一日目――エマキエの家(下)
バシハが、南の村と西の村とをつなぐ「橋」を渡っている。橋の間には、珍妙な風が吹いているために、村からの音が届かない。そのため、バシハにとっては煩わしかった「南の村で流れている転移者の噂」も、今のバシハには聞こえていない。ほどなくして、バシハが橋を渡りおえる。すぐに、西の村からの声が聞こえて来るようになった。バシハは自身の家を目指している。バシハの家というのは、とりもなおさずキシニの家のことである。バシハとキシニとは、ともに【エマキエ】の姓を持つ家族なのだ。
バシハが自身の家のほうを見やる。家の近くには、ついに屋外にまで連れ出されてしまったオウギの姿があった。オウギは、屋外に連れ出されてなお、村の下人たちに囲まれていた。
バシハの姿に気がついたウノカが、バシハに声をかける。
「お帰り――バシハ」
ウノカの挨拶を受け、バシハもそれに応じる。両者を遠目に見ていただけだったオウギは、そのやり取りの内容までは聞いていない。
「ん――ただいま」
「これから『転移者が訪れたことへの祝い』という形で、ここで【居喰】を開く予定だ」
居喰とは、牌を用いて遊ぶ娯楽のことで、バシハは、これが非常に上手かった。だが、気落ちしている今のバシハにとって、居喰を開催するという提案は、もともと居喰が凄く好きなわけではないということもあって、元気づくほどに魅力を感じるようなものではなかった。
そっけない態度で、バシハが応じる。
「そっか……。悪いが、もうちょい後にしてくれ――ちょっと一人になりたい」
気乗り薄のバシハを見て、その心情を察したウノカは、それ以上は言うこともなく、軽くうなずいただけであった。ウノカとの会話をおえたバシハは、家の縁側へと向かい、開け放されたままの建具を見るやいなや、持っていた手荷物を家の中へと放り投げた。その様子をオウギが訝しげに眺めていると、子供の一人が得意げに口を開いて「バシハとキシニとが、同じ家族であること」をオウギに伝えた。
オウギは思う――家族なのか……。あれ? それにしては、親御さんの姿が見えない気がするんだけど……。これって、もしかして、触れないほうがいい感じかな……。
バシハとキシニとの【両親】は健在である。オウギが余計な心配をしている間にも、バシハは一人になるために村の端のほうへと歩いていく。そんなバシハの様子を見ながら、ウノカは家の中にいるキシニに声をかけた。
「どうする? 公式の居喰じゃないから、先に始めるか?」
胡散顔をしたキシニが、吶々と答える。
「それでも構わねえが……」
そこでキシニは一度、言葉を区切った。キシニの懸念は、先ほどの「オウギが迷宮に通じていない」という一件によるものである。迷宮にさえ通じていないのであれば、ひょっとするとオウギは居喰についても余り詳しくは知らないのではないかと、そのように疑念を抱いたのだ。
キシニは、少し離れたところで下人たちに囲まれているオウギに向かって叫んだ。
「オウギ! 居喰って、わかるか?」
オウギは知らないということを示すべく、ゆっくりと、首を大きく横に振った。それを見て、一瞬、オウギを取り囲む下人たちは驚くような素振りを見せたが、すぐに元の表情に戻った。その顔色からは窺い知れないが、ウノカやキシニと同じく「迷宮さえ知らないのであれば、それも宜なるかな」という心境である。
オウギのジェスチャーを見たキシニが、ウノカのほうに向きなおりながら口を開いた。
「こりゃあ……もしかすると、『年齢が高い』ってだけで、実態は天授子みたいなもんかもなあ」
ウノカもまた、オウギを一瞥しながらキシニに応じる。
「……かもな」
キシニのほうに向きなおると、今度は、茶化すように口を開いた。
「まあ――俺たちは、その天授子のことも、よくは知らんがな」
それを聞いて、キシニも思わず、口角をわずかに持ちあげながら応える。
「違えねえ」
