第1章 episode1『天と妖』
ぐしゃ。
よろめいた右足に、鈍い感触が伝わった。
「…あ…ウソ…、ぽてcafeの秋期限定モンブランが……」
薄暗い住宅街のアスファルトに、無残にもつぶれた白い箱。
それが数秒前まで、自分が何よりも大切に抱えていた物だなんて信じたくない。
「セリ! 早く、蒼の後ろに回れ! 喰われたいの?」
キレイな顔立ちと抜群のセンスで一際目立つ男の子、天海 紫己が背中を突き飛ばしたのが原因だった。
「ううん、食べたかったの…」
「はぁ!?」
「だって講義抜け出して、2時間も列んだんだよ? この季節になるのを、ずっと待ってたんだよ?」
「ねー、だから、今それどころじゃ…」
「…今日はしーちゃん達と帰っちゃいけなかったんだ…」
もう元には戻らないそれを、往生際悪く見つめている宮 芹七の頭上に、大きな男の影が降りかかる。
「宮、後ろ!!」
いつもクールな月島 蒼が、顔色を変えて駆け寄ろうとした時には、すでに芹七は若い大男に羽交い締めにされていた。
紫己と蒼が一週間前から追っていた、妖力者であるその男に。
「…オレを見逃せ…。さもなけりゃ、この女の首をへし折る……」
「無意味、だろ。お前がまた人の理性を喰らえば、どうせ誰かが死ぬ」
「オマエ達とは関係ねーヤツを、喰らってやるよ。だったら何とも思わねーだろ? 人間なんてそんなもんだぜ」
「…確かに、その方が楽だな。俺が天力者じゃなければ」
芹七を挟んで、蒼と妖力者の間に緊迫した空気が流れた。
「ったく、セリがぼやぼやしてるから面倒なことに」
少し離れた所で、紫己が軽く舌打ちをする。
「ごめんなさい…」
「はい、はい。ゴメンはいいから自分で何とかしてね」
冷たく言い放った紫己を恨めしく思いながら、芹七は正面に向き直る。
静かに首を縦にふる、蒼。そしてその後すぐ、妖力者に向けて右手をゆっくり構えた。
「!? てめー、この女がどーなっても…!」
「えいっ!痴漢撃退!」
一瞬動揺を見せた男のすねを、思いきり蹴飛ばす。
「何しやがる!」
もちろん、体制不利は変わらない。でも少しの隙ができれば充分だった。
芹七はクルリと身体をひるがえし、大男の額に小さな手のひらを当てた。
「…バカな……」
何をされるのかすぐに察し、男は青ざめて身を震わす。
「ホントはヤなんだけど。しーちゃんに怒られるから、あなたの妖力もらっちゃうね」
「…天力者? だってオマエからは気配なんて……」
「オフにできるんだよ、そいつは」
「っていうか、ほとんどオフなんだけどね」
「!? まさか、天子…!」
男がそう叫びかけた時にはすでに、芹七の指先は淡い光に包まれていた。
人の心を喰らう妖力者がいれば、その妖力を浄化する天力者がいる。そしてまた、彼女たちの持つ力を利用しようとする人間も……。
飽き飽きするほど、この世は弱肉強食だ。
「もお、2人も喰らってるんだから。覚悟しなさい」
「……2人…?」
フッと男は嘲笑したが、特別、気にとめることはなかった。
「蒼くん!」
最低限の天力を使って、男の身動きを封じると、芹七はすがるように叫んでしゃがみ込む。
「右に避けろ!!」
それと同時に降り下ろされた、見える人にだけ見える、鋭い光の剣。
「きゃっ!」
「ほら、こっち!」
それが大男の身体を真っ二つに引き裂いて、存在を『無』にするのを、彼女は紫己の腕の中で見送った。
「……悪いな」
妖力の残映がまだかすかに揺らめく。
「こっちも、仕事だから」
その闇の中で、蒼は表情なく独りごちた。
「天海、宮は?」
「うーん」
蒼の問に、紫己は確かめるように芹七の両腕を掴んで、グルリと回してみせる。
「問題ないみたい」
「そりゃ、良かった」
カオに笑みが戻る。
これが天力者にとっての日常。たとえレポートの締切が迫っていようとも、仕事を放棄して普通の大学生に戻ることなんて許されない。
ただ1人、そんな世界に巻き込まれたくないと強く望む芹七だけは、のんびりと自由な毎日を送っていた。
「ぜんぜん良くないよ〜。私のモンブラン〜」
この事件が再び自分に襲いかかってこようとは、想像できるはずもなくて……。
〈続く〉
ご覧頂きありがとうございました。
初めまして、椎名つぼみと申します☆
拙い文章で、分かり難い箇所もあったかと思いますが、また読んで頂けると嬉しいです!
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