一日目――エマキエの家(上)
オウギが、キシニのあとをついていく。キシニの背丈は、オウギの「それ」より二回りも大きく、ちょうどミスヒと同じくらいである。だがミスヒとは異なり、その体つきは精悍で、オウギが出会った下人の中では一番たくましい。切れ長の目は雄々しく、少しだけオウギに「怖い」という印象を抱かせていた。
キシニは現在、自身の家を目指して歩いているが、無論、このことをオウギは知らない。キシニの家は、三つ子村に存在する三つの村のうち、西の村に存在している。西の村というのは、なんということはない――オウギとキシニとが今いる場所のことである。
しばらく歩くと、急に視界がひらけた。目の前に広がる集落と、果ての見えない緑の稜線とに、オウギは思わず息を呑んだ。「きれいだ」という、ありきたりな感想しか思いつけない自分自身に対して歯がゆさを覚えながら、オウギはゆっくりと辺りを見回した。ぽつぽつと立ち並ぶ古民家の間には、楽しそうに談笑している下人たちが見える。遠くのほうで遊んでいた子供たちが、ひときわ大きな歓声をあげた。釣られてオウギも思わず、はにかむ。
オウギは思う――平和だ。なんていうか、うん……。いいな、こういうの。
オウギの注意が村の景色に逸れたことに気がついて、キシニがオウギに向けて口を開いた。
「こっちだ」
キシニに声をかけられたオウギが、慌ててキシニのあとを追った。
さらに、しばらく歩くと、一つの小さな木製の家に到着した。その家は、良く言えば伝統的であり、悪く言えば簡素であった。やはり「古民家」という表現がふわしい。ほかの家と目に見えて違うようなところはなく、したがって、ほかの家と同じように、「垣根」がなければ、「庭」と呼べるような場所もなかった。開け放されたままの縁側と、そもそも扉がついていない玄関。屋内と屋外とが、はっきりと定められていない様は、公私の区切りが曖昧な三つ子村という「共同体」を端的に表していた。その姿は、オウギの目に「新鮮」とも「不用心」とも映るが、これが三つ子村の常識である。
オウギの姿を見とめた下人たちが、興味深そうに、オウギとキシニとの周りに集まって来た。その中には、オウギやバシハと同じように、目元に三本の黒い痕を持つ下人たちも数多く見える。その中の、だれかが口を開いた。
「ねえ――さっき、ミスヒが言っていた『転移者』って君のことでしょ?」
その一言を皮切りに、方々から質問が飛ぶ。たまらず、オウギは制するように両腕を前に押しだした――が、無論、転移者であるオウギに対する興味は、それで止まるほどに小さなものではない。オウギは「一度にたくさんの質問を浴びせられたこと」と「バシハだけでなく、下人たちの多くが自分と同じように、目元に三本の黒い痕を持っていること」とに困惑し、「えっと、あの」という言葉をくり返すばかりであり、一方の下人たちは、互いの声が重なり合うのも気にせず自由に話しているので、もはや誰も質問を聞き取れていない。ちょっとした騒ぎである。
困り果てたオウギを見かねて、キシニがオウギを指さしながら言った。
「まだ、飯を食ってないんだ――飯ぐらい食わせろ。その辺で待っとけ」
キシニの言葉に下人たちは不満げな声をもらしたが、キシニは、それに構うことなく家の中へと入っていく。両者のそれが戯れであることにオウギが気づいたのは、キシニにつづいて家の中へと入り、背後から楽しげな会話が聞こえて来たあとだった。
オウギは、今しがたの出来事を振り返りながら、そして思った――あとで、三本の黒い痕について聞いてみようかな……。
キシニとオウギとは、靴を脱いで家のさらに奥へと進む。食卓の辺りまで来ると、オウギは、その場でキシニから「椅子に座って待っているように」と指示を受けた。少しすると、キシニが食事を持ってやって来た。手には、木の器に盛られた「フランスパンのような『こぶし』型のパンが二つ」と、筒状の透明な容器になみなみと入った「透きとおるほどに美しい水」とがある。使い古されて、縁のところどころが欠けてしまっている木の器と違って、透明な容器は真新しく、合成繊維で作られたのかと見まがうほどに精巧で、美しい。
