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お姉ちゃんが突然家に彼氏を連れてきた件

「あ、そうそう、今日私の彼氏、うちに来るから」

「えっ!?」


 今日は何事もなく平和なはずの日曜日、何もやることがなく、ただ家でゴロゴロしていた僕の部屋にお姉ちゃんはノックもせずに入ってきて、突然そんなことを言い出した。


「お姉ちゃんって彼氏いたの!?」

「うん、まあ、つい最近ね」


 これは我が家にとっては一大ニュースだ。地元の進学校である女子校に通うお姉ちゃんは、ついこの間も「女子校だと全然出会いがない〜」と嘆いていた。自分の姉ながら見た目は良いと思うけど、ちょっと勝気が過ぎる性格で、中学までは僕と同じ学校に通っていたのだが、そこで度々男の子とも喧嘩するくらいやんちゃだった。その性格もあってか、なかなか男の人と縁のない青春時代を過ごしていたようだけど、どうやら突然念願の彼氏ができたらしい。


「おめでとうお姉ちゃん!あ、でもそれだと僕がお邪魔になっちゃうね。外に出てた方がいい?」


 付き合い始めた間もないようだし、家に連れてきたことは今までないはずだ。そうなると僕が恋人同士の時間を邪魔しちゃ悪い。お父さんとお母さんも今日は二人で外出しているので、僕さえいなければ二人きりになれるはずだ。


「う〜ん、我が弟ながら気の利く子だなあって思うけど、今日はその彼氏を遥に紹介したいのよね」

「えっ!?」


 遥っていうのは僕の名前で、外見も含めてよく女の子っぽいと言われて、小学校の頃はよくみんなにからかわれていた。そういう時はよくお姉ちゃんが「うちの遥をいじめるなー!」って言って、僕をからかった子を追いかけ回していた。って今はそんな思い出に浸っている場合じゃない。

 お姉ちゃんの言葉に僕はまたもやびっくりして声を上げてしまった。今日になって突然存在を知らされたのだから、顔を合わせるにはまだ心の準備ができていない。ひょっとしたら将来、義理のお兄さんになるかもしれない人に、これから会うのだと思うと、どうしたって緊張してしまう。


「い、いいの?僕が邪魔しちゃって。そもそも僕より先にお父さんとお母さんに会わせた方がいいんじゃない?」

「んー、いきなりうちの親と会うのはハードルが高いってことで、まず遥に会おうって話になったのよ。だからまだお父さんとお母さんは私の彼氏、純のことは知らないの」


 どうやらお姉ちゃんの彼氏さんの名前は純さんと言うようだ。で、その純さんがうちの両親と挨拶するための練習のような感じで、まずは僕の方から挨拶しようということらしい。


「なんでお姉ちゃんが彼氏さんを連れて来るかはわかったけど……その純さんってどんな人?」

「私が言うのもなんだけどイケメンよ?まあ、会えばわかるって」


 細かい説明をせず、お姉ちゃんはそれから「よろしくねー」とだけ言い残して部屋を出て行ってしまった。自分の姉に使うべき言葉じゃないかもしれないけど、台風みたいな人だ。僕はそれから純さんが家に来るまで、じっと部屋で正座で待ち続けたのだった。



 純さんが何時に来るかも知らずに待ち続けていると、お昼を回る頃になってようやくピンポーンとインターホーンが鳴った。お姉ちゃんが「はいはーい」と言いながら玄関に向かう、僕もそれについて行って訪問者を招き入れた。

 お姉ちゃんに招かれてきて入ってきたのは、背は170センチ近く、グレーのシャツとジーンズを着こなした、誰が見ても美青年と呼ぶような人。髪は男の人にしては長めで、前髪が眉上ぐらいまでかかり、耳が隠れている。顔や腕が日に焼けて褐色になっているところを見ると、何か運動部に所属しているのだろう。間違いなくこの人が例の彼氏、純さんだ。


「お邪魔しまーす……ん?」


 純さんが玄関を上ろうとしたところで動きがピタッと止まる。お姉ちゃんの隣で立っている僕と目があったからだ。


「は、はじめまして、お姉ちゃんから話は聞いていると思いますが、僕は遥と言います」


 緊張気味に自己紹介をする僕の顔を少しの間、じーっと見つめる。すると純さんは「ふうっ」と溜息をついて、お姉ちゃんの方を向いて話す。


「ナツ、幾ら何でもこの子はちょっと可愛すぎないかい?」


 なんだか失礼なことを言い出した。ナツって言うのはお姉ちゃんの名前が夏美だから、縮めてそう呼んでいるのだろうけど、そんなことより初対面の男性が男に向かって可愛いだなんて、遠回しに男らしくないと馬鹿にしているのじゃないか。

