三日目――迷宮(8)
ミカズミは安堵していた。思っていたよりもリトガナの傷が深くなかったからだ。これならば手持ちの儀式だけで治療できるだろうと、速やかに詠唱をはじめる。《天刑と天恵》の詠唱は異能の中で最も短く、型ごとに共通する節のみによって構成されたものである。
「大いなる存在に厳かに望む。いざ且々と威光を知らしめよ。《天刑と天恵》」
治療をおえたらその場で戦闘に参加する。イリオやタヤであればそのまま離脱という形を取るが、ミカズミの場合には次の治療に備えて儀式を獲得しなければならない。直前に使用した《賞罰のための儀式》の効果はまだ残っている。新しく異能を使うことはせず、目についた魔物から順に短剣で損害を与えていく。
あくまでも《賞罰のための儀式》の効果は短剣を用いて魔物の体力を減らすことに要点がある。ミカズミ自身が魔物の最優先攻撃目標に選ばれる必要は全くない。下人たちとすでに交戦状態にある魔物を横合いから少しずつ切りつけていくだけでいいのだ。そのほうが危険も少なく、ミカズミにとっては都合がよい。それは周りにいる下人たちも承知していることであるために「優先です」と声をかけながら短剣を振るうミカズミに気を悪くする者はいない。
ほどなくして、《賞罰のための儀式》の効果が切れると、ミカズミは治療者の定位置に戻っていった。
※
以降の戦闘は順調に進んだ。やはり手練れ二人が戦闘に直接参加するようになったことは大きい。安心感はもとより、本人たちに余裕があるので周りの下人たちにもきちんと目を向けることができるからだ。言うまでもなく、疲弊している下人たちをマシミやギラクサと変改させているので、攻撃役においては一とおり全員が魔物と戦ったことになる。一方、見ているだけであったオウギも初めてということもあり、疲れて段々と注意が散漫になって来ていた。
バシハが口を開く。
「オウギ、そろそろ【撤退】の準備をはじめるぜ」
すでに、第五波も中盤。あと数分もすれば東側の経路での戦闘は終了するだろう。そうなれば数人の下人たちだけを別の経路へと送り、残りを安全地帯へとさげることになる。先述したように、出現した魔物はすべからく安全地帯を目指すのであるが、このとき迷宮内に下人がいるかどうかは魔物の進向とは関係がない。そのため、下人側が迷宮を出る頃合いは自ずと幕間に限られる。波はその性質として迷宮内に下人がいなければ進行しないので、上手く撤退できたならばそのあとのことは考えなくてよい。迷宮が元の状態に戻ってしまうことはバシハの言ったとおりである。くどいようだが、すでに出現した魔物については元の状態云々の埒外だ。
オウギは思う――そういえば、なんで挑戦は第五波までなんだろう?
