三日目――南の村(1)
キザワシカでの三日目がはじまった。この日、オウギはバシハとともに迷宮へと向かう予定になっている。現在、オウギは昨朝のキシニのような慌ただしい朝を迎えている真っ最中であった。昨日とは異なり、バシハに叩き起こされるようにして目を覚ましたオウギはそのまま寝ぼけ眼で朝食を口にすると、浮游の種子を採集してから南の村へと向かった。昨日バシハから村を案内された際、当番の下人たちが集まる場所を聞いていたためにオウギの足取りに迷いはない。しっかりとバシハのあとをついていく。集合場所へと到着するころには、ようやくオウギの目も覚めて頭が働くようになって来ていた。ゆえに、オウギは自身が先ほど浮游の種子を二つしか採集しなかったことに気がついた。迷宮に向かうに際して必要になる浮游の種子の数は、南の村を経由するために行きのぶんと帰りのぶんとを合わせて四つである。
オウギは思う――しまった……。寝ぼけていた。
自身の前を歩くバシハの背中に向かってオウギが口を開く。
「ねえ、バシハ。僕、帰りのぶんの浮游の種子を取り忘れちゃったんだけど」
オウギのほうに振り返りながらバシハが応える。
「ああ。ここにも生えてっから気にすんな。俺のを一個やるよ。残りは帰りにもらおう」
そう言ってバシハはオウギに浮游の種子を一つ差し出す。オウギはそれを反射的に受け取ったが、バシハの言葉を思い返すと、手のひらにある浮游の種子を見つめながら「いらないのではないか?」という疑問を抱いた。
オウギは思う――ここにも生えているなら別に必要ないんじゃ?
今すぐに採集しにいくのであれば話は別だが、オウギは今回が初めての挑戦となるのでほかの下人たちよりも事前に多くの説明を受けなければならず、そのような時間はない。よって、このバシハから譲られた一つには大きな意味がある。
オウギの疑問をよそにバシハはボクノヤミの姿を見かけると、大きく手を振りながら叫んだ。
「ボクノヤミ! 連れて来たぞ!」
柴色の髪をした壮年が二人のほうへと振り返る。その背丈はキシニほどで、体もがっちりとしていた。二人のほうへと近づきながら、落ち着いた低い声でボクノヤミが応えた。
「あなたが転移者ですね。私はボクノヤミ、迷宮での基本的な戦い方を教えています。……名前は?」
ボクノヤミは形式としてオウギに名前を問うているが、実際は、すでに知っている。昨朝、挑戦の当番だった下人たちのおかげで、オウギに関する話は一とおり三つ子村全体に知れ渡っているからだ。
オウギが答える。
「あ、はい。オウギです」
「では、さっそくですが――オウギ、あなたにはバシハとともに挑戦に参加してもらいます。挑戦というのは、迷宮に入って私たちの生活に必要な物資を取って来ることです。ここで大事になるのが、挑戦は安全が第一だということです。『ちょっとだけ無理をしてでも、より多くの魔物を倒そう』とか『頑張って迷宮を制覇してみよう』などといったことは御法度。こういった攻略と呼ばれるものと挑戦とは主眼が全く異なります。あくまでも私たちが生活するために必要だから――ということを絶対に忘れないでください、安全が第一です。つづいて迷宮についてですが――」
そこでバシハが割って入った。
「悪い。昨日、安全地帯だけ先にオウギに見せちまった」
ボクノヤミが小さくうなずきながら、バシハに尋ねる。
「戦闘地帯には入っていませんね? 説明は?」
「ああ、入ってねえ。説明も、ボクノヤミがしたほうがいいと思ってしてねえよ。気持ちの面で、オウギに準備をさせときたかっただけだ」
口ではそのように言うバシハであったが、実際は、すでに見たように単なるバシハの遊び心である。
ボクノヤミがつづける。
「では、オウギ。昨日――見た、迷宮のことを少しだけ思い出してください。あなたのいた辺りを『安全地帯』と言い、ここは魔物が【出現】しないところです。もう少し先、入り組んだ迷路の手前から『戦闘地帯』がはじまります。ここは魔物との戦いがいつ起こってもおかしくない場所です。……すでに聞いたかもしれませんが、戦闘地帯には【人数制限】というちょっとした決まり事があります。これは一定の人数を超す下人が戦闘地帯にいる場合、魔物が戦闘地帯の中に無作為に出現するというものです。残念ながら、その人数制限の具体的な数を示すことはできません。ですが、古い記録――といってももちろん紙自体は新しいものですが、それによれば十数人です。私たちは普段、十五名の下人で挑戦をしていますので、少なくとも十六人を下回れば【大量発生】は起こりません。大量発生とは今述べた戦闘地帯の中に魔物が無作為に出現することです。迷宮では基本的に魔物は決められた時間で、決められた場所に出現します。