 しかし、その言葉を聞いたお姉ちゃんは何も言わずニヤニヤしているだけだ。弟が小馬鹿にされているのだから、少しは反論してくれてもいいじゃないかと思ったが、純さんの言葉を肯定も否定もせず、ただ僕らの方を見ている。


「おっと、ごめんね遥ちゃん。ボクの方の自己紹介がまだだったね。ボクは清川純、純と呼んでくれたらいいよ。よろしくね」


 そう言って僕に手を差し出してきたが、僕の純さんに対する評価は今の発言でさらに下がる。小さいころから親戚のおばちゃんたちやクラスの女子から、遥ちゃん遥ちゃんとよく呼ばれていた。言っている方に悪気はないのかもしれないけど、それが嫌で僕は家族以外の女の人が少し苦手になってしまった。よりによってそこを刺激されたので、僕は我慢できず、純さんに言う。


「すみません、ちゃん付けはできればやめてほしいのですが」


 ちょっとむくれた僕の様子に、純さんはなんで僕が怒っているのかわからず、困ったような笑みを浮かべる。


「なるほど、それじゃなんて呼べばいいかな」

「遥でいいわよ、遥で」


 僕でなくお姉ちゃんが横から口を挟んで答えた。普通にくん付けでいいと思うだけど、なぜ呼び捨てになるのだろうか。そうは思うものの、僕にとってはちゃん付けよりはマシだから別に反対もしない。


「呼び捨てになるけど……それでいいかな?遥」

「はい、宜しくお願いします。純さん」


 純さんの言葉に僕は首を縦に振る。すると純さんは清涼飲料のCMにでも使われそうな、爽やかなスマイルを見せた。お姉ちゃんもこの笑顔にやられてしまったのかもしれない。僕も一瞬くらっときてしまった。僕にそんな趣味はないはずなのに。


 差し出されたままだった純さんの手を握って握手を交わすと、意外と柔らかい手をしている。よく見ると純さんは背の割には華奢な体格をしているし、可愛いなんて人のこと言えないんじゃないかと言う気がしてきた。まあ僕よりはずっとカッコいい人だと思うけど。


 玄関で挨拶を終えるとお姉ちゃんが純さんを家に上げて、中を案内し、部屋に到着する。そこはお姉ちゃんの部屋でなく、僕の部屋だった。


「え、お姉ちゃんと純さん、僕の部屋に入るの?」

「だって遥を紹介するために純のこと呼んだんだし」


 とは言っても彼氏を連れてきて最初に入れるのが、弟の部屋というのは流石に間違っていると思う。


「ナツ、遥にちゃんと説明しておかなかったのかい?それならナツの部屋の方が……」

「いえ、大丈夫です。ちょっと驚いただけですから」


 純さんが僕たちの会話を聞いて、お姉ちゃんの部屋に入ること提案するが、それを阻止する。彼氏としてはやっぱり彼女の部屋に入ってみたいのだろうけど、目の前でそれを見せられるのは、弟として複雑な気持ちになる。それにこれから純さんと話すのならホームである自分の部屋の方がいい。お姉ちゃんの部屋で、お姉ちゃんとその彼氏の三人で話すのは、僕としては居心地が悪すぎる。


 僕たち三人は部屋に入ると、部屋の床に小さめのテーブルが置いてあるので、それを囲うようにして座った。


「遥は今中学生なんだよね」


 床に座るとすぐに純さんが質問をしてきた。今日は僕を純さんに紹介するわけなので、話題の中心は当然僕のことだ。純さんが言う通り、僕は今中学2年生だが、これもお姉ちゃんから聞いたのだろう。


「はい、そうです。純さんは?」

「ボクは高1、ナツとタメさ」


 純さんはお姉ちゃんと同じ高校1年生らしい。ただお姉ちゃんが通うのは女子校なので、同じ高校ではないはずだ。


「遥は何か部活やってるのかい?」


 純さんはさらに僕に質問した。しかしそれは僕にとってはあまり聞かれたくない話題だ。


「……部です」

「え?」

「ですからその、僕は茶道部なんです」


 僕の言葉に純さんは「へえ……」と目を丸くした。感心してくれるのはいいのだが、純さんが僕を見る目はますます男性を見るものではなくなっている。少女を見守るような微笑ましい顔になった。


