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唯一の逃げ道

 そこは暗い洞窟の中。いくつも見える細い横道は、どこに通じているのか全くわからない。時々コウモリの集団が、甲高い声で鳴きながら飛んでいく。


「な、なにこれっ」

「落ち着け、動くんじゃない」

「すげー、おもしれー」


 うろたえるばかりの大人とは反対に、学生は好き勝手にあちこちを触る。秋葉あきはたちは笑いながら、その行動を観察していた。


 学生が横道の一つに入ろうとする。しかし、足を踏み出した途端、ものすごい勢いではね返された。


「げぶっ」

「アキちゃんっ」


 地面に転がる学生に母親が駆け寄り、助け起こす。彼女は目をつり上げ、通路をにらみつけた。


 細い通路の奥は、さっきと違って明るくなっている。その光の中に、幼い頃の学生が映っていた。女子が着るような青い筒状の服を着ている。


『アキちゃんは本当に良い子ね。ちゃんとお片付けできるし、優しいし』


 子供は、先生に頭をなでてもらって満足そうな顔をしている。非常にほほえましい光景だった。


「僕の、昔?」


 綺麗な先生を見て、学生がにやつき出した。しかし、天目あめのがそれに遠慮無くダメ出しをする。


「んなわけないだろ。お前は騒ぐわ散らかすわ他の子をいじめるわで、実際はこんな扱いだったんだよ」


 天目が指を鳴らすと、光の中の映像が切り替わる。さっきまで学生をなでていた先生が、同僚に向かって愚痴を言う場面だった。


『アキちゃんには困るわ。もう五歳なのに、何回言ってもちっとも片付けが出来ないんだもの』

『あれは親が悪いのよ。褒める子育てだかなんだか知らないけど、ちっとも叱らないから』

『……片付けないのは最悪、私たちがなんとかすればいいけど。小さい子のおもちゃを取り上げるのだけは、どうにかやめさせたいんですけどね。一度親御さんに連絡してみます』