このとき、この『魔物の纏まり』を波と言いますが、大量発生では波に加えて無作為に魔物が戦闘地帯に出現することになります。問題点は言うまでもないでしょう。先ほども言いましたが、挑戦の眼目はいかに安全に物資を採って来られるかという部分です。危険を増やすだけの大量発生は避けなければなりません。それとは別に……大量発生と少し似ていますが、それよりも遥かに避けなければならないこともあります。それは魔物の安全地帯への到達です。何が起きるのかを説明することは、稚児しい話になりますので今は控えます。ただ、大陸の端にあった潮風の村という地域は、これが理由でなくなりました。地域一つを滅ぼしてしまうものだということを覚えておいてください。大量発生の問題点は、この『魔物の安全地帯への到達』の危険性を増すところにもあるのです。無茶は禁物です――いいですね?」
ボクノヤミの念押しにおずおずとオウギはうなずいた。
それを確認したボクノヤミが再び口を開く。今度の説明は魔物に関してのものであった。魔物の種類はキザワシカ全体で五つであり、常滑の挑戦においてはそのうちの四種類と戦うことになる。
「魔物の種類は鱗・羽・毛玉、そして甲です。これから、それぞれの特徴と得られる物資について述べますが、実際に戦う前にはそれぞれを相手にしたときの立ち回り方についても学んでもらいます。今日は、オウギは初めての挑戦になるので、魔物との戦闘はさせません。私たちが『櫓』と呼んでいるひときわ高い場所――ひょっとすると昨日、オウギも目にしているかもしれませんね――そこで挑戦の流れをつかんでもらいます。もちろん、ほかの下人の戦い方を見ているだけでも十分に学べるものはあると思いますので、余裕があれば流れだけでなく、そういった部分にも注目してみてください――というわけで、バシハ。櫓ではオウギにそれらの説明をお願いできますね?」
バシハがうなずく。
「わかったよ」
それを聞きながらオウギが「バシハも今日は見学なんだ」と思っていると、こっそりとバシハが「今日は俺が指揮官だ」と耳打ちした。
ボクノヤミがつづける。
「鱗は魔物の基本となるものです。得られる物資は飲料で、特徴としては【麻痺】の状態を付与する攻撃をして来ることがあげられます。どれがその『特殊な攻撃なのか』ということについては、またの機会に説明します。羽は言葉どおり飛行する魔物です。私が今持っている片手剣やバシハの短剣などでは攻撃ができません。羽には主に【弓】を用いますが……村長のように下人によっては鎖鎌を使うこともあります。羽からは卵が得られます。卵の中は大体が空ですが、稀に【貴重品】が入っています。貴重品の説明は長くなってしまうので、またの機会にしましょう。お次は毛玉です。毛玉は鱗の強化版のようなもので、異能が稍効きにくい難敵です。オウギの異能は対象が下人でしょうから関係はありませんが、魔物に対して単純な攻撃をするような異能との相性はあまりいいとは言えません。得られる物資は日用品で、私たちが着ている衣服などがこれにあたります。最後は甲で、ほかの魔物に比べて防御力が高いです。得られる物資は食料で、私たちは甲を倒すために迷宮へ入っていると言っても過言ではないですね。挑戦はお昼までにはおわります。戻って来たらオウギはこれからのことを考えて軽くですが、武術の鍛錬をしましょう。……何か聞きたいことはありますか?」
オウギが応える。
「えっと……今日は見ることに専念するんですか?」
「そのとおりです。しっかりと、挑戦の流れを確認してください。これはみながやっていることですね。櫓では隣にバシハがいますから、迷宮に入ってからわからないことがあったらすぐに聞いてみてください。……では、自分が使う武器を選びましょう。ついて来てください」
言うやいなや、ボクノヤミは村の武器庫へと向かって歩きだす。その背中に向かってオウギが重ねて質問を投げかけた。
「あっ、すいません。もう一つだけ」
ボクノヤミがオウギのほうへと振り向き、視線でオウギに言葉を促す。
オウギがつづけた。
「卵は……食べ物じゃないんですね?」
無言のまま、ボクノヤミが考え込むように空を見あげた。だが、それも一瞬ですぐに口を開く。
「ええ、違います。ひょっとすると、オウギが元いた場所では食べ物でしたか?」
淡々とした言い方で図星を指されたオウギは少しだけ決まりが悪くなり「ええ、まあ……」と歯切れの悪い返事をした。
ボクノヤミが再び歩きだす。その後ろをオウギが歩き、オウギを案じたバシハがその横につづいた。
隣を歩くバシハに向かってオウギが尋ねる。
「今日、戦わないのに武器っているのかな?」
なんともなしにバシハが答えた。
「万一のことがなきゃ戦わねえとは思うぜ。そういう意味ではいらねえな――」