「茶道部なんだ。君に似合いそうだね。遥に淹れてもらったのなら癒されるだろうなあ」


 やっぱりそういう反応になった。こういう反応をされたくないので、あまり言いたくなかったのだ。女の子扱いされるのが嫌なのに、こういう部活に入ってしまう僕も僕もだけど。そもそも純さんは男の人にお茶を淹れてもらったところで、本当に嬉しいのだろうか。お姉ちゃんと付き合っているのだからソッチ系の人ではないとは思うけども。


「え、ええと純さんは何の部活に入ってますか?」


 この話題についてはあまり掘り下げられたくないので、話題を変えようと同じ質問を返した。


「ボクかい?ボクは水泳部だよ」

「なるほど……」


 純さんが手で水をかく、クロールのジェスチャーをして見せる。水泳部ならば当然日焼けもするだろうと僕は一人で納得をしていた。


「僕は水泳苦手なんで、尊敬します」

「遥は運動自体苦手じゃない」


 お姉ちゃんに横槍を入れられて、ジトッと睨んでみたが、涼しい顔をしている。確かに僕はひ弱な見た目通り、スポーツ全般得意でなく、体育祭が近づくにつれ盛り下がるタイプの人間だが、今言わなくたっていいじゃないか。


「はは、まあ誰にも苦手なことはあるよ」


 純さんがフォローを入れてくれるが、なんとなく何でも出来そうに見える純さんに言われてもあまり慰められた感じがしない。実は勉強が苦手だとか、すごい不器用だとかそういう弱点はないのだろうか。


「純さんは何でも出来そうですね。苦手分野とかあるのでしょうか」

「うん、あるよ」


 純さんに率直に聞いてみると、すぐに頷き肯定した。


「えっとね、よく意外に思われるんだけど、異性の人と話すのが少し苦手なんだ。中学も高校も共学じゃないから、あまり接する機会がなくてね。高校生にもなってそれはどうかとは自分でも思うけど」


 言い終わったあと純さんは恥ずかしそうに頭を掻いた。一方で僕はがっかりしていた。立派に彼女がいるのに異性が苦手なんて言っても説得力がない。モテる人の異性が苦手と、僕みたいな人間が言う苦手という言葉の違いに差を感じた。


「それなら僕もです。小学校ぐらいのときとかよくいじられてて、それで今でもちょっと苦手です」

「そうなんだ。恋人とか今はないのかい?」


 よりによってそれを聞いてくるのかこの人は。お姉ちゃんもここにいるのに、その彼氏に恋バナを喋らされるなんて拷問でしかない。もっともその手の話題で僕が披露できるエピソードなんてないのだけど。


「いません。今も昔も、出来たことないです」


 僕がそう言うと、純さんが失敗したという顔になった。無意識のうちに僕は少し棘のある態度になってしまったようだ。


「ごめんね、初対面なのに踏み込んだこと聞いちゃって」

「いえ、別に怒っている訳では……ただちょっと緊張しているだけなので……」


 不機嫌そうな僕をみて、純さんがすぐに謝った。すぐに機嫌を損ねたわけではないとフォローするものの、この言い方ではむしろ逆効果な気がする。純さんは少ししゅんとしてしまった。


「えっと、純さんの方はどうなんですか?お姉ちゃんと最初に会った時の話とか」


 空気を変えようと、今度は純さんの方の話を振った。お姉ちゃんの恋愛とかはあまりイメージできないので、少しは面白い話が聞けるかもしれない。


「ナツと?ナツと初めて話したのはそりゃ入学……」

「えーっと私すごく喉乾いちゃったな!お願い遥、冷蔵庫からお茶持ってきて!」


 なんでお姉ちゃんの話題を振られたのかわかってないような顔で、純さんは話し始めようとしたが、それをお姉ちゃんが大きな声を出して遮った。意外にもお姉ちゃんはこういう話をされるのが恥ずかしいのだろうか。むしろ自慢しそうなタイプだと思っていたのに。仕方ないからここは空気を読んでお姉ちゃんの言葉に従う。


