いざ、大神のもとへ
秋葉が再び意識を取り戻した時、目の前には海が広がっていた。大きく青い水の塊は、端が白霧に包まれている。水面に、秋葉と天目の姿がうつっていた。
「久しぶりに見る海だね」
「いや、海じゃないだろ。波が起こらない……湖だ」
天目に言われて、秋葉はもう一度水面を見つめる。確かに、そこは鏡張りのように凪いでいた。
風にまぎれて、ぴしりと音がした。天目が身を乗り出す。秋葉もそれに続いた。
目の前で、信じられないことが起こっていた。巨大な湖が、凍っていく。あっという間に、表面が分厚い氷で閉ざされる。さらに、秋葉たちの前の氷だけが厚さを変える。
湖の中央に、純白の大きな道ができた。曲がりもくねりもせず、ただひたすらにまっすぐ、秋葉と天目を導いている。
「……これは派手なことをする。良いな」
華やかなことが大好きな天目が、声をはずませた。一目散に、氷の道まで走って行く。
秋葉も後を追った。氷の道は、やすりで削ったようになめらかだ。氷を蹴飛ばしながら滑っていく天目の口から、鼻歌が漏れる。しかししばらくするとそれにも飽きたらしく、彼が振り返った。
「秋葉、俺たちは一体どんな神になるんだろう」
秋葉は首をひねった。神候補の魂は、一定期間の修行を終えた後、勝ち得た霊格や個々の性格によって、なるべき器が決められる。よほど優秀であれば、魂の出した希望が聞き入れられることもあるが、秋葉たちはそんなことにはならないだろう。
「あんまり強い神様にはならないんじゃないの」
「どうした。最初からそんな弱腰では始まらんぞ。俺は、花の神がいい。春になればぱっと咲いて、皆が俺を愛でに来る」
「ああ、天目はちやほやされたい方だもんね」
生返事をしながら、内心で「無理だろうな」と秋葉はつぶやいた。見目麗しいのはいいが、とにかく天目は考えるのが苦手かつやることが雑なのだ。三回に二回計算を間違い、四角い部屋は丸く掃く。花なんて任せたら、春どころか秋になっても咲いているだろう。
そんな彼がつとめられるものといえばなんだ。大雑把さが生かせて、できるだけ下界に影響のない仕事。そして華やか。
「……紙吹雪とかどう」
「活躍の場が狭くないか」
「だって、多少増えたり減ったりしても誰も困らないし。使われるのは祝いの場だし。天目には向いてると思うけど」
「嫌だ」
形のいいあごをそらして、天目がそっぽを向いた。秋葉はため息をついて、それ以上の提案をやめる。
「おい、秋葉。そろそろ湖が終わるぞ」
天目に言われて、秋葉は顔を上げた。確かに湖が途切れ、雪の積もった陸地が見える。さらに奥に洞窟があり、その前には氷を積んで作った小屋が建っていた。
「まだ歩くのか」
天目がつまらなさそうに言う。すると、小屋から老人が出てきた。彼は痩せている上にボロをまとっているが、穏やかな笑みを浮かべている。
「これより大神のもとへ行かれる子らよ。よくここまで辛抱しました」
「待ちくたびれて死ぬかと思った」
「こらっ」
言いたい放題の天目を、秋葉は急いでたしなめた。しかし、老人は全く表情を崩さぬまま、洞窟を指さす。
「子らよ、ここはまだ道の途中。大神がおわすはまだ先です。洞窟の中の小舟にお乗りなさい。正しく資格があるならば、いずれ神の御所にたどり着きましょう」
「舟に乗ればいいんだな。じいさん、ありがとう」
老人が情緒たっぷりに語っているというのに、天目にかかればばっさり切られてしまう。秋葉は申し訳なくなって、頭を下げた。
「秋葉、何してる? 置いていくぞ」
すでに洞窟の入り口に片足をかけている天目が叫ぶ。
「はいはい、わかりましたよ」
秋葉は早足で雪原を駆け抜けた。天目と並び、洞窟の中をのぞき込む。発光コケでもいるのか、ぼんやり明るい。