つかの間、二人は笑い合った。そして、「閑話休題」と言わんばかりにキシニが一つ、爪を弾いて、ぱちりと音を立ててから口を開く。
「居喰の話だが、オウギも参加するんだろ? あの様子じゃ、居喰そのものを知らねえんだ……ルールを教えねえとダメだろうな」
ウノカが応える。
「教えるのは俺たちよりも、バシハが適任か……」
先述したように、バシハは居喰が得意なのである。
ウノカの返事を聞いて、キシニがうなずく。すぐにウノカは、自身が先ほど述べた主張を翻した。
「よし、じゃあ準備だけ始めよう」
キシニもうなずいて、それに応じた。
「はいよ……」
なんともなしに言ったキシニであったが、これではオウギが、居喰が開催されるまでの待ち時間を持てあましてしまうことに気がついた。「この待ち時間を使って、西の村だけでも軽く見ておいたほうが後々のためなのではないか」と、そう考えたキシニが、家から顔を出すやいなや、再びオウギに向かって叫ぶ。
「オウギ! 明日は時間がないから、今のうちに、この村の気になるところを見て来い」
ボクノヤミが言ったように、オウギは明日、三つ子村の案内をされる予定でいるのだ。
キシニに声をかけられたオウギは、今度は同じように叫んで応えた。
「わかりました!」
口ではそのように応えたオウギであったが、内心では、どうすればいいのかわからないでいた。
オウギは思う――って言われても、なあ……。一番、気になっている「ダンジョン」には明後日、行くわけだし……。
何も思いつかなかったオウギは、自身を囲む人垣の間を抜け出すと、仕方なく、バシハのあとをついていくように村の端へと歩いて行った。無論、これは、オウギがバシハとウノカとの会話を聞いていなかったための行動である。
※
オウギが村の端へと歩いていく。集落の境界となるのは、地の底へと続くような漆黒の崖である。バシハは、その崖に、足を飛び出すように座りながら、物思いにふけっていた。バシハの心中では、「天授子の後から転移者が現れる」という考えと、「天授子が来るより前に現れたオウギ」という現実との間で、葛藤が起こっていたのである。時間をかけて南の村で悩み、また、転移者であるオウギを受け入れた村の下人たちの姿を目にしたことで、バシハもようやく、現実を受け入れようと、気持ちを切り替えているところだったのである。
バシハの後方まで近づいたオウギであったが、その背中に対してかける言葉が見つからず、きっかけを探すように辺りを見回した。付近には、持ち帰り忘れたと思わしき子供たちの遊び道具が散乱していた。その中には、竹蜻蛉に似た木製の玩具など、オウギの見知っているものも数多くあった。オウギが、そうして周囲に目を向けていると、自身の後方から歩いて来るオウギの姿に気がついていたバシハが、先に口を開いた。
前を――様々な緑で作られた稜線を――見たまま、バシハが言う。
「お前――本当に、転移者なんだな……」
オウギは、バシハのほうから先に声をかけて来たことに少しだけ驚き、次いで、バシハの声に切なさや諦めが含まれていることを感じ取って、バシハが抱いているものと似たような寂しさを覚えた。バシハの言葉に、どのような返事をすればいいのか迷いながらも、オウギが口を開く。出て来たのは、他愛もない一言のみであった。
「うん……」
それっきり、両者の間に長い沈黙が漂う。
その間、オウギは「なぜ、バシハは態度を改めるようになったのだろうか」と考えていると、遠くのほうから下人の叫ぶ「転移者」という声がいくつも聞こえて来た。
オウギは思う――なるほど……これでか。きっと、ほかの下人の姿を見て、僕を転移者だと認めざるをえなくなったんだ……。
そのようにオウギが思っていると、バシハが再び、口を開いた。
「悪かったな……さっきは。俺はさ、ずっと『転移者は、天授子をもてなすために現れるものだ』と思っていたんだ」
オウギは思う――天授子と転移者が対っていう話かな?