「うん、わかった。持ってくるね。純さんもお茶でいいですか」

「う、うん、ありがとう」


 純さんは何でお姉ちゃんが突然大声を上げたかわからずに困惑していた。そういうところはちょっと鈍い人なのかもしれない。



 部屋を出た僕は冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出し。コップを三人分用意して部屋に戻る。しかし部屋を入ろうとしたところで、二人で会話しているのが聞こえて、足が止まった。


「ナツ、なんだかボク、遥にあまりよく思われてないみたいだね。さっきも少し怒らせちゃったみたいだし」


 純さんの声だ。先ほどの態度もあって、純さんに対する僕の猜疑心には気づいているようだ。彼女の弟に嫌われているとなったら落ち込みもするだろう。僕は少し申し訳ない気持ちになる。


「大丈夫だって純!これから仲良くなれるから!まだお互いによく知らないだけで!」


 沈んでいる純さんをお姉ちゃんがもっともらしいというか、適当というか、そんな言葉をかけて慰める。僕と純さんが不和だっていうのに妙に楽しそうだ。


「そうだね、これで終わったらここに来た意味ないもんね。もっと頑張ってみるよ」


 お姉ちゃんの慰めを受けて純さんが顔を上げる。その言葉で気を持ち直せるあたり、案外単純な人かもしれない。ただそんな実直な純さんの姿を見て、僕も少しは大人にならなければならないのかなと思う。


「お茶、持って来ました」

「ありがとー」

「ありがとう」


 二人の会話を聞かなかったふりをして、僕は部屋に入った。純さんとの付き合いはこれから長くなるかもしれないのだから、避けてばかりいるわけにはいかない。もう少し純さんのことを知ろうとする努力が必要だろう。



 僕が三人分お茶を淹れてから、しばらく談笑を続けていると、今度はお姉ちゃんが「トイレ」と言って、席を立った。純さんの前なのに堂々とトイレと言えるということは、それだけ好い仲だということかもしれない。お姉ちゃんがこの場を離れたことで、部屋には僕と純さんの二人きりになる。ここは仲を深めるチャンスだ。まずは僕から話を振る。


「純さんは、お姉ちゃんのことどう思ってますか?」


 我ながらストレートすぎる質問じゃないかと言ったあとに後悔する。しかし純さんはその答えにくそうな質問に軽く答えた。


「そうだね、気の置けないやつって感じかな。ちょっと元気がすぎるところがあるけど、そういうところに救われることも多いし、ボクは好きだよ」


 純さんの言葉を聞くと、お姉ちゃんとの付き合いは割と友達感覚に近いのだろうか。日頃のお姉ちゃんを見ている限り、僕としてはそういう関係の方がイメージしやすい。ただサラッと好きなんて言葉を口にするあたり、誑しの才能がありそうだ。お姉ちゃんは気をつけてほしい。


 答えてもらったのはいいものの、どこまで突っ込んだ話をしていいかわからず、「そうですか」とだけ相槌を打った後は、話を広げられず無言になってしまう。ちょっと気まずい空気になった後、今度は純さんから話を切り出した。


「遥はいつも、そういう格好なのかい」


 純さんが気にしたのは僕の服装についてだった。純さんが来ることを変に意識しすぎてもなんだかなと思い、今の僕はTシャツと短パンというラフな格好なんだけども、まずかっただろうか。


「ええ、はい、いつも、こうですが」


 機嫌を損ねてしまったのではないかと恐る恐る答えるが、純さんはニコニコとしている。別に僕の服装について文句があったわけではなさそうだ。


「ボクと一緒だね。ボクも普段はそういう格好なんだ」


 純さんはそう言って笑うが、世の男性のほとんどは、今の時期だとこの格好だと思う。何が面白くて笑っているのかがいまいちわからない。さらに純さんが続ける。


「ボクたち、似た者同士なのかもね」


 純さんのその言葉に、正直僕は全く同意できなかった。純さんの方が僕よりずっとカッコいいし、部活も純さんは運動部で僕は文化系、身長だって僕はチビだ。それにさっきから、純さんは僕のことを気にかけてくれているにもかかわらず、僕はヘソを曲げっぱなしで、そんな僕の気持ちに気付いてるだろうにもかかわらず、めげずに話しかけ続けている。自分の彼女のためとはいえ、そういう努力ができるのは、僕と純さんの器の違いを見せつけられているようだ。


