二日目――案内(乙)
オウギとバシハとは、南の村に到着した。遠くには、これから迷宮へと向かおうとしている大勢の下人たちが見える。下人たちは、改めて浮游の種子が使えるようになるまで、談笑しながら待っているのであった。このとき、ほかの村の下人たちにも「オウギは天授子と変わらない」ということが伝わったのだが、無論このことをオウギは知らない。オウギは、何度も転びそうになりながらも辛うじて橋を渡りおえると、バシハに向かって口を開いた。
「これって、浮游の種子を使ったほうが、逆に危険なんじゃ?」
バシハはオウギの手から自分の手を離すと、少しだけ考え込んでから口を開いた。
「ん~。まだ時間はあるか」
言うやいなや、バシハは崖のほうへと歩いていき、そのまま一歩、外へと踏みだした。
驚きのあまり、オウギが叫ぶ。
「何やって――」
だが、その声は尻すぼみになった。
「――るの……」
見れば、バシハは落下することなく、その場で宙に浮いていた。そこから、さらに一歩、バシハは外へと踏みだし、体を完全に崖の外にまで移動させる。そのまま空中で反転すると、オウギのほうに向きなおった。無論、そこにバシハを支えているようなものは何もない。足元には今もなお、漆黒の森が広がったままである。口をあんぐりと開けたままのオウギに向かって、バシハが言う。
「見てのとおり、浮游の種子ってのは、地面から一定の高さまで離れたときに、それより下に落ちなくなるっていうものだ。……そうだ――悪い。『だから、飛び跳ねちゃいけねえ』ってのを言い忘れてた。あとで、もう一回使う機会があるから、そのときに、そっちの説明をするわ」
言いおえると、バシハは宙を歩くようにして、オウギのもとへ戻った。
バシハがつづける。
「そろそろ浮游の種子の効果が切れるから、真似すんなよ。【奈落】に落ちるぞ」
呆けていたオウギであったが、それも、つかの間。すぐに正気を取り戻した。
馴染みのある「奈落」という言葉に、オウギが疑問を抱く。
オウギは思う――ナラク……。たとえ話なのだろうか?
そう思って、オウギは崖から下に、少しだけ顔をのぞかせた。そこには、不気味な雰囲気を醸しだす「漆黒の森」が広がっていた。天の光を残らず食らいつくす勢いで茂る無秩序な木々の間からは、下人の気配がまるでしない。だが、それよりもオウギを恐ろしくさせたのは、その高さである。地の底という表現がふさわしいほどに、三つ子村と漆黒の森との間には隔たりがあったのだ。それを見たとき、オウギの足は自然と竦んでいた。キシニから言われた「この村から外には出られない」という話を疑っていたわけではないものの、オウギは今、その身をもって真の意味を理解したのである。
オウギが再び思う――落ちたら助からないよね、これ。
青い顔のままオウギがバシハのほうへと向きなおる。見れば、バシハは明後日のほうを向いていた。バシハの視線の先には、ボクノヤミの歩く姿がある。その足取りから、書庫へと向かっていることが見て取れた。一瞬、「なぜ?」という疑問が浮かんだバシハであったが、すぐに、おおかたオウギが来たために当番の調整でもしているのだろうと納得した。
明後日のほうを向いたままのバシハに、オウギが声をかける。
「……バシハ?」
名前を呼ばれて、バシハが我に返る。
「ああ――悪い。それじゃあ、行くか」
そうしてオウギは、バシハに連れられるようにして南の村を案内された。どこも似たような風景であるために、オウギは案内されたそばから、その大部分を忘れつつあったが、「村長であるマシサカの家」と「迷宮へと向かう下人たちが集まる場所」とは、それぞれ順に「ほかとは違い、家の周囲に竹垣があった」という理由と「早速、明日には使うから」という理由とから、覚えたままであった。
マシサカの家から離れながら、バシハが口を開く。
「ちなみに、マシサカは好んで苦え茶を飲む」
そう言って、バシハが「げえっ」と舌を出す。それを見たオウギは、苦笑を浮かべながら、背後にあるマシサカの家を一瞥した。
オウギは思う――マシサカっていうのが、村長さんの名前かな?
