王宮追いかけっこ
そろそろ日が昇り始め、街に人通りが多くなってきた頃。秋葉は、決死の覚悟と共に街へ降り立った。道行く住民たちの注目が集まるのを感じ取って、頭に血が昇る。
ええい、もう自棄だ。
現場に立ってしまうと、かえって腹がすわる。秋葉は大きく息を吸った。
〝ある時ある街あるところ 大きな鐘がそびえ立つ〟
思ったより滑らかに歌い出すことができた。秋葉は指を鳴らす。空中に小さな琴が現れ、ラウルが編曲した旋律を奏で始めた。
〝大きな鐘のある広場 一人の騎士が治めし場〟
音楽につられて、秋葉の周りに人が集まってきた。その中には好色そうな男たちも混じっていたが、無視して先を歌う。
〝騎士は強く たくましく
街のいのちと 称えられ
そうして いくつか 日が落ちる〟
音楽が盛り上がってきた。聴衆から手拍子が入る。次第に路地が活気を帯びた。
〝やってきたのは 凍る夏
日射しも風も 街を過ぎ
穀物残らず 枯れ落ちた〟
〝死人の群れが 道覆い
誰もが嘆く その時に
女が一人 捕らわれる〟
歌は核心へと近づいていった。だんだん自分たちの置かれている状況に似てきたからか、住民たちが顔を見合わせる。
〝悪魔は牢へ 呪いが解ける
喜びの声 地を満たし
老いも若きも 鐘の地へ〟
〝鐘の横から 騎士叫ぶ
女はすでに 立ち去った
畑へ戻れ 地を満たせ〟
ざわ、と明らかに人の群れがうねった。体の大きな男が、顔を真っ赤にして進み出てくる。秋葉は少し指を動かして、男を川へたたき落とした。
〝それでも声は まだ絶えぬ
耕す畑は すでに無い
悪魔の血潮で 購えと〟
〝これ聞き騎士が 口開く
裁きし槌は 神の手に
汝はいずれの 神なりや?〟
怒り狂った騎士たちが武器を掲げるのが見えた。しかしどの騎士も、秋葉に近づくことすら叶わず、泡を吹いて失神する。
〝民草 頭を深く垂れ
おのが家路に つきし夜
ある時ある街あるところ 静かに月が 昇りゆく〟
秋葉は丸々歌いきった。うやうやしく民に向かってお辞儀をすると、まばらな拍手が降ってくる。小銭を投げる奇特なものもいた。もう一曲、と外野から声がかかる。秋葉はそれを聞きながら、気持ちよく姿を消した。
再び秋葉が姿を現したのは、歌った路地の近くにある家。そこにはラウルがいて、不敵な笑みを浮かべている。
「な、集まってたろ? 人」
秋葉はラウルに向かって、思いっきり舌を出してやる。
「邪悪な念も感じましたけどね」
「そういう輩もいるさ」
「力さえあったら、もっとひどい罰を与えたのに」
「はいはい、ぶつくさ言わねえの。次はこれと同じ格好してくれよ」
ラウルの手には、今度は藤色をした細身の礼服が握られていた。
「……聞きたかったんですけど、なんでそんなにポンポン女物の服が出てくるんですか?」
「昔、親父がメイドに着せて楽しんでた名残」
「ほんと暇な貴族ってろくなことしない」
秋葉はむっとしながら、ラウルの手から服をむしり取った。
☆☆☆
「……来たはいいが、ここはどこだ」
「あ、痛たたた」
歩きでは数日かかる距離を一足飛びにやってきたが、天目の体はなんともない。しかし人間のバルトロはぐったりしていた。
「起きろー」
天目がバルトロの頭をはたいていると、後方がにわかに騒がしくなってきた。
「い、一体どこから入ってきたのだ」
天目が振り向くと、立派な身なりをした老人が立っていた。老人の顔半分は、ふかふかした白髭に覆われている。
「な、何故にじり寄ってくる」
髭を思いっきりいじくり回してみたい。もしゃもしゃして羊のようで、とても触り心地が良さそうだ。天目は自分の衝動に従った。
「ジェロニモ、私だ。頼むから話を聞いてくれ」
「その前にこの子供をなんとかしろっ」