『言ったって聞かないわよ。あそこ、親がモンスターなんだから。アレは将来、絶対ロクな大人にならないわ』


 先生たちから口々に罵られるのを聞いて、学生の顔からすっと血の気が引いた。そこで天目が口を開く。


「はい、これが現実ってやつね。最後まで見る?」

「ふざけんなよっ」


 学生が顔を真っ赤にして、地団駄を踏んだ。すると、彼の前の小道が消える。


「何だったのよ、あれはっ」


 息子と同じ、いやそれ以上に母親は怒り狂っている。しかし、父親はそれには乗らなかった。


「そんな映像にかまうな。早く出口を見つけないと、コウモリの餌になっちまうぞ」


 彼の言うことにも一理ある。しかし、これを聞いた妻は口を尖らせた。


「……あなたはいつもそうよね。アキちゃんのことは全部私に任せっきり。何かないと、興味すら持ってくれないんだわ」

「今する話か、それ」

「今だからこそよ」


 非常事態だというのに、夫婦はにらみ合いを始めてしまった。野次馬根性丸出しの天目が、手を叩いて喜んでいる。


 その間に、学生が他の道をのぞき込む。今度もまた映像が浮かび上がった。彼は少し成長し、黒い革鞄を背負っている。


『すごいわ、光人あきとくん。テストまた満点ですって』

『うちの子にも見習ってほしいわ』


 口々に、中年女性が学生を褒め称える。彼女たちは、それぞれ自分の子供らしき女の子を連れていた。どちらの子も目鼻立ちがはっきりしていて、かわいらしい。


『アキくん、すごいね。私に勉強教えて』

『あー、あたしが先だもん』


 うら若い女子が、学生を巡って言い争いを始めた。映像の中の学生は、困った表情で二人を見つめている……。


「うん、素晴らしい光景だね。まさに順風満帆。問題は、こんな会話は現実にはないってことだけど」


 秋葉が言うと、即座に映像が切り替わった。学生をほめそやしていた中年女性たち。彼女らの顔が、一瞬にして歪む。


『あの子、どうしたらいいのかしら。うちの子にしつこくつきまとって、一緒に勉強しようだって』

『あら、おたくもなの? こっちもなのよ。イヤならはっきり断りなさいって言ったんだけど』


 女性の片方が、大きくため息をついた。もう一人が、それを見て左右に手を振る。


『ああ、ダメダメ。うちなんてはっきり言ったのよ? 勉強なら友達とするって。そしたらなんて返事してきたと思う?』

『なになに?』

『僕とやった方が絶対成績上がるよ、ですって』

『やっだあ』

『ほんと、何様って感じよね。あの子の成績なんか、下から数えた方が早いくらいでしょ?』

『勉強の変なクセがつくと困るのよね。友達同士でダメなら、先生か塾に頼むわよ』


 ひとしきり、女たちはそうよねそうよねとお互いの労をなぐさめあった。すると画面に霞がかかり、今度はさっきの女児たちの場面に切り替わる。彼女たちは妙に後ろを気にしながら、住宅街を歩いていた。