そのままオウギは、バシハとともに歩き回った。しばらくして、ちょうど案内の半分をおえたあたりで、バシハがオウギに向かって口を開いた。
「そろそろ、また、移動するぜ」
それを聞いてオウギが、まだ南の村の案内が途中であることを指摘する。
「まだ、半分くらい残っているけど、いいの?」
バシハがうなずく。
「ああ。残りは、帰りに回る。東の村は、西の村と直接つながっているわけじゃねえんだ。必ず南の村を通らないといけねえ。浮游の種子を使わずに橋を渡る――っ言う無茶をしたいならともかく、ふつうに行くなら南の村で一時間くらい待たなくちゃいけねえからな、西の村で生活している俺たちは、あんま行かねえ場所だよ。ちなみに、迷宮も同じな。南の村を通って行くから、朝は慌ただしい。今朝のキシニみたいな感じだ」
バシハの話を聞きながら、オウギは、先ほどバシハに言われた内容を思い出していた。
オウギは思う――そっか。浮游の種子の効果が再び使えるようになるまでは、一時間くらいかかる――っていう話だっけ?
二人が、東の村と南の村とをつなぐ橋へと移動する。その橋は、少し前に渡った橋と似たようなものであった。橋の前で立ち止まったバシハは、そのまま東の村を指さしながら、説明をはじめた。曰く――。
「あの辺は、立ち入り禁止な。『病人がいる』っていうか『療養中』っていか……特に用がなければ行っちゃいけないところだ。まあ、俺はたまに来てるけど」
バシハの指さすところには、ひときわ涼しげな空気を漂わせた古民家が一軒、集落から離れるようにして、ぽつねんと構えられていた。
バシハの説明を聞き、オウギが思わず苦笑いを浮かべる。
オウギは思う――それじゃあ、ただの悪ガキじゃないか……。
それ以降もバシハは、いくつかの説明をしていく。だが、その場に立ち尽くしたままで、一向に橋を渡ろうとはしない。そんなバシハの様子を不審に思ったオウギが、その顔をのぞくようにして見てみると、果たせるかな、そこには不敵な笑みが浮かんでいた。それを見て、ようやくオウギも、バシハのたくらみに気がつく。
オウギは思う――まさか……。
オウギが口を開くより一足早く、バシハが手を打ち鳴らして言う。
「よし! 案内は、これでおわったな。約束どおり行くか――迷宮に」
呆れたようにオウギが口を開く。
「……初めから、そのつもりだったでしょ」
オウギの言葉に、バシハは茶化すように笑っただけで、何も答えようとはしなかった。
二人が、迷宮と南の村とをつなぐ橋へと移動する。この橋も、今までのものと大して変わらなかったが、村同士をつないでいるものよりも、心なしか幅が広く、距離は短い。迷宮の位置は南の村の北側で、ちょうど三つの村に囲まれる形となっている。
二人が橋の手前で浮游の種子を使う。その際にオウギは、バシハから「浮游の種子を使っている最中には、飛び跳ねてはならない」という注意を受けた。理由をオウギが尋ねる。
「どうして?」
「さっき、『地面から一定の高さがあると、それより下に落ちなくなる』って言ったろ? それだよ。飛び跳ねると、そこから自力で降りられなくなるんだ」
オウギがうなずく。
「ああ……なるほど」
二人は橋を渡りおえると、迷宮の中へと入っていった。ここでもオウギは、橋を渡っている最中には村からの音が聞こえないということに気がつかなかった。緊張していたためである。無論、緊張しているのはオウギ、一人だけである。
※
迷宮。
その入口は大きく、大人の下人が腕を上下左右に伸ばしてみても、建物を形作っている砂礫の壁にあたることはない。外から見た限りでは、こぢんまりとした印象を受ける三つ子村の迷宮――【常滑】――であったが、どういう仕組みなのか中は広々としており、灯りになるようなものは見あたらないが、やはり十分に明るかった。入口から離れた場所に、幾人かの下人たちが立ち話をしているのが見える。彼らは控えの下人たちであり、その中には村長であるマシサカの姿もあった。そのさらに奥には、常滑の本体とも呼ぶべき入り組んだ迷路が存在している。迷路の中へと入る道は三か所で、そのどれもが迷宮の入口側にあるものの、互いに離れていた。迷路の内部は、常滑という名前のとおり、至るところに苔が生えていて滑りやすく、見通しが非常に悪い。外からでは見えないが、迷路の中では今、キシニを含めた下人たちが【魔物】たちと応戦していた。
バシハは、控えの中からマシサカの姿を見つけると、手を振りながら気さくに話しかけた。
「お~い、マシサカ! 見ていってもいいか~?」
それが村長の名前であることは、オウギも理解していた。
自身の名を呼ぶ声に応じて、マシサカが、ゆっくりと顔をバシハのほうへと向ける。その隣にいるオウギの姿を見とめると、合点がいったとばかりに小さくうなずいた。それを了承の意と受け取ったバシハが、オウギに向かって口を開く。
「いいってさ」
バシハの言葉は決して間違いではない。迷路の中にさえ入らないのであれば、マシサカにとっては、オウギが見学しようがしまいが、どちらでもいいことだったからである。
一方のオウギは、驚いたようにバシハを見つめた。二人とマシサカとの間には、かなりの距離があり、オウギにはマシサカがどんな合図を示したのか何も見えなかったからである。
オウギは思う――目が、いいんだな。
二人が控えの下人たちのほうへと歩いていく。少しすると、オウギにも状況を理解できるようになった。
オウギは思う――キシニさんの姿がない。奥のほうにいるのかな?
