三日目――迷宮(5)
二体目の羽が攻撃をする。それを【リトガナ】は躱しつつ、正面から羽に向かって鎖鎌を投げつけた。上手く翼に引っかかったことを確認したリトガナが得物を持つ手に力を入れ、できるだけ長く羽が地際にとどまるようにするべく引きずられるようにして踏ん張りながら異能の詠唱をする。
「大いなる存在に謹んで乞う。小夜風の窓辺、情けを知らぬ達磨歌――籠鳥恋雲、呼び据う御哭から徴る雲雀。我武者――歴む浮華の延枝、頓馬――袞竜の袖に隠る。花笠の天網恢々、壚土――蹣跚と邃宇を畏む。先塋――禊ぎて、塵ばむは牛車。戯れに聞き開き給え――下人はリトガナ、《気がかりな小骨》」
詠唱の終了と同時に異能の内容が成就し、その場で羽が貼りつけられたように動かなくなった。もがくように顔や翼を乱暴に振り回してはいるものの、地際に固定されてしまった羽は上空に離れることが出来ない。引っ張って外した鎖鎌をつかみなおしたリトガナが周囲の下人たちに「お願いします」と一声かけて走りだす。目指すは三体目の羽だった。
同じ頃、バシハも櫓の上からリトガナの状況を確認していた。これならば問題なく羽たちを対処できるだろうと考え、視線を西側の経路へ向けた――ちょうどそのとき、事故は起きた。トモマヤが攻撃の誘導に失敗し、巻きこまれるようにしてリトガナが背後から羽に襲われたのだ。無防備な脇腹に危機的な一撃が加えられる。衝撃に耐えられずリトガナが地面に転がった。
あがる救援の合図。
わずかに遅れてバシハの笛が鳴る。ミカズミに対して怪我人の場所を伝えるためのものであった。指を回しながら、バシハは櫓へ戻っている途中のダヨトに向かって「西に伝言! 『羽の対処に失敗。数は一』。お前の判断で、だれかをモイと変改させろ!」と叫んだ。返事の手間さえ惜しんで反転したダヨトを横目にバシハが安全地帯のほうを向きながら自身の頭上で短剣を回した。
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ミカズミは中央の経路の中ほどにて緊張した面持ちで待機していた。万が一、戦線で魔物を倒し損なった場合に備えて視線を前方に向けながらも自分の役目が来ないことを三つの意味で願っていた。言わずもがな、一つは自分が魔物と戦わなければならなくなった場合の話であり、そこでも魔物を倒し損なってしまえば安全地帯へと到達する危険がぐんと高まるからだ。残りの二つは治療者としての話であり、これらもまた役目がないほうがミカズミにとっては望ましかった。治療しなければならないということは裏を返せばだれかが痛い思いをしたのであり、加えて治療者としての力量にも不安を隠せていないからである。
笛の音が短く三回、次いで長いものが一回。この時点で、それは自分の役目が来てしまったことを意味していた。とっさに反応できず、未熟な自分を恥じるように大きく下唇を噛みしめる。走りだしながらも耳を澄ませ、つづく音を聞く。長い笛の音は――全部で三回。意味するものは怪我人の位置が東側ということである。それがわかると同時にミカズミもまた、おおかた羽の攻撃にだれかが巻きこまれたのだろうと理解した。
だが、さらに鳴らされる笛の音は短いものが再び三回。聞き漏らしを防止するためのくり返しであった。「経路の後方」を意味する笛の音がない――つまり、怪我人は東側の経路の前方にいるということであった。
『おかしい』と、そう思ったミカズミの足が一瞬止まりかける。ミカズミは挑戦の参加者を全員把握しているわけではなかったが、今日の顔ぶれの中にリトガナがいることは承知していた。当然ながら、ミカズミもまたリトガナの異能を理解している。自分が攻撃している魔物の動きを止めるというものである。これにより地面近くで羽を動けなくして倒しやすくするのだ。
第三波の序盤に出現する羽の数は前方に二体・後方に一体である。羽に対して有利な異能を持つリトガナが前方にいると考えるのは自然であった。
そうであるがゆえに、ミカズミは怪我人が前方にいるという笛の音に違和感を覚えていた。動けなくされた羽の攻撃が味方の下人たちにあたるとは考えにくかったからだ。もしかすると、怪我をしたのはリトガナ本人なのではないかという嫌な予感が胸のうちに広がっていく。
頭を左右に振って余計な考えを払い、止まりかけた足を無理やり前に踏みだしながら詠唱をはじめる。
「大いなる存在に厳かに望む」
詠唱には複数の型が存在している。ある異能の詠唱がこれらのうちのいずれかにあたるのかは最初の文言で判別が可能だ。「大いなる存在に謹んで乞う」という形であればオウギと同じであり、同じく「――伏して祈る」であればジウホウミョ、「――厳かに望む」という形であればキシニと同じであることがわかる。いずれの型であっても、この「大いなる存在に――」という一節を最後まで口にした時点で魔力が消費されることに変わりはない。ただし、魔力が消費されたからといって異能の内容が成就するとは必ずしも限らない。異能の詠唱は無制限ではないからだ。
最初の文言を口にしおえた時点で、術者には八秒間の猶予が与えられる。この猶予のうちに次の一節を口にしなければならず、同様にその次の一節もまた八秒以内におえなければならない。
詠唱の長さに違いがあることはすでに見ている。オウギの《拡声器》とリトガナの《気がかりな小骨》とでは、明らかに《拡声器》の詠唱のほうが短い。短い詠唱と長い詠唱とではどちらが優れているのかを一概に断ずることは難しいが、異能が戦闘中に使用されることを踏まえるならば短い詠唱に軍配をあげられるだろう。
なお、対象を選択して効果を発動させる異能の場合には最初の文言を口にしおえた時点で対象となるものが決定される。例えば、イリオの《癒しの風》は自分の近くにいる一人の下人に対して行われるものであるので、イリオが「大いなる存在に謹んで乞う」と口にしたときに周囲にいる下人が効果の対象となりうる。これは対象になった下人が詠唱中にイリオからどれだけ離れようが全く関係ない。ただし、詠唱に時間的な制約が存在することは上述したとおりである。
21/5/9――一部の作中用語について、振り仮名に誤りがあったので訂正しました。