バシハの発言に、オウギも応えた。
「うん――さっき、ウノカさんから聞いた」
言ってから、オウギは、それをウノカから聞いたわけではないことに気がついた。
オウギが思う――あっ、違った。ウノカさんから聞いたんじゃなくて、怒鳴っている下人が「そう」言っていたんだ。……っていうか、対って「持て成す」って意味だったのね……。なんか、ちょっとだけショックだな……。
オウギがつづける。
「でも君の――」
バシハが横から口を挟む。
「『バシハ』でいい」
オウギがうなずいて、そのままつづける。
「――バシハの反応は、ふつうなんじゃないかな?」
オウギが再び思う――だれだって、突然、目の前に見知らぬ人間が現れたら警戒するだろうし……。
オウギの発言を聞いて、バシハが後ろを振り返る。それはオウギの顔を見るためではなく、オウギに、背後を見るように促すためのものであった。では、オウギの後ろに何があるというのだろうか。言わずもがな、そこには、すでに転移者の存在に順応した下人たちがいるのである。
バシハの言わんとすることを察したオウギが、慌てて言葉を翻す。
「ごめん――やっぱ、ふつうじゃないのかもしれないけど! でも、『それ』でも、別にいいじゃないかな?」
オウギが再び思う――何がダメだとか、何がいいのかとか……そういう難しいことは、僕にはわかんないし。
そんなオウギの慌てる様を見て、少しだけ微笑んだバシハが言う。
「そろそろ戻るか。ああ――そういや、お前、どこの村のあずかりになるって?」
バシハの問いにオウギは、先ほどのキシニとウノカとの会話を思い出しながら、答えた。
「この村だって」
オウギの返事を聞いたバシハは、少しだけ意外そうな顔をした。てっきりバシハは、オウギは南の村のあずかりになると思っていたのである。
「ふ~ん、そっか。まあ――この村に現れたんだから、当たり前と言えば当たり前か」
その会話を最後に、二人は立ちあがると、エマキエの家を目指した。
※
二人がエマキエの家に戻ると、すでに居喰を開催する準備が完了していた。会場となったのは、言わずもがな、エマキエの家である。和室に似た部屋には多くの下人が集まっており、その様子から、だれもが少なからず居喰を楽しみにしていることがわかる。縁側からオウギとバシハとが「その部屋」に入ると、それに気がついたウノカが二人を手招きした。
ウノカが口を開き、みなの前で改めてオウギを紹介する。
「改めて、こちらが転移者のオウギだ。転移者と言っても、どうやら実際は天授子と変わらないらしい。不慣れなことが多いと思う、みんな、よくしてやってくれ!」
一同から拍手が起こる。バシハもまた、ウノカによる説明に一瞬だけ目を丸くしたものの、すぐに、ほかの下人たちと同じように軽く手をたたきながら、その場に腰をおろした。一方のオウギは、いきなりの紹介に動揺し、少しだけ声を上ずらせながらウノカに応じる。
「よ、よろしくお願いします」
オウギの簡素な挨拶にも場は沈むことなく、ウノカの司会によって催しは順調に進んでいく。ウノカが全員に聞こえるように、声を張りあげて言った。
「それでは早速、転移者が現れたことを祝って、居喰を始めよう!」
オウギは、ウノカの「祝う」という言葉づかいに違和感を覚え、思わず独り言ちていた。
「祝って……ですか」
オウギは思う――転移者が現れるっていうのは、祝うような出来事なのかな?
オウギの呟きを耳ざとく聞き取った下人の一人が、茶化すように声をあげた。
「ぶっちゃけ理由はなんだっていいんだよ、居喰ができりゃ」
あけすけな物言いに、茶化した下人の隣に座っていた下人が、噴き出しながら応じた。
「身も蓋もねえな」
それを受けて、また、別の下人が口を開く。
「でも実際、体のいい理由がほしいだけっていうのは、ある」
そうして、次第に会場が盛りあがっていく。そんな様子を見ながら、ウノカは、自身の近くに腰をおろしていたバシハに声をかけた。
「バシハ、オウギにルールを教えてやってくれ」
バシハがうなずいて、ウノカに応じた。立ったままのオウギに、バシハが声をかける。
「あいよ――じゃあ、オウギ。その辺に座れ」
『この場で、これから何が始まるのか』という根本的なことを理解していないオウギは、バシハの指示にしたがいながらも、そのことをバシハに尋ねた。
「う、うん。これから何が始まるの?」
オウギの問いに、バシハが答える。
「居喰だよ、居喰」