ジェロニモの要請を受けて、バルトロが後ろから天目の甲冑を引っ張ってくる。しかし人間にやられたところでどうということもない。もふもふ万歳。……と天目がたかをくくっていると、背後から鋭い痛みが襲ってきた。
天目が顔をしかめて振り返ると、脇腹に夜叉が一匹かみついている。バルトロが怯えた顔で話し出した。
「秋葉さまから何かあったら使えと言われてまして……」
「抜け目のない奴め」
双子の片割れに向かって、天目は悪態をついた。もふもふは惜しかったが、痛みに負けて手を離す。
「なんなのだ、この無礼な振る舞いはっ。バルトロ、君がいなければ叩きだしているところだぞ」
「すまん、君の言う通り。ただ、今日はこの方が、陛下に良い話を持ってきたのだ」
バルトロが話を持ちかけたが、ジェロニモは全く取り合わない。
「そんなに大事な用なら、まずは宮内府に手紙を送ってから謁見の許しを得るのが筋だろう。いきなり来て会いたいなどと……何様のつもりだね」
「神様」
天目が悪びれなく言うと、ジェロニモに思い切りにらまれた。
「不敬にもほどがあろう! ええい、兵を呼ぶぞ」
動き出したジェロニモに向かって、バルトロが必死に頭を下げる。
「待て、待ってくれ。その方は真の神の使いでいらっしゃるのだ。あの地獄の監獄塔から、私を救い出してくださったのだから」
バルトロの言葉を聞いて、ジェロニモの動きがぴたりと止まった。
「バルトロ、君が監獄塔だと? 何かの冗談だろう」
「それならどんなに良かったか。あそこで見た光景は、未だに忘れられん。比較的恵まれていた私でさえ、指を裂き骨を砕かれ、文字すら書けなくなったのだ」
「治したのは俺と秋葉」
天目が割り込んだが、ジェロニモはわかりやすく無視した。……後で覚えてろよ。
「まさか。騎士団は拷問などせぬ、処刑したのは自白したものだけだと」
「指の骨を折るくらい、奴らにとっては拷問には入らんのだ」
バルトロが苦り切った顔で言うと、ジェロニモは言葉を失った。
「みんな、痛みに耐えかねるか、生きたまま焼かれることを恐れて、ありもしない告白をする。それが『自白』になるだけのことだ。調書を読んだことがあるかね」
バルトロの問いに、ジェロニモが無言でうなずく。
「考えてもみたまえ。何故、あれだけの自白がありながら、その内容が似たり寄ったりなのだ? 誰かの介入無しで、あんな結果になるはずがなかろう」
立ちつくすジェロニモに向かって、バルトロはさらにたたみかける。
「信じられないというのなら、私があそこで見たことを話し続けてもいいぞ」
「……それが嘘でないという証拠がどこにある?」
「私が嘘が上手かったかどうか、君の記憶に聞いてみるといい」
バルトロがそう言うと、ジェロニモが大笑いを始めた。
「君が嘘をつくと、下手すぎてすぐわかったものだ。全く、今まで失念しておったわ」
「信じてくれるのか」
「友の名にかけて」
老人二人が固い握手を交わしあったところで、天目が身を乗り出した。
「じゃ、話はまとまったな。王とやらの部屋はどこだ」
「不敬者がっ」
「神の使いに対してなんだそれは」
また始まった天目とジェロニモの喧嘩を横目で見ながら、バルトロがため息をついた。
「ジェロニモ。いくら止めてもこの方は勝手に行ってしまうよ。高い城壁すら、ものともしなかったくらいだからね」
「しかし、陛下に謁見するとなると、何らかの理由は必要だぞ」
「ならば王に申し上げてみろ。ここにいる兵たちは、軍の中でも選りすぐりのはずだ。それをやすやすと突破できる者に興味はないか、と」
天目は自信満々に言うが、ジェロニモが憮然とした。
「それだけでは弱くないか。今は戦をしているわけではないのだ」
「……対外的には兵を動かしているわけではないな。しかし、国内でいがみあいがないとは言えないだろう」
「何のことだ」