キシニがオウギに向けて口を開きながら、それらを食卓の上に並べて置いた。
「ほらよ」
オウギが、それに応じる。
「あ、ありがとうございます」
そう言ってオウギは、なんともなしに筒状の透明な容器に手を伸ばした。現代的な生活に慣れていたオウギは、それが「この場に似つかわしくない不自然なものである」ということに、まだ気がついていなかった。中身の水を飲むべく、オウギが飲み口を探す。上部を押しあげるように持ちあげると、簡単に口が開いた。そのまま飲み口に、自身の唇をそっと押しあてる。
オウギは思う――ペットボトルみたいだ……。
そう思ったところで、ようやくオウギも不自然さに気がつき、思わず声にならない悲鳴をもらした。
「っ!」
オウギが再び思う――ペットボトル? そんなバカなわけあるか! こんな現代的なもの、さっき、村を見回したときには一つも見なかったぞ! ……というか、よく考えれば、この「パン」もおかしい。原料はどうしたんだ? 僕は小麦畑どころか、農作物が植わっているのようなところを見ていない。
だが、そこで、オウギは「当番」という台詞を思い出した。
オウギは思う――当番……か? そうだよな、きっと、何か「当番」というものと関係があるんだ。うん――そうだよ、だって、当番と言われていた「バシハ」っていう下人は、あれから見かけていないし……うん。きっと僕が、まだ目にしていないだけで、そういう食べ物や飲み物をつくる場所があるんだ。……あれ? でも、たしか……そのあとに「ダンジョン」っていう言葉を聞いた気が……。
オウギが訝しげに、その「迷宮」という言葉をつぶやいた下人であるキシニを見あげた。オウギの視線に気がついたキシニが、「ん?」と小首をかしげながら口を開いた。
「どうした? 早く、食っちまえよ。ああ……それと、俺『キシニ』な」
キシニに促されて、オウギはパンにかぶりつきながら応じた。塩気が効いていて食べやすいが、案の定、ひどく硬いパンであった。
「僕はオウギです。キシニさんは、その……なんだか親切なんですね」
オウギは、自身の発言を振り返りながら、そして思った――「親切」なんて、わざわざ言わないほうがよかったかな。嫌味らしく聞こえそうだし……。
キシニがオウギに応える。
「ん――なんだ? ウノカから聞かなかったのか? この村には外から下人は来られないんだよ」
言われて、オウギが思い出す。
「ああ……」
オウギが思う――たしかに、そんなことを言っていたような気がする。
キシニがつづける。
「逆も同じだ。俺たちもまた、この村から外には出られない。もう、お前はこの村で俺たちと生きていくしかないんだよ――それなのに、訝しんだり、揉めたりしてもしょうがねえだろ」
オウギが再び思う――出られない……のか。
半ば呆然としたまま、オウギは食べかけたのパンをかじる。オウギは、下人たちと言葉が難なく通じたこともあって、異世界に転移したという事実を少しばかり楽観的に捉えていたが、それでも「出られない」という事実には、少なくないショックを受けた。その結果として、「目元の三本の黒い痕」について聞こうとしていたことや、「ダンジョンとは何か?」という疑問は、どこかに吹き飛んでしまっていた。
そうしてオウギは図らずも、自身の処遇についてどのような決定が下されるのか、キシニの家で待つことになった。オウギの処遇を決定するのは何者か――無論、それはウノカが現在対面している相手、すなわち三つ子村の長である。
※
ウノカは一度、自宅に戻って装いを整えてから村長の家へと向かった。その間に、ミスヒから「転移者の話」を聞いた下人の一人が南の村へと話を伝えたために、ウノカが村長の家に到着するころには、転移者が現れたという噂はすっかりと広まり、ちょっとした騒ぎになっていた。これは、バシハがオウギを警戒した理由と同じである――すなわち天授子が、まだ現れていないにもかかわらず、先に転移者が現れるのはおかしいのではないか、というものである。
