1話 運命の日
筆者の人生初小説となります。
よろしくお願いします。
「今日という日をどれだけ待ち望んだか──」
マンションの高層階の一室、先月転居したばかりのその部屋で俺はそう呟いた。
俺、新城奏汰は現在29歳の『元』IT企業のサラリーマンだ。なぜ元がつくかと言われれば会社を辞めたから以外他にないのだが、現在の仕事について懐疑的であるためにそう自称している。法律的な扱いがどうかは置いておくとして、実際には投資家という職業に当てはまるだろう。
西暦2033年4月1日、今日は世界初のFMMO-RPG<Fulldive Massively Multiplayer Online Role Playing Game>のクローズドαテストが開始される日だ。
フルダイブとは仮想空間に対して五感を接続する技術のことで、つまりFMMO-RPGとはゲームの世界をまるで現実で動くかのように複数人同時に遊べるゲームのことである。
学生の頃『死ぬ前に完成してくれたら嬉しい』なんて冗談まじりで友人と話していたが、当時の俺自身に『30歳になる前に実現するぞ』と話して果たして信じるだろうか。
事の起こりは2027年10月、とある企業が発信したたった1つのニュースだ。
『フルダイブ型MMORPG開発中』
当時はフルダイブ技術は微塵も実現化されておらず、上場したばかりであった企業のそのニュースに対し世間は『できるわけがない』『夢見すぎだ』と、散々な評価だった。
しかし、そんな評価が軒を連ねる中、俺は思ったのだ。
『ああ、ついにこの時が来たんだ』と。
そしてそう思ってしまったのならもう、居てもたっても居られなかった。
サービス開始までに万全の環境を整えたいとなると、どう考えても仕事に取られる時間が邪魔でしかなかった。
普通の社会人ならば働きつつ空いた時間に遊ぶのだろう。けれど、学生の頃からの夢なのだ。なんとしてでも不自由なく遊び倒したいと思っても仕方ないだろう。もし『いい大人が……』などと思う人がいたら、世の中こんな奴もいるんだと諦めて欲しいとさえ思っていた。
特に車が好きなわけでもないのに、いつかSクラスのベンツを買おうと生活費を切り詰めながらコツコツと貯金をしていたが、その金も全て環境を整えるための資金に予定を変えた。
しかしながら、今までかなり努力して貯金していたとはいえ、まだこの時点では2年半しか働いていない。となると当然そこまで貯金があるわけがなかった。学生時代のアルバイト代を含めてもその額わずか400万円ほどだ。
サービス開始までに少なくともまだ数年はあると仮定して、それまでこのペースで貯金したところで良くて800万程度が限界だろう。会社を辞めれば直に生活できなくなるだろうことは目に見えている。
であるならば、不自由ない生活を送るための金を稼がなくてはならない。
まず不労所得を得る術を探し、今ある種銭を生かそうと株を学ぼうとしたところで『そうだ、開発会社の株を買えばいいんじゃないか』と安易に結論づけたのだが、これが大正解だったのだろう。
結果は株価暴騰。
フルダイブ技術の共同開発として既存の大手企業達が名乗りを上げ、医療や災害地域で活動する救助ロボットなど、様々な分野でフルダイブ技術が実績を積んで行ったからだ。
まだ株価が安い頃に買える限界まで買っていたこともあり、もし所有している株の一部を売りに出せばその時点で億万長者になれるほどである。
さらに増配に次ぐ増配で配当金が沢山貰えるようになってからは関連企業の株も買い漁り、サービス開始前にも関わらず今では配当金だけで年間3000万もの金が入ってくるようになっていた。もちろん、所得税と住民税を引いた額で、だ。
ここまでくればもうサービス開始に備えて仕事をやめてもいいだろうと勤めていた会社は退職。また、あくまで自分の買いたい企業の株をただ買っただけであり、儲けるためには具体的にどのような株の買い方をすればいいだとかそういった知識が欠けているので、自身のことは投資家と思えない、というわけだ。
今から2年前、FMMO-RPGのタイトルが発表された。
<EDDA>というタイトルのそのゲームは、開発会社によれば『ファンタジーの世界で自由に生きることができる』とのことだった。光の民と呼ばれるプレイヤー達はミズガルズという世界に旅立ち、そこで生活するのだ。