そう言いながらもバシハは、ウノカが先ほど言った「実際は天授子と変わらないらしい」という台詞を思い出していた。天授子であれば当然、キザワシカのことを何も知らない。オウギもまた、キザワシカについて殆ど何も知らないのであろうという予想がついた。
バシハがつづける。
「――って言ってもわかるわけねえよな……。そうだな……居喰っていうのは、牌を使った賭け事みたいなものだ」
驚いて、オウギは聞き返す。
「賭け事!?」
オウギは思う――そんな悪いことするの? って言っても、僕も、どうして悪いのかよくわかってないんだけど。
目を丸くしながら聞き返すオウギに対して、バシハは少しだけぎょっとしながら応じた。
「――んだよ、そんな驚くことか? 『賭ける』って言っても、そんな大層なものは賭けねえぜ? せいぜい、持ち寄った食糧とか嗜好品だよ」
合点がいったとばかりに、オウギは、小さくうなずきながら応じた。
「ああ、なんだ……。そういうこと」
オウギが再び思う――ちょっとした賭けのついたカードゲーム……みたいな感じなのね。
『ウノカから、他人にルールを教えるように言われるくらいなのだから、バシハは相当に、この居喰がうまいのではないか』と、そのことに思い至ったオウギがバシハに尋ねる。
「バシハは、得意なの?」
「ん?」
「いや、人に……別の下人に、ルールを教えるくらいだからさ、『得意なのかな?』って思って」
明後日のほうを向き、少しだけ考える素振りを見せたバシハであったが、すぐにオウギのほうに向きなおると、オウギの問いに応じた。
「まあ、そうかな。『上手い・下手』で言や、うまいだろうな――この村で一番くらいには」
予想以上の返答に、オウギは少し言葉を詰まらせながら応じた。
「へ、へえ……。そうなんだ……すごいね」
その後オウギはバシハから、実際の牌を使って、そのルールを教わった。曰く――。
「――っていう感じで、牌ごとに決められた効果があるのな。――んで、最後まで、この『富豪を意味する牌』を持っていた下人が勝ち。どうだ?」
オウギは、バシハが自身に対して、居喰のルールを丁寧に説明してくれたことを理解したものの、その難解なルールに対してとまどっていた。バシハの問いに、オウギが答える。
「なんていうか……複雑だね」
オウギの指摘に、バシハが笑う。
「そうだな、実際はもっと稚児しいよ。だが、とりあえず今回は、牌を合わせたときの効果とかは気にせず、今――言った、基本の戦法だけを頭にたたきこめば大丈夫だ。数回は勝てるよ」
そう言ったバシハの言葉を信じ、オウギは何度か居喰に参加し、また、そのたびにバシハからルールの説明を聞きなおしたものの、結局、勝てたのは、バシハが自身の後ろから助言をしてくれた一度きりであった。そんなオウギの散々な結果を見て、バシハがなんともなしに言う。
「オウギ――お前、絶望的に下手クソだな」
バシハの包み隠さない正直な感想を聞いて、オウギは思わず苦笑いを浮かべながら、それに応じた。
「うん……。僕も、自覚があるよ」
オウギは思う――頭を使うことは、苦手だ。もっと、感覚でできるようなもののほうが好きだ。
そんなオウギの後ろ向きな発言に、バシハが、くすりと笑う。そこに嫌味な感じはなく、純粋に「おかしい」と言わんばかりの笑みであった。慰めるわけでもなく、また、励ますわけでもなく、淡々と事実を述べるように、それでいて事務的なものではなく、人情味に溢れた温かな優しい声で、バシハがオウギに言う。
「この村で生きていくんだから、居喰はできるようにならねえと、ダメだぜ」
その言葉を聞いて、オウギは、ちょっと前にキシニから言われた「もう、お前はこの村で俺たちと生きていくしかないんだよ」という台詞を思い出していた。オウギが情けないほどに居喰が下手だったために、これをきっかとして、オウギとバシハとは急速に親しくなっていく。これはバシハにとって、オウギは世話が焼ける家族が新たにできたようなものであり、同じようにオウギにとっては、バシハが頼りになる友人のようなものであったためである。
会場に集まっていた下人たちは、居喰にすっかりと夢中になっていたために、いつの間にか日がすっかりと落ちていることに気がついていなかった。なんともなしに縁側の外に目を向けた下人の一人が、驚いたように声をあげる。
「もう、そんな時間か……」
