世界を超えた尼僧
「あれ……」
「私たちは、なにを……? 人が、消えて……」
秋葉たちが裁きから戻ってきた。店員二人は、まばたきをしながら体を起こす。
「大丈夫ですか? お疲れのようですね」
秋葉が言うと、彼らは自分たちがぼうっとしていたと、ひどく恐縮した。その間、クレーマーたちは全員ぽかんと口をあけ、鯉のような顔で宙を見つめている。
「……あの人たち、なにしてるんですか?」
「いやあ、あれからとっくりと人の道を説いて聞かせたら、随分恥じ入ってしまわれて。放心状態みたいですよ」
秋葉が言うと、店員たちは互いに顔を見合わせる。
「あの強者を説得……後学のために、コツを教えていただけますか」
「それは企業秘密で」
教えたところで、人には真似できない。
「とにかく、ああいう手合いを甘やかすとくせになりますからね。ちゃんと警察を呼んで、対応してもらってください」
「……あれ? あなたたちがが連れて行ってくれるんじゃないんですか?」
店員が鋭い指摘をしてきた。天目が露骨に目をそらす。早く援護しないと余計なことを口走りかねない。
「ああ、私たちは余所の地域でやってまして。勝手にこっちで動くと、ややこしいんです」
「それ、やっぱり本当なんですか! 小説とかでよく、警察の縄張りって言うじゃないですか。わー、始めて聞いた」
店員たちは勝手に納得してくれた。どうやら、秋葉と同じく『推理小説』という本を読んでいる人間らしい。面白いよねあれ、と秋葉は心の中でつぶやく。本当のところは秋葉も知らないが、助かった。
きちんと店員たちが「本物」に通報するのを見届けてから、秋葉たちは店を出た。もちろん、クレーマー避けに祝詞を唱えるのも忘れない。
すでに日は落ちかかり、空は橙色を帯びていた。二神は今日の仕事を終え、祠に戻ることにする。その途中で、自然に今日の仕置きの評価を下し合う。
「ちょっと時間かけすぎだろ、二件目は」
「そう? あれくらいじっとりねっとりゆっくり、思い知らせてやった方がよくない?」
秋葉が答えると、天目が真顔でこちらを見据えてきた。
「お前性格悪いな」
「そう?」
「……ま、腹立つ奴ら相手だからいいか。明日からも励めよ」
話を締めくくるように、わざとらしく天目がため息をついた。
☆☆☆
そんなこんなで、秋葉たちが地上に降りてから一年が過ぎ、五月の大型連休がやってきた。
秋葉たちの社へ続く、片列二車線の新しい道路は、朝から車でごったがえしていた。神社に一番近い駐車場はすでに満車で、今来ている車は第二の方を目指している。
押し寄せる客を見越して、参道で土産物屋や屋台がすでに待ち構えていた。まだみんな神社へ『行き』の途中なのですいているが、もう一時間もすれば混み合うだろう。今日は人が多い、と予測していた神主たちの顔も引き締まっている。
「この連休期間に休みがとれない方も、動ける親戚や友人に参拝を頼む。ここ数日は、特に物品の売れ行きが大きくなるぞ」
「お守りは通常の三倍用意しました」
「駐車場の警備員にも、よく気をつけるように言っておけよ。子供がひかれないようにな」
「分かりました」
「それと、ごみの始末。業者には期間中、朝夕の二回取りに来てもらうよう頼んである。忘れずにまとめて出してくれ。トイレは定期的に見回るように」
「了解」
「人が密集してきたら、列を作ってもらう。押し合いにならないよう、本殿前は特に注意してくれ。今日からの四日は、いつも以上にしっかり頼むぞ」
「はいっ」
本堂の中は活気に満ちている。袴姿の若い男や巫女たちが、次々と準備にとりかかった。
「みんなよく働くな」
「申し訳ない気分になるよね」
誰一人サボらず働いている人間たちを見て、秋葉はため息をついた。ありがたやと思いながら手を合わせる。
「人がすることだろ」
天目がつっこんでくる。しかし、気分の問題なのだ。