浮かんだ疑問をオウギが尋ね、バシハがそれに答えた。
「第六波から、ちょっと難しくなるんだよ。だから、手練れが少ないときの挑戦は第五波でおしまい。――っていうわけで、ダヨト! ネミガナを手伝いつつイリオに『櫓へ戻るように』伝えてくれ」
返事をして駆けだしていくダヨトを横目にオウギがさらに尋ねた。
「ネミガナって?」
「今日の回収役だよ。ずっと行ったり来たりしていた下人がいたろ?」
言われて、オウギも思い出す。合点がいったとばかりに、オウギがうなずいていると、バシハが忘れていたことを言うように「撤退のときも走るぞ」とつけ加えた。思わず、オウギが嫌そうに顔を歪ませ、それを見たバシハは微苦笑を浮かべながら口を開いた。
「――ったくしょうがねえな。最後まで俺はいなきゃいけねえから、イリオと一緒に戻れ」
オウギが「ごめん」と謝っているうちにイリオが櫓へと戻って来た。バシハがイリオに「オウギを安全地帯まで連れていくように」と伝え、その間にオウギは階段をおりていった。待っていたイリオに向かってオウギが謝罪の言葉を口にし、歩くように促すも、イリオはにっこりと笑みを浮かべたまま動かない。何事かと思って見てみれば、イリオの両手が物資の入った袋で塞がっている。言わんとすることを察したオウギが「か、片方は持つよ」と口を開くと、あろうことかイリオは両方の袋を差し出して来た。
選べ。
片方の袋は見るからに軽そうであり、もう片方は飲料などが詰められていて明らかに重そうである。少しだけ泣きそうになりながらオウギが自発的に重そうな袋をつかもうとすると、堪えきれないとばかりに「くすくす」と悪戯っぽく笑ったイリオが重そうな袋を自分のほうに引っこめた。
イリオが口を開く。
「そっちでいいよ」
オウギがお礼を言うと、二人は安全地帯へと向かって歩きはじめた。ほどなくして、二人は安全地帯へと到着した。間を置かず、東側で戦っていた下人たちのうち、幾人かも安全地帯へと戻って来た。その中にはリトガナの姿も見える。本来であればリトガナ自身は迷宮に通じているために戦闘地帯でまだ戦っているはずであった。だが、今日は違う。先述したように、怪我をしたので、念を入れての計らいである。
てきぱきとリトガナが指示を出していく。万が一、撤退に失敗した場合に備え、戻って来ている下人たちの中でも武術に長けた者をとどめ、そのほかの下人たちは迷宮の外へと向かわせる。その際、迷宮側の入口に連絡のための下人を二人残しておくことが通例である。この二人は迷宮を出る下人たちの人数を数え、挑戦の参加者が全員きちんと撤退できたかを確認する役をもかねている。
リトガナが口を開く。
「ギラクサ、それにオウギは入口のそばで待機してください。この場には野生とイリオが残ります。そのほかのみなさんは撤退です。それでは」
物資を持ったギラクサが無言のまま移動する。あとについていくようにオウギもまた物資を迷宮の外へと運んだ。間を置かず、迷宮の中へと立ち返るギラクサにつづいてオウギも安全地帯へと移動する。オウギが「これから何をするのだろうか」と思いながら入口の壁にもたれかかっていると、小さな声でギラクサが口を開いた。
「人数を数えるの。全部で十九人。だれも残っていないことを確かめる」
理解したことを伝えるためにオウギは軽くうなずいた。その間にも、幾人かの下人たちが迷宮から物資を持って撤退していく。しばらくして、西側の経路においても出現していた魔物のすべてを倒しきった。残りは中央の経路のみである。
※
最終的に中央の経路で残っていたのはボクノヤミとモイとワガイルカとの三人であった。魔物の数が減ってきたことを確認すると、足が一番速いワガイルカを残して二人が安全地帯への退却をはじめた。
走りながらモイが詠唱をはじめる。
「大いなる存在に伏して祈る。波打つ夕映え――恋の淵、玉響で聞き旧る諫めの鼓。口蜜腹剣――晴れらかに繕う鳹。人形劇――紫紺――これをもって業とする」
詠唱が終了するやいなや、モイのそばに突如として紫色の甲冑を身に着けた剣士が二体現れた。モイの【眷属】である。すさまじい速度で移動するやいなや、剣士はワガイルカの加勢をはじめた。ほどなくして、ワガイルカが最後の個体を倒しおえる。それを確認したバシハが笛を二度鳴らした。極めて長いものが一回、次いで短いものが三回。迷宮内に撤退の合図が響いた。
少しして、オウギとギラクサとの目にもバシハたちの姿が確認できるようになった。オウギへと向きなおったギラクサが視線で「何人か?」とオウギに尋ねる。「十九人」と答えたオウギにうなずきを返し、ギラクサとオウギとの二人も迷宮の外へと出た。
全力疾走ではじまった挑戦は同じように下人たちの全力疾走で幕を閉じた。
21/3/6――一部の漢字に振り仮名を追加しました。また、本文12段落目を大幅に変更しました。また、いくつかの読点を削除しました。