「僕なんかより純さんはずっと素敵な人だと思います」

「そうかい?ボクはむしろ君の方がずっと魅力的だと思うけど……可愛いし」


 純さんより僕の方が魅力的なんて、そんなのあるはずがないとは思う。しかし純さんは僕のことを何度も可愛いというのは、嫌味でなく本当に褒め言葉として使っているのだと話しているうちにわかった。それでも僕としては嬉しい言葉ではない。なので僕は一つ言い返してみることにした。


「人のこと可愛い可愛いと言いますけど、純さんだって十分可愛い方だと思いますよ」


 僕の言っていることは間違いないはずだ。そりゃ純さんは僕みたいなナヨナヨとした感じではないけれども、女顔だと言っていいはずだし、運動部にしてはそれほど筋肉質には見えない。そういう部分は確かに僕と似ていると言っていいかもしれない。。


「え、そ、そう……かな」


 僕に可愛いと言われた純さんは頭を掻き、顔を赤くしている。まるで女の子みたいだ。恥ずかしがる時に頭を掻くのは癖なのだろう。今まで純さんが見せたことのない顔に僕も思わずときめいてしまいそうになる。


「いや、可愛いなんて普段、言われなくてね。冗談だったとしても嬉しいよ」


 皮肉であっても冗談のつもりはないのだけど、とにかく純さんは言葉通り本当に嬉しそうだった。普段可愛いなんて言われないようなイケメンの人が、そう言われたなら嬉しいものなのだろうか。僕にはわからない。

 純さんのことを理解しようとして話してみたものの、どうにも僕の感性とはずれた印象を持ってしまう。いい人だとは思うのだけど。

 話の小休止に僕はコップにお茶を淹れて飲もうとしたが、うっかりペットボトルを持つ手が滑ってしまった。


「あっ!」

「わっ!」


 その結果、お茶の入ったペットボトルがドミノ倒しのように純さんのコップまでもを巻き込んで倒れてしまう。僕はズボンとシャツの両方、純さんもシャツが濡れてしまった。お姉ちゃんが初めて連れてきた彼氏さんだというのに、とんだ大失態だ。


「ご、ごめんなさい!」


 僕は倒れたペットボトルを戻した後、部屋で干してあったバスタオルを取って純さんに渡し、僕もハンカチを服にあてがう。しかしすでに後の祭りで、完全に水気を取ることはできない。


「すみません、とんでもないことを……」

「いや、気にしなくていいよ。それより怪我はないかい?」

「ええ、コップも割れてないので……僕は全然大丈夫です」


 純さんは僕の大ポカに一切怒らず、服より僕のことを心配してくれていた。やっぱりいい人だ。それだけに今の僕は穴があったら入りたい気持ちになってしまう。


「君の方は結構濡れてしまったようだね。ここで着替えたらどうだい?ここならすぐ着替えられるだろう?」


 純さんが僕にそう提案した。確かに今のお茶を盛大にかぶってしまった服を着続けるのは気持ち悪い。それに純さんのいう通り、ここは僕の部屋なので着替えの心配はいらない。お言葉に甘えて着替えさせてもらうことにしよう。男の人とはいえ、初対面の人の前で着替えるのは少し恥ずかしいけど。


「すみません、じゃあちょっと着替えます」

「うん、そうした方がいい。ボクも少しだけ、乾かさせてもらおうかな」


 そう言葉を交わした僕らは、互いに服を脱ぎ始める。僕は特に被害の大きかったズボン、純さんはシャツに手をかけ、一気に脱いだところだった。


「え?」


 僕らはお互いの姿を確認すると同時に、時が止まったように動かなくなってしまった。ズボンを脱いだ僕は当然、下はトランクス姿になっているのだけど、一方シャツを脱いだ純さんは、二の腕までは日焼け後が見えるものの、肩から腰までは白い肌が見えている。その白い肌の中心を覆っているのは黒い女性用下着、つまりブラジャーだ。下着の下には、シャツの上からでは確認できなかった小さな膨らみが見て取れる。

 数秒かけて目の前の光景を理解すると同時に、僕は思わず叫んだ。


「うわああああああ!?」

「きゃああああああ!?」


 僕と同時に純さんも叫ぶ。今まで僕が見ていた純さんから発したものとは思えない、可愛らしい悲鳴だ。僕らは慌てて先ほど脱いだ服を再び着なおす。

 お茶で濡れたままの服に戻った僕らは、互いに「ふー」と息をつき、口を開いた。


「純さんって女の人だったんですか!?」

「遥って男の子だったのかい!?」


 口から出たのはどちらも似たような言葉だった。でもこれでお互いに勘違いしていたことがわかった。僕が純さんを男性と思っていたように、純さんは僕のことをずっと女の子だと思っていたんだ。それなら今までの純さんの僕に対する態度も理解できる。ならば僕の方こそ失礼なことをしてしまった。


