使命はクレーマー退治
秋葉の耳に、どどう、と水が落ちる音が聞こえてくる。風から潮臭さが消え、さわやかな若葉の香りが混じった。
氷、海、そして次はなんだ。大神のおわすところは何でもありと聞いていたが、まさかここまでとは。自分の周りはどうなっているのだろう。
好奇心に誘われ、秋葉はゆっくり目を開けた。すると、真っ先に見えたのは巨大な滝だった。
よく見ると、一本ではない。何十本もの細い滝が、台状の大岩の上から絶え間なく水を吐き出している。滝の前には削れた石が積み重なり、今にも崩れそうだ。秋葉たちの舟が進む川の中にも、ちょくちょく岩が顔を出している。
「おおー」
手近な岩を、天目がガンガン叩く。岩の破片が散り、すぐに銀の粉に変わる。その粉は、風に吹かれてどこかへ消えていった。
「あーあ」
「あまりおイタをしないでちょうだいね。けっこう頑張って作ってるのよ、これ」
天目の無茶を咎める声が、頭上から聞こえてきた。それと同時に、舟が水面から浮き上がる。
「うわっ」
「なんだこれ、面白いな」
「お願いだから身を乗り出さないでっ」
秋葉が大騒ぎしている間にも、舟は巨大な岩に沿って上昇していく。天目がようやく座った時には、岩の頂上にたどりついていた。
水を吐き続ける滝の上に、大神が立っている。やってくる水をものともせず、優雅に足先だけを水に浸して遊んでいた。
見た目は人の形をしているが、顔は男とも女とも取れる。肩まで伸ばした金髪は、下手くそな美容師が切ったかのように、毛先がふぞろいだ。その髪の下から、太めの眉と、厳しそうな三白眼がのぞいている。
大神の衣装は、秋葉たちと違って豪華きわまりない。上半身は、まばゆく輝く石がちりばめられた頭布、襟元にびっしり蔓草が刺繍された着物。
下半身は、丸と四角が複雑にからみあった意匠の前掛けと、その下に広がる白袴。栄華を夢見るものなら、一度はあこがれる豪華なしつらえだった。
しかし肝心の大神はたいそうな衣装を気にしている様子はなく、露出したヘソのあたりをボリボリかいていた。
「さっきは天目が失礼いたしました、天之御中主神さま」
だらしなくても、これは大神だ。秋葉は丁寧に相棒の手落ちを詫びた。
「……自分で言うのもなんだけど、あたしの名前って長いよねえ。どうしてこの名なんだろ。挨拶だけで日が暮れてしまうよ」
「じゃあミナって呼ぶわ。最初の文字取ると、俺と名前かぶるし」
「お前ね」
高天原に最初に降り立ち、宇宙そのものとまで言われる大神にも、天目は平気で軽口をたたく。横で聞いている秋葉は、気が休まらない。
「あはは、ミナか。そいつはいいね、短くて。舌を噛まなくて済むわ」
意外なことに、大神は手を叩いて喜んでいる。神の機嫌が悪くならないうちに、秋葉は話を切り出した。
「僕たちはなんの神になるのでしょう」
「ああ、その話をしないとねえ」
「できるだけ穏やかにお願いします……」
秋葉がおずおずと切り出すと、大神は笑いながら首を横に振った。
「残念だねえ、その反対だよ。仏ちゃんの使いに、十二神将ってのがいるだろう。うちにも下界にああいう神が必要でね」
秋葉は必死に自分の記憶をたぐった。十二神将といえば、仏法に仇なすものを罰する神々であったはずだ。
これはずいぶん荒っぽいことになりそうだぞ。秋葉は内心ため息をつく。
「暴れるのが仕事か」
「そうよ、せいぜい派手にやってね」
「いいな」
天目の目が輝いてきた。
「分かった。武器はかっこいいのがいい。二段階くらい変形するとなおよし」
「お、浪漫があるねえ」
勉強には興味がないが、天目はどうでもいいことにこだわる。このまま放っておくと勝手に盛り上がりそうなので、秋葉は大神に声をかけた。