「一年前はこんなことになるなんて、思ってもみなかったな」
感謝の念を送る秋葉を見ながら、天目がつぶやいた。秋葉たちは、あれから真面目に毎日働いた。なんせ天目が辛気くさい祠が大嫌いで、帰りたくない帰りたくないと言うのだ。ぽつんといるのもわびしいので、秋葉も彼につきあって仕事をしていた。
そのおかげで、一人、また一人とクレーマーが減っていく。はじめは特に感謝もされなかったが、神主がボケ防止に始めた『いんたーねっと』とやらで一旦話題になると、人が押し寄せるようになったのだ。
人が来れば、土の道ではいかんと道路が舗装される。客を見込んで店ができ、宿が開く。そうなるとますます神社に人が増え、神主だけでは回らない。窮状を知ると、神主の息子が街から帰ってきてさっさと跡を継いだ。
かくして全てが生まれ変わり、祠は見違えるほど綺麗になった。
石畳は全て張り替えられ、鳥居も塗り直されて真っ赤に。しょぼくれ、苔に埋もれていた狛犬たちも、毎日巫女に拭いてもらったおかげで今や輝いている。参拝者が多いので、鳴らす鈴は五つもあった。夜は静かだが、日中はひっきりなしにガラガラと音がしている。
「本当ににぎやかになったね」
「正直うるさい時もあるが」
「今日からはまた人が多くなるから、きっと音が鳴りっぱなしだよ」
困ったなあ、と秋葉は頭をかく。その姿勢のまま、ふと壁を見ると、掛け軸から大神の頭が突き出ていた。
「ぎゃっ」
秋葉は悲鳴をあげるが、天目は大神に向かって手を振る。
「おうミナ、久しぶり」
「相変わらずね、天目。全く君たち、成長っぷりがすさまじすぎて、褒めていいのか叱っていいのかわかんないわよ」
愚痴を言いながら、大神の全身がずるんと出てきた。秋葉は慌てて姿勢を正す。
「僕たちも想定外でしたよ。ああ、座布団どうぞ……」
人間たちは出払っている。秋葉は大神に座布団を差し出した。それが軽く、相手の袖口に触れる。途端に大神が、吹っ飛ばされて壁に当たった。
「げぶぇ」
「大神!!」
「秋葉、力の加減忘れただろ」
「人相手じゃないから油断してたっ。大神、大丈夫ですか」
「全くもう、気をつけなさいよね!」
怒りながら、大神が起き上がってきた。後頭部に大きなこぶを作っている。
「神同士で殴り合ったら普通に怪我するのよ。昔教えたでしょうが」
「殴ったわけじゃないですよ」
「今のあんたは危険なのよ、気をつけなさい。そっちで寝てる天目もよっ」
「ほへー」
「まさか一年でこんなに強くなるとは。高天原が始まって以来の珍事だわ」
神の力は、信者の数が多いほど強くなる。神が把握している以上に、クレーマーに困っていた民が多かったのだろう。
「あたしだからこの程度で済むのよ。弱い神なら、さっきの一発で塵芥だからねっ」
「肝に銘じます」
「その力、どっかで発散してこなきゃね。ほっとくと暴発するわ」
「……実は、危ないんで、今はうかつに仕事できないんですよ」
秋葉たちの力が強くなりすぎて、油断するとやり過ぎるのだ。一度、クレーマーの体が肉片となって飛び散る寸前までいったことがある。
「万が一そんなことになったら、かえって店に迷惑なので」
「そりゃいきなり挽肉が出てきたら、商売どころじゃないわ」
「ただ、ずっと仕置きしないってわけにもいきませんし、どうしたものかとは思ってるんですが」
秋葉がそう言うと、大神はうなずいた。
「なるほど。好きでため込んでるわけじゃないのね」
「そうそう」
うつぶせの姿勢のまま、天目が会話に入ってきた。
「俺はもっと仕事がしたい」
「ため込んだ力を使う場があればありがたいのは、僕も一緒です。どこかないですかね」
秋葉が聞くと、大神は頭に手を当てて考えこんだ。
「ちょっと高天原で探してみるわー」
「ありが」
とうございます、まで言う前に、大神は姿を消していた。
「腰の軽い大将だね」