「ごめんなさい。純さん勝手な勘違いしてしまって、失礼なことを」

「ううん、それはボクの方こそ……男の子だと思わなくて悪いこと言っちゃったね」


 お互いに平謝りをする。なんとか平静を装うものの、純さんはさっきより僕と距離を開けて座っていて、視線も合わない。そういえば異性が苦手だと言っていたはずだ。だとしたら僕は純さんはその苦手なものに含まれるはずだ。

 気まずい空気が流れ、しばらく沈黙が続いた後、純さんの方が先に口を開いた。


「しかしこれで納得がいったよ。珍しく可愛いなんて言われたものだからつい舞い上がっちゃっていたけど、男にしてはという意味だったんだね。冷静に考えたらボクが女の子らしいなんて、それはないか」


 純さんが自虐的に話す。男性らしい格好をしてるけど、女性的ではないことを気にしているようで、乾いた笑いを浮かべる。純さんは場を和ますためにいったのかもしれないが、ここは同調するべきではないことぐらい僕にもわかった。なんとかフォローしようと、言葉をひねり出す。


「え、えっと、勘違いしてた僕が言うのもなんですが、僕は純さんのこと素敵な女性だと思います!」

「ははは、ありがとう」


 そう言うが純さんの目は笑っていない。お世辞だと思われてしまっている。どうにか純さんを励まそうとさらに言葉を繋ぐ。


「いやほんとに嘘じゃないです!さっきの悲鳴だって女の子らしくて可愛らしかったですし!」

「う、そ、それは……」


 言い切った後、真っ赤になって俯く純さんを見て、しまったと気づく。明らかに今のは薮蛇だ。お互いに触れようとしなかったことを蒸し返してしまった。一瞬だけその時の純さんの姿を思い出すが、すぐにかき消して純さんに謝る。


「ご、ごめんなさい変なこと言ってしまって」

「いや、いいよ。あれはただの事故だし……」


 そう言って再び僕ら二人の間に沈黙が訪れたが、一つ疑問が残った。純さんは事故と言ったのだけど、なぜお互いにこんな勘違いをしたのだろうか。よく見れば純さんはボーイッシュではあるものの、綺麗な顔をしていて女性としても魅力的であると思う。街中で見かけたとしたら、少しは悩むかもしれないけど、多分女性だと判別できるはずだし、少なくとも一見して男性とは断定しないだろう。純さんに対して男性だという先入観を持ってしまったのは、間違いなくお姉ちゃんの言葉が原因だ。


「お姉ちゃんは純さんのこと彼氏だって言っていたのに……」

「ナツは遥のこと妹だって言っていたのになあ……」

「え?」

「うん?」


 僕らは互いのつぶやきに反応して顔を見合わせる。今確かに純さんは、お姉ちゃんが僕のことを妹だと紹介したのだと言った。これはつまり、僕らがこんな勘違いをする羽目になった元凶は。


「あっはっはっはっはっは!」


 部屋の外から突然、大きな笑い声が聞こえた。純さんが僕の部屋の扉を開けると、廊下でお姉ちゃんが笑い転げていた。


「君が原因か……」


 廊下で転げ回るお姉ちゃんに純さんが冷たい視線を送ると、お姉ちゃんは必死に笑いを堪えながら立ち上がり、弁解を始めた。


「いや、ごめんごめん。確かに私が仕組んだことなんだけど……まさかこんな面白いことになるなんて」


 そう言い終わるとお姉ちゃんはさらに「ぷぷぷ」と笑いを堪えきれず吹き出した。まるで反省しているようには見えない。


「もういいよ。君の仕業なのはわかったから……とりあえず説明の前に着替えを貸してくれないかい。遥……くんはちょっと待っていてね」

「くくく……いやほんとごめんね」


 呆れる純さんとお姉ちゃんは、着替えるために二人でお姉ちゃんの部屋に入っていった。その隙に僕も服を着替えて、二人が戻るのを待った。



「で、どう言うことか説明してもらおうじゃないか、ナツ」


 着替え終わった後、僕の部屋に戻った純さんは腕組みをしてテーブルの向かい側に座るお姉ちゃんを睨む。サイズが合うものが他になかったからか、お姉ちゃんが着るとゆったりするぐらいの大きさのワンピースを着ている。純さんが着ると丈が短いので、下はジーンズのままだ。着替えた後にもう一度僕の部屋に入る際、服装が落ち着かないのか、異性の部屋に入ることを意識していたのか、とてもそわそわしていたのが可愛かった。


