮を攻略しようなんて考えている下人は一人もいねえからな」
それを聞いてオウギは「じゃあ、どっちにしろ無理なんじゃないか」と、今度こそ本当に声を出して笑った。そうして談笑している間に、二人は橋の手前へと着いた。その場でバシハはオウギに、「自分は南の村ですることが少しあるから」と、一人で帰るように指示をした。それに対して、特に不満を抱くことがなかったオウギは、バシハに了承の意を伝えると、浮游の種子を使って橋へと足を踏みだす。慣れとはすごいもので、浮游の種子を使った経験がほんの数回しかないオウギであっても、もう十分に歩けるようになっていた。無論、子供の玩具のように扱うバシハとは比べるべくもない。オウギは、この三つ子村の案内の最中に「言いようのない違和感」を覚えたが、それもエマキエの家に戻って来るころには、自身が違和感を覚えたということさえ、すっかりと忘れていた。このことをオウギが思い出すのは、もう少し後になってからのことである。
この日もまた、オウギは村の下人たちに囲まれた。だが、それはオウギの話を聞こうとしてではなく、オウギに対して自分たちの村のことを話したいがためであった。そのうちの大部分は対人関係の話であり、「村の下人の顔と名前とを碌に覚えていない今の状態では、聞いたところであまり意味がない」ということに気がつくと、間もなくオウギは、それらを聞き流した。もっとも、たとえ真摯に耳を傾けていたとしても、オウギの頭では、どれほど理解できたのかは不明である。
『少し――』と言っていたバシハであったが、なかなか帰って来ることはなく、迷宮に行っていたキシニのほうがバシハよりも先に戻って来た。
キシニの姿を確認したオウギが、キシニに向かって口を開く。
「あ……お帰りなさい」
下人たちに囲まれたままのオウギに向かって、キシニも応じた。
「ただいま」
そう言いながら、キシニの視線が横へと動く。オウギの近くにバシハがいないことを見とめると、つづけてキシニはオウギに尋ねた。
「……バシハは?」
適当な質問であったが、オウギは少しだけ驚いていた。てっきりバシハは、自身の予定をキシニに伝えてあるのだとばかり思っていたためである。
わずかに緊張しながら、オウギは答えた。
「えっと……。さっきまでは一緒にいたんですけど……。なんだか、南の村に用があったみたいです」
オウギは思う――どんな用事なのかは、たしか言ってなかったはず。
オウギの心配をよそに、キシニは特に気にした様子もなく、なんともなしに応じた。
「そうか……。で、案内のほうはどうだ? ちゃんと――してもらったか?」
「はい、そちらのほうは」
オウギは思う――バシハのことは、あんまり気にしている感じじゃない。たぶん……バシハがいなくなるのは、よくあることなんだ。
キシニはオウギの返事を聞くと、一度うなずいてから、家の中へと入っていった。そのあとも当たり前のように下人たちによる節介はつづいていたが、日が傾きはじめると、だれかの言った「そろそろ帰るか」という言葉をきっかけに、各々が、それぞれの家へと向かって、ぞろぞろと戻っていった。ほどなくして、バシハが帰宅する。バシハの姿に気がついたオウギが、そちらのほうに顔を向けた。見れば、バシハが泥だらけになっている。
オウギが口を開く。
「お帰り。どこ行ってたの? というか、それ――どうしたの?」
だが、バシハは言葉を濁すのみで、オウギの問いに答えようとはしなかった。
「おう――ただいま。……ちょっとな」
オウギもまた、バシハに答える気がないことを察すると、それ以上、深く聞くことはなく、代わりにバシハの汚れた衣服を指さしながら尋ねた。
「……どうするの?」
「ああ――今度、【ラハキマ】に頼んで洗濯だな。とりあえず今は……」
そう言ってバシハが着ていた服を脱ぐ。自然と、引き締まった体が露わになった。服の裾をつかんで、ぱたぱたと泥を落とすように服を前後に振りながら、バシハが家の中にいるキシニに向かって叫ぶ。
「キシニ! 汚れた!」
端的なバシハの物言いに、思わずオウギは「ふふ」と笑った。まもなく、呆れ顔のキシニが家の外に出て来た。キシニは、バシハの姿を見るやいなや「家の中に入れ」と言わんばかりに、自身の背後に指を向ける。それを見て、バシハはキシニに向かって服を投げながら、オウギの手をとった。
「行こうぜ」
そう言って、バシハはオウギの返事を聞くことなく、小走りで家の中へと入っていく。バシハに手をつかまれているために、オウギもまた、小走りとなった。とまどいながらもオウギがバシハに尋ねる。
「任せちゃっていいの?」
バシハがうなずいた。ほどなくして二人の背後から、キシニの詠唱する声が、かすかに聞こえて来た。
「大いなる存在に厳かに望む。北は溝――南に門出、核子で装う蓮の糸。東の原名――西に衣。いざ且々と威光を知らしめよ。《天へと昇る風》」
こうして、オウギのキザワシカでの二日目がおわった。明日は、いよいよ【戦闘地帯】に入る。
21/1/10――誤字の訂正をしました。
21/5/12――「浮遊の種子」という作中用語を「浮游の種子」に改めました。




