三日目――迷宮(6)
さて、肝心のミカズミである。ミカズミの《賞罰のための儀式》という異能は対象が必ず自分自身であるため、どの頃合いで発動させようが関係のないものである。その効果の内容は大きく分けると二つであり、一つは百二十秒間ミカズミの持つもう一つの異能である《天刑と天恵》を発動させることができるようになるというもので、今一つは三十秒間魔物の体力を短剣で減らすたびに同量の「儀式」を獲得するというものである。後者の効果が《天刑と天恵》の異能に関係しており、バシハの大雑把な説明は二つの異能の効果をまとめたものであった。
自身の走る速度と照らし合わせ、現場についたと同時に異能の内容が成就するように詠唱の速さを調節していく。
「北は借覧――南に描画、濃漿で招いた虚ろな皂莢。東の鶯舌――西に外雀、宜々しく艾を斎う笑み」
ミカズミが東側の後方を駆け抜けていく。羽の攻撃に巻きこまれるのではないかという不安があったが、杞憂であった。すでに、トモマヤたちは羽を倒している。
「春に棄つまて、峡を葺く支路。いざ且々と威光を知らしめよ。《賞罰のための儀式》」
現場に到着。
周囲を見回して怪我人を探す。すぐに、それは見つかった。頭上で小さく片手剣を回す下人の隣で、脇腹から血を流したままのリトガナが戦闘地帯の壁にもたれかかるようにして座っている。自分の悪い予感はあたってしまったのだとミカズミは理解した。リトガナに近づき、傷の状態を確認する。前回の挑戦の終盤において一定の儀式を獲得してはいるものの、怪我の度合いによっては手持ちの儀式だけでは治療することができない。その場合には、急いで追加の儀式を獲得しなければいけなくなる。
やることが多い。
考えなければならないものがあるという焦りや治療自体が不慣れであることも相まってミカズミの頭には落ち着いていれば誤りであることがわかるはずのものが浮かんだ。
「そうだ、【最優先攻撃目標】!」
二体目の羽が優先的に攻撃する対象はリトガナから変化していない。そうであれば、羽の追撃があるのではないかと余計な考えが頭をよぎる。
無論、思い違いだ。羽が周囲にいないことは明らかである。
待機していたときよりも一層顔をこわばらせているミカズミに向かってリトガナが傷を押さえながら優しく微笑みかけた。
リトガナが口を開く。
「二体目の羽は倒したよ」
だが、三体目はすでに西側の経路へと移動した後である。
※
バシハが頭上で小さく短剣を回す。これが火力支援の合図であることや、安全地帯からも指揮官の姿が確認できることはすでに見ている。
得物は長いほうがいいのではないかということに気がついたオウギが腰から片手剣を引き抜いてバシハに渡した。受け取ったバシハが再び頭上で小さな円を描くように回していく。ほどなくして、合図に気がついたボクノヤミが同じように頭上で小さな円を描いた。ちょうど安全地帯に物資を持ち帰って来ていたネミガナをボクノヤミが押しとどめ、その場でモイと変改させる。「なるほど、その手があったか」とボクノヤミの応変な対応に感心したバシハが思わず舌を鳴らした。
西側の経路には万が一に備えて弓か鎖鎌を扱う下人が少なくとも一人は配置されている。だが、きっとリトガナが倒してくれるだろうという慢心が判断を鈍らせた。もとより、櫓から伝えられる怪我人の位置は治療者に対するものだ。自分たちにとって不要な情報に気を取られないのは挑戦をするうえで、むしろ賢明とさえ言えた。だが、今回ばかりはそれが仇となる。現場に到着したダヨトが事情を説明するも、時すでに遅し。姿を現した羽に対して瞬時に攻撃するということはできず、呆然と羽を見送る形となった。進路を「く」の字に曲げた羽が中央の経路を斜めにのぼりながら安全地帯へと向かう。
バシハが口を開いた。
「俺もそうだが、ああいうときにとっさに異能を使えねえってのは、やっぱり自分の力量ってやつを自覚するよな」
異能の一部には頭上の魔物に対して攻撃を行うものがある。そして、一度攻撃してしまえば魔物の最優先攻撃目標は術者へと変更される。平たく言えば、魔物と交戦状態になるということだ。通常、魔物は安全地帯への到達よりも最優先攻撃目標への攻撃を優先して行うので、威力の弱い異能であっても発動させれば少なくとも安全地帯への到達を防ぐことはできるのだ。この性質を逆用すれば、一度に複数の魔物と交戦状態に入ることでミスヒのように一か所に魔物の集団を釘づけにしておくことも可能である。もちろん、そのような戦い方は高度であるゆえに一部の限られた下人たちにしかできないことは言うまでもないだろう。
あいまいな「うん……」という返事しかできなかったオウギを特に気にとめることもなく、バシハが話をつづけた。
「問題はモイだな」
先述したように笛の音は安全地帯にも届く。当然、治療者に対する合図もモイたちは聞いている。西側で交戦していた下人たちは戦闘に集中するために笛の音をあえて無視したが、モイたちは違う。その逆――意識的に理解したのだ。まさか、リトガナ本人が怪我をしたとまでは思わなかったが、万全を確保するべく羽の一体を西側で対処するように方針を変更したのだろうとは考えたのである。したがって、通例であれば櫓へと向かってバシハからの指示を仰ぐところをモイは西側の経路へと最短距離で移動していた。羽は中央の経路を移動しているためにこのままでは羽と遭遇しない可能性が高い。
不機嫌な態度を隠すことなく、バシハが大きな舌打ちをしてから口を開いた。
「想像以上に三体目の羽が移動する時間が早かった。ボクノヤミたちの計算違いはそこから来るもんだろうな。今までになかったのか? ……覚えてねえや」
独り言ちるようにつぶやく間にもバシハは今の状況をどうやってモイに伝えればいいのかと頭を働かせていた。すでに、モイは結構な距離を走ってしまっているので自分が今から櫓を出ていっても十中八九行き違う。羽を安全地帯に到達させないという部分に焦点をしぼるならば、自分が安全地帯に行ってネミガナと変改する手もある。ネミガナの異能であれば頭上の魔物も攻撃できるからだ。
『さて、どうしたものか』と、そう思いながらバシハが借りていた片手剣をオウギに返した。
そこで、はたと気がつく。オウギがいるではないか――と。抑えきれないとばかりに興奮した様子でバシハがオウギをまくしたてた。
「オウギ! お前の出番だ。モイに今から俺が言うことを伝えろ」
びっくりしたように返事をしたオウギが、バシハに命じられるままに異能を発動させた。
「大いなる存在に謹んで乞う。黄昏を抱く柚子、希う棗――嵐影湖光。戯れに聞き開き給え――下人はオウギ、《拡声器》」
相変わらずの少しだけ上ずった声でオウギが話す。
〈羽に失敗。中央で迎撃。くり返す、迎撃は中央〉
モイの向かう方向が変わった。