「ええと、その、説明すると長くなりまして〜」


 なぜか敬語で前置きし、お姉ちゃんは説明を始めた。その話を要約するとこうだ。純さんは男性らしい格好をしているのだが、そのせいでいつも女の子に囲まれてしまい、今まで男性と触れる機会がなく過ごしていたため、あまり異性に耐性がなかった。そこでお姉ちゃんは、僕のことを少し男っぽい妹だと純さんに紹介することで、男性に慣れてもらうきっかけを作ろうとしたようだ。さっきトイレに行くと言ったのも嘘で、僕らを二人きりにしてみて様子を見ていた、と言うことだ。


「ってそれだと僕には本当のこと話してもよくない?なんで純さんが彼氏だなんて嘘ついたの」

「言っちゃうと遥が純のこと意識しちゃうから怪しまれるでしょ。それに遥が女の子と仲良くできるようになるきっかけとしても、ちょうどいいかなって」


 確かに僕も女の子と喋る経験はあまりないので、純さんを年上の女性だと思うと自然に話せていたか自信がない。それでも会話の内容によってはすぐお姉ちゃんの嘘がバレる可能性もあったし、やっぱりお姉ちゃんが面白そうだと思ったのが一番の理由じゃないかと疑っている。


「そうは言ってもボクみたいなのが相手じゃ別に遥くんも意識することないだろう。こんなややこしいことしなくてもよかっただろうに」


 話を最後まで聞いた純さんがぼやき、溜息をつく。僕が男だと知ってから、純さんは僕のことを君付けで呼ぶようになった。最初はそう呼ぶのを望んでいたが、今は少し距離ができたようで寂しく感じる。しかしそんな純さんの言葉をお姉ちゃんは全力で否定し始めた。


「いやいやいやいや、その認識は甘いわよ、純!ほら、遥、今の純を見てどう思う?」

「え、僕?」


 急に振られた僕は戸惑うが、お姉ちゃんの質問に答えるため、純さんをじっと見つめる。ワンピースにジーンズという姿は、あまり女性らしいとは言えないかもしれないが、お姉ちゃんのワンピースを着ている今の純さんは女性と見間違えようもない、立派な、美しい女性の姿だった。


「えっと、綺麗だと思います」

「ええっ!?」


 純さんは僕の言葉に驚いていたが、僕としてはそんなに驚くようなことを言ったつもりはない。やっぱり純さんは自分のことを周りが思う以上に男っぽいと思っていて、女性らしさとは縁がない人間だと感じているみたいだった。

 しかし本物の男性である僕からするとその認識は間違いとしか言えない。さっきまでのグレーのシャツを着ていた時も、美青年とは勘違いしてしまったものの、誰がみても美しいと思うような顔立ちをしている。それをまた少し別の角度から見た場合、例えば違う服装だと、その格好もまた別の意味で美しいという印象を抱かせた。今の純さんのワンピース姿はそれはそれで似合っており、純さんの女性的な魅力を引き出している。


「な、ナツ、遥くんにそんなお世辞言わせないでくれよ」

「いや、お世辞じゃないです。僕は純さんのこと綺麗だと思います」

「うう……」


 いつまでたっても勘違いされたままなのも嫌なので、はっきりと言っておいた。お姉ちゃんも純さんのこういうところにやきもきしていたのだろう。僕が断言すると純さんは顔を両手で覆って俯いた。その仕草もまた可愛いと思うのだけど、本人は意識してないのだろうか。

 乙女チックに恥ずかしがる純さんの姿を見てお姉ちゃんは満足げな顔を浮かべ、高らかに宣言する。


「よし!じゃあこれからも純を連れてくるから二人で仲良くするようにしなさい!あ、別に私が言わなくても勝手に遥に会いに来てもいいのよ、純」

「そ、そう言われても」


 お姉ちゃんが僕らの意向を無視して勝手なことをいい、二人とも困惑する。僕と純さんは今日が初対面だというのに、まるで今のお姉ちゃんはお見合いおばさんみたいだ。


「別に嫌ってことはないでしょ。付き合えとまで言わないから、お互いに異性に慣れるようにすれば一石二鳥じゃない。世の中の人間半分は女でもう半分は男なのよ?ずっと苦手なままじゃあこれから苦労するわよ」


