三日目――迷宮(3)
二人の会話がおわったことを見計らったイリオがギラクサの治療をするべく詠唱をはじめる。イリオの「大いなる存在に謹んで乞う」という声をなんともなしに聞きながら、オウギはいつになく冷たいバシハに対して驚きを隠せないでいた。
オウギの窺うような視線に気がつくと、バシハはオウギを安心させるように口元に笑みを浮かべながらいつもと変わらない声色で口を開いた。
「何度も言うが、挑戦は安全が第一なんだよ。これは破っちゃいけねえ規則なんだ。無理して魔物を倒そうとすりゃ怪我はするし、最悪の場合は死んじまうかもしれねえ――それじゃあ駄目なんだ。俺たちが生きるために迷宮があるのであって、迷宮のために俺たちが生きているわけじゃねえのよ。俺たち――村の下人たちが生きていることが重要なんだ」
バシハの真面目な発言に対してオウギは茶化すこともうまい返事をすることもできず、櫓まで響いて来るイリオの詠唱に耳を傾けるだけでせいいっぱいであった。
「茜色に染まる橋、置いてきぼりの薄――千紫万紅、舞い戻る疾風。耿介――束ねる麦の秋。愛憐。戯れに聞き開き給え――下人はイリオ、《癒しの風》」
詠唱がおわると同時に青白い光がギラクサを包む。だが、それも一瞬の出来事であり、すぐにギラクサの姿が見えるようになった。先ほどと違うのはギラクサの傷の有無やイリオが持つ魔力の量だけである。
治療がなされたことを確認したバシハがギラクサに向かって口を開く。
「んじゃ、ギラクサ。安全地帯に戻ってトモマヤと変改だ、『櫓に来るように』伝えてくれ」
小さくうなずいたギラクサが安全地帯へ向かって走りだす。少しして、櫓のほうに振り返ったギラクサが「さっきはごめん」と今度はバシハにも聞こえる大きさで口を開いた。
いつものような明るい表情に戻ったバシハが「気にすんな」と言わんばかりに払うようにして手を振りながら応える。
「怪我すんのは別に恥じゃねえよ。俺なんか何回怪我してると思ってんだ」
それを聞いたイリオが小さく笑うギラクサを慰めるようにバシハを茶化した。
「そうだね。バシハはオウギに『安全』について説く前に自分の行動を顧みたほうがいいと思う」
バシハが怪我をする姿はオウギにも容易に想像できたため、イリオの一言に思わずオウギもバシハとともに笑った。昨晩の汚れた衣服の件で、バシハが活動的なのはオウギも十分に承知していたためである。
しばらくして、バシハが笛を鳴らした。短く二回――第二波の開始を知らせるものである。聞き漏らす下人が出ないよう、そこからさらに間隔をあけながら同じ鳴らし方で二度音を出す。つまり、今回は合計で六回の笛の音が迷宮内に響いたことになる。
バシハはオウギに今の笛の音が波の進行とその度合いとを示すものであることを伝えながら、備忘のために地面に小さな線を足で引いた。
間を置かず、弓を自身の得物とするトモマヤが櫓に姿を現した。到着するやいなや、トモマヤはバシハよりも一足早く口を開く。
「うちは東側だろ?」
「そうだな――東に合流。ついでに伝言。『【ネンタ】は西に合流』」
うなずくやいなや、トモマヤは「わかった」と返事をして走り去っていく。ほどなくして、トモマヤが東側の経路に到着した。それを受けてネンタが西側の経路へ移動し、突いた球が転がるようにして今度はダヨトが櫓へと戻って来た。手に持った袋の中には様々な物資が入れられている。それを見てオウギは先ほどバシハが言った「回収」という言葉の意味を理解した。
オウギは思う――回収って物資を持ち帰ることなのか。
先述したように、挑戦は物資の確保を目的としている。だが、戦線で戦っている下人たちには物資を安全地帯まで運ぶ余裕はない。特に、迷宮に不慣れな下人にあっては戦闘だけで手いっぱいであり、魔物を倒したそばから【反出】する物資を袋の中に入れることさえままならないのが一般的である。そこで肝になるのが回収役だ。
回収役は迷宮内を走り回り、各経路で物資を袋にしまう手伝いをしたり、また、その物資を安全地帯に運んだりする。緊急の場合には戦闘に参加することもあるが、原則は物資の回収のみである。ただし、手練れの下人たちによる挑戦では回収役は振りあてられない。物資を袋にしまうことは自分たちでできるうえに変改ないし交代の際に袋は安全地帯に運べるからだ。無論、ボクノヤミやモイが手練れではないという話ではなく、要点は挑戦に参加する下人たちの大部分が精鋭か否かである。
此度の挑戦における回収役がネミガナであることはすでに見た。オウギの目に留まることこそなかったものの、すでに何度も中央の経路を行ったり来たりして物資を安全地帯へと運んでいる。ネミガナは体力のお化けであり、ほかの下人であれば余裕がなくなるほどに忙しい回収役であっても、しばしば治療者のミカズミと立ち話をするゆとりさえ見せている。普段の得物は【両手剣】だが、嵩張るために今はイリオと同じく杖である。杖は異能の使用に際して消費される魔力を軽減する効果がある武器であり、殴打するために使われることは稀である。ほかの武器を杖と併用したほうが賢くなるからだ。ただし、軽減される効果は元々の消費魔力が程々に少ない異能が一番恩恵を受けるために使い手を選ぶ。治療者を例にとれば、イリオの《癒しの風》とは相性がいいもののタヤの《緊急治療》との相性はまずまずである。そのため、杖自体が下級な武器であることは否めない。
ミカズミとの談笑を中断したネミガナが再び安全地帯へ向けて走りだした。左手で物資の入った袋を直接持ち、右手で肩に担ぐようにして持った杖の先端には同じような袋が引っかけられている。回収役の際、ネミガナは攻撃のすべてを異能に委ねるので詠唱さえできるならば両手が塞がっていようと、大した問題にはならないのだ。
ネミガナが何度も迷宮の間を往復していく。それは挑戦がはじまってから着実に時間が過ぎていることを暗に表していた。まもなく、迷宮に入ってから四十分――第三波の開始である。
21/2/14――副題を変更しました。旧題は「三日目――迷宮(6)」です。また、一部の漢字に振り仮名を追加しました。




