はじめてのおさばき
天目が黙って、下を指さした。よく見ると、崖と崖の隙間に、岩がはさまっている。その上に、さっきの全身灰色女がいた。
「こ、ここ、どこよっ!? 誰か、誰かいないの!?」
女は岩の上で歩き回り、崖を手でたたく。もちろん、びくともしない。
次に下をのぞきこんだが、毒々しい赤色の川には入る気になれなかったらしい。そろそろと首をひっこめた。
女が元の位置に戻ったところで、天目が指を鳴らす。すると、大岩が崖に沿って上昇し始めた。
「ひぇっ」
女があわてて岩にはいつくばる。そのみじめな姿を見て、天目がため息をついた。
さらに岩は上昇し、みるみる地面が遠くなる。
「人の子よ。さっきから一体、何をそんなにわめいているのですか」
秋葉が、あえて馬鹿丁寧に聞く。
「あんたたちがこんなところに連れてきたからでしょうが! どうしてくれんの、あたしは忙しいのよっ」
「店員にいちゃもんつける時間はあるくせに」
天目がいつもの口調でつぶやく。女が顔を真っ赤にして叫んだ。
「あれはあいつがノロマだから、わざわざ私が『お客への対応』ってのを教えてやってるだけよっ。さっきから一体あんた、何様のつもりなの」
「神様」
「は?」
「そうでもなければ、この状況に説明がつかないだろ」
女は言い返せなかった。このやりとりの間にも、岩はまだ上昇し続けている。女が身震いをし始めた。
「……あんたらがこんな馬鹿なことを始めたんだったら、早く元に戻してよ!」
「戻れるぞ。そこから飛び降りて、川に飛び込めばな」
やってみようと思ったのか、女が再度岩の下をのぞき込む。しかしそれと同時に、川の中から鋭い針が何本も飛び出してきた。
「ひいっ」
女が腰を抜かした。天目が面白そうに言う。
「どうした? 元の世界に帰りたいんだろう? それならさっさと飛び込め。今が最後の機会だぞ」
「むちゃくちゃ言うんじゃないわよっ。出来ることと出来ないことってのがあるでしょうが!」
「ほほう。口はよく回りますね。しかしそれがわかっているのなら、さっきのあれが無茶だったことも分かるのでは?」
「何度言わせるの! 私は間違ってない!!」
秋葉は機会を与えたが、女は食い下がった。とうとう天目がしびれを切らす。
「もういい。貴様が芯から腐っていることは、よくわかった。裁きは決定」
天目がそう言い終わった時、女と岩が崖のてっぺんまでやってきた。慌てて崖に移ろうとする女に向かって、双子神は鋏を構える。
「待って、待って。わかった、わかったから――」
女がもがき出した。秋葉は構わず、口を結んで走り出す。女の首を刃の内側に収めると、一気に持ち手を閉じた。
女の首が消えると同時に、刑場が崩壊を始める。間もなく、なにも見えなくなった。
☆☆☆
次に秋葉の意識が戻った時には、元の店に戻ってきていた。人形のように止まっていた店員がふっと動きだし、女に説明を始める。
しかし、女の態度がさっきとは百八十度違っていた。ぽかんと口を開けたまま、大人しく最後まで店員の言うことを聞いている。そして言った。
「で、私は一体……何をすればいいんでしょうか……」
「え、できればこれをお持ち帰りいただければ」
「どうも……」
女は店員が差し出した時計を受け取り、のろのろと出口に向かった。その場に残された店員が、狐につままれたような顔で彼女の動向を見守る。
女が店を出て行ったのを確認すると、店員がほっと息をついた。それを見ると、秋葉の気持ちも和む。
「良いことをした」
天目も横で笑っている。とりあえず初仕事は成功だ。秋葉たちは手をたたきあった。
「初めてにしてはなかなかね。やあ、結構結構」
ぬっと大神が現われた。今度は電気釜の中からお出ましである。最高神だという自覚はあるのだろうか。
「お褒めいただきありがとうございます」
「しかし、まだ詰めが甘いね。あの女から感情の一部をはぎ取ったのはいいけど、ほとぼりが冷めたらまた戻ってくるわよ」
大神は笑いながら、不吉なことを口にした。
「それでは、彼を本当に救ったとは言えませんね。また僕らがここに来ましょうか?」
「いや、それはダメよ。困っているのは彼一人じゃないんだから」
しかし、それも無責任な気がする。秋葉が困っていると、大神がいたずらっぽく笑った。
「方法はあるわ。結界を張るの」
「結界?」
「そうよー。祝詞をとなえれば、不浄なものは近づけなくなるの。あの女だけじゃなく、クレーマー全体がここから足が遠のくわ」
「祝詞にそんな効果が……」
「もちろん、永続的なものじゃないから、あふたーけあはいるけどね。さっ、唱えた唱えた」
大神に言われて、秋葉は一歩踏み出した。天目も歩調をそろえる。
天地の初めの時
高天の原に成りませる神の御名において豊寿く
八百万の神 諸共に
大神の指示に従い、秋葉たちは店の中で舞う。すると、たちこめていた瘴気が引いていった。
「これでよし」
満足そうな大神に、秋葉は聞いてみた。
「他の店でまたあの女が無茶するのを見たら、同じ対応でいいんですね」
「そうだよ。何回でもおしおきしてあげて」
「そのうち、行ける店がなくなるな」
天目が笑うと、大神が髪をいじりながらうなずいた。
「それでいいわよ。他人の作る物が何もかも気に入らないってんなら、山奥で霞でも食えっての」
「想像したら愉快になってきたな。もう一人いくか」
天目はそう言ってしきりに秋葉の腕を引く。しかし、秋葉は乗り気になれなかった。
さっきから妙に、右手の鋏が重く感じるのだ。もう一度やったら、同じように投げられる自信が無い。今日は色々ありすぎて、秋葉にはついていけなくなったようだ。
そのことを天目に告げると、さみしそうな顔をしたが、「行く」とは言わなくなった。
「仲良しでいいわねえ」
大神が横でほくそ笑む。あわてて秋葉は訂正した。
「からかわないでください」
「神の恋愛には性別なんて厄介な概念はないからね」
「…………」
「じっとりにらまないでちょうだいよ、冗談だったら。ねー、せっかく住むところまで用意してあるんだから、すねないの」
この一言に、天目が反応した。
「住むところ? 祠か」
「そうよ。いちいち下界から高天原まで帰るの、面倒でしょ」
なんだかモノでごまかされた感じはするが、自分の名前がついた場所というのは気になる。今から案内する、と言われて、秋葉は矛を収めた。