 どうやら文句を言わせるつもりはないらしい。それにお姉ちゃんが言うことも正しいので反論しづらい。このまま女の子と喋るのが苦手なままでいたって、時間が解決してくれるわけはない。

 純さんは「う〜」と唸りながらこちらをチラチラと見ている。純さんの方からは何も言えないみたいだ。


 余計なお世話だと言って突っぱねることもできるが、意外にもそんな気分にはならなかった。今まで男の人と思っていたからか、純さんと話すのはあまり緊張しない。女の人と知った時も、女性に対する苦手意識より、純さんの態度に合点がいったという気持ちの方が強かった。それに僕以上に異性が苦手そうな純さんを見ていると、不謹慎だけどなんだか落ち着いてしまう。

 初めは断ろうかと思っていたけど、ここはひとつお姉ちゃんの話に乗ってみることにした。


「わかったよお姉ちゃん、僕、ちょっと頑張ってみるね」

「えっ!?」


 僕の言葉にお姉ちゃんは「うんうん」と大きく頷いたが、僕が断ると思っていたのか、純さんは大きく驚いていた。


「い、いいのかい遥くん、ボクとしてもナツが言うことに思うところはあるけど、それに君まで付き合わなくてもいいんだよ?」


 純さんの言葉に僕は首を振り、純さんと目を合わせる。純さんは一瞬目を反らすもののすぐに視線を合わせた。そんな純さんを見て、僕も恥ずかしくなって目を背けたくなるが、これは僕の決意表明だ。ここで早くも折れるわけにはいかない。


「確かに女の子が苦手なんですけど、僕にとって純さんは他の女の子とは違う、安心できる感じがあります。だから、僕、純さんとならどうにかやれる気がします。どうか僕が少しだけでも女の子と話せるように手伝ってくれないでしょうか」


 言い終わると僕は「お願いします」と頭を下げて純さんに懇願した。お姉ちゃんの友達ということもあって、純さんはすでに僕にとっては話しやすい相手に分類されている。他の女の子が相手なら、僕はとても綺麗だなんて感想を口にすることはできないだろう。純さんは数少ない家族以外で話せる女性であるので、ここを逃すといつ女の子と話せるようになるチャンスが来るかわからない。

 僕のお願いを聞いた純さんは再び俯いて「う〜」と少しの間唸った後、顔を上げて僕の目を見て話す。


「わかった、ボクも腹をくくるよ。一緒に頑張ろう遥くん」


 さっきまでの唸っていた時のような顔ではなく、キリッとした顔になっている。純さんも覚悟を決めたようだ。お姉ちゃんはそれを見て「おお〜」と拍手をする。とても楽しそうだ。本当にただ面白がってるだけじゃないのだろうか。

 僕と純さんの特訓、みたいなものががこれから始まるのはいいとして、この件とはまた別に、僕は純さんに伝えたいことがあった。でもそれは言いにくいことなので、僕はまごつきながら口を開く。


「えっと、早速ですが一つお願いしたことがあるんですけど……」

「ん、なんだい?ボクができることならなんでも言ってくれていいよ」


 僕の言葉に純さんが頼もしげに胸を張って応えるが、そんな気を張られるような大層なことじゃない。本当にくだらないことだ。しかし僕としてはずっと気になっていることなので、言わずにはいられなかった。


「えっと、おかしなことを言うんですけど、僕のこと遥って呼んでくれませんか。なんだかそう呼ばれた方がしっくり来ると言うか」


 自分で言っておいてなんだけど、呼び捨てされたいなんてやっぱり変だ。僕は自分の言葉に恥ずかしくなって顔を赤らめるも、純さんは僕の言葉を聞いて最初に見せたような爽やかな笑顔を見せた。


「うん、君が言うなら。それじゃあこれからよろしくね、遥」


 そう言って純さんは僕に手を差し出した。僕は差し出された手を握り、今日二度目の握手を交わす。純さんの手は、やっぱり柔らかかった。


 その日から僕と純さんは二人で特訓を始めた。ここから先どうなったのかは、僕から話すのは恥ずかしいのであえて言葉にはしないでおこうと思う。

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