「単に何もしてなくて暇なんだろ」
「こらっ」
秋葉は相変わらずな天目をたしなめる。そろそろ時刻は、昼を回ろうとしていた。人手が頂点に達し、神主たちの動きがますます速くなる。
「応援してよっか」
秋葉と天目は並んで手を叩く。何度かやっているので、交互に拍子を取るのも慣れている。
「ん?」
手を叩いていると、秋葉は急に違和感を覚えた。横を向くと、いつの間にか自分の隣に大神が座っている。秋葉の視線に気づくと、大神はつまらなそうに口をとがらせる。
「えー、なんですぐ分かっちゃうのよ」
「一拍遅いんですよ」
「トロいとも言う」
「何さ、双子であたしをいじめて」
大神が堂を叩くと、建物が揺れた。怪我人が出てはかなわない。秋葉は速やかに話題を変えた。
「連休中です、やめてください。お早いお帰りでしたが、何か進展はありましたか」
「実は、面白い子が高天原に来てるの。あんたたちに会わせようと思って走ってきたのに」
「ありがと」
天目が供え物の饅頭を、大神に差し出しながら言った。一応彼なりに礼をしているのだ。
「ふふはほ」
「はい」
「ああ」
大神は饅頭をほおばりながら、雑に「行くわよ」と言って歩き出した。秋葉たちは、後を追いかける。
☆☆☆
久しぶりに訪れる高天原は、今度は人工的な町並みに変わっていた。石畳の道の両側に、白壁の家が並んでいる。家にはおもちゃのような出窓があり、洒落た首飾りや、何に使うか分からないような小さな鍵が見える。一つの家に対して三角錐状の屋根がいくつもついており、まるで木が固まって立っているかのようだ。
この前来た時は、滝が流れる大自然だったのに。……おそらく、大神が飽きたのだろうが。
その家々の前に、女が心細げにたたずんでいた。下界の僧服に似た、黒い衣服に身を包んでいる。女は、少し叩けば折れてしまいそうに細い。顔色も悪く、もう何日も食べていないように見えた。
「だいぶ景気の悪そうな神だな」
いつものことだが、天目が失礼なことを忌憚なく口にした。大神がそれを聞いて、首を横に振る。
「彼女は人間よ」
「へえ、珍しい。功をたてて神になられるんですか?」
「いや、彼女は違う世界から来たのよ」
秋葉は目を見開いた。宇宙は一つではなく、見ることはできなくとも、違う世界が存在することは知っていた。しかし、世界の移動は神ですら容易ではない。ただの女の身で、どうやって来たというのだろうか。
「あたしもそう思って、浄玻璃鏡で調べてみたわよ。でも、何度確認しても今の今まで彼女は『この世界にいなかった』。もうそうなったら、認めざるをえないじゃない」
「……確かに。でも、話を聞く前に、何か食べさせてあげた方がよさそうですよ」
秋葉がそう言うと同時に、女の体が斜めになった。危ない。秋葉が口に出す前に、天目が脱兎のごとく走り出す。
間一髪。間に合った。天目が女の華奢な体を抱きとめ、静かに床へ座らせる。
「こりゃまずいね、少彦名神でも呼ぶか」
大神がそう言って背中を向けた時、女がかっと目を見開いた。藍色の大きな瞳が、天目をとらえる。
「お願いでございます。お助けください。どうか、父を」
女にしがみつかれた天目が、どうしたものかという顔をした。
「あんた、今がいつでここがどこか、分かってんのかい」
大神が女に聞く。
「聖エーディト歴、一六四五年。ここがどこかは……わかりかねますが」
「ダメだこりゃ」
彼女には、異世界に来ているという自覚がまるでないようだ。天目が肩をすくめる。
「まあまあ。違う世界の人なんだからしょうがないじゃん」
天目をなだめてから、秋葉は黒衣の女に聞いた。
「父、とおっしゃいましたね。お亡くなりになられて、迷っておられるのでしょうか」
「まだ命はつないでおります。しかし、風の前の灯火に同じ、今まさに消えようとしております」
女の目に、どっと涙があふれた。