オウギがキシニの不在を見とめるのと略同時に、下人の一人が迷路から出て来た。手には、様々な物資の入った袋が提げられている。その下人は、物資を控えの下人に手渡すやいなや、再び迷路の中へと戻っていった。一方、物資を受け取った下人は、それらを迷宮の外へと運びだすべく、二人の横を通っていく。物資には砂がついているのがわかった。
オウギは思う――やっぱり、食べ物や飲み物は、当番と関係があったんだな。……当番というよりかは、迷宮と言ったほうが正しいんだろうけれど。
再び下人の気配が近づいて来る。今度は、先ほどとは違う道から、また別の下人――【キブトコ】――が、迷路の外へと出て来た。同じように、手には物資の入った袋が提げられているが、今度は幾分、先ほどよりも量が少ない。キブトコは、物資を手に提げたままマシサカに近づくと、小さく口を開いた――声は二人にも聞こえている。
「第三【波】がはじまります。村長、念のために西側の経路に移動をお願いします」
マシサカはうなずくと、自身の得物である【鎖鎌】と【札】とを持ちなおし、キブトコが出て来た道から迷路の中へと入っていく。その後ろ姿に一礼をして見送っていたキブトコは、顔をあげると、先ほどの控えの下人と同じように、物資を迷宮の外へと運びだすべく歩きはじめた。二人の横を通るときに、キブトコとオウギとの目が合った。一瞬、にらみつけるようにキブトコの目が細められる。
オウギは思う――え? 今、にらまれた?
驚いたオウギであったが、「たしかに周りの下人たちの邪魔になっているのかもしれない」と思いなおすと、それ以上は考えないことにした。
ふと、思いついたようにオウギが、迷路を指さしながらバシハに尋ねた。
「そういえば、どうして皆ここで立ち止まっているの? 中に入らないの?」
核心を衝く問いに、思わずバシハの歯切れが悪くなる。
「たくさん入ると、ちょっとな……。面倒なことが起きんだよ」
「へえ……」
「それに、万一魔物がここまで来ちまったときの備えにもなる」
オウギは思う――「まもの」って、やっぱり怪物のことだよね? いるんだ……モンスター。……イヤだなあ。
そう思いながら、オウギがなんともなしに前を見つめていると、迷路の中の一際高い場所に一人の下人が立っていることに気がついた。時折その下人は、下のほうを向いて何かを喋っている。指示を出しているのだと見て取れた。
オウギは思う――あれ……?
下人が立っている場所までは、二人の位置からだと、かなりの距離がある。もしも、その辺りで村長たちが魔物と交戦しているのだとすれば、魔物が下人たちを振り切って、ここまでやって来るとは少し考えにくい。
オウギが口を開く。
「魔物って、ホントにここまで来るの?」
オウギのほうに向きなおりながら、バシハは答える。
「ん? ああ。本当に来ちまったら、困ったことになるけどな……。別に、来てもおかしくはないぜ、なんせ魔物のほうが俺たちに向かって来るんだから」
「え!?」
驚いてオウギが聞き返す。
「僕たちが魔物のところまで行くんじゃなくて、魔物のほうがやって来るってこと?」
バシハが小首をかしげながら答えた。
「だから、そう言ってるだろ?」
オウギは思う――てっきり、建物の中を探索している最中に魔物とエンカウントするのだとばかり思っていた。でも、魔物のほうから向かって来るうえに、迷路の中に大勢の下人が入れないなら、たぶん話が違って来る。建物の探索はともかくとしても、それって――。
自然とオウギには、昨日読んだ「タカラが新作のゲームを発表する」という記事のことが思い起こされた。
オウギが再び思う――防衛ゲームなんじゃ……。
オウギは、見えるはずのない交戦中の下人たちを見ようと、迷路のほうを凝視した。遠くからは笛の音が、短く三回、聞こえて来ていた。
21/1/22――本文75段落目の「西の経路」という表現を「西側の経路」に改めました。また、一部の言葉を漢字に改めました。これに伴いまして、一部の漢字にルビを追加しました。
21/5/12――「浮遊の種子」という作中用語を「浮游の種子」に改めました。