村長の家は、「南の村」のほぼ中央に位置している。村長の家だからといって、ほかの家と見た目に大きな変化があるわけではなく、基本的には差がない。唯一の差は、屋敷の周りをぐるりと覆う竹垣の有無であるが、これも隙間が大きくて、人目を防ぐといった意味合いはまるでない。単に、目立たせて、村長の家であることをわかりやすくしているに過ぎない。そして、その村長の家には今、ウノカと村長のほかにも、もう一人、別の下人――ボクノヤミ――がいた。三人は和室に似た部屋で、それぞれが向かい合うように座っている――ちょうど、鼎座の状態にある。
ウノカが神妙な面持ちで口を開き、そして、村長とボクノヤミとに「転移者であるオウギの存在と、その大凡の年齢と、オウギの持つ異能に関することと」を伝えおえた。ウノカの説明を聞いたボクノヤミが、ウノカに代わって口を開く。
「『離れている他人に声をかけることができる』という異能ですか……。非常に強力な異能ですね。効果の範囲が気になるところですが――これならば、『笛』を使うよりも細かい指示が出せるので、新人の育成のときの事故を防げるかもしれません」
ボクノヤミの言う「笛」と「新人の育成」とは、どちらも迷宮に関することである。迷宮については、またの機会に触れよう。
ボクノヤミの意見に、村長である【マシサカ】が、うなずいて同意を示した。
マシサカが口を開く。
「ふむ……たしかに。さすがだ、ボクノヤミ」
「いえ……思いついたのは、現状、私が新人の育成を任されているという点が大きいですので」
ボクノヤミの謙遜に、思わずマシサカは苦笑を浮かべた。手に持っていた「湯呑み茶碗」を口元へと持っていき、浮かべた苦笑を隠すように茶碗の中身を静かに啜る。飲みおえると卓上に置き、一つ、小さな咳払いをした。空になった茶碗を名残惜しそうに見つめながら、マシサカが徐に口を開く。卓の上では、かすかに残った深緑色の「緑茶に似た飲料」が、茶碗の底で小さく揺れていた。
「しかし、いくら『新人の育成』のときの指揮官をいずれは、その転移者に任せる腹積もりであるとはいえ、いきなり迷宮の指揮官を任せるわけにもいくまい」
ボクノヤミが応える。
「そうですね。指揮に慣れるまでは練習が必要でしょう。しばらくの間は、『様子見』をかねて付き添いとして誰かが一緒に……同じ年ごろのほうが気心も知れるでしょうから――」
ボクノヤミが一度、言葉を区切った。
「――あれ? 転移者は、どの村のあずかりになるんでしょう?」
転移者と似たような存在に、天授子があった。この天授子は、先述したように、オウギでいうところの七または八歳で、その地に舞いおりて来る。したがって、きちんとした年齢になるまでは、舞いおりた場所にて育てることになるわけだが、このとき、育てる場所というのは、舞いおりた地域における最も大きな集落になる場合がほとんどである。最も大きな集落というのは、例えば、三つ子村における「南の村」が、それに当たる。そして、天授子がすでに存在する地域であれば、転移者もまた、「転移者と天授子とは対である」という思想に則り、天授子と同じ集落で生活することになる。だが、転移者のみが存在する地域というのは、極端に例が少ないために、通例と呼べるものが存在しない。ボクノヤミは、このことに気がついたのだった。
ボクノヤミの指摘に、マシサカが一度うなってから口を開いた。
「転移者が現れたのは西の村なのだから、そのまま西の村にいたほうが、西の村の下人は転移者に慣れやすかろう。そして、西の村の下人が転移者に慣れてくれば、自ずと転移者との関係も良好になり、転移者もまた、村の一員としての自覚が早いうちに芽生えて来るだろう。このようなわけで、転移者は西の村のあずかりでよいのではないか?」