この世界には魔物という脅威が存在するため人類の生存圏はまだそこまで広くなく、魔物の領域である未開の地や、かつて存在したという古代文明の遺跡など様々な地域があるらしい。
らしい、というのは情報があまり多く公開されていないからだ。開発会社曰く『プレイヤー達がこの世界を開拓し、様々な謎を解いて欲しい』と、そういったスタンスであるようだ。
また膨大な数のスキルと魔法があり、その数はゆうに千を超える。さらにしばらくの間は不可能ではあるものの魔法のカスタマイズもできるようになるらしく、同じ構成のプレイヤーは存在し得ないと豪語するほどだ。
プレイスタイルも人それぞれ好きに選択でき、たとえば農民になってもいいし、商人になってもいい。犯罪者にもなれるし、国を起こすこともできるとのこと。まあ俺の場合は大多数の人たちと同じく冒険者として旅をしたいと考えているためあまり関係ないのだが。
圧倒的なまでに高い自由度と、今までにないフルダイブゲームへの思いから、新しい情報が発信される度に俺含め心待ちにしている者達の期待は高まっていった。そして今日9時、遂にクローズドテストが開始されるのだ。
「あと1時間か……」
この広い部屋の角に置いてある、まるでコックピットの様な見た目をしたボックス型フルダイブ装置──ダイブボックスをじっと見つめてそう独り言ちた。
目の前にある装置は現在市販されている物ではなく、しばらくして販売される予定の物だ。EDDAの開発会社とは別のフルダイブ装置開発に特化した企業が、一定数の株を保有している株主限定で先行販売した新型の製品なのだ。
ではなぜそれがここにあるのかと言えば、この企業の株も配当金で購入していたため入手できた、というわけだ。
企業から送られてきたカタログによれば市販されているヘッドギア型のフルダイブ装置──ダイブギアには無い機能が多数搭載されており、たとえば使用者の脈拍や呼吸、体温の変化などが自動的にチェックされ、そのデータを基に空調の自動調整や非常時の警告が行われたりする機能がある。
他にも長時間の使用により体にかかる負荷を可能な限り軽減するリクライニングシートや、課金要素に対してクレジットカードでの即時支払いが可能になるなどの機能などもある。
もちろんそれらも素晴らしいのだが、一番魅力的だと感じるのは操作の感度だ。
ダイブギアですらほぼ遅延がない程度の性能はしているのだが、それと比較してさらに遅延が少ない仕様となっている。そんな性能をしているとあれば、購入に迷う余地など一切なかった。
事前にキャラメイクが可能であったため既に一度使用したことはあるが、その際には何一つ現実との差異を感じられないほどであった。
開始時刻まであと1時間、もう既に現実世界で済ませなければならないことは全て終わらせた。今日の昼食と夕食も作り終えたし、日用品や明日以降の分の食材も買い揃えた。洗濯物も室内に入れてあるし、ダイブボックスにクレジットカードが登録してあることもつい先程確認した。まあ正式サービス開始までは課金要素を出さない予定らしいので関係はないのだが、気分的に登録は済ませておきたかったのだ。
もうすべきことが終わったのであれば、あとはゲームについての確認の時間だろう。フルダイブ装置から目を離しパソコン前の椅子に座ると、モニターには公式サイトが開いたままになっていた。
今までに何度となく見てきたサイトだが、稀にではあるもののこっそりと情報が更新されていることがある。そのため、マメな閲覧が欠かせないのだ。
公式サイトには複数のトレーラーが上がっており、街や魔物の様子に住人との会話、そして戦闘や探索の様子などが映っている。
住人と会話するトレーラーでは、まるで生きている人間のような受け答えをしており、高度なAIが搭載されているものと思われた。ここで言うAIとは一昔前のいわゆるビッグデータを用いたものではなく、自律思考および適応性のある人工知能という本来の意味でのものだ。
他にも、おそらく古代文明のものと思われる屋敷跡を探索するトレーラーでは、何かしらのスキルを使用して壁の裏に部屋があることを突き止め、仕掛けを探して隠し部屋に入る姿を見ることができる。
どのようなスキルを使用したのかはトレーラーからでは判断できず、アップロードされた直後はモヤモヤとしたものだ。