その淡い光に照らされて、洞窟の中まで張った氷が時々光る。床にある大小様々な多角形の氷は、深い青色をしていた。
「氷なのに青いぞ」
天目が床を指さして言った。
「氷になるときに圧力がかかったんだね。気泡が少ないから青く見えるんだよ」
「お前、物知りだな」
「待ってる間に、他の魂から色々話を聞いてたんだよ」
あの灰色の場所で裁可を待つまでは、神候補であっても自由に動けていた。そのため、しょっちゅう下界に顔を出すものもいれば、引きこもりに近い生活をするものもいる。待ちに入ってからはひたすら暇なので、秋葉は下界に行っていた魂を捕まえて話を聞いていた。
「天目はなにもしないんだから」
「俺だって寝るのに忙しかった。起きて苛々するより建設的だ」
「それは怠けてるだけだよ」
「なにおう」
言い返せずにむくれる天目を置いて、秋葉は氷を踏み越えようとした。すると、地響きをあげながら氷塊が左右に分かれていく。しばらくすると、全ての氷が完全に両側の壁にくっついた。
「なるほどね」
「なにがだ」
秋葉がうなずいていると、天目が横でぼやいた。
「さっきのおじいさんが、『正しく資格があるなら』って言ってただろ。合格してない魂が来ると、この氷が道をふさいじゃうんじゃない」
「おお、意地が悪いな」
「変な魂が迷い込んだら困るからでしょ。僕たちはいいみたいだから、先を急ごうよ」
「分かった」
珍しく、秋葉が先に歩き出した。洞窟内で動くものはない。氷ばかりで、生き物はいないのだろう。時々秋葉たちのために氷が動くと、その時の音だけがわんわんとよく響いた。
黙々と歩き続ける。すると、流れてくる風が変わってきた。
「潮のにおいだ」
秋葉は声をあげた。わずかに湿った、海辺特有のまとわりつくような匂いが秋葉の体をなでていく。進むにつれて、匂いはどんどん濃くなっていった。
「きたな」
「うん、きっとこの先で舟に乗れるよ」
秋葉が言った通りになった。洞窟の最奥には水が押し寄せていて、白い石造りの舟が浮いている。舟自身が白く輝き、秋葉たちに「早く乗れ」と言っているかのようだ。
「この舟は月長石かな」
「なんでもいいや」
船に乗り込み、天目が寝そべる。秋葉も乗ったところで、静かに舟が動き出した。時々左右にかしぐが、行き先は決まっているようだ。こがなくても勝手に進んでいく。
徐々に舟が岸から離れていくと、辺りが暗くなってきた。さらに進むと、舟の周り以外は何も見えなくなる。天目が退屈して、秋葉の袖を引っ張ってきた。
「やめてよ」
秋葉がそう言ったところで、舟の光が一気に消えた。本当に指先すら見えない、漆黒の闇の中に放り込まれる。
「こ、これ何かな」
「地獄にでも行くんじゃねえの」
「やめてよ」
秋葉は不安になって、天目の隣まで移動した。天目と背中を合わせると、少し気持ちが落ち着く。
「む、動きにくいぞ」
「さっきまで寝てたじゃん」
「怖いのか」
「ああ怖いよ。笑いたいなら笑いなよ」
「はっはっはっ」
自分で言ったものの、洞窟中に響くような大声でやられると流石に腹が立つ。秋葉は思い切り、天目の背中を押した。
「つぶれる」
「ええい、一回痛い目にあえ」
秋葉がさらに腕に力をこめた時、不意に光が差し込んできた。
「出口だ!」
秋葉と天目は、前方を見た。舟の先に丸い口があいて、そこから光が差し込んでいる。光が当たったところだけ、海本来の青い色が戻っていた。出口に近いほど水色に近く、遠いほど濃い青だ。
「すごいな」
天目が興奮してうろつくので、舟が揺れる。それでも舟は着実に進み続け、出口に飛び込んだ。
強い光に、目がくらむ。秋葉はとっさに目を閉じ、拳を握った。