三日目――迷宮(2)
※新たに以下の作中用語を設けました。
出現:魔物が迷宮内に現れること。初出は「三日目――南の村(1)」。
ご迷惑をおかけします。 御咲花すゆ花
バシハが口を開く。
「オウギ、中央の経路は攻めあぐねている感じがするよな」
言われて、オウギは下人たちと甲の集団との戦いに目を向ける。
「う~ん……うん。そうだね。あれがさっき言ってた『甲』ってやつかな――防御力が高いっていう」
「そのとおりだ。応援の合図はされてねえけど、念のためにダヨトを加勢に向かわせよう」
戦線で戦う下人たちから櫓へと送られる合図は二種類である。一つはバシハの言った火力支援であり、もう一つは救援支援である。火力支援の合図は自身の武器を高くあげて得物の先で小さな円を描くように武器を回すことで、救援支援の場合には同じように高くあげた武器を左右に大きく揺らすことが合図となる。どちらの場合であっても、戦線から櫓までは直接声が届かないのでこのような形になっているのである。逆も同じであり、櫓から戦線に指示を与える場合にも指揮官の声が直接届くわけではない。言わずもがな、そのための伝令役である。ただし、伝令役を介した指示は正確ではあるものの、戦線に内容が伝わるまでにはどうしても時間がかかる。緊急の要件ではそのような時間さえ惜しいために手早く合図を送ることができる笛が使われるのだ。例えば、波の開始を知らせるときである。言うまでもなく、波と波との間にはいくらかの中入りが存在している。そうでなければ魔物の纏まりを数で示すことは難しいだろう。そして、この【幕間】がいつ開けたのかということを知るのは、現に戦線で戦っている下人たちであっても意外と難しい。これには常滑の構造と波の仕組みとが関係している。詳しく見ていこう。
波の終了は該当の波におけるすべての魔物が出現することであり、これには例外が存在しない。その一方で、波を進行させる引き金となるものは多くの場合該当の波におけるすべての魔物を世界に回収させること――すなわち、倒しきることである。先述したように、常滑の戦闘地帯は見通しが悪く、また、魔物は各経路に分散していてそれぞれの経路もまた互いに離れている。言い換えれば、常滑は戦線の下人たちが互いの経路の状態を知ることが困難な構造となっているのだ。したがって、各経路にあっては目の前の魔物を倒しきることが必ずしも波を進行させることを意味しない。自分たちとは別の経路にいる魔物が該当の波における最後の個体である可能性が十分にあるからだ。
そこで重要になって来るのが幕間の終了を知らせることである。幕間は先述した変改・交代を行うほか、ちょっとした休憩にも使われている。挑戦や攻略の間ずっと緊張した状態を保っておくことなどできないからだ。そうした緩慢な状態と緊張した状態との切り替えを促し、次の波がはじまった際に魔物から不意を突かれないようにするための工夫が笛なのである。これは控えの下人たちにおおよその状況を知らせる意味も兼ねている。笛の音は戦闘地帯だけでなく安全地帯へも届くからだ。現に以前、オウギが耳にした連続する三つの短い笛の音は第三波の開始を意味するものであった。
バシハが待機している伝令役を櫓の足元を覗きこむようにして見た。入念に準備運動をしているマーギスタに向かってバシハが叫ぶ。
「ダヨト!」
名前を呼ばれたダヨトが顔をあげてバシハを見た。ダヨトと目が合うと、そのままバシハは指示を口にした。
「中央に応援! そのまま西に向かって伝言『【ギラクサ】は離脱、櫓へ』。できるなら西で回収も頼むわ」
『了解』と、そう答えて駆けだしたダヨトであったが、胸のうちには「なぜ、この時間でギラクサを後退させるのか」という疑問を抱いていた。経過した時間から考えて当分は幕間が来ないことは明らかであり、バシハがそれを見落としているとは考えにくいからである。
だが、二歩目の足を地面から離したときには、ダヨトはすでに頭の中から余計な考えを捨て去っていた。ダヨトもまたバシハと同じく迷宮に通じている下人の一人であり、油断が命取りになることを心得ているのである。
バシハは中央の経路へと向かうダヨトの姿を確認すると、今度はイリオに向かって口を開いた。
「イリオ……。たぶん、ギラクサは怪我してるわ。大した傷じゃなさそうだが、治療してやってくれ」
静々とうなずいたイリオが「わかりました」と丁寧な返事をし、一方のバシハは状況をいまいち理解できていないオウギに向かって「怪我したときは本来なら自己申告だ」と口を開いた。オウギがバシハから救援の合図を教わっている間にダヨトが中央の経路に到着した。ほどなくして、押され気味だった戦線が再びあがる。立ちなおったことを確認したダヨトが後退し、今度は西側の経路に向かって走りだした。
やがて、白緑色の髪をしたマーギスタが櫓の足元に姿を現した。ギラクサである。背格好はオウギに似ているが、髪の長さはオウギよりも長く、タヤと同じで鎖骨にかかる程度である。ギラクサの付近にダヨトの姿は見えない。控えとギラクサとの変改が行われるまで、西側の戦線を維持するために前方に残っているのだ。
バシハがギラクサに向かって口を開く。低く冷たい声で端的に釘を刺した。
「ギラクサ、怪我したなら自分から言わないと駄目だろ」
それを聞いたギラクサが傷を隠すように左腕をゆっくりと抑えた。自然な動作であったためにオウギにはわからなかったが、イリオにしてみれば一目瞭然であり、かすかに腕から血を流している。
『見抜かれた』と、そう自覚したギラクサが小さく下唇を噛み、次いで「このくらいの傷なら――」と反論を試みるもバシハによって言葉の先を折られた。
「新人が見ているのにか? ギラクサ――お前は新しく迷宮に挑戦するようになったオウギに対して『迷宮っていうのは怪我を負ってもそのまま頑張るものなんです』っていうふうに伝えたいのか――違うよな? 挑戦は安全が第一だったよな?」
櫓を見あげるようにして小さく上を向いていたギラクサの顔が徐々に俯いていく。ちょっと前の自分の行動を悔いるように小さく食いしばったギラクサが小さな声で「……ごめん。あたくしが悪かった」とつぶやいた。
21/2/14――副題を変更しました。旧題は「三日目――迷宮(5)」です。