マシサカの意見は、あくまでもオウギの年齢を考えたうえでのものである。もしも、オウギがもっと幼くしてキザワシカに転移したのであれば、どの村でオウギをあずかったとしても、成長とともにオウギは三つ子村に対する帰属意識に目覚めるであろうから、その場合は、やはり、どの村であずかったとしても大差は生じないはずである。無論、その地域における最大の集落で育てたほうが何かと都合がいいために、仮にオウギが、もっと幼くしてキザワシカに転移していたとしても、実際には天授子と同様に、その地域における最大の集落で――つまりは、三つ子村においては「南の村」で――あずかることになったであろう。今、こうしてオウギが「西の村」のあずかりとなったのは、積極的な理由によるものではなく、「ほかに理由がないから」という消極的な理由によるものだった。
マシサカの意見に、ボクノヤミも同意を示した。
「なるほど、では西の村で……。西の村であれば、バシハがちょうど同じくらいの年だったはずです。指揮官の練習に際しては、バシハを転移者と一緒に『櫓』に立たせましょう」
櫓とは、三つ子村の迷宮における内部の「ある部分」を指し示す便宜上の呼び名である。
マシサカが応じた。
「うむ――そのように。ただし、ゆくゆくは『新人の育成』のときの指揮官を任せるつもりでいることは、当面の間は、その転移者には黙っているものとせよ。これについては、その転移者に、村の一員としての自覚が生まれてからでよかろう」
そこでマシサカは一度、言葉を区切ると、今度はウノカのほうを見ながら、つづけた。
「ウノカも、それでよいな?」
マシサカの発言は、言外に「黙っていろ」と伝えるものであった。二人は「承知した」という意味を込めて大きくうなずく。
ボクノヤミと入れ替えわるようにして、ウノカが再び、神妙な面持ちで口を開いた。口調は、先ほど村長らに「オウギの話」をしていたときと同じであり――すなわち、オウギたちと話していたときとは打って変わって、落ち着き払ったものである。
「一部の者が、『天授子が、いまだ舞いおりていないにもかかわらず、先に転移者のほうが現れることは不自然ではないか』と騒いでおりますが、こちらについてはいかがいたしましょう?」
マシサカが、わずかに眉をひそめながら答えた。
「表が騒がしいのは、そのためか……。転移者と天授子との関係は、必ずしも一致するものではなかったはずだが……そのように信じたい者がいることも、また事実。村の者には『転移者の現出は、近々、天授子が舞いおりる前兆ではないか』というように言い伝えよ」
転移者が天授子と対になるという思想には、明確に「天授子が先で、転移者が後である」というものが含まれている。マシサカの言うことが、単なる気休めにしかならないことに、この場の誰もが気づいていた。だが、この問題は、対の思想を信じる村の下人たちが「転移者であるオウギは、天授子よりも先に来てしまった」という事実と真摯に向き合うこと以外に、どうすることのできないものであった。ほかに方法はないのである。
ウノカが、マシサカに頭をさげながら応じた。
「かしこまりました」
そう言ってウノカは、退室するべく立ちあがった。部屋から出ていこうとするウノカの背中に、ボクノヤミが声をかける。
「ウノカ、バシハに『次の当番のときには、転移者と一緒に来るように』と伝えてください」
口調を元に戻したウノカが、ボクノヤミに応じた。
「バシハは、ちょうど今日が当番だから……次となると、明後日かな」
ボクノヤミが、うなずきながら口を開く。
「それならば、明日は――その転移者に軽く、村の案内をするといいでしょう」
ここでボクノヤミが言わんとしている「村の案内」とは、西の村の案内ではなく、三つ子村全体の案内のことである。
ウノカもまた、うなずいて、ボクノヤミの意見に同意を示した。そのまま、ウノカが村長の家をあとにする。その場に残ったボクノヤミが、独り言ちるように小さくつぶやいた。
「声をかけられる異能か……」
そんなボクノヤミを「意外だ」と言わんばかりに、マシサカが一瞥した。
21/3/6――本文76段落目の「転移者の出現」という表現を「転移者の現出」に改めました。
21/3/14――いくつかの余白を追加しました。