「具体的になにを退治すればいいんですか?」
下界は今、物騒だ。刃物を使った斬り合いどころか、自分の体に爆弾を巻き付けたまま、人混みにつっこむ奴までいるという。そういう人種と殴り合うとしたら、なかなか骨が折れそうだ。
「いや、そういうのじゃなくてね。殴ってもらうのは『くれーまー』なの」
「くれーまー?」
聞き覚えのない単語に、秋葉は首をひねる。大神はふむ、とつぶやきながら、顎に手を当てた。
「比較的新しい言葉だから、秋葉が知らなくて当然か。要は、自分の要求を通すために相手に無茶を強いる奴ら、くらいに思っておけばいいや」
「意見を言うくらいは、誰でもするでしょう。それを取り締まってたら、きりがないですよ」
「いや、こいつらと普通の人間は違うんだって。とにかく自分が最優先、人の話を聞かない、聞いたとしても都合のいいところだけ切り取る。あげくの果てには、満足するまで延々としゃべり倒す」
「クズだな」
顔をしかめた天目が、ばっさり切り捨てる。しかし今回は、秋葉も彼と同じ意見だった。
「でも、そんな客は店の方がたたき出すでしょう。そいつら以外にも、客はいっぱいいるんだから」
「そこが今の下界のおかしなところでねえ。全てのお客様は『神様』なんだってさ」
「は?」
変な言い分に、秋葉は顔をしかめた。よほど特別なことをして歴史に名を残せば別だが、そうやすやすと人が神にはなれはしない。
「これはまあ、もののたとえだね。客のことを、従業員はまるで神のごとくあがめたてまつり、一度たりとも不快にさせてはならない、と。そういうことらしいよ」
「言い出した奴の頭がおかしい」
天目がぼそっと言った。よほど腹が立ったのか、目が据わっている。
「元々その言葉を作った人間は、そんなつもりじゃなかったんだけどねえ。どこぞの馬鹿が都合のいいように広めただけだよ」
大神が息を吐き出し、肩をすくめる。
「しかし、これを真に受けるやつもいてね。下っ端がなにか苦情を受けると、わたくしどもが悪うございましたと頭を下げさせる」
「自分も一緒に頭を下げるんですか?」
「んなわけないだろ」
秋葉の腹も、良い感じに煮えくりかえってきた。下界が根こそぎ狂ってきたのかと思えてくる。
「言う方も、相手が反論できないことを分かってるから、ますます調子に乗る。上は誰もが見て見ぬふり。一番かわいそうなのは下っ端さ。君ら、どうにかしてやりたいと思わないかね」
「思います」
「塵にしてやる」
秋葉と天目は、そろって声をあげた。大神がそれを見て、にんまり笑う。
「なら話は早い。新たな神将、ここに誕生というわけだ。弱きを助け強きをくじき、人の世に恨みが満ちぬよう見守ってくれ」
「はい。大神と同じようにいたします」
秋葉が言うと、大神は妙に目をきょときょと動かした。すかさず天目が食いつく。
「ん? どうした? 何か嘘でもついてるのか?」
「……いや、嘘ではないんだけどねえ。正直あたしは仕事してないから。同じって言われると困るなって」
「さらっとクズ宣言しないでもらえます?」
秋葉が呆れて言うと、大神は慌てて弁解してきた。
「だってさー、下の人間たちがあんまり面白いことしなくなって、つまんないんだもん。それもね、くれーまーのせいなんだよ」
「どういうことですか?」
「くれーまーは自分たちのやり方を変えたくないから、目新しいことをしてる人を叩くのが大好きなんだ。結局、面白いものが出てこなくなっちゃう」
「聞けば聞くほど役に立たない連中ですね」
大神を責めるのも忘れて、秋葉は腕を組んだ。
「うん。だからね、ガンガン処分しちゃっていいよ」
話がそれたのが嬉しいのか、妙ににやついた顔をしながら大神が言った。