みんなのために――上
キザワシカに来てから六日が経った。今は昼に催された居喰の帰りで、オウギとバシハとは獲得した景品を届けるために東の村へと向かっていた。相手は【ラウケイ】、東の村で療養している下人である。
家に着くやいなや、バシハが徐に建具を開く。オウギは家に建具がついていることや、それを勝手に開けてしまうバシハにも驚いていたが、何よりもその場に漂う静謐な空気に対し、世界が一変したかのような衝撃を受けていた。ここに来てようやく、オウギは異世界に転移したことの実感を抱きはじめていたのである。
ずがずがと無遠慮に縁側から入っていくバシハの前ではラウケイがゆっくりと布団の中で上体を起こしていた。「ほら」と、バシハが声をかけながら手に持っていた景品を手渡す。受け取った花をまじまじと見つめると、次いでラウケイは歓声をあげた。
「【霓食花】! うれしい、取って来てくれたのかい?」
感激したまま、ラウケイがゆっくりと鼻で息を吸いこんだ。紫陽花に似た淡い色の花から放たれる芳しい香りが鼻孔を満たす。目を閉じたラウケイが「前のとは少し匂いが違うね」と感想を漏らすと、バシハは「知るわけがない」と言わんばかりに肩を竦めた。
ラウケイが口を開く。
「バシハもどう?」
そう言って花を差し出すラウケイを見たバシハはぎょっとしながらも顔を近づけた。「俺に花のよさなんてわかるわけねえだろ」と自虐的に話すバシハに対し、ラウケイは穏やかな微笑みを口元に浮かべることで応えていた。そんな二人の姿を見たオウギは以前にバシハから言われた『俺はたまに来てるけど』という言葉の意味を理解する。
オウギは思う――なんだ、悪餓鬼じゃなかったのか……。
ふと、ラウケイがオウギに視線を向ける。それに気づいたバシハが手早くオウギを紹介した。
「転移者のオウギだ。噂くらいは聞いてるだろ?」
それを受け、応えるようにラウケイもオウギに向かって口を開いた。
「ぼくはラウケイ。見てのとおり、重病人だね」
オウギもうなずくように頭をさげたが、握手の代わりに自分へと向けて傾けられた霓食花を見ると、近づき、バシハと同じように匂いを嗅いだ。オウギが「……ごめん。僕もバシハと同じ側の下人みたい」と感想を言うと、ラウケイはおかしそうに声をあげて笑ったものの、バシハは「同じにされるのは癪だ」と言わんばかりに軽く肩を小突いた。
まもなく、汚した服をラハキマに洗濯してもらうためにバシハがいなくなり、オウギはラウケイと二人きりになった。急な展開にオウギは気まずさを稍感じていたが、ラウケイのほうから話しかけて来てくれたので、それもすぐになくなった。
ラウケイが口を開く。
「迷宮にはもう行った?」
「うん。でも、本格的なのは明日から」
「そっか」
間を置き、オウギが「嫌だな……」と感想を漏らすと、ラウケイは少しだけ驚いたように目を丸くしながら聞き返した。
「嫌なの?」
「うん……だって、怖いじゃん」
大きめの瞳をぱちりと瞬いたラウケイは「長い話をする」と言わんばかりに抱えていた霓食花を布団のそばへと置いた。
「ぼくは迷宮へ行ったことがないから大したことは言えないけれど……オウギを怖がらせているものは何?」
その声は静かであったものの力強かったためにオウギは思わず、こんなに真面目な話をするつもりではなかったという苦笑いを浮かべながらラウケイのほうを振り向いたのだが、自分を見つめる真っすぐな視線に気圧されて答えざるをえなくなった。
「魔物……ううん、怪我のほうかな。怪我が怖い。自分のために頑張る理由もいまいちわからないし……僕には勇気がないんだよ」
加えて、実際の戦いは遊戯と違って楽しくないということもオウギを消極的にさせている大きな原因の一つであった。
「勇気、か。それは自分自身を受け入れることだとぼくは思うかな。頑張ることそのものを勇気にしてもいいかもしれない。それに……必ずしも自分のために頑張らなきゃいけないわけじゃないよ。だれかの背中を押してあげることが頑張るための動機になるのかもしれない。みんなのためだね。もしかすると、このあたりの話はぼくじゃなくてギラクサのほうが助けになるんじゃないかな? 自分の苦手な部分はほかの下人が補えばいいんだよ」
オウギは思う――ギラクサ……。この前、迷宮で怪我してた下人か。たしかに傷を負ってまで頑張ろうとする理由は聞いてみたい気がするけど……。
ラウケイがつづける。
「まあ、話すだけはしてみるといいよ。ちょうど、今の時間帯なら大木のところで異能の練習をしているはずだよ。バシハには帰って来たら、そう伝えるから」
指示された大木がここに来るまでに見かけたものだということはオウギにも理解できた。つかの間、自分は己のためにさえ頑張れていないのだから、そもそも話を聞いても無駄なのではないのかというふうに思ったオウギであったが「せっかく勧められたのだから」と向かうことにした。