「とぼけるな。財務局所属のお前が、知らんはずがない。騎士団が民から取り立てている税額が、年々上がる一方だそうじゃないか」
バルトロが言うと、ジェロニモがうめいた。
「図星だな。王も税をとっているが、騎士団の税が上がりすぎると、市民はどちらに優先して金を納めるか選ばなければならない。そうなると、神の罰を恐れて騎士団に税を払う人間の方が多かろう。王にとって面白いわけがない」
「ぐ……」
「彼は騎士団に対しても、積極的に動くと宣言している。私の事情を説明すれば、同情も買えよう。どうかご検討を、と王にお取り次ぎ願いたい」
ジェロニモは、これを聞いて腕を組んだ。その姿勢のまま、部屋の中をぐるぐると三回まわる。
「……ええい、分かった! やればいいんだろう!」
半ばやけになったジェロニモが、足音高く部屋を出ていった。派手に閉まった扉の風が、天目の髪を揺らす。
「やれやれ」
バルトロがつぶやいた。その横で、天目が呑気に手を叩く。
「市長は説得がうまいな」
「貴君が下手すぎる……。歌をやれ、とアキハ殿がしつこく言っていたわけがわかりました」
「俺は実戦担当なんだ」
自分に都合が悪くなってきたので、天目は無理矢理話をうちきった。気まずい沈黙が流れ始めたが、そこへ運良くジェロニモが戻ってくる。今度は彼一人ではなく、兵士を多数引き連れていた。
「あの子供が?」
「……本当かよ。俺にだって勝てるぜ、あんなの」
「バルトロ市長、本当にどうかしちまったんじゃないか」
普通の人間より耳がいい天目は、後ろの兵のつぶやきまでしっかり聞いている。あからさまに皮肉っぽい笑みを浮かべてやった。
「……陛下がお会いになるそうだ。ただし、謁見の間まで五体満足で辿り着けたらな」
ジェロニモがあご髭をかきながら言う。これで満足か、と言いたげに天目を見てきた。天目は大きくうなずく。望むところだ。
「どうかご無事で」
祈りの構えをしているバルトロを、天目はからかった。
「いらん心配ばかりしているな。あの金髪女との戦いは見ていただろう」
「半分夢のようでした」
「あの女とここの兵士、どっちが強いと思う」
「……比較になりませんな」
「そういうことだ」
天目はバルトロを安心させてから、手をたたく。兵士たちが一斉に、槍と盾を構えた。広い出入り口とはいえ、兵士が密集すると走り抜けることはできない。
しかし天目にとっては、どうということもない。ひと飛びで、兵士たちの頭上を乗り越えた。驚いた兵士たちが、とっさに槍を突き上げる。しかし天目はもうそこにはいなかった。
廊下を二度曲がり、整えられた中庭を走り抜ける。茶を飲んでいた貴人が目を丸くするのを尻目に、天目は渡り廊下へ飛び移った。こちらの廊下にも兵がいるが、壁を駆ける天目には誰一人ついてこられない。重い金属鎧も厄介なものだ。
天目がそんなことを考えていると、いきなり横から槍の突きが飛んできた。さっきの兵たちよりも速く、迷いがない。天目は槍が来た方向を見つめた。
ひときわ体格のいい男がそこにいる。彼は金の房がついた槍と、馬の紋章が入った立派な盾を装備している。体につけている鎧兜も全て金拵えだ。
「小僧がっ。ここから先は、一歩も通さんぞ」
……欲しいな。あのぴかぴかした装備。自分の赤髪に、金色はよく栄えそうだ。そこまで考えて、天目は姿を消した。
「くそっ」
獲物を見失った金ピカがうろたえる。
(別に君が悪いわけではない。神を相手にするのは、人には荷が重すぎるのだ)
天目は、金ピカの肩の上に乗った。ちょうど、子供が父親に肩車されているような体勢になる。金ピカがうなりをあげて天目の足をつかんだが、天目は気にせず兜に手を伸ばした。
(力加減に注意しなくちゃな。兜は欲しいが、その下のおっさんの首はいらないし)
天目は配慮しながら、兜の金具をはずし、男からもぎとった。