言わずもがな、日没の意である。その声を聞いた下人たちが、次々と縁側の外に視線を向け、各々が同じように、しみじみと声をあげた。だれかの「そろそろ、お開きにしようか」という発言に、それぞれが暗黙の了解を示し、獲得した品を持って、帰り支度をはじめる。ウノカもまた、帰る用意をしていたが、その途中で「オウギは、どこに帰るのか?」という疑問を抱き、口を開いた。
「そうだ――オウギは、どの家に住む?」
縁側から顔を出し、各々の家へと戻っていく下人たちを見送っていたキシニが、ウノカの問いに答えた。
「ここでいいだろ……なあ?」
そう言ってキシニは、バシハのほうを振り向いて、バシハに同意を求めた。
バシハは、居喰で勝ち取った菓子類を口にしながら、キシニに応じた。
「まあ、いんじゃね? オウギは? なんか希望あるか?」
そう言って今度は、バシハがオウギに向きなおり、同意を求めた。それを見て、キシニもまたオウギを見やる。二人から視線を向けられたオウギは、おずおずと口を開いた。
「特には……ないけれど」
オウギは思う――っていうか僕、まだ村の下人たちをウノカさんと、キシニさんと、バシハしか知らないし……。
オウギの返事を受けて、キシニが言った。
「なら、ここでいいだろ」
それを聞いて、「安心した」と言わんばかりに、ウノカもまた自身の家へと帰っていった。帰るといっても、ほかの下人とは異なり、ウノカの家はエマキエの家の隣である。そうして三人は、縁側から、集まった村の下人たちを見送った。その場に残ったのは、言わずもがな三人だけである。
バシハが縁側に腰をおろす。それにつづいて、オウギも、居喰で獲得した飲料を手に持ちながら、同じように縁側に腰をおろして、その飲料に口をつけた。すぐに口いっぱいに甘みが広がった。それはオウギで言うところの「炭酸飲料」であった。
オウギは思う――これ……味がついているのは、泡のほうなんだ。ジュースの部分は全然、味がしないや。
バシハがオウギに尋ねる。
「なんの味だ?」
「う~ん……」
オウギが再び思う――なんの味だろう……。僕には、西瓜に似ているように思えるんだけれど、西瓜って言っても、きっと伝わらないだろうし……。説明が難しいな。
オウギは、せいいっぱい言葉を選びながら、バシハの問いに答えた。
「すごく甘くて……だけど、青臭いような味」
オウギは思う――伝わるのかな、これで?
オウギの心配に反して、バシハはなんともなしに応えた。
「ああ、【夢追果】か」
オウギは、バシハの言った「馴染みのない言葉」を口の中で、ゆっくりと、くり返す。
「ノレムエートゥ……」
「そう、夢追果」
オウギは思う――ノレムエートゥ。どんな意味なんだろう。
オウギがつづけた。
「僕の好きな味……かな」
それを聞いたバシハが、「そっか」と言って、うなずいた。そのまま、二人は無言で夜空に浮かぶ星々を眺めた。オウギの目に、今にも降って来そうな輝く星たちが映る。淡く光るものや、ひときわ強い輝きを放つもの、群れをなしたように密集しているものと、実に形が様々である。それらが、瑠璃・桔梗・紺青・烏羽――種々の色が混じった空に吸いこまれたようにして、視界のすべてに散りばめられていた。
オウギは思う――もう、ずいぶんと星なんて眺めていなかった気がする。
静かな時間であった。
だれに言われるでもなく、オウギが耳を澄ます。遠くから、かすかに下人たちの話し声が聞こえて来る。それは、内容を聞き取れるほどに大きな声ではなく、そうかといって、気にならないほどに小さな声でもなかった。隣に座るバシハが、それらの声をかき消すように、少しだけ大きな音を立てながら、深く息を吐いた。
穏やかな時間であった。
わずかに冷たくなった夜風が、二人の頬を優しくなでる。バシハは何も言わず、オウギもまた、何も言わない。何をするわけでもないのに、逆にそれが、オウギの心を落ち着かせ、オウギを安らかな気持ちにさせていた。
オウギが再び思う――なんか、いいな――こういうの。……ゲームをするのも楽しいけれど、たまには「こういうの」も悪くない。
オウギが、そのように思っていると、二人の背中にキシニが声をかけた。
「そろそろ寝ろ。それからバシハ――次、当番のときに、オウギと一緒にボクノヤミさんのところに」
いつの間にか寝そべっていたバシハが、その状態のまま気が抜けた返事をした。
「……う~い」
こうして、オウギの長い一日がおわった。
明日は村の案内である。
21/3/11――すべての「札」という表現を「牌」に改めました。また、一部の表現については鍵括弧(「」)および二重鍵括弧(『』)を外しました。
21/3/15――いくつかの余白を追加しました。