『まいた?』

『大丈夫大丈夫。ついてきてない』

『良かったー』

『あいつ足遅いから、走って帰れば大丈夫みたい。次からそうしよ』


 二人の少女はようやく辺りに注意をはらうのをやめ、はじけるように笑い出した。


『あいつホントどーかしてるよね。勉強できないくせに、みんなに教えたがるし』

『でも、小島さんに〝教えるならもっと勉強して〟って本気で怒られてたじゃん。あのとき悔しがってたねえ』

『だからって、カンニングまでする?』

『しかも即バレて、クラス全員知ってるって。あれでよく学校こられるよね』


 大人びた仕草で、少女たちが肩をすくめる。


『ま、バレてから前ほどしつこく声かけてこなくなったからいいじゃん。今度誘われたら、断りやすいし』

『カンニングした奴に教わる事なんてないもんね。あー、そう思ったらすっきりした』

『ね、今月のプチアル買った?』


 それから話題が雑誌のことになり、学生についての話は打ち切りになった。少女たちが楽しそうに遠ざかっていくのとは反対に、学生の目が血走っていく。


「違う、こんなの違う」

「君の人生は『こんなの』だよ。こうなる生き方しかしてこなかったんだから。……それは今も続いてる」


 秋葉に言い返されて、学生が言葉に詰まる。しかしここで、学生の腕を父親が引っ張った。


「とっとと出口を探せっ。こんな茶番に付き合うんじゃない」


 ぶつくさ言っていた母親も、元気を取り戻した。今度は大人たちが、片っ端から細道をのぞきこみ始める。


 しかし、秋葉たちは相手が変わっても追及の手を緩めない。今度は、大人たちに理想と現実の差を突きつける番だ。


 母親がのぞき込んだ道には、若い頃の彼女がうつっていた。まとっている品はどれも素材の良さが見て取れる、高級品だ。


町島まちしまさん、そのバッグかわいい』

『いつもおしゃれねー』


 彼女を取り巻く女性たちから、しきりに羨望の声があがる。映像の中の彼女は、なんでもないと言いたげな顔で手を振っていた。


『いただきものもあるし……そんなに気を遣ってるわけじゃ』

『え、もらったって彼氏!? いいなあ、お金持ちの彼』

『そういうわけじゃないけど……』


 映像の中では、さらに周りの女性が質問を重ねている。彼女への興味が尽きることはないようだ。


 天目がぱちっと指を鳴らすと、映像の中の場所が変わった。更衣室で、女性たちがぺちゃくちゃしゃべりながら着替えをしている。


『今日あいつ、また新しいバッグ持ってきてたよね。見た?』

『見た見た。あれ、カウチの新作でしょ? 結構高いやつだよね。ほんとにもらいものなのかな』

『そんなわけないじゃん。あいつ、何回か持ってきたらすぐ質屋で売るんだよ。そのお金とカード払いで、また新しいの買うの』

『うわ、何それダッサ』

『だから、ちょっとしてから〝前の見せて〟って言っても絶対持ってこないからね。とにかく自慢したくて仕方無いんでしょ』

『あいつ自慢話しかしないもんね。あーあ、とっとと三流会社の彼と結婚していなくなってくれないかな』


 きゃはは、と女性たちが一斉に笑い出す。顔を真っ赤にしている母親に向かって、秋葉は声をかけた。


「モノを見せびらかせば、みんな感心してくれると思ってたの? 底が浅いね」

「黙れえええ!!」


 キレた母親は足下の小石をつかみ、秋葉に向かって投げつける。しかし、そんなものが当たるはずもない。小石は無様に、岩肌に当たってはね返った。


「自分の人生、そんなにつまんなかった? それで子供を過剰に甘やかして楽しんでたの? 誰のためにもならないのに」


 確かに幼い子供は親にすがる。自分が注目されたくてたまらない人間にすれば、嬉しくて仕方の無い体験だろう。しかし、子供はいつか成長して親の手を離れていく。甘やかすだけでは、どうにもならなくなる時が来るのだ。


 だが、秋葉の目の前の母は、あくまで現実を拒否した。


「私は……失敗なんてしてない。あの子の子育てだって、間違ってない。何か間違えたとしたら」


 母親は固く手を握り、前方で分岐を探っている夫を見つめた。その目に愛情はなく、憎しみの炎が燃えている。


「あいつと結婚したことだけよ。安月給のくせに偉そうで、私は我慢させられてばっかり。本当にハズレを引いたわ」

「ふーん」


 秋葉はつぶやき、父親の方に目をやった。手前側の道は全て、子供と母親が拒否したせいで塞がれてしまったため、彼はひたすら奥を探索している。


 父親の頭上には、天目がしっかり張り付いていた。妻と同じように取り乱すその姿を、決して逃がさんとばかりに見張っている。


 ようやく、分岐に父親が入った。しかし、しばらくすると頭をかきむしりながら、走り出てくる。


「あーあ、やっぱダメか」

「う……嘘に決まっている。俺が、俺があんなことを言われていいはずがない」

「あんなこと、というと」


 天目はにやにやしながら、父親の傷をえぐりにかかった。


「『年齢の割に全然知識が無い』とか」

「むぐっ」

「『実力がないくせに、あんなに偉そうにしていられる理由が分からない』『エロ話しか話題がなくて、正直どこも一緒に行きたくない』『自分の稼ぎを自慢するくせに、びっくりするほどケチ』……まあ出るわ出るわ」

「わ、私が出来すぎるから、嫉妬する奴がいるんだっ」

「よくぞまあ言えたもんだ。その自信を努力しつつ持ち続けたら、本当に成功したろうにな」


 天目は父親を挑発するように、空中で一回転した。


「あげくのはてが、身分詐称で他人を脅すしか能が無くなったわけだ。絵に描いたような転落人生だな」

「なんだとっ。降りてこい、ガキが」


 天目に向かって、父親は腕を振り上げる。しかし、彼の後ろにではそんなことよりもっと重大な事件が起こっていた。


「あーあ、あんなに道があったのに。全部ふさがっちゃったなあ」


 秋葉がつぶやくと同時に、洞窟の奥から地響きが聞こえてきた。洞窟の最奥から、ゆっくりと巨大な岩が迫ってきている。それを見た天目が、体をよじって笑い出した。一家はようやくことの重大さに気づき、怯えた顔をして身を寄せ合う。


 人間たちは逃げ道がないかと目をこらすが、洞窟はすでに一本道と化して、どこにも隠れられる場所はない。


 人間たちの顔が青ざめた。厳しいように見えるあの分岐に向き合うことこそが、惨事から逃れる道だったと悟ったのだろう。しかし、今となってはもう遅い。


 完全に腰を抜かした息子の前で、夫婦はわめき合っている。どちらが岩に近い位置に陣取るかでもめているようだ。


「この状況じゃどっちでも一緒だろ。……つくづくお前ら、似合いの夫婦だよ」


 天目が、秋葉の思いを代弁してくれた。その声が消えると、大岩の転がる速度が上がる。


「夜叉たち、手加減はしなくていいよ。やっちゃって」


 秋葉が言うと、岩を押していた夜叉が嬉しそうに鳴く。彼らは、迷うことなくそのまま人間たちに向かって突進した。


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