そこで一度、バシハが言葉を区切って色を正す。真剣な顔つきのバシハがオウギの目をまっすぐに見つめながら言葉をつづけた。
「だがな――オウギ。お前は今日から挑戦に参加するんだ。正式なものじゃないとはいえ、お前も俺たちの一員であることに変わりはねえんだぜ? 浮かれられんのは戦闘地帯の外までだ。一歩でも中に入れば『安全が第一、安全が第一』と口を酸っぱくしなくちゃならねえ。……お前はもう、ここで俺たちと生きていくしかねえんだ――覚悟を決めろ」
そのように言うと、バシハはまた、普段のようなやわらかな表情に戻った。気が抜けた声でバシハが言葉をつづける。
「まっ、だからって気負うことねえさ。そのためにちょっとずつ慣れていこうって話なんだからな」
オウギはバシハから突きつけられた厳粛な事実に気圧されるようにして小さくうなずいた。
※
三人が武器庫へと移動する。武器庫は南の村の中でも西の村寄りにある建物で、その隣には書庫が建てられている。武器庫と書庫とはともに民家よりも一回り小さく、倉と呼ぶには些か不格好であった。両者の違いは扉の有無であり、武器庫にはないが書庫にはある。民家を含めて扉のないことが一般的な三つ子村にとっては、書庫は珍しい事例であった。
ボクノヤミが武器庫の中へと入っていく。倉の中は暗く、入口の外に立っているバシハとオウギとには中の様子が見えにくい。オウギにはどのような武器が倉の中にあるのかがわからなかったが、それよりも「どんな武器が自分には合っているのか」ということの見当がつかなかったために早々に考えることを諦め、代わりに横で立っているバシハに尋ねた。
「ねえ、武器のお薦めってある?」
少し考え込んでからバシハが答えた。
「そうだな……。まずは異能の内容だな。昨日も言ったが、武器の指定があるならその『指定されている装備』が第一だ。――んで、異能の効果と相性がよさそうなものが第二。オウギの場合はたぶんどっちとも関係ねえからな。第三だ――好みで選べ」
納得した様子でオウギがうなずく。
「バシハの武器は……」
オウギの言わんとすることを察したバシハが腰に佩いた短剣を抜いてオウギに見せた。
「短剣だな。――っ言っても、俺のは異能側の指定だからな……参考にならねえぞ」
そう言ってバシハが短剣をしまう。しまいながらバシハは昨日、オウギと交わした約束のことを思い出した。
バシハがつづける。
「そうだ、そうだ。そういや昨日、俺の異能について話すって言ったな。……ちょうどいいし、話してやるよ。さっき、ボクノヤミが言ったこと――覚えてっか? 鱗は『麻痺が――』ってやつな。麻痺の状態になると、五秒間だけだが何もできなくなる。動くことも異能を使うことも――な。俺の異能はそれだ。短剣で攻撃した相手を麻痺の状態にする。まっ、必ずってわけじゃねえんだけど」
オウギは感心しながら口を開いた。
「へえ……すごいね」
言いながらオウギは気がついた。バシハの異能は、効果時間が三十秒ではなかったか――と。
オウギは思う――ん? 三十秒? 麻痺の効果は五秒って話だよね? ……あっ、三十秒の間は切った相手を麻痺にできるってことか。……それって、めちゃめちゃ強いんじゃ?
オウギがつづける。
「うまくいけば一方的に攻撃できるってこと?」
「そうだな」
「とっても強いね!」
オウギは純粋に褒めるが、実態はオウギの想像とは稍異なる。魔物との戦闘は混戦が主であり、一対一になるようなことはあまりない。そのためバシハの異能はどちらかと言えば味方を補助するものであり、派手な活躍につながるようなものではないのだ。したがって、オウギの称賛は的外れのものであったが、バシハもオウギに悪気がないことは承知していたために憤るようなことはなく、単に居心地が悪そうな苦笑いを浮かべただけであった。
「魔物の数が一体なら、たしかにそうかもしれねえが……。ほとんどの場合、乱戦だからな。あんま恰好いいもんじゃないぜ? 仲間が怪我しないように手助けするのが、せいぜいだよ」
自虐的に言うバシハであったが、怪我を恐れているオウギからしてみれば、それはなお十分に尊敬に値するものであった。「みんなを助けているのであれば、やはりすごいのではないか」と変わらずに褒めるオウギをバシハは少しだけ意外そうに見つめながら、茶化すように「お前がびくついているだけじゃねえの?」と口を開いた。図星を指されたオウギはしょんぼりと落ちこむが、一方のバシハは地味だからという理由で自身の異能に少しだけ引け目を感じていたため、思いもよらないオウギの返事に口元にさわやかな笑みをにじませていた。
※21/2/6――新たに「出現」という作中用語を設けました。これに伴いまして、本文の一部の表現を変更しました。
21/5/12――「浮遊の種子」という作中用語を「浮游の種子」に改めました。