そして最後にシステムについて記載されているページの確認だ。
EDDAは基礎レベルの上昇によって能力値が上がるタイプのゲームではない。自身の行動や習得スキルのレベルによって各種ステータスが上昇するというのだ。自身の行動によりステータスが変化するというのはある意味現実らしいと言えるだろうか。
他にも、実績や称号なども存在するためそれらの入手を目指すのも良いだろうとの記載もある。なお、それらについての詳細は唯一注意書きとして『コンプリートは不可能です』と記載されているくらいでたいした情報はない。
もう何度見たかわからない公式サイトを眺めていると、気づけば30分が経過していた。開始まであと30分ほどだ。
少なくとも昼までは現実に戻ってこない予定なのだからと最後にトイレにだけ済ませ、ゆっくりとダイブボックスの前に立った。
ゲームを開始するときはまずフルダイブの世界に行き、どのゲームに接続するかを選択する必要がある。そこで俺は、開始までの残りわずかな時間はそちらの世界で過ごすことにしたのだ。
いよいよだ。
心臓からまるでバスドラムを踏み抜いたかのような音が幾度も鳴り、静かな部屋にその音が響いているかのような感覚がする。
ダイブボックスの右側面についているボタンを押し込むと、小さく鋭さのある機械音とともに半透明のガラスのような見た目をした前面が上側に開く。その内側には、腕を通す事のできる輪っか状の手すり付いた黒いリクライニングシートがある。
シートの奥までしっかりともたれかかった俺は、手すりに腕を通し、その先にあるボタンをわずかに震える右手の人差し指で押した。すると、ゆっくりと意識が現実世界から離れて行った。
◇
気がつくと、真っ白い広場、通称『ホーム』に到着していた。
初期から配置されているソファとテーブルがある以外には、少し離れた位置にゲームの世界へと繋がるポータルがあるのみだ。製造元によれば、今後この空間に様々な家具を揃えられるようになったり、景色を変更できるようにアップデートが入るとのことだ。
ちなみに以前キャラクリエイト時にこの空間に来たときは、まだゲームができていないにも関わらず仮想空間に来た感動から狂喜乱舞し走り回ったものだ。
現実世界に戻った後も、感動が治まらないあまりサービス開始初日の夜に開ける予定だった一番好きな日本酒まで開けてしまったほど。
ホームでの姿はゲームで作成したキャラに変更することができる。そのため、現在の姿は先日作成したキャラクターのものだ。
身長は現実と同じ171センチで、筋肉は現実と比べさらにしっかりとついている。顔はあまりイケメン過ぎるとなんだか悲しくなるためそこまでは変えなかった。現実のフツメン顔を若干外人寄りに変えて多少整えたくらいだ。
それに対して服装は普段とは全く違う物で、昔遊んだ国民的RPGの布の服ってこんな感じだったんだろうなと思わせるような見た目だ。これはゲームの初期装備であり、デザインに違いはあるものの全員同様らしい。プレイヤーとNPC<Non Player Character>の見分け方は今のところ不明ではあるが、少なくともしばらくは服装を見ればプレイヤーかどうか判別できるかもしれないと思っていた。
ソファにゆっくりと腰を下ろし、光が失われたポータルを眺める。1週間前までがキャラクリエイト期間であり、その期間は光り輝いていたのだ。その光り輝くポータルに乗るとそのゲームの世界に移動する仕組みなのだが、光が失われてからは乗っても何も起きず、この部屋の飾りとなってしまった。
けれど、あと15分で、また光を取り戻すのだ。
視界の右上に映る時刻が徐々に変わっていく。
5分が経ち、10分が経ち、現在の時刻は8時58分。
スッとソファに下ろしていた腰を上げ、ゆっくりとポータル前まで歩いていく。
一歩近づく毎に、心臓がうるさいほどに音を立てる。
そしてポータルの前に立つと時刻はちょうど59分になった。
ゆっくりと深呼吸をして、時計の秒を確認すると45秒、46秒と変わっていく。
ああ、どんな世界なんだろうか。どんな冒険が待ち受けているのだろうか。
待ち望んだこの日が、遂にやってきたのだ。
一歩前に進み、まだ光を失っているポータルに乗る。
57秒
58秒
59秒
ポータルが光を取り戻し、俺の体は光に包まれた。