11話 野望を抱く少女
人は変わり続けなければならない。同じことをずっとやっていても面白くない。でも新しいことをやるのはツラいしストレスを感じる。そして同じことをやるのは楽だ。人はどうしても楽なほうへ楽なほうへと流れていくものだ。
誰だって家に引きこもって布団でぬくぬくしていたいよね。これは本能的なものだと思う。こういった本能を理性によってコントロール出来るだろうか?
人が動物とは違うのは理性を持っているかどうかだ!
というのは間違いだと思う。人は理性によって本能を正当化してしまう。いろいろと屁理屈つけてやらないというわけだ。
つまり何が言いたいのかと言えば必要なのは狂気なのだ!頭のネジは何本か飛んでいた方がいい。
どんなこともやってみないことにはわからない。やってみてから冷静に分析して反省して次に生かして行くしかないのだ。
今回のボクの失敗はせっかく王子様のユリウス・レオンハートと皇帝グラム・レオンハートを理性をふっ飛ばし狂気でもってぶち殺し道を切り開いたのにそこで満足してしまってそのあと楽な方に流れてしまったことだ。
ボクはヨハンに自分の運命を委ねてしまった。彼の描いた絵にのかってしまった。ヨハンは悪いヤツだった。自分のことしか考えていなかった。でもそれは当然だと思う。自分のことが一番大切じゃないほうがおかしい。それは人としての本能だと思う。
だけど自分が良ければ人はどうなってもいいというのもダメだ。誰かが喜んでくれるのが嬉しいという感情は誰でも必ず持っているのだ。もちろん自分のことより他人を優先にするというのもダメだ。
結局考えが極端すぎるのだ。あくまでも一番は自分だ。人のことを考えたいと思った時は考えればいい。どちらか一方が正しい訳ではなく両立できるものだ。
とにかくせっかくあの時にボクは勇気をだして清水の舞台から飛び降りたのにそのあと跳ぶのをやめてしまった。ここに問題があった反省しよう。
そう言えばボクは京都に家族旅行にいった時に有名な清水の舞台を実際に見た。想像していたよりずっとずっと高かった。こんな高い所から跳ぶなんてマジで無理だと思った。でもなにかをやる時はそういうものなのだと思う。マジで無理だと思うのだ。まともだったら跳べない。理屈を無視して飛ばねばならないのだ。だけど一度やってしまえば慣れるものさ。でもね一度飛んだことに満足してはいけないんだ。
一回飛んだら今度はもっと高い所から飛ばなければならない。そして次はもっと高い所からだ。どんどん高い所からダイブする。死ぬまでダイブする。ガムシャラにやり続けるしかない。
気が狂っているって?いいんだよ気が狂っていて。むしろもっとみんな気狂いになるべきなんだ。
話は少し変わるけどサラーリマンが家族を顧みずにガムシャラに働いて定年後に熟年後離婚したとかいう話をテレビで見たけど別にいいじゃん。結婚できて子供産まれたんだから。ボクはずっと家に引きこもってたから結婚も子供も無理だっただろうよ。
全部がうまくいくのは難しい。ただ一つのことがうまくいかなかったからといってその人の全部を否定するのは間違っている。失敗する時は失敗する。だからといって失敗するだろうからやらないというのは違う。失敗したらやり直せばいい。やり直せない失敗だったら諦めるしかないけどやる前から失敗を恐れていたら一つも成功しないだろう。逆に失敗を恐れずにやればいくつかは成功するだろう。そしてその成功がその人の生きた証になるのだ。
結局のところ楽なことをずっとやり続けて何も成すことも無く死んでいくなんてなんのために生まれたか分からない。そんな人生ボクはまっぴらゴメンだ。ボクはやりたいことをやるのだ!
京都に行った理由を修学旅行から家族旅行に修